某友人に、と電話で話してたら「最近の糸崎さんの作品は微妙で、作家として迷走している」「モノクロ写真もさることながら、ガイガーカウンターのグラフを重ねた写真も、表現とは言えない」という批判を受けて、大変嬉しくなった。
この批判は(ぼくが同席してない)さる飲み会で、みんなも口にしてたそうで「糸崎さんに対し同じように思ってる人は、少なからずいるはず。」と電話の友人は語っていた。
まぁ彼も、飲み会の席の人達も、ぼくがこの程度の批判に怒ったり傷付いたりしない事を了解し、その意味で信頼関係ができている。
これに限らず、ぼくは自分の作品に対し、批判や悪口を言われると非常に嬉しくなってしまう。
と言ってもぼくは別にマゾではなく、褒められるのも同じくらい大好きだw
ぼくは褒められたり貶されたりする為に作品を作るのであり、更に他人の評価は関係なく、自分の使命感において表現行為を行う。
特にガイガーカウンターの作品については、まず使命感が先に立ち、人の評価は二の次で制作している。
そもそもガイガーカウンターでの測定は、まず自分の不安解消の為に行い、さらにその不安を共有する人々の為に、データをブログで公表すると言う使命感においてなされたものだ。
しかし作品を見る人にとって、ぼくの勝手な使命感など無関係で「ガイガーカウンターの作品は数値であって表現ではない」とか「測定は大事だとしても、作品として中途半端」などと思う人がいるのは尤もな事だと思う。
だからぼくとしては、そのような正直な気持ちを語ってもらうことは大歓迎なのである。
言われてみれば尤もだと思える批判も、実際に言ってもらわなければ分からない。
一方で、ぼくのガイガーカウンターの作品を高く評価してくれる人もいて、褒められればやはり嬉しくなる。
しかし嘘で褒められても困るし、貶すにしろ褒めるにしろ、正直な言葉をかけられるとぼくは嬉しくなるし安心する。
ただ、以上のような批判に対する態度を、誰にでも要求すべきだとまではぼくは思わない。
実際に、多くの人が他人に批判されたり貶されたくないと思っているのも確かで、そう言う人たちの気持ちは、ぼくは尊重するつもりでいる。
だから自分が批判されても、単純に批判し返す事はせず「人を見て法を説く」に倣い、批判に耐えうる人しか批判しないのが、最近のぼくのルールになっている。
この批判は(ぼくが同席してない)さる飲み会で、みんなも口にしてたそうで「糸崎さんに対し同じように思ってる人は、少なからずいるはず。」と電話の友人は語っていた。
まぁ彼も、飲み会の席の人達も、ぼくがこの程度の批判に怒ったり傷付いたりしない事を了解し、その意味で信頼関係ができている。
これに限らず、ぼくは自分の作品に対し、批判や悪口を言われると非常に嬉しくなってしまう。
と言ってもぼくは別にマゾではなく、褒められるのも同じくらい大好きだw
ぼくは褒められたり貶されたりする為に作品を作るのであり、更に他人の評価は関係なく、自分の使命感において表現行為を行う。
特にガイガーカウンターの作品については、まず使命感が先に立ち、人の評価は二の次で制作している。
そもそもガイガーカウンターでの測定は、まず自分の不安解消の為に行い、さらにその不安を共有する人々の為に、データをブログで公表すると言う使命感においてなされたものだ。
しかし作品を見る人にとって、ぼくの勝手な使命感など無関係で「ガイガーカウンターの作品は数値であって表現ではない」とか「測定は大事だとしても、作品として中途半端」などと思う人がいるのは尤もな事だと思う。
だからぼくとしては、そのような正直な気持ちを語ってもらうことは大歓迎なのである。
言われてみれば尤もだと思える批判も、実際に言ってもらわなければ分からない。
一方で、ぼくのガイガーカウンターの作品を高く評価してくれる人もいて、褒められればやはり嬉しくなる。
しかし嘘で褒められても困るし、貶すにしろ褒めるにしろ、正直な言葉をかけられるとぼくは嬉しくなるし安心する。
ただ、以上のような批判に対する態度を、誰にでも要求すべきだとまではぼくは思わない。
実際に、多くの人が他人に批判されたり貶されたくないと思っているのも確かで、そう言う人たちの気持ちは、ぼくは尊重するつもりでいる。
だから自分が批判されても、単純に批判し返す事はせず「人を見て法を説く」に倣い、批判に耐えうる人しか批判しないのが、最近のぼくのルールになっている。
放射線は感覚的には感知できませんが計器によってLOGOS的に認識することはできます。
写真もガイガーカウンターによる測定値もその場所における定量的現実であります。
それを理解した上での批判があったらもっといいですね(笑)
90坪ほどの家の敷地ですが0.05~0.18μSvと幅があり、家の周辺も周ってみましたが似たようなものでした、事前の予想とは半分ぐらい外れていて、やはり、実測してみるものだと思いました。
この目に見えず実感できないけど計測器が示す数値が人体に及ぼす影響については不明ですが、目に見えぬものに過大な妄想を膨らましたり強引に無視したりするより、とりあえず結論保留の事実として受け止めておきたいと思います。
美術界の現実については無知ですが、日本ではともかくニューヨークだったら違和感なく受け止められる表現のような気がしますが。。。