京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

京の話題(平安京その298)7月25日はカボチャ供養・安楽寺

2012-07-26 00:13:44 | 京の話題

7月25日はここ「安楽寺」でふるまわれる「かぼちゃ供養」です。京野菜一つで「鹿ヶ谷カボチャ」を煮て「中風よけ」として、参拝者にふるまわれます。とても柔らかく美味しいカボチャです。(このカボチャは今が旬、栄養が有ります。昔の人は賢かった、夏バテにもいいです)

独特の瓢箪のような形で京都以外ではあまり見かけない野菜です。

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一年に一度の行事で、皆さんで賑わっています。

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この日に限り、拝観料と「護符」も頂いて、カボチャの煮付けで500円、安い!

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食い意地ばかりで、このお寺の事。

「住蓮山」と号する「浄土宗」のお寺です。しかし、このお寺には、美しくも哀しい話が有ります。「後鳥羽上皇」の女御の「松虫」「鈴虫」がおられました。密かに宮中を忍び出て落飾して尼僧となりました。19歳と17歳の姉妹で、美しく教養も有りました。「後鳥羽上皇」の大のお気に入りの姉妹でした。そのためこれを知った上皇は立腹し尼僧に導いた「住蓮房」と「安楽房遵西」を断首にしました。さらに「法然上人」(浄土宗開祖の円光大師)を讃岐に流罪しました。これが「承元の法難」の一部です。そして旧仏教(特に興福寺・法相宗系http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120117)から「浄土宗」への圧迫はさらに拡大しました。

「安楽寺」の山門です。質素な茅葺屋根です。

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長く荒廃していましたが、江戸中期の延宝9年(1681年)この姉妹と「住蓮房」と「安楽房遵西」二人の僧の菩提を弔うため、この地に本堂などの伽藍を建立されました。

本堂、今日はこの供養のためか賑わっています。

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御本尊「阿弥陀如来座像」

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お庭も緑で美しいです。

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境内の奥に「松虫」と「鈴虫」姉妹の小さい五輪塔がひっそりと立っています。

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今は真夏ですが、紅葉の時期がお勧めです。「哲学の道」を少しそれた所に有ります。

京野菜:有職人による京府内の伝統的な野菜。鹿ヶ谷カボチャ・賀茂ナス・聖護院がぶら・壬生菜・堀川ごぼう・九条ねぎ・すぐき菜など34品種ほど。

左京区鹿ヶ谷御所ノ段町12

注)一部歴史的な表記に間違いが有りましたので、訂正しました。

(たわごと) 祇園祭の伝説

祇園祭に関わる「町衆」はこのお祭りを裏から支えている、山鉾の曳手や粽を作る郊外の村落に対して、「例年の通りよろしくお願いします」と言います。長年の付き合いでこの一言で「阿吽の呼吸」で人間関係が何百年と続いています。

しかし、この「例年の通り」が今年は、日本中崩れているようです。昨年の大震災、原発の大事故、記録にない大雨、いじめの問題、オスプレイ、今のアホらしい政局、超円高きりがない事ばかり。この「例年の通り」が今では通用しない時代になってきています。不安な未来です。何故こんな世の中になったのでしょうか?


京の話題(平安京その297)祇園祭花傘巡行・還幸際

2012-07-25 00:11:33 | 京の話題

いよいよ、7月も昨日で24日です。昭和40年迄、「北観音山」や「橋弁慶山」等、曳き山2基、舁き山(かきやま)7基は、「後祭り」(地元の方は上祭りと言っています)は24日にルートを変えて巡行していました。観光目的の為、17日に「先祭り」と「後祭り」が17日に統一されました。(プライドの有る山町は、当初ボイコットしたとこもありました)

しかし、24日はその代わりに、「花傘巡行」が行われるようになりました。「子供御輿」「獅子舞」「六斎」「鷺舞」「祇園町・宮川町の綺麗どころ」などの行列が「八坂神社」を出発して、河原町通を上がり、三条通から寺町通を下り、「八坂神社」に帰ります。

その夜、17日の夕方に「八坂神社」から出て「御旅所」に鎮座していた三基の御輿http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120718が多くの舁ぎてにて市内を回り、「八坂神社」に還ります。(還幸祭)その深夜に境内の明かりが全て消され、「御霊還」(みたまうつし)が厳かに行われます。

