そのフレーズがどうしても頭から離れてくれません。何回見ても飽きません。城が本当に凄かった。
でも、そういえば、かつての城といえば、心底から大嫌いなマリノスのエースストライカー。フランスでのサイテーなプレーぶりもあったので、一時期は現場で最も野次罵声の対象となっていた選手です。3年前に横浜に加入という話を聞いた時も不快極まりなかったです。
けれど、時の流れというものは本当に凄いよなぁと最近切に感じます。たとえ他クラブに移籍したとしても、城が引退をする時が来たら、私たちは涙が枯れるまで泣くことでしょう。
「城彰二が引退したら涙を流す」・・・そう、フリューゲルスが消滅していなかったら絶対にそんな感情になることはあり得ません。
頭の中が真っ白になった「横浜フリューゲルス消滅」ということが判明した1998年10月29日から8年が経ちました。誰がなんと言おうとあの時のことは絶対に許しませんし、歴史認識のかけらのない連中どもが「Fマリノス」だの「Fマリ」だのと平然と言い張ることは怒り以外の何物でもありません。
あの当時いた選手もサポーターもバラバラになりました。他クラブで大黒柱となった選手もいれば、他クラブで名物サポーターになっている方もいらっしゃいます。
でも、それは当然のことなのです。だって「消滅」とは全てが完全に消えてバラバラになることなのですから。
全国のサッカーファンからの熱いご支援を元に、非常に限られた短い期間で、「全日空が全面的に引き続きスポンサードしていくこと」から「新クラブを立ち上げて神奈川県社会人リーグ3部(※訂正しました)からやり直す」という、千差万別なフリューゲルスサポーターそれぞれが抱いた熱い「存続の定義」を最大公約数的にまとめ上げた末に生まれたのが、私達が横浜に唯一存在するJクラブと信じて疑わない、横浜FC(通称:横浜)であります。
全国のサッカーファンのご支援を賜った上で、超法規的にJFLの舞台から戦うことが認められた横浜なのですが、設立後に相次いだフリューゲルスサポ出身者の離脱やサポーターをも巻き込んだ内紛の数々・・・今にして思うと致し方のないことだと思います。
チケット代の大幅値上げが決定的だったとはいえ、観客動員がなかなか増えてくれないことの最大要因は、この今日までの横浜の経緯の他にありませんし、「フリューゲルスの名称は??」「ソシオは??」「市民クラブは??」と指摘されれば、完全に反論することは出来ません。
けれど、形をどう変えようとも、あの8年前の事件を機に設立された、同じスタジアムを本拠地とし、同じ青白水色を基調とするクラブが、ありとあらゆる困難を乗り越えてJ1の舞台に手が届き掛けているということ。本当に素晴らしいと思います。
1998年11月3日に柏レイソル対ベルマーレ平塚の試合会場であった日立柏サッカー場にてフリューゲルス存続をお願いする署名活動をしにに行き、柏サポーターから沢山のご署名を頂きました。更には「チケットが余っているので、もしよろしかったら・・・」と、バックスタンドの年間チケットを無償で2枚も譲って下さった、大変にご親切な方もいらっしゃいました。
あの当時にAL席L2列目30番台後半の年間チケットをお持ちだったあなた様、昨日も日立台にいらしてたのでしょうか?翌99年の京都との開幕戦でお邪魔した時にも偶然に再会し、横浜の新クラブのことを気に掛けて下さったことも忘れられません。
ちなみにあの日にチケットを譲ってもらった我々2名は、8年後にもちゃんと日立台にいましたよ。モチロン、横浜FCの応援をするために。
何年経とうとも、気持ちはしっかりと存続されていますし、むしろ強固されています。
そして今、復帰を目指して真剣に戦っています。
でも、そういえば、かつての城といえば、心底から大嫌いなマリノスのエースストライカー。フランスでのサイテーなプレーぶりもあったので、一時期は現場で最も野次罵声の対象となっていた選手です。3年前に横浜に加入という話を聞いた時も不快極まりなかったです。
けれど、時の流れというものは本当に凄いよなぁと最近切に感じます。たとえ他クラブに移籍したとしても、城が引退をする時が来たら、私たちは涙が枯れるまで泣くことでしょう。
「城彰二が引退したら涙を流す」・・・そう、フリューゲルスが消滅していなかったら絶対にそんな感情になることはあり得ません。
頭の中が真っ白になった「横浜フリューゲルス消滅」ということが判明した1998年10月29日から8年が経ちました。誰がなんと言おうとあの時のことは絶対に許しませんし、歴史認識のかけらのない連中どもが「Fマリノス」だの「Fマリ」だのと平然と言い張ることは怒り以外の何物でもありません。
あの当時いた選手もサポーターもバラバラになりました。他クラブで大黒柱となった選手もいれば、他クラブで名物サポーターになっている方もいらっしゃいます。
でも、それは当然のことなのです。だって「消滅」とは全てが完全に消えてバラバラになることなのですから。
全国のサッカーファンからの熱いご支援を元に、非常に限られた短い期間で、「全日空が全面的に引き続きスポンサードしていくこと」から「新クラブを立ち上げて神奈川県社会人リーグ3部(※訂正しました)からやり直す」という、千差万別なフリューゲルスサポーターそれぞれが抱いた熱い「存続の定義」を最大公約数的にまとめ上げた末に生まれたのが、私達が横浜に唯一存在するJクラブと信じて疑わない、横浜FC(通称:横浜)であります。
全国のサッカーファンのご支援を賜った上で、超法規的にJFLの舞台から戦うことが認められた横浜なのですが、設立後に相次いだフリューゲルスサポ出身者の離脱やサポーターをも巻き込んだ内紛の数々・・・今にして思うと致し方のないことだと思います。
チケット代の大幅値上げが決定的だったとはいえ、観客動員がなかなか増えてくれないことの最大要因は、この今日までの横浜の経緯の他にありませんし、「フリューゲルスの名称は??」「ソシオは??」「市民クラブは??」と指摘されれば、完全に反論することは出来ません。
けれど、形をどう変えようとも、あの8年前の事件を機に設立された、同じスタジアムを本拠地とし、同じ青白水色を基調とするクラブが、ありとあらゆる困難を乗り越えてJ1の舞台に手が届き掛けているということ。本当に素晴らしいと思います。
1998年11月3日に柏レイソル対ベルマーレ平塚の試合会場であった日立柏サッカー場にてフリューゲルス存続をお願いする署名活動をしにに行き、柏サポーターから沢山のご署名を頂きました。更には「チケットが余っているので、もしよろしかったら・・・」と、バックスタンドの年間チケットを無償で2枚も譲って下さった、大変にご親切な方もいらっしゃいました。
あの当時にAL席L2列目30番台後半の年間チケットをお持ちだったあなた様、昨日も日立台にいらしてたのでしょうか?翌99年の京都との開幕戦でお邪魔した時にも偶然に再会し、横浜の新クラブのことを気に掛けて下さったことも忘れられません。
ちなみにあの日にチケットを譲ってもらった我々2名は、8年後にもちゃんと日立台にいましたよ。モチロン、横浜FCの応援をするために。
何年経とうとも、気持ちはしっかりと存続されていますし、むしろ強固されています。
そして今、復帰を目指して真剣に戦っています。