いせ九条の会

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坂本哲志総務政務官の発言について/山崎孝

2009-01-07 | ご投稿
(しんぶん赤旗のHPより) 日が落ちると急激に冷え込んだ四日の東京・千代田区の日比谷公園。「人間としての誇りをズタズタにされた」と訴える元証券マン。「友人のところにいましたが限界です」と、「年越し派遣村」を訪ねてきた日雇い派遣で働く女性(28)…。「派遣切り」とたたかう仲間の連帯の輪が公園を囲みました。

 「川崎市の三菱ふそうを十一月末に解雇された」という男性(37)は、「二十五円しか持っていません」といいます。

 男性は三菱ふそうで派遣労働者として働く二年半前までは、証券会社でサラリーマンをしていました。

 「証券会社で働いていたときは、睡眠時間は三時間から四時間。家族が崩壊し、会社を辞めて派遣に登録しました」

 派遣先では、トラックやバスのエンジンカバーを取り付ける作業。「汚い」「きつい」「危険」の3K職場でした。

 男性は「駅頭で『派遣村』のビラをもらい、歩いてきました。ここにきて生活保護を申請しました。もう失う物はない。希望をなんとか手繰り寄せたい」と、炊き出しの食事にホッとしていました。

 四日朝、「派遣村」に着き、生活相談を受けていた男性(35)は、派遣社員として愛知県の自動車下請け工場で、部品の設計をしていました。

 「乗る人の安全を考え、厳しい要求にもこたえてきたのに、非正規雇用だということで切られた」と、悔しさをにじませていました。「いまの生活は精神的にも苦しい。安定した暮らしがしたい」と話しました。

 「日本にこんなあったかい心をもった人たちがいたことに救われた思いがします」というのは、愛知県でトヨタ自動車の下請け工場で働いてきた二十七歳の男性派遣労働者。「ネットカフェなどで新宿や池袋で生活してきましたが、手持ちのお金はゼロに等しくなって、ここに来ました。東京なら求人があるだろうときたがだめでした。支援者に出会えてよかった」

 青森県出身の日雇い派遣の女性(28)。昨年三月ごろから仕事が減って、日雇いで働いてきました。「友だちのところにいたのですが、友だちから『派遣村』のことを聞いてきました。うつ病で働けません。助けてください」と、すがるように訴えていました。(以上)

【コメント】年明けのテレビで見ましたが、派遣村に救援を求めた人が、人の優しさを知った。今年は仕事に就いて、今年の年末の派遣村で人助けをする人間になりたいと話をしていました。困難な状況に直面しても人間らしい心を失わないことに私は感動しました。

1月5日の朝日新聞は、居酒屋の職を失った男性は《今後は村内で出会った人と共同で、家賃4万円のアパートを借りるつもりだ。「今日から頑張って仕事を探します。もう一踏ん張りします」と伝えていました。

ところが、1月5日、坂本哲志総務政務官は総務省の仕事始め式の挨拶で、「年越し派遣村」に集まった人たちを「本当にまじめに働こうとしている人たちが日比谷公園に集まってきているのかという気もした」と述べました。そして「(集まった人が)講堂を開けろ、もっといろんな人が出てこいと(言っていたのは)、学生紛争の時の戦術、戦略が垣間見えるような気がした」とも述べました。

坂本哲志総務政務官は6日には発言を撤回しました。その時に「大人数なので、それだけ雇用状態が深刻だと思うが、そうでない人たちがいるのではないかと頭をよぎった」と述べました。

このように物事の瑣末なことが頭をよぎるのは、坂本哲志総務政務官の根底に「自己責任」という意識が強くあるのだと思います。このような意識で、職と住居を失う人を見るために、社会の深刻な状況を正確に見えなくなるのだと思います。社会の事象が正確に見えないことは、政治家としては重大な欠陥です。

派遣村を立ち上げた組合や市民たちは、労働・社会保障行政への批判を目に見える形で伝えようという政治目的は持っていました。この政治目的は、市民から遊離した「学生紛争の時の戦術や戦略」とは異なり、市民からの支持を受けています。これを真摯に受け止めるのが政治家の役割であります。