花傘巡行

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祇園町の綺麗どころ

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宮川町の綺麗どころ

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そして、最後は「長刀鉾」町のお囃子

御老女達の行列も有りましたが、これは独断でNGとします。

「御旅所」では三基の御輿は夜の「還幸祭」に向けて、周りの飾りを取り外し、準備万端です。

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(たわごと) 今日も祇園祭・伝説

あまり知られていない事ですが、お御輿の舁ぎての「手拭い」と「おひねり」(頭に鉢巻きをして、榊に蘇民将来子孫也の護符を付けたもの)に関しての伝説。

舁ぎての頭に巻いた「手拭い」は安産のお守りと言われています。見物人で臨月の妊婦が、汗の付いた舁ぎての「手拭い」をもらって腹に巻いていたところ、逆子で帝王切開する覚悟でしたが、逆子が治り、無事に安産したと伝えられています。

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嫁はんの言葉。おっさんの汗臭い加齢臭の「手拭い」なんていや。しかしイケメンの舁ぎての「手拭い」やったらおおいに歓迎。(アホか!!!)

また、舁ぎての頭に付けている「おひねり」を箪笥に入れておくと着物がもう一枚増えると言われています。(花街の人が特に欲しがります)

など、色々な伝説が有ります。


京の話題(平安京その296)祇園祭・御供社オハケ清祓式

2012-07-24 00:14:02 | 京の話題

案外知られていない、祇園祭の神事です。24日の「還幸祭」にに先立ち「御供社オハケ清祓式」(ごくしゃ)が行われました。

「オハケ」とは、八坂神社御供社の石鳥居横に、巾7尺奥行2尺の斎芝(いみたけ)を敷き、四隅に斎竹を立て、その中心に神の依代となる3本の御幣を立てたものです。

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「八坂神社御供社」は三条大宮に有ります。この地はいにしえの「神泉苑」の東南に有り、3基の御輿が合流する所でもあります。

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その為、「祇園祭」発祥の地とされ、平安時代には祭りの行列を点検する意味の「列見辻」ともいわれていました。

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この3本の「御幣」を神官が「オハケ」に祀ります。

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「オハケ」に祀られた「御幣」です。

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24日の「還幸祭」に備えます。真の「祇園祭」は17夕方から行われた「神幸祭」http://itodoya.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/07/290_e913.html#commentsから24日の「還幸祭」と言う事になります。だだ31日の「疫神社夏越祭」まで、まだまだ神事は続きます。

中京区三条大宮

(たわごと) 祇園祭の粽(ちまき)

祇園祭の粽は中身は何も入っていません。よく間違ってインテリアと思われる方がおられますが、知らない方は家の中に飾ったり、床の間の置物としてる方がおられます。大いなる間違いです。

粽のいわれは、「武塔天皇」が嫁さがしに旅に出たところ、裕福な「巨旦将来」(こたんしょうらい)に宿を乞うたところ断られました。しかし、貧しかった兄の「蘇民将来」の家は快くもてなしました。その後、妻ができた、「武塔天皇」は「八柱御子」を連れ、再び「蘇民」とその家族を訪れ、返礼として、「蘇民」とその家族子孫にいたるまで茅の輪を腰に付けている者は、疫病の厄を免じさせると約束しました。その他の者は死に絶えたと言われています。

よって厄除けの粽には「蘇民将来之子孫也」という「護符」が添えられています。この粽を玄関の入り口や、扉に吊るし、外からの「厄病」や「災難」を家の中に入らないようにします。そして一年後また新しい粽を受けて吊るします。決して、家の中に飾るものではないです。(古い粽はその山鉾町に返すか、それが出来なければ、近くの神社に返せばいいのです)

神は「我はカムハヤスサノウノ神也」(素戔鳴尊)「牛頭天王」とも言います、といい、古くから「祇園社」の縁起であったと言われています。よって、「八坂神社」の祭神は「素戔鳴尊」(すさのうのみこと)他二神です。


京の話題(平安京その295)7月22・23日は弁天祭・長建寺

2012-07-23 00:10:20 | 京の話題

伏見の中書島はかつては島でした。

伏見城の城下町時代「脇坂中務大輔安治」(わきさかなかつかさだいふやすはる)が邸宅を構えていました。脇坂の中務という官職は唐風には「中書」となることから、中書島と言う名前になったと言う事です。

城下町が荒廃した後、元禄時代に「建部内匠頭正宇」(たけべたくみのかみまさゆき)が再開発を行いました。この「建部正宇」にちなむのが「長建寺」

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「建部匠頭正宇」奉納の燈籠。

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「長建寺」は「島の弁天さん」と呼ばれるように、「八臂弁財天」を祀り、「東光山」と号する「真言宗醍醐派」のお寺です。

