静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

プリニウスの章(6)

2017-07-06 15:27:03 | 日記

          ソーンダイク『魔術と実験科学の歴史』の抄訳             

                                  第四節 マギの科学

 

 自然の解説者としての魔術師たち

  ではこれからプリニウスの魔術についての描写について、彼が特に(明白に)定義を(明確に)したもの、また非難したものだけでなく、自身の主張を反映したものや、文献からの数多くの明確な引用、ことによるとその実践に含まれる意図をも考察しよう。ここでの概観は、どちらかといえばむしろ厳密に、プリニウスが明確にマギまたは魔術の名のせいにした叙述についてだけに限定しよう。もっともはっきりした事実は、魔術師はくり返しくり返し想像上の物質、効能、自然にあるものの効果―薬草、動物、石―を考察する。それらの価値は、本当のことだが、しばしば驚くべき結果を生み出す効果がある。そしてしばしばあまりにも空想的な儀式か、人間を起因とする奇妙な式典的パフォーマンスと結びついている。しかし多くの場合、儀式は全くないことが示唆され、また単に簡単な応用があるだけである。また、少ない例ではあるが、どんな特別な作用や結果も挙げられていない。魔術師は単に偉大とされるだけで、自然の事柄の効用は明記されていない。実際、プリニウスの記述では、たんに魔術師、魔法使い、奇跡を行なう人としてだけでなく―プリニウスの意見ではあまりに現実離れし、あまりに奇妙なのであるが―さらに薬剤や自然の細かいことにまで及んだ。ときどき、彼らの報告は、非難や、いろいろな議論を加たりするような補足はしないで引用された(1)。ときどき彼らは、制限はあるけれど彼の唯一の情報源である(2)。

 (1)二〇74<マギ僧たちはつけ加えて言う>、二一66<マギ僧たちは、この植物でつくった花輪をかけ>、二一166<マギ僧たちはアネモネに一種神秘的な力があると>

二二50<マギ僧たちは、木の葉は誰のためにそれを摘むかを告げながら>、二二61<マギ僧たちは、おこりの患者が四日熱であったら四本>。

(2)二一62<マギ僧たちやパルティアの王たちはこの植物を誓いを立てる際に用いる、と>、二四156<この両者(ピュタゴラスとデモクリトス)はマギ僧を権威者としてそれに従ったのだ>。

 

 マギ僧と薬草

 プリニウスは植物の起源をかなり魔術と密接に結びつけている。メデイア、キルケを植物についての初期の研究者として、そしてオルペウスをこの問題の最初の著者として扱っている(1)。さらにピュタゴラスとデモクリトスは、東洋のマギから、植物の性質に関する仕事を模倣した(2)。魔術師の意見に対してプリニウスが見解を加えた薬草の名前を反復することは、ほとんど意味がないだろう。これらの植物は、今日ではほんのわずかしか知られていないのだ(3)。彼らが使った薬草にプリニウスに異議がないと言えるだろう。また、彼はマギの用法を非難しているわけでもないが、現代の読者にはひどく迷信的に思える。ある花輪は薬草で作られる(4)。またある草は用途を告げながら左手で、またある場合は後ろを見ないで採取する(5)。アネモネは、その年に最初に現れたとき、何のために 使うかを告げながら摘まなければならない。そしてそれは赤い布に包み日陰に置かなければならない。そして、三日熱や四日熱にかかった場合は患者の体にくくりつけておかなければならない。ヘリオトロープは全く摘まれることはないが、患者が治るまで体にくくりつけておく。

(1)二五10-12

(2)二四156-160                                                  

(3)二〇74キコリウム(キクチシャ)、二一62ニュクテグレント、二一66ヘリオキュトス、二一166アネモネ。

(4)二一66<ヘリオクリュソスで花輪を作る>。                                                               

(5)二一176<三日熱にはふり返ったりしないで、二二50誰のためにそれを噛むかを告げながら左手で>。                                                  

 

