カンボジアだより シーライツ

国際子ども権利センターのカンボジアプロジェクト・スタッフによるカンボジアの子どもとプロジェクトについてのお便り

マダガスカルの子どもたちから振り返るカンボジアの子どもたち (2)

2007年11月20日 19時51分21秒 | その他
こんにちは。中川香須美です。今回は、前回に引き続き、マダガスカル旅行で見てきた子どもたちについて紹介します。

子どもがとても多い気がした」と前回に書きました。子どもが外で遊んでいる光景が見られるのはカンボジアと同じですが、カンボジアと異なる点は、10人くらいの子どもが大騒ぎして一緒に遊んでいる風景がいたるところで見られる点です。赤ん坊を背中に負っている子どもたちが、輪になって遊んでいたり、地面に絵を書いて遊んでいたり、大勢で遊んでいる光景がどこでも見られました。土地が平らなところではサッカー場がたくさんあって、サッカーだけでなくラグビーをしている男の子たちもいました。女の子もとても活発で、カンボジアの女の子と違って走り回って遊んでいる様子がとてもほほえましく見えました。それは大人の女性の態度にも表れていて、マダガスカルの女性は胸を張って自信を持って生きているように見えました。あくまで外見での判断でしかありませんが。


マダガスカルの建物は、なんとなくカンボジアと似ている家屋が多い気がしましたが、全面修復が必要と思われるような家屋がほとんどでした。レンガで造られている家屋がほとんどで、どこでレンガを作っているんだろうと見ていると、カンボジアと同じで児童労働によってレンガ運びがなされていました。カンボジアでは、レンガ工場は国道からはちょっと離れたところの広い敷地で大量に生産されるのが一般的で、なかなか工場の中は見えません。児童労働問題の深刻な現場であり、簡単には外から見られないようになっているのだろうと察します。ところがマダガスカルでは、国道からすぐ近くの畑の中に1.5メートル四方くらいのちいさな窯がぽつんと設置してあって、働いている子どもたちが国道からもはっきりと見えます。外見からは5歳くらいにしか見えないような子どもが、大人たちと一緒にレンガを運んでいました。


ストリートチルドレンの問題も、特に都市間を結ぶバスターミナルで頻繁に目にしました。女の子は見かけませんでしたが、男の子が数人で物乞いをしていたり、ごみをあさっている様子が見えました。空き缶を集めている子どもに会ったので、ビールの空き缶を渡すと、持っていた水をその中に入れてビールの残りかすを必死で飲んでいたのにはショックを受けました。カンボジアのようにシンナーをしている子どもは見かけませんでしたが、アルコールはストリートチルドレンの間で問題なのかもしれません。


ほんの短期間の旅行でしたが、生き生きと生活している子どもたちを見て、とっても元気をもらいました。マダガスカルの人たちの生活は、カンボジアの人たちの生活よりもいろいろな意味で大変そうでしたが、子どもたちはとっても自由かつ元気に生活していました。推測ですが、カンボジアのように伝統的な行動規範を小さい時から教えられる習慣がなく、自由な教育が家庭でも学校でもなされているのではないでしょうか。カンボジアの学校教育では、子どもたちの将来の可能性を伸ばすような教育よりも、子どもたちにどういう義務があるかを教える点に重点が置かれています。さらには、マダガスカルでは女性たちが自信を持って胸を張って歩いているように強く感じました。マダガスカルの女性が社会的に抑圧されている、あるいは発言などの自由がない、という印象はまったく受けませんでした。カンボジアでは「若い世代は竹の幹になる」ということわざがあって、年配の世代の行動を若い世代も繰り返していく、という意味があります。これからのカンボジアでは、このことわざに縛られず、子どもたちが自由に可能性を伸ばせるような教育や、社会全体の意識改革が必要だと思います。


マダガスカルの物質面で不足していたり、インフラの整備が遅れたりしている点は、きっとこれから発展していくと思います。将来、またぜひ訪問したい国です。




写真はバスターミナルで物乞いをしていた子どもたち。

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