紅夜叉は利用された

その日全女川崎大会に訪れた観客の中には、ある噂が広まっていた。
「今日神取がやって来て北斗に対戦要求するらしい」
それは噂レベルを通り越し、もはや発表された決定事項のように囁かれた 北斗が井上京子に挑戦するオールパシフィック選手権は第四試合に組まれていた。
その試合が近付くにつれ、会場内に妙な緊張感が充満していった。
「さっき下の売店に神取がいた」「ブルとイーグルが口論していた」
北斗が神取を会場入り口で追い返したらしい、との噂まで流れ始めていた
プロレス雑誌で展開された北斗の神取批判は妙に危険な展開を予想させた。
本当に神取は最強なのか、それともやはり全女・北斗晶には敵わないのか。
もちろん観客の多くは神取に対して別段の関心は持っていなかった。
しかし会場の至る所で交わされる神取来襲の噂に、誰もが危険な匂いを嗅ぎ取っていた。

控え室で北斗はイライラと何度も若手に会場内を走らせていた。
おい、もう来ただろ？　そう聞かれるたびに若手達は再び控え室を出て行く。

試合を終えたばかりの下田が、本当に来るんですかね？と尋ねる。
しかし北斗はそれには答えず、ただイライラと若手が戻ってくるのを待っていた。