草の驚くべき効能

 プリニウスはマギが草の用途を獲得したと考える驚異的な成果に対して、第二四巻の終りまで反対はしない。しかしすでに二〇巻および二一巻で、そのような薬草の力は人に喜ばれ評判がいいこと(1)、あるいは人に喜びと栄光を与えることが要求されていた(2)。二四巻の終りの方で(3)彼は、ピュタゴラスとデモクリトスがマギに従い、水を凍らせたり、 魂を呼び出したりする驚異的な用途を持つ草について述べているとして引用している。幽霊によって彼らを怯えさせることによって罪を懺悔させ、そして易による贈り物を知らせよ。<この最後の文節は『博物誌』にないし、なぜこんな文章があるのかわからない>。『博物誌』二五巻の最初の方(4)でプリニウスは、マギとその弟子たちによると、信じ難いほど効果のある薬草があることを示唆している。また後の方では、クマクズラについて、それでこすってもらうと望みがかなえられ、熱病を追い出し、あらゆる病気を治し、友達を得ることができると言っていると述べている。薬草は、太陽も月もないときはシリウスが昇ときに採らなければならない。蜂蜜とミツバチの巣は大地をなだめるために捧げられなければならない。植物は左手で鉄によって掘なければならず、高いところに上げなければならない。やがて二六巻にきて、プリニウスの勇気は高まり、それはついに彼を静かな長広舌に導くに充分であり、「マギの欺瞞は薬草にたいする信頼を完全に覆すほどである」(5)と言わしめた。たとえば彼は、川や池を涸す草、触れると閉ざされているドアが開く草、投げると敵軍が逃げる草、ペルシア王の使者のあらゆる望みを叶える草などを例としてあげている。かれは、なぜそのような薬草がローマでの戦争やイタリアでの排水に用いなかったのかと問う。従って、マギの薬草に対するプリニウスの議論は、それらに対する強力な反論であった。かれはつけ加えて言う。薬草に対する軽信性は、始めは健全なものであったのに、このような地点に到達してしまった。もし人間分別が何ごとについても節度というものを心得ておるならば、なんと奇妙なことだ。そしてまた、もしアスクレピアデスの医薬の最新の体系がマギを超えられないというならば、なんと不思議なことだ。ここで再びわれわれは、プリニウスが、魔術が原始社会の産物であると見ることに失敗し、比較的最近に発達した科学ではなくて、古代科学からの堕落だとみなしていることに気づく。しかし彼が、多くの特定のこじつけ的な処方箋や儀式は、過剰に学究的な魔術師たちの、最近の、人工的産物であると考えたのは多分正しいだろう。このようにして彼は、当代の文法学者アピオンが、キノケパリアという薬草が占いに用いられ、解毒剤であるが、それを完全に根こそぎにする人を殺すと主張するの

は間違いで、魔術的なものであると烙印を押している。                                                                                                                                                                                                                                  

(1)  二〇78 <ますます評判が良くなり・・・>。                                            

(2)二一66 <人生の人気と栄光が得られると>

(3)二四156<水が凝結>、二四160<神々を呼び出す>。

(4)二五106

 (5)二六18

                                                            

 動物と動物の部分

 幾つかの場合、前に引用したことだが、プリニウスは、動物または動物の部分に関してマギが、どんな他の動物よりもモグラを賞賛することに不満を述べた(1)。しかしプリニ ウスは、マギたちが地上のあらゆる動物のなかで、人間に対する魔術の効果に関して、ハイエナを最も賞賛していたとすでに確信していたので、かれの主張は矛盾している(2) 。ライオンの油、とくに眉と眉の間の油でこすられると、人々や国王の人気を得ると彼らは言うが、そんなところに油などないのだと、プリニウスは批判する(3)。また彼は、ダ ニのような不潔な動物の重要性を強調するといってマギを咎めている(4)。ダニは排泄口がないので、断食すれば七日間だけしか生きられない(5)。この七という数字に何か星占 いの意味があるのかどうか、プリニウスは言っていない。だが彼は、コオロギは後ろ向きに歩くのでマギはそれを利用すると書いている(6)。ドルイドとマギは、しゆっと奇妙な音をたてる、一種の卵か泡のようなものを使う(7)。またバシリスクの血はまれなこととされる。明らかに、なんらか通常でない動物、黒いヒツジのようなものはマギたちに好まれた(8)。だが、プリニウスがそれらを選んだ理論的理由はいつも明確であるとは言えな い。プリニウスが挙げていない幾つかの例では(9)、子ウシかヒツジの脾臓が人間の脾臓の治療に用いられるというよう

な、明らかに共感呪術的な治療法が用いられている。                                                                                                                                                           (1)三〇19

(2)二八92-106 

(3)二八89

(4)三〇82                                                           

(5)三〇82                             

(6)二九138

 (7)二九52

  (8)三〇16

 (9)二八201、三〇68

 

  他の事例                               

 しかし魔術師たちはヤギ、イヌ、ネコのように身近で容易に入手できる動物を軽視しているわけではない。ネコの肝臓や糞、子イヌの脳、イヌの血や生殖器、黒の雄イヌの胆汁などは他の動物のものと並んで用いられた(1)。そのような種類の物質は他の動物からも同じように求められた(2)。フクロウの指先、イチジクに入れたネズミの肝臓、生きたモグラの歯、若いツバメの砂嚢からとれた小石、川カニの目といったようなほんの小さい動物の部分でさえも魔術師たちは用いた(3)。ときどき動物の一部を灰にして用いる。多分犠牲式の名残だろう。たとえば、マギたちは歯痛にはその歯に近いほうの耳に発狂したイヌの頭の灰とキプロス油を注入する。同じく、筋肉の疾患にはフクロウの頭の灰をユリの根といっしょにハチ蜜ブドウ酒に入れて処方する(4)。マギたちが用いているその他の動物としてプリニウスが挙げているのは、サンショウウオ、ミミズ、コウモリ、そり返った角をもつコガネムシ、トカゲ、カメ、ナンキンムシ、カエル、ウニである(5)。ニシキヘビの尾をカモシカの皮で包みシカの腱で縛っておくとてんかに効く(6)。またニシキヘビの舌、目、胆汁、腸を油で煮詰め、夜の冷気で冷やし、朝夕塗り薬として用いると夜の恐怖から救われるという(7

