(一)ノーカット
Thank you. God bless you. And God bless the United States of America( ありがとう。皆さんに神のご加護がありますように。そして、神のご加護がアメリカ合衆国にありますように)。
オバマ大統領の就任演説を締めくくった言葉である。もう六年近く前のこと。就任演説の全文を掲載すると謳いながらこの部分をカットした新聞があった(複数、後に追加して再掲載した新聞もあったが)。理由を聞くと、「常套句だから」とあいまいな返事が戻ってきたりした。筆者はこの「常套句」には慣れている。一番印象にあるのはブッシュ大統領が、イラクに出征する兵士を励ますために用いたことばである。インディアンとの戦いに最終的に勝利したとき、時の大統領がやはりこの言葉を使ったと聞いたことがあるが、これはちょっと記憶が薄れている。
オバマ氏が「チェンジ」を実行したかったら、まず演説の形式からチェンジすべきだった。チェンジできない奥深い事情があったのだろうか。また、ノーカット版といいながらカットした新聞社にも深いふかーい事情があったのだろうか。全文でなかったことへの詫びや理由説明は一切なかった。
(二)ニッポンも神の国
さて日本のことである。2000年5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会で、森嘉朗総理大臣が「日本の国はまさに天皇を中心としている神の国であることを国民の皆さんにしっかりと承知戴く」と発言し、森首相は撤回しなかったが烈しく批判され衆議院解散になった。「無党派層は寝ていてくれればいい」発言なども加わり、「神の国解散」と呼ばれた。
わが国の公教育の場では、宗教について学んでもいいが、宗教教育は禁じられ、また学校として生徒を宗教行事に参加させることも禁じられている。総理大臣が就任式でオバマ氏のような発言をすることは考えられない。オバマ氏は「私たちの国はキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥー教徒、そして無宗教者からなる国家だ」と言っているが奇妙に限定的だ。だが彼は聖書に手を置いて宣誓した。演説の最期は「神のご加護がありますように」であったが、その神はキリスト教の神であることにまちがいはない。誰かが、オバマ大統領もだんだんイエス・キリストに似てきたと言っていた。イエスの顔を見たこともないくせによく言うよ。
自衛隊の海外派兵も考慮に入れねばならぬとき、時の首相は何と言って送り出すのだろう。「靖国が待っている」と励ますのだろうか。靖国の「英霊」は「ここで逢おうぜ、待っているぞ」というのだろうか。
(三)研究費の半分は軍から・・中村修二氏語る
ノーベル物理学賞受賞の中村修二氏が新聞のインタビューで次のように語った(「LED『さらに効率的に』、特許法『改正には猛反対』」『朝日』14.10.18)。
○米国の研究環境は?
「自由です。責任はもちろんついてきますけどね。非常に自由、何をやっても良いという感じです。工学部の教授だったら、みんなコンサルティングやベンチャーをやっている」
○ほかに日本へのメッセージは?
「日本はグローバリゼーションで失敗していますね。携帯電話も日本国内でガラパコス化している。太陽電池も国内だけです。言語の問題が大きい。第一言語を英語、第二言語を日本語にするぐらいの大改革をやらないといけない」
○ なぜ米国籍を取られたのですか?
