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恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

ゴミを漁る人々

2005年03月21日 | 所感とか
バブルもはじけて不況で鬱々としたこのご時世。
新宿を始めとする繁華街には住む場所を失った方々が数多くいます。
夜の地下街に足を踏み入れてみるとその様子がつぶさにわかります。
ダンボールにうずくまり、シケモクを吹かす姿は哀愁が漂っています。
中には雑誌売りをして日銭を稼ぐような人もいるわけですが、
その多くは飲食店のゴミ捨て場にあるゴミを漁っていたりするのが現状です。

私のアルバイト先のゴミ捨て場は壁などで囲いがあるわけではなく、
裏通りに面したところにあり、無防備な状態にあります。
やはり時々こういった方々の姿を目にすることがあるわけで、
彼らの撃退というか対策に頭を悩ませる日々が続いています。
何がまずいのかといえば、袋を破いてゴミを漁って散らかしてしまうわけなんです。
さすがにゴミ捨て場とはいっても店の一部であるので、
こうしたところを荒らしていくというのはなんともよろしくないわけです。
それで、我々店員はこういった輩を発見次第排除せねばならぬわけですが、
私は根っからの小心者で、なかなか困惑してしまうんですね。

店の社員の方などは「ゴルァ!なにやってんだ!」というように、
非常に強烈な排除をするのですが、これが私にはなかなか出来ません。
なんでしょう、人としての良心が痛むというか。
確かにゴミを散らかしたりするのはよろしくないと思います。
それじゃカラスが明け方にゴミを漁るのと変わりませんから。
しかしながら、彼らの生活のことも考えると一概に心を鬼にして、
蹴散らすということもなかなか出来ない、というのが私のスタンスです。
心ならずも家や財産を失ってしまった彼らを蔑視して差別する、
というのは感情の上では当然のことであろうと思いますが、
よくよく考えてみれば哀れみの気持ちのほうが先行してしまいます。
本人の努力が足りずにそうなった、ということもできるでしょうが、
なかにはそういう人ばかりではないということもあるでしょう。
下手をしたら自分の近い未来の姿とも言えるでしょうから。

だからこそ自分はそういった社会の「負け組み」にならないように、
必死に努力し勉強をしなければならないわけなのですが、
冒頭にも述べたように一寸先がどのようになるのかわからない世の中。
彼らもある意味ではそうした資本主義社会の弊害によって生まれた被害者なのか。

あ、最後に私は資本主義社会を否定する左翼でもなければ、
朝日新聞的な人権を楯に喧伝するようなプロ市民でもないので。
もちろん暴動を起こしたり、犯罪に手を染めるようなホームレスには、
弁解の余地すらないことを明言しておきます。