カンボジアだより シーライツ

国際子ども権利センターのカンボジアプロジェクト・スタッフによるカンボジアの子どもとプロジェクトについてのお便り

『逞しく生きる少女たち』 スタディツアー報告その6

2008年06月07日 00時23分50秒 | 人身売買・性的虐待 被害者支援
こんばんは。甲斐田です。あさって、帰国し、児童労働反対世界デーのシンポジウムにパネリストして参加します。http://stopchildlabour.jp/modules/articles/mainevent.html
その準備で、今日、カンボジアで最悪の形態の児童労働に従事している子どもたちの写真をスキャンしていたのですが、レンガ工場で働いているときに機械で腕をもぎ取られてしまった男の子の写真が2枚ありました。一人は顔が特定できないように写真が加工されているのですが、背格好が似ていて同じように痛ましいケガをしているので、一瞬同じ男の子かと思いました。けれども、一人は右腕をもう一人は左腕をもぎとられていたので、別の男の子だとわかりました。こんなひどいケガをする可能性がある労働を10歳くらいの子どもにさせるなんて、一日も早くやめてほしい、と強く願いますが、最近のカンボジアの建設ブームでレンガ工場で働く子どもたちはむしろ増えているそうです。

 今回は、過酷な児童労働をさせられた経験をもつ少女たちが保護されているグッデイセンターについての報告です。(強調は編集部)

写真は報告してくださった池谷裕次さんと村の子どもです。

『逞しく生きる少女たち』                  池谷裕次(大学生)


「チョムリアップスオ!」「ナイストゥミーチュー!」少女たちはバスから降りた私たちを、クメール語や英語で迎えてくれた。顔には、これから一晩を共に過ごす私たちへの、ワクワクドキドキな緊張感や期待感、そして不安感もちょっぴり映っているようだった。

 少女たちはみな優しくて、とても丁寧に私たちをもてなしてくれた。作ってくれた夕食もとてもおいしく、センター内にあるマンゴーをもいで剥いてくれたり、あちこちを案内してくれたりした。敷地内の宿舎とは反対側に、大きなため池があり、その前でグッディセンターの所長さんがお話をしてくださった。

 ここグッディセンターは、6歳から23、4歳の少女がいて、100人まで生活できるそうだ。HCCでは、大きく2つの活動を行っている。性的搾取の被害に遭った、または遭う恐れのある少女の保護が一つ。他の人権擁護団体と協力、連携して少女たちは保護され、望むなら、クロマー織りや美容の技術、ドレス作りなどの職業訓練も受けられる。
 
 そしてもう一つが、少女への性的な搾取の防止の広報活動だ。大人たちへの影響力の大きい、尊敬される存在である村長や校長、そして僧侶たちにトレーニングを行い、トレーニングを受けたものたちが地域ベースの人身売買防止ネットワーク(CBPN)を組織し、広報活動を行う。また、基礎保健教育や識字教育も保護活動の一環だ。

 陽はどんどん暗くなり、所長さんの顔はもう分からなかった。宿舎では、少女たちの楽しそうな笑い声が聞こえている。

 少女たちが職業訓練で練習に織ったクロマーを纏い、ツアー中3人だけの男はシャワー代わりに水浴びをした。カンボジアは1年を通して温かいため、寒くはなかった。

 夜も更けてきたが、遠い国からの14人の客を前に、少女たちの興奮は覚めやらない。私の下手なギターで、一緒に「幸せなら手をたたこう」を歌い、ダンスを教えるツアー参加者の女性もいた。お礼に少女たちはアプサラダンスを踊ってくれた。歌って、踊って、騒いで、本当に楽しい夜で、もう一度水浴びをしなくてはならなかった。

 朝、敷地外で寝ていた私たち男3人が寝ぼけまなこでセンターに入ると、宿舎で寝たツアーの参加者の女性たちはすでに起きて少女たちとゲームをしていた。朝ごはんを食べ、日本の写真を見せたり、サッカーをしたり、この後の運動会のプログラムまでのんびり過ごす。高校生ぐらいの一人の少女と仲良くなった。名前をチャリアというその子は、私に「I want to play the guitar !」と言ってくれた。私の下手くそなギターでも、教えて欲しいと言ってくれることが嬉しかった。ただ、残念なことにそのオシャレな少女は、少々爪が長すぎた。

 運動会、最初の競技はつぼ割り。スイカ割りのように、目隠しで、吊るされたつぼを周りの声を手がかりに叩き割る。ツアー参加者と少女たちと交互に割り、うまく割れなくても、それも逆に場を盛り上げた。私も目隠しをされた。棒を振り上げ、少しふざけて「うおぉぉぉぉ!」と走り出すとみな「キャー!」といって楽しそうに逃げ出す。周りの声を頼りにつぼを見つけた私は、やったこともない剣道の動きを真似、「面!」の声と共につぼの破壊に成功し、武士のように一礼をした。その後もリンゴ食い競争や卵スプーンリレーと競技は続き、笑顔の絶えない時間になった。

 そして最後に交流会が行われた。「2人姉妹で妹がいます」「私は今、国際協力について学んでいます。」「私は、あなたたちの日本のお母さんになりたいと思っています。」「学校の先生を目指しています。」それぞれのツアー参加者の自己紹介を少女たちは一生懸命に聞いてくれていた。少女たちは夢を教えてくれた。NGO職員、お医者さん、ガイドさん、みんな色々な夢を語ってくれた。シーライツの後藤さんに後から聞いた話では、「以前に聞いたことと違って、みんな他の人が言う夢に影響を受けているみたい。」とのことだが、夢を沢山持てることは良いことだとも思う。「将来は歌手になりたい」そう語ったのはチャリアだった。私にギターを習いたいと言ったことの理由と、その真剣さが伝わった。

 そしてツアー参加者は「森のくまさん」と、SMAPの「世界に一つだけの花」を歌い、少女たちはアプサラダンスを披露してくれた。チャリアはクメール語の歌を歌ってくれて、それはとても澄んだ声で美しいものだった。
自分の写真をくれる少女や、「Don’t forget me.」と別れを惜しみ、涙する少女たちに引き止められて、ツアー参加者たちの中にも、涙を浮かべる人がいた。全員がいつまでもこうしているわけにはいかず、振り切ってバスに何人かのツアー参加者が乗り込むが、それでもバスはなかなか発車できなかった。

 少女たちと一緒に寝たツアー参加者の一人から「夜寝るときに急に泣き出す子がいたのが、ショックだった」と後で聞いた。昼間、ほとんどの子が見せてくれる無邪気な笑顔の裏に、夜に少女たちを襲う寂しさや、悲しみが沢山ある。笑顔を見せてくれなかった少女も、私たちには何かを求めるような視線を感じた。ここに生きている少女たちは、多かれ少なかれ、みんなそうした影を持っている。それでも、少女たちと過ごした時間からは、日々を活き活き過ごす力強さを感じた。

 水浴びのときに使ったクロマーは、少し不恰好かもしれないが、一織り一織り丁寧に重ねて作られていた。大変な環境でも力強く生きている少女たちの姿に重なるような気がした。このHCCグッディセンターの訪問は、そんな少女たちの過去や、それを乗り越えて生きていこうとする逞しさ、そしてその少女たちを支え、守る人々のつながりの強さと温かさを学ぶものとなった。

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