消えゆく霧のごとく(クンちゃん山荘ほっちゃれ日記)   ほっちゃれ、とは、ほっちゃれ!

きらきら輝く相模湾。はるか東には房総半島の黒い連なり。同じようでいて、毎日変わる景色。きょうも穏やかな日でありますよう。

どうしたか、と気になっていた彼、NHK山崎記者と判明!

2020年03月23日 12時21分13秒 | 地震、原発

ぱったりと姿が見えなくなったNHK記者

 福島原発の異変直後に真相を指摘

 3/15スペシャル番組で健在を確認!

 このところ、かなりテレビを見ることが増えています。コロナ関係が気になって、ネットの文字づらを眺めるよりも、テレビのほうがてっとりばやい感じがするからです。それで、ある時間、つけっぱなしにしていると、思わぬ番組に出あうことがあります。先週、3月15日夜のNHKスペシャル『メルトダウンZERO 原発事故は防げなかったのか ~見過ごされた分岐点』 もそのひとつでした。

 およそ1100年前の貞観地震という三陸地方を襲った大地震、大津波の教訓が結局生かせなかったのはなぜか、という告発的内容でした。東日本大震災前に、貞観地震の規模等に関する研究が公表され、電力各社の中にはこれに添った対策を開始した会社もあったのに、肝心の東電や国の機関は先送りしてしまったという知られざる事実が明らかにされていました。さまざまな要因が指摘されていましたが、おらが「えっ!」と驚いたのは、取り返しのつかない原発事故でさんざん泣きを見て、全国的に同情を寄せられることになる地元複数自治体が、当時は、ひとくちで極限するなら「津波対策がああだこうだ言ってないで、計画を進捗させてほしい」という態度で一致していたということでした。新計画というのは、当時、新たな原子炉を増設する計画であり、計画地造成などが既に緒についており、完工すれば百億円という交付金が地元自治体に配分されることになっていたというのです。

 この当時、少なくとも一番海側に位置する「電源」が水没しない程度の津波対策が講じられていれば、原発事故はまったく別の様相になっていたとの指摘でした。まったく圧巻の報道でありましたが、まあ、あの事故や津波対策云々は民主党政権時代での出来事であることも、NHKの歯切れをよくしている要因のような気もしたのです。

 ところで、話は変わりますが、当時、建屋が吹き飛んだ段階のNHK報道で、東電側が公式には「水蒸気爆発」などと言を濁してすっとぼけていたにもかかわらず、ニュース画面に出てくるNHK記者のひとりは、その解説の中で「そんな程度の話ではない。もっともっと深刻な事態が進行している」として警鐘を鳴らしていました。おらには、いまだに忘れられない鮮明な記憶として残っています。

 この名前も知らない記者は、せいぜい2日間だったと思いますが、何度も画面に出てきたのですが、そのうちぷっつりと姿が消えてしまいました。これはやはり、「政策的」に消されたのだと思います。しかし、結局、この彼が解説したように原発事故はメルトダウンを含む途方もなく深刻かつ悲惨な事故だったことが徐々に明らかになっていくのでした。

 したがって、このお方はその後、冷遇されてNHKを追われたはずはないと思っていたのですが、それっきりお顔を拝見することもなく、おらは折にふれて、「あの記者はどうなっちまったんだろう」と思い出しておりました。

 その彼が、この番組に登場していたのです!

           

 10年も経ってだいぶ白いものも交じっていますが、まさにあのときのお方でした。

 NHK科学文化部・山崎俊行記者、とありました。あんな河馬女が政治部長なら、山崎さんが少なくとも科学・文化部長であってよいはずなんですがね。

 

 


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