 (1)ヤギの使用、二八201226259-269;ネコの使用、二八228; 子イヌの使用、二九117; イヌの使用、三〇82f

 (2)二八212f228f246f、二九81f

 (3)二八228f、二九59、三〇20、三〇91、三二114

 (4)三〇21,三〇110、二八214fも見よ。

(5)二九74f、三〇535999141、三二39f48f72

 (6)三〇91

 (7)三〇84

 

 動物と動物の部分による魔術の儀式

 しばしば動物の部分を患者の身体に縛りつけたり、またあるときには、ただたんに負傷した個所にそれを押しつけたりする。あるいはまた動物の部分で家全体を燻蒸したり、それを壁に振りかけたり、敷居の下に埋めたりする(1) 。動物や動物の部分を用いた魔術のしきたりには、もっと念の入ったものがいくつもある。ハイエナは、七つの結び目のある帯を締め、七つの節のある鞭を使う猟師によって容易に捕獲される。また月が双子座を通過しているときに、一本の毛も失うことなく捕えるのがいいという(2) 。マギの占星術によって用いられたもののひとつにネコがある。月が欠けつつあるときに殺したネコの肝臓を、塩漬けにしてブドウ酒に入れて飲むと四日熱に効くという(3) 。失禁の治癒にはイノシシの性器を焼いた灰を甘口ブドウ酒に入れて飲むだけでなく、その後でイヌ小屋で排尿し、「自分はイヌのように自分の小屋に小便をしないように」というきまり文句を繰り返す(4)。水腫の患者には、性によって、雌ウシあるいは雄ウシの糞のいずれかを焼いて蜂蜜酒に入れたものを用いなければならないと、魔術師たちは主張する(5) 。幼児の病気には雌ヤギの脳を金の指輪にくぐらせ、乳を与える前にその口の中に垂らしてやる(6) 。「脾臓を治すためだ」と言いながら患者にヒツジの新鮮な脾臓をあてがった後、その脾臓を寝室の壁に塗り、呪文を二七回繰り返すあいだ指輪でかきむしる(7) 。座骨神経痛には、土虫を、割れた木の皿を鉄片で修理したものに入れて、水を注ぐ。地虫は、掘り起こした場所に再び埋め、水は患者が飲む(8) 。川カニの目は、日の出前に患者の身につけ、目を抜かれたカニは水の中に放してやる(9) 。コウモリをもって家の周りを三度まわり、窓の外に釘でぶらさげておくと護符になる(10)。てんかんには火葬の薪の火で焼いたヤギの肉を食べさせる。また大地に触れた動物の胆嚢は与えてはいけない(11)

 

 (1)三〇84

 (2)二八93f

 (3)二八229、二九53

 (4)二八215

 (5)二八232

 (6)二八259

 (7)三〇51

 (8)三〇54

 (9)三二115

 (10)二九83

 (11)二八226

 

 動物の部分で作られた驚くべきもの

 プリニウスは時たま、動物の部分の効能についてのマギたちからの引用が、一般的には嘘あるいは無意味、または「信じられない」ものであると説明している。だが彼は、彼らの手順を明確に批判しないで、むしろ彼らの植物の使用方法を批判する。そして、彼らの約束に基づく結果を、先ほどのようには批判しない。実際、前に述べたように物は多くの場合純粋に薬である。他のものの目的は、ヤギがさ迷うのを防いだり、ブタをついてこさせるというような、牧歌的あるいは農業的なものである(1)。だがバシリスクの血は、 権力者に対する請願も、神々への祈願さえも叶えられる。そしてそれは毒や魔術に対する護符になる(veneficiorum amuleta)(2)。大蛇の頭と尾、ライオンの前髪、ライオンの骨 髄、勝った馬の泡、シカの皮で包みシカとカモシカの腱を交互につけておいた犬の爪を身につける者は無敵を約束される(3)。ミミズクの心臓を眠っている女性の右の胸に載せると、彼女は自分の秘密を明かすとか、まだ鼓動しているモグラの心臓を食べると占いの能力を得るとかいう(4)

(1)二八197、二九70                                              

(2)二九66

 (3)二九68

 (4)二九81、三〇70

 

その他の魔術

(若干の石における医術や、その他のマギの魔術の処方などが並べられているが、それらは省略する。

 

マギの宣言の要約

これらがいじょうが『博物誌』のなかの魔術に関する記述である。魔術の素材、儀式、作り出す効果、自然に対するその一般的な態度である。用いられた事前の素材、驚異の結果以外に、われわれは、縛ること、吊るすこと、お守り、ある時の保持の状態の観察、薬草を採り縛るときの左手か右手かnきまりについてしばしば注目した。―別の表現を使えば、そのものの位置や間隔、ある種の生贄や燻蒸、ある種の呪文の使用や感応的な魔術の事例、「毒をもって毒素制する」という理論や他の魔術的論理などである。

                                                  


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