静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

「人格完成」異論・正論・雑論(2)

2010-02-15 16:52:49 | 日記
 このように文部省が考えた「人格の完成」とは、真善美という普遍的価値の完成されたものをいい、教育勅語も教育の淵源ということであった。教育基本法制定後60年も経った今日、さすが教育勅語を口にする学者はいないと思うが、実際は「人格の完成」は懐が深く、左翼から右翼まで広い思想を包容することができる。「人格の完成」は民主的な思想であり戦前・戦中の「忠君愛国」などとは対極的なものと主張する学者もいる。だが、天皇のために忠義を尽くすこと即ち人格の完成という発想もなりたっていたのである。

 今日、「人格完成」の定義は学者によってまちまちである。十人十色とでもいうべきか。だから文化省は文科省なりに定義づけることが可能である。だが、個人でなく国家の機関が定義づければそれが強制力を持ちえる。「日の丸」「君が代」の強制のようなものである。「愛国心」の有無を「人格完成」の判断基準にすることによって可能なのである。「人間個性の全面的発展」ならそういうことはありえない。

 すこしばかり、戦前の人格論を振り返ってみたい。戦前の人格論に大きく影響を与えた代表的著作に西田幾多郎『善の研究』、阿部二郎『三太郎の日記』、天野貞祐『学生に与うるの書』、河合栄次郎『学生に与う』などがある。いずれも多くの若い人たち、特に旧制高校生を中心に絶大な影響力をもった。それは戦後にも及んだ。

 なかでももっとも影響力のあったのは西田幾多郎であろう。西田は「人格とは意識の統一力である」「恰も天才の神来の如く各人の内より直接に自発的に活動する無限の統一力である」(『善の研究』1911年)と述べている。『教育基本法の解説』の「自己意識の統一性または自己決定性をもって統一された人間の諸特性、諸能力ということができよう」の一節がいかに西田の文に似ていることか。
 
 河合栄次郎の『学生に与う』も影響力は大きかった。戦後になっても旧制高校・中学の生徒などに影響を与え続けた。学徒出陣で特攻隊員として散った中村徳郎は「十七日は河合栄次郎先生の逝去を知った。偉大なる人格は造ろうとしても造り得るものではない」(1945年2月22日の日記、『きけわだつみのこえ』)。

 参考までに『学生に与う』の一節を紹介する。
 「はしがき」から・・・「祖国の難局を克服しうる精神的条件」は「大局を達観する洞察の明、大事を貫徹せずんばやまない執拗な意思、自己の持ち場を賭して守る誠実と真剣さ、小異を捨てて大同につく和衷協同の心、何よりも打てば響くがごとき情熱」である。 
 「教育」について・・・「一般教育とは、フィヒテのいうがごとくに、人間自身を形成すること、また、パウル・ナトルプのいうがごとくに、人格を陶冶することでる」「人格を構成する要素として三つのものが考えられることである。その三つとは学問、道徳、芸術である。そしてこの各々の理想が、真、善、美であるから、人格の陶冶とは真と善と美との三者の調和ともいうことができる」。 

 フィヒテはドイツの哲学者であるが、ナポレオン軍の占領下にあって「ドイツ国民に告ぐ」という連続講演でドイツの再建を説いたことでよく知られている。彼は祖国を救うために国民の教育の重要性を強調した。ナトルプもドイツの哲学者・教育学者だが、教育の理想は知情意の調和的発展だと説いた。
 河合栄次郎がフィヒテの「国民に告ぐ」を念頭に描いていたことは明らかである。いずれにしても当時の人格論には、真善美という言葉が北斗星のように輝いている。

 これらの著作に表れる精神が当時のエリート学生たちの教養の源であり、これらが人格陶冶のバイブルであったとすれば、吉川英治の『宮本武蔵』は、非エリート青年たちの人格陶冶の指針の一つだったろう。『きけ わだつみのこえ』で大島欽二は、元気な同室の青年士官の中ではこの書が一番幅をきかしているが、自分は読んだことがないと述べ、青年士官たちを「高等学校とまさしく対極をなす教育を受けてきた彼ら」と表現している。
 大島欽二の言には、彼ら青年士官たちへの侮蔑の念がこめられていたかもしれないが、「対極をなす」も客観的事実だったのだろう。

 『宮本武蔵』は1935年から39年にかけての新聞連載である。この書の武蔵は求道者として描かれ、読者の多く、とくに青年たちがこの書はたんなる小説ではなく、小説をこえた修養本であるとして、これに惹きつけられた。剣の技を磨いて相手を倒す、死を賭して決闘に臨む、それが人間としての修養の道であった。特攻隊員は己を捨てて敵艦めがけて突入する。それが義勇奉公の華である・・・。余談であるが、吉川英治はそのあと『新書太閤記』を書いた。戦後、GHQのG2(パージ係)に疑われ、しばらくのあいだ警視庁に監視・思想調査されたという。小説のなかの、秀吉の「朝鮮出兵」が侵略戦争を煽ったと疑われたらしい。
 
     


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