いせ九条の会

「いせ九条の会」の投稿用ブログです(原稿募集中)。
会の趣旨に賛同される方、メールでご投稿ください。

「小ビンラディン」が生まれるようなテロとの戦いをするな/山崎孝

2009-01-27 | ご投稿
先日のブログにイスラエルのガザ地区への非人道的な行為は《10年後のガザには〈イスラム過激派〉ハマスの戦闘員がますます増えているでしょう》と語るNGOの活動家の言葉を紹介しました。1月25日の朝日新聞には《100人の「小ビンラディン」》と題したロンドン発の大野博人記者の記事がありました。この記事を紹介します。

 米英などがイラク戦争の準備を進めていた03年2月、フランスのテロ捜査幹部に会ったことがある。事務所は避けてくれというので待ち合わせたリ市内のホテルのカフェに出向くと、いらだちをあらわにした。

 「今イラクに戦争なんか仕掛けたら、小ビンラディンみたいなやつをさらに100人も作ることになってしまう」

 彼は01年の9・11米同時テロ以来、欧州のイスラム過激派の摘発に全力を注いでいた。だが、イラクとのつながりはまったく出てこなかった。正当化できない戦争はかえって連中を勢いづかせる口実になると心配していた。

 6年前のことを思い出したのは」英国のミリバンド外相の新聞への寄稿を読んだからだ。「対テロ戦争(War on terror)は間違いだった」と書いていた。

 インド・ムンパイでのテロはカシミール紛争が背景にある。中東ではパレスチナ問題やイスラム教の宗派対立がからむ。ところが「対テロ戦争」という考え方は、複雑な事情を抱える多くの問題を二者対立の構図に単純化してしまった。その結果、本来はばらばらだった過激な勢力を結集させることになり、逆効果だったという。

 アフガニスタン、イラク、パキスタン、インド…。その後登場した「小ビンラディン」は100人で済まない。

 米ブッシュ政権が重要な「対テロ戦争」と位置づけたイラクヘの武力行使で、反対派の先頭に立ったフランスを米英は激しく非難した。当時のリチヤード・パール米国防政策諮問委員長は「フランスはサダム・フセインの側についた」と決めつけた。英大衆紙はテロと戦わない腰抜けと罵倒した。

 当たり前のことだがフランスなど反戦派の欧州諸国はフセイン政権を支持したわけでもなく、テロを容認したわけでもない。テロの撲滅に異論などあるはずもない。

 意見が違ったのは、その方法だった。「何をするか(What to do)」ではなく「どのようにするか(how to do)」だ。武力介入は「逆効果の方が大きく危険だ」という点に尽きた。

 そして今まさに、英外相が「逆効果の方が大きく危険だった」と書く。さらにテロ対策で大事なのは「どのように

(how)だ」とさえいう。

 たちの悪い冗談でも聞かされているようだ。あの捜査幹部なら「何を今さら」と吐き捨てるように言ったかもしれない。6年も前にわかりきっていた。

 わからなかったのではない。わからないふりをしていただけだろう。テロ問題への取り組みというだれも否定できない「目的」と武力介入という問題の多い「手段」をひとまとめにして同調を迫る。

 「対テロ戦争」という言葉はそういう場合に便利だ。

「手段」に異議を示す者をテロ撲滅の大義に反対する敵であるかのように非難し、憎悪をあおることができる。

 9・11の後、当時のブッシュ大統領は「これは善と悪との戦いになる。そして善が勝つ」と演説した。「対テロ戦争」は世界を敵と味方に分けて自分の戦略に巻き込むためのレトリックだった。

 実は英国政府は2年余り前からひそかに「対テロ戦争」という言い方をやめていた。米国の政権交代で、外相が気がねなく明言できるようになったのだろう。

 英王立国際間題研究所のロビン・ニプレット所長によると、クリントン米国務長官も指名承認の議会公聴会で「テロと闘う(fight)」という意味の広い言い方はしても「対テロ戦争」という言葉は口にしなかった。「米国でもあの言い方は廃棄されたのだろう」

 世界は三流のハリウッド映画のような勧善懲悪の悪夢から抜け出せるだろうか。(以上)

【コメント】オバマ大統領は「小ビンラディン」を生まれないようなテロリストとの戦いが出来るでしょうか。米国はテロリストとの戦いを「どのようにするか」が問われています。世界で「小ビンラディン」が生まれるような「テロとの戦い」が必要とするのが、日本国憲法の理念と対立する米国の対日政策であり、米国の外交政策だったと思います。

1月23日に中曽根弘文外相とヒラリー・クリントン国務長官が電話会談で確認したのが日米同盟の更なる強化で、その強化の鍵とされるのが日本の集団的自衛権行使の可能であり、日本の集団的自衛権行使の必要なのは、米国が軍事行動を起こさない限り必要なものではありません。