「米国の大学教授の仕事は研究費を集めること。私のところは年間一億円くらいかかる。その研究費の半分は軍から来る。軍の研究費は機密だから米国人でないともらえない。米国で教授として生きるなら、国籍を得ないといけない」
要するに、米国籍があれば軍から研究費が沢山支給される。学者は自由に何をやってもよい。ベンチャーなどをやって金儲けに励んでいる。米国化に遅れをとってはならない。日本も早く英語を国語にしなさい。
日の丸をやめて星条旗にしなさい、アメリカの一つの州にしなさいとまでは言っていないが、かつてのハワイやフィリピンみたいになればいいとおっしゃっているように見受ける。
(四)ノーベル経済学賞
ジャーナリストの森 健氏の「ノーベル賞・日本の科学の底力」(毎日新聞)というのを読んだ。氏は、優秀な人材が集る地域は経済にも影響があり、経済が活性化するという米経済学者エンリコ・モレッティ氏の言葉を紹介している。そして、日本のノーベル賞の中で唯一経済学賞受賞者がいないのはなぜだろうと、疑問を投げかけている。
経済学賞の二〇〇一年から一四年までの受賞者は総計で二二人、うちアメリカ一五人、イギリス人とイスラエル人が二名ずつ、圧倒的にアメリカ人だ。イギリスやイスラエルはアメリカの親戚だから併せると一九人、残り三人がそれ以外の国。これこそ森氏に分析してもらいたかった。日本人がいないということではなく、ほとんどアメリカ人だという認識を持つべきだ。そして、その背景に、ノーベル賞とはなにものか? という考察が必要だろう。
大統領就任早々、オバマ氏はノーベル平和賞を受賞した。茶番ではないか? 佐藤栄作氏の受賞のときもカリカチュア化された。もちろん茶番ばかりではノーベル賞の権威に傷がつく。マララさんの受賞にはみんな喜んでいる。しかしその影に、批判する人もいることを見逃してもいけない。
私はアメリカの経済学賞受者の理論や主張は知らない。しかし少し前、経済学者宇沢弘文氏を悼む記事を読んだ(「市場原理主義に怒り続けた巨人,宇沢弘文さん『心を持った経済学』とは」、『毎日』14.10.15)。氏は、フリードマンらが集う新古典学派の中心シカゴ大学の教授で「ノーベル経済学賞に最も近い日本人学者」と見なされたそうだが、ベトナム戦争を進めるアメリカに嫌気がさし帰国した。チリのクーデターでアジェンデ大統領が殺されピノチェットが大統領になったとき、シカゴのパーティで、フリードマンの流れを汲む市場原理主義者たちが一斉に拍手と歓声を上げた。それを聞いた宇沢氏は、一切シカゴ大学と縁を切ったそうである。ノーベル賞も新自由主義にどっぷり浸かっているのだろうか。
(五)傭兵と核兵器
ニューヨーク・タイムスによると、米国の核兵器を大量に増やしたのはアイゼンハワー大統領で、一万八千発以上。ブッシュ父大統領は九千発以上減らし、ブッシュ子大統領は五千発以上減らした。ノーベル賞を貰ったオバマ大統領は五百発の減少だそうだ。さらにオバマ政権の今後の方針としては、核兵器の近代化のために今後三十年間で一兆ドルを予定しているとも言われていると。
このニュースは米国科学者連盟のリポートに基くものだというが、上っ面だけのもので、あまり信用しないほうがいいと思うが、それにしてもオバマ大統領も建国以来の流れからチェンジはできないのである。いや、その気もなく、むしろ「神の国」を堅持し強化する道を歩んでいる。イラク戦争やアフガン戦争で膨大な軍費をつかってきた。多大な兵士を失った。それでまた戦争をやっている。しかし、今までの戦術・戦略を繰り返すのは困難になってきている。そこで登場するのが傭兵と無人兵器である。
今日戦争はその国の軍隊だけによって戦われるわけではない。最上敏樹氏の「総力戦-終わりと始まり」(『UP』505号)によると、今日では戦争は私的ビジネスとなって、多くの軍隊機能が民間軍事警備会社(PMSC)などと呼ばれる企業によって請け負われているという。ある調査によると、そういう企業体を抱える国が約百カ国、千社、人員は百万人、取引高は二千億ドルにのぼると。米国の場合、アフガニスタンでは、駐留米軍兵士は約十万人、契約兵士もほぼそれに近い数字だったという(2011
年)。つまり約半数が契約兵士ということ。今日ではその比率はもっと高まっていることだろう。ブッシュ政権がイラクに侵攻しようとしているとき、あるシンクタンクが世論調査を行った。それによると、賛成が六八%反対二五%だったが、それに「その結果米軍に数千人の犠牲者がでたとしても」という条件を加えると、賛成四三%反対四八%だったという(14,11,21,「毎日」コラム)。自国の兵士の犠牲がすくないとなれば、それだけ戦争が容易になる。国民も、戦争をしているという実感が薄くなる。だから傭兵を外注することは極めて有効な手段となる。もう一つが外国の兵力を使うことである。日本の自衛隊は訓練も行き届いているし装備も整っているので、これほど頼もしい友軍はない。沖縄の軍事基地も、テンから撤去する気はない。無人戦闘機や爆撃機、ロボット兵器も活躍している。
しかしそれだけではアメリカ合衆国の世界戦略の達成は困難である。新しい世界情勢・国内情勢にもとづく新しい戦略が必要になってくる。そしてアメリカはその戦略を着々と進めているように見える。そして最終的な兵器は核兵器である。性能よく小型化された核弾頭を仮想敵国の周辺に手際よく緻密に配置し、一挙に相手を倒す。それは狂気の仕業だと思うかも知れないが、人類は過去においてもしばしば狂気の業を為してきたのだ。
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