京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

京の話題(平安京その296)祇園祭・御供社オハケ清祓式

2012-07-24 00:14:02 | 京の話題

案外知られていない、祇園祭の神事です。24日の「還幸祭」にに先立ち「御供社オハケ清祓式」(ごくしゃ)が行われました。

「オハケ」とは、八坂神社御供社の石鳥居横に、巾7尺奥行2尺の斎芝(いみたけ)を敷き、四隅に斎竹を立て、その中心に神の依代となる3本の御幣を立てたものです。

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「八坂神社御供社」は三条大宮に有ります。この地はいにしえの「神泉苑」の東南に有り、3基の御輿が合流する所でもあります。

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その為、「祇園祭」発祥の地とされ、平安時代には祭りの行列を点検する意味の「列見辻」ともいわれていました。

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この3本の「御幣」を神官が「オハケ」に祀ります。

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「オハケ」に祀られた「御幣」です。

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24日の「還幸祭」に備えます。真の「祇園祭」は17夕方から行われた「神幸祭」http://itodoya.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/07/290_e913.html#commentsから24日の「還幸祭」と言う事になります。だだ31日の「疫神社夏越祭」まで、まだまだ神事は続きます。

中京区三条大宮

(たわごと) 祇園祭の粽(ちまき)

祇園祭の粽は中身は何も入っていません。よく間違ってインテリアと思われる方がおられますが、知らない方は家の中に飾ったり、床の間の置物としてる方がおられます。大いなる間違いです。

粽のいわれは、「武塔天皇」が嫁さがしに旅に出たところ、裕福な「巨旦将来」(こたんしょうらい)に宿を乞うたところ断られました。しかし、貧しかった兄の「蘇民将来」の家は快くもてなしました。その後、妻ができた、「武塔天皇」は「八柱御子」を連れ、再び「蘇民」とその家族を訪れ、返礼として、「蘇民」とその家族子孫にいたるまで茅の輪を腰に付けている者は、疫病の厄を免じさせると約束しました。その他の者は死に絶えたと言われています。

よって厄除けの粽には「蘇民将来之子孫也」という「護符」が添えられています。この粽を玄関の入り口や、扉に吊るし、外からの「厄病」や「災難」を家の中に入らないようにします。そして一年後また新しい粽を受けて吊るします。決して、家の中に飾るものではないです。(古い粽はその山鉾町に返すか、それが出来なければ、近くの神社に返せばいいのです)

神は「我はカムハヤスサノウノ神也」(素戔鳴尊)「牛頭天王」とも言います、といい、古くから「祇園社」の縁起であったと言われています。よって、「八坂神社」の祭神は「素戔鳴尊」(すさのうのみこと)他二神です。


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