いしころにっき

石原石子の日記です

帰国の後

2011-06-15 22:07:36 | あれこれ
海外公演のさなか
知らぬ間に左の股関節付近がやたらと痛くなった

そのうえ

例のごとく腰が危険シグナルを発し
歩くのもなんだかアレで
走ることはもってのほかになりました。

日本に帰ってからも以前ひどく
ストレッチも
筋肉トレーニングも叶わず
どうしたものかと
私は思案します。
生活もあるので
仕事をさぼりさぼり
仕事をしていたところ
昌美のパート先の社長さんから
よいお医者がいるとの情報を得ました。


過去
三軒の病院にいってみましたが
薬と湿布を処方され


おだいじに
さようなら


といった感じでした。
私の知り合いの方々にも腰を悪くした人がいて
牽引器具を使ってリハビリをしたとの噂を聞いていたので
そのうちの一軒の病院に話してみました。
すると


必要なし


との回答です。
私の腰はそんなものなのか
これだけまわって薬と湿布だけ
ということは
そういうものなのか
そのわりにはしょっちゅ痛いが
どうしようもなし
とあきらめておりました。



そこへ社長さんのお話しです。
私はいぶかしながらも
いってみます。
ここでも薬と湿布だったら
ほんとうに観念しようとおもう私です。



その病院さんは都立家政の駅の近くにあります。
いってみると
小さいながらも大繁盛です。
おじいさんとおばあさんの憩いの場と化しています。
先生に会って
症状をうったえ
いままでいった病院さまで
なにをされなにをいわれたかをきいてきたので
ありのままに話すとビックリした表情をして


そうですかぁ


の一言でした。
私も


そうなんです


の一言ですましました。



私はこの病院で
リハビリをすることにしました。
電気と牽引です。
まだ二度ほどしかいっていませんが
おとといからストレッチができるようになってきました。
走ることはできないので
杉並区の温水プールにいって歩きはじめました。

もうすこしで人並みに動けそうです。
バイト中もなるべくさぼりません。
きっと梅雨があけるころには。きっと。

帰国しました

2011-06-07 10:56:34 | 山の手事情社のなか
帰国しました。
シビウは危険なので一人で行動しないようにと
言われておりましたが
行きのバスのなかで通訳の志賀さん曰く

危ない人たちはもっと稼ぎのよいところにながれていった

とのことらしく
10人に1人いた危なげな人々は
100人に1人くらいになったそうです。
実際に行ってみると
表面上はだいぶ安全でした。

よい稼ぎ口をみつけてもらってよかったです。

それでも異国は異国。
日本のように勝手がわからないので
危ないことは慎みます。
制作の福冨さんやシビウに何度か来ている劇団員も
なんだかだと言われます。
集団で
しかも仕事できているのだから
いたしかたないところです。


さてホテルでは二人一組で宿泊です。
私の相方は谷さんです。
朝食はいつもいっしょにいきます。
ホテルにもどる時間はそれぞれで
私もフェスティバルの主催である
ラドゥスタンカの
劇団員、古木と
飲んだりすることもあり
帰りが遅くなったりします。
古木は以前いっしょに芝居をした人で
ルーマニアに演劇を勉強しにいくと言って
いつのまにか劇団員になっていたヤツです。

そんなこんなで
いろんな人と飲むこともあり
谷さんより帰りが遅くなってしまう日には
申し訳ないな
とおもいながらそっと部屋にもどります。
ただ部屋のカードキーはひとつしかなく
帰ってきたら起こすしかありません。
はじめは


すみません。
遅くなります。
寝ててください。
でも起します。


といった言伝をしました。
以来谷さんは
起こされるのが嫌なのか
部屋の明かりをすべて点け
ドアを開けっ放しにして
寝てまっています。
帰ってくると私はソッと部屋にはいり
ドアを閉め
明かりを消して
しずかに床につきます。

びびり症な私にはできない待ち方です。

それを制作の福冨さんにいったら


浦さんや川村さんもそうだけど


それがどうしたといった調子でかえされました。


私は


いづれ一人や二人、消えるな


とおもいました。