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深草大亀谷に有った「即成院」の塔頭多聞院をこの地に移し、中書島の復興に貢献した建部の「建」と、氏の長寿を祈願した「長」の字をあわせて「長建寺」という寺名になりました。

「閼伽水」(あかかすい・仏様にお供えする功徳水・平安時代中期に即成院から移したものです)

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山門は下部を紅色に塗った龍宮門です。

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「弁財天」は前記にも数度記載したように、音曲を司り、技芸、知恵と財宝をもたらす「七福神」の一人で、艶やかな神様ですから、このようなお寺にふさわしいです。

伏見区東柳町511

(たわごと) 祇園祭の時は祭りの関係者はきゅうりを食べないのは。

夏真っ盛り、きゅうりは今が一番おいしい時です。きゅうりは今が旬、体の熱を冷まし夏には最適の野菜です。しかし、祇園祭中はきゅうりを食べません。と、言うのは祇園祭の祭礼「八坂神社」の神紋は「三つ巴」と「五瓜に唐花紋」です。ちょうど、きゅうりを輪切りにすると切り口がこの「五瓜に唐花紋」に似ているからです。

ちなみに、八坂神社の祭神(素戔鳴尊)はきゅうりが大好物だったと言われています。

祇園祭も31日の「疫新社夏越祭」まで、あと十日余り、まだ色々な神事が有ります。

「大津市いじめ事件」の加害者の詳細がYouTubeにて掲載されいました。今だ居直り続ける加害者達。主犯格の、父親はPTAの会長(会社経営)、母親は団体役員、祖父は滋賀県警のOBこれで三度も被害者側が警察に被害届を受理してくれなかった図式が分かりました。加害者の母親は、なんと「死んだものはいいが、これから生きていく我々こそ被害者」と支離滅裂なビラを校門前で配っていたと言う事です。以下、少し過激な内容ですが、YouTubeからあえて引用さして頂きました。(これは皆さんが是か非か決めてください)

引用した動画が余りにも、本ブログの趣旨を汚すため削除さして頂きました。


京の話題(平安京その294)山鉾町内に有る商売繁盛・諸芸上達の繁昌社

2012-07-22 00:14:37 | 京の話題

この「繁昌社」(はんじょうしゃ)の御神祭は「田心姫神」(たぎりひめのみこと)「市杵島姫命」(いちきしまひめのみこと)「湍津姫命」(たきつひめのみこと)と言う、三女神で珍しいです。

三女神は、海上交通の神で、商品流通の守護から「市の神」として信仰されています。

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もとは、「功徳院」と号し、真言宗の僧によって管理されていましたが、明治の「神仏分離」により、神社だけが残りました。

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もとは、「班女ノ社」とも「半女ノ社」とも称し、「牛頭天王」の妃針才女(はりさいじょ)を祀り、それが転訛して班女になったと伝えられています。また「宇治拾違物語」(うじじゅういものがたり)の中に出てくる「班女塚」だとも伝えられています。

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「弁財天」を祀り、商売繁盛・諸芸上達の御利益が有るとも言われています。

面白いのは、特に、そろばんの上達に御利益が有ると書かれています。

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もしかしたら、今は、パソコン上達に御利益が有るかも?

下京区高辻通室町西入ル繁昌町

(たわごと) もうじき土用の丑(27日)です。

今年は鰻が高いです。我々の若い時は鰻なんてサンマぐらいのものとしか思っていなかったのに。(若い時は、あ~今日も鰻かと、今思うと罰が当たります)

鰻に替わるこの夏を乗り切る食品。TVでの受け売りですが、「甘酒」です。何か「甘酒」と言うと、冬に体を温める為の飲み物と思いますが、あれ本当は夏のものだそうです。俳句の「季語」でも「甘酒」は夏です。先人の知恵です。甘酒は適度に「糖分」が有りビタミンB1・B2・B6や必須アミノ酸が豊富、その中に「おろしショウガ」を入れれば胃や腸・肝臓にも最高。二日酔いの朝や夜に飲めば夏バテにもバッチリだそうです。朝起きて毎日、「甘酒」でこの猛暑の夏を乗り切りましょう。やっぱり、発酵食品は体に良いです。と、言っても、「血糖値」の高い方は飲みすぎに注意を。