いせ九条の会

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真実を伝え、戦争に協力せぬことこそが、沖縄戦の真の反省です/山崎孝

2008-06-23 | ご投稿
【歴史の真実 後世に/慰霊の日 礎の銘に祈る遺族】(2008年6月23日付け夕刊 沖縄タイムス)

「慰霊の日」の二十三日、沖縄全戦没者追悼式(主催・県、県議会)が糸満市摩文仁の平和祈念公園で開かれた。県内外から五千六百七十人の遺族らが参列し、沖縄戦の犠牲者らに祈りをささげた。参列者からは、歴史教科書の「集団自決(強制集団死)」問題のように、戦前回帰の動きが高まっていることに危機感を募らせる声が上がった。式典で仲井真弘多県知事は「沖縄、日本、世界の人々が安心して暮らせる平和な社会の実現を目指す」と平和宣言。河野洋平衆議院議長は「私たちは軍が沖縄の住民の方々の安全を第一に考えていたわけではない、という疑念からも目をそらせてはならない」とし、米軍基地問題などに日本の政治の一層の努力を促した。

河野議長は「在沖縄米軍基地の移転・縮小問題は、十分な成果を挙げるには程遠い状況にある。国家の指導部が戦争の早期終結を図ることができなかったことが、沖縄の大きな犠牲を生んだいきさつを考えると、日本の政治がこの解決に全力を傾けるべきことは自明のこと」と述べた。

県議会の仲里利信議長は「多くの犠牲をはらって学んだ教訓を風化させることなく、平和と命の尊さを子々孫々に語り継ぐ」と式辞を述べた。

県遺族連合会の仲宗根義尚会長は「『集団自決』は紛れもない真実であり、歴史的事実を正しく伝えることこそが平和建設にまい進する原動力」とあいさつした。

嘉納英佑君=読谷小四年=は「世界を見つめる目」と題して、平和の詩を朗読し、「みんなが幸せになれるようにぼくは、世の中をしっかりと見つめ、世の中の声に耳を傾けたい」と決意を込めた。

会場となった平和祈念公園では、戦没者約二十四万人を刻銘した「平和の礎」前で早朝から手を合わせて祈りをささげる遺族らの姿があった。

豊見城市から参列した大城千代さん(68)は、糸満市真栄平の壕の前で砲撃に遭って亡くなった両親や兄弟の名前をなぞりながら、「家族に続いて日本兵が壕に入った直後、砲弾がさく裂した。母や兄弟はその場で犠牲になったが、私は日本兵の下敷きになって助かった」と振り返った。「『集団自決』をはじめ、戦争での死を美化する考えは怖い。戦争はむごく、二度と起こしてはならないものだ」と強く語った。

「沖縄の苦難 忘れぬ」福田首相 戦没者へ献花

福田康夫首相は二十三日午後、米軍普天間飛行場の移設問題で県と名護市が代替施設の沖合移動を求めていることへの対応について「地元の意向は大変に大事だ」と述べ、沖縄側の意向を尊重する姿勢を強調した。沖縄全戦没者追悼式に出席後、記者団の質問に答えた。

福田首相は普天間移設で「いま環境アセスメントをやっているし、協議会という場もある。仲井真弘多知事や島袋吉和名護市長と話し合いをし、納得できる線を出していかなければ」とし、県や名護市と協議を継続する考えをあらためて示した。

追悼式への参列について「沖縄の方々が苦難の時を過ごされたことは、私たち日本人は決して忘れてはいけない。しっかり歴史の事実を伝えていく責任がある」と述べた。

[解説] 沖縄戦 太平洋戦争末期に沖縄本島や周辺の島々で展開された。住民も戦場に駆り出され、日米の軍人を含め20万人以上が犠牲になった。各地で日本軍による住民殺害や「集団自決(強制集団死)」も発生。日本軍は首里の司令部を放棄し、本島南部へ撤退した。6月23日に日本軍を指揮した第三二軍の牛島満司令官が自決し、組織的な戦闘は終わったとされる。