おじさんのスポーツおたく奮戦記? 第2章:issanの諸国漫遊記!?

岡山のスポーツチーム、出身選手、岡山に関係する人々などを勝手に応援するissanの日本国内漫遊記 !?

この度の 鉄印と雉印

2024年03月07日 22時04分40秒 | 旅行

今年から新しく加わったミッション。

試合の観戦記録ならデジタル保管されていますから、何らかのアナログ記録は必要とされません。しかし、アナログの記録というのは自発的に動いて探索し、在り処を見つけ出して、それを実行しなくてはなし得ません。

 

アナログ記録というものはデジタルのそれと比べても非常に手間と時間を必要とし、全くもって効率のよくない多大な努力の上に成り立っており、令和の世の中にはおよそ似つかわしくない徒労の上に成り立つ、根性と忍耐を要する実に昭和的な産物と言えます。

それでも、由緒正しい御朱印とは趣を異にしていますから、それほど肩を怒らせて「やったるで」と構えるようなものではありません。何とか行く先々の訪問記録をアナログに残そうというものです。

今回訪れたのは宮崎ですから、宮崎駅は必須です。それに加えて、今回乗換駅に選んだ鹿児島中央駅の駅スタも取れたら取りたいぐらいの緩~い行動計画で臨みました。

まずは鹿児島中央駅から

九州新幹線が開通する前の駅名は西鹿児島駅。九州新幹線が開業したことで、駅名が鹿児島中央駅に変わりました。当時、アングラで議論された「西鹿児島駅」存続派と「鹿児島中央駅」改称派の論争に取り上げられたのが、山陽新幹線の「西明石駅」でした。駅名をそのまま残すか、新たな駅名に変更するかは、しばしば議論の対象になります。例えば、「玉島駅」から「新倉敷駅」への変更は、地元からは詐欺呼ばわりされました。倉敷駅からかけ離れていますからね。新幹線開業時にはそのまま残されていた「小郡駅」は山口市に合併されて後に新幹線の駅名に「山口」をどうしても入れたい派に押し切られるままに「新山口駅」に変更されました。山口駅から遥か彼方にかけ離れた小郡が新山口になるという驚愕の駅名変更が成し遂げられたのです。

イメージ戦略として考えるなら「鹿児島中央駅」は変えて良かったのではないかと思います。地元の思惑はどうなのかは分かりませんが、少なくとも対外的には成功だと思います。

続いては、今回の目的地の宮崎駅

こちらは実際の駅と同様にかなり地味です。特に何か語ろうにもその材料を持ち合わせていませんので軽く流しておきます。埴輪に関しても予備知識なく訪れた方には「何のことやら」な話でしょう。という訳で、これくらいで次に行きます。

雉印に関しては、アウェーゲームで何か試合に関するシールが出されることがないので、現地でそれの代用となれるものを探さないといけません。

今回は下記のシールにしました。

色違いもありましたが、テゲバジャーロ宮崎の色調はこちらの方が相応しいと感じたからです。

そんなこんなで今回の成果でした。お粗末様!


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