伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

仏像泥棒つかまる

2009年03月03日 | 京都
建仁寺の仏像を盗んだ泥棒が掴まった。

建仁寺以外の、
東寺や毘沙門堂の仏像も同じ者の仕業だろう。
別の日には金戒光明寺にも入りこんで不審な行動をし、
警察に尋問されていたという。

そんなこんなで、
いろいろ残っていた痕跡から犯人が割り出されたのだろう。
比較的早くに掴まって良かった良かった。
今回の府警の仕事はわりと素早かった。
舞鶴の事件はどうなったのか知らないけど。


ところで私の予想を大きく裏切り、
犯人は「信仰心からやった」と供述し、
自宅に保管してあった仏像の前には果物などをお供えしていた由。
全くもって予想外もいいとこだ。


私はてっきり犯人は古物商で、
外国に売りさばく目的で
片っ端から盗んでいるのだとばかり思っていた。
その裏には、
当然中規模の窃盗団がおり、B団経由で海外へ売られる。
今ごろ仏像は海外の好きものコレクターに渡っていると考えていた。
まったく自分の貧弱な想像力には呆れる。
事実は小説よりというやつだ。


まさか犯人が仏像マニアで、自宅に置いてきちんと並べ、
ニヤニヤ楽しんでいるとは思わなかった。
思いたくなかったと言った方が良いかもしれない。
それは我々マニアがひょっとしたら
超えてしまうかもしれない一線だからだ。
いや、
いくらマニアでも盗んでまで集めるのは当然だけどアウトだ。


コレクターなるものは、自分のものになるかどうか、
手に入るかどうか、どこまで金額を積めば手に入るのか、
その微妙な一点にこそ苦吟し七転八倒し、
身を捩るように悩み、
そしてそんな苦しみをある意味で楽しんでいる。
そんな人種ではないだろうか。


自分の手に入るかどうかのスリルこそがコレクターの醍醐味であり、
そうした苦しみをあらかじめ放棄して、
何の苦もなく手に入れてしまうことは邪道である。
そういう近道はズルであり、
近道をして手に入れても値打ちはないのである。


身を切るような大金を払って手に入れてこそ、
そのものの値打ちは出るのでありその人にとっての逸品となる。
だからこそ、
盗んでまで手に入れることをマニアは嫌うのである。


盗むことにもスリルはあり、
ある意味での努力というか苦もあるだろうが、
とにかくそれは邪道であり、正当な手段ではない。

だから、今回の泥棒氏が「信仰心」からと言い、
仏像好きだったと言っていても、本当にそうなのかは怪しい。
いや、盗みという手段に訴えるのは仏像好き、
並びにコレクターとしての風上にも置けぬ。
真実のコレクター、真実の仏像マニアとは言えないのだ。
やはり収集家の暗黒面に落ちたとしか言いようがない。
気持ちは分からないでもないけど。


私だって
阿修羅が手に入るのならば盗んででも手に入れたい(嘘)。
東京に持って行かれるくらいならワシの家に欲しいわ。
掃除をする時、
ハタキでポンポンはたいてその腕の一本でも折ってみたいわ。
だんだん記述が変になって来ているが、
それくらい阿修羅を自分の自由にしてみたいものだ。
東京の者に見せるなんて勿体無いわ。
きゃつらにはあしゅら男爵でじゅうぶんじゃ。
何だかめちゃくちゃになって来た。




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