①ともに生む
少し前、10日ほど前だったか、「共産主義」という語は日本で生まれて、世界に輸出された言葉であるという記事が載った。新聞か何かだったがメモするのを忘れて残念。
実は何年も前、共産主義という言葉は日本生まれなのか中国生まれなのか、またどういう具合に誕生したのか気になって調べてみたいという気持ちになったことがある。そこで知人のAさんに頼んでみた。Aさんは膨大な資料・書籍を蓄積していることで友人間では知られている。ついでにいうと、Bさんも大変な蔵書家で、玄関から廊下・階段まで本だらけ、Cさんは新築時は応接間はガラガラだったが、今は本で溢れて踏み場もないくらい。以前、井上ひさしさん宅へ所用で伺ったことがあるが、これはもう大変、本に埋もれている。私の家といえば、小さい家で、小さい部屋で、小さい本棚で、そこで、部屋の真ん中で、手足を伸ばしてゆっくり昼寝ができるのは幸せ、幸せ。
Aさんが送ってくださった資料の話は少し後回しにして、「共産」の解釈について。
共産を、「共に産する(生む)」と読む。すると、多様な表現が生まれる。言葉の多様化だ。
ア、共に米を産する・・・中国の人民公社のことかな?
イ、共に綿花を産する・・・中央アジアのコルホーズのことかな?
ウ、共にテレビを産する・・・日本の巨大なテレビ組立工場のことだろう。分業と協業、アダム・ミスが得意なところだな。
エ、共に幸せを生む・・・いいな。
オ、共に平和を生む・・・これもすばらしい。
カ、共に貧困を生む・・・困る。
キ、共に戦争を生む・・・ブッシュのイラク戦争、オバマのアフガン戦争のことだな。
ク、共に赤ちゃんを産む・・・これはもっともすばらしい。
②ラテン語の強み
ラテン語が次から次へと派生語を「産する」言葉だということは先(前回のブログ)で触れた。小林標氏はag-という語幹を例として、それが豊富な派生語を生み出してきたこと、また生み出しつつあることを分かりやすく説明している(『ラテン語の世界』)。言語の多様化だ。
先の話の続き。Aさんからは、雑誌の2段組み19ページの堂々たる論文のコピーが送られてきた。著者名は小林太郎、いろいろ面白いことが書いてあるが、いまの焦点は「共産主義」の語源について。はじめに私の愚かな思考。
共産主義は英語で言えば communism であるが、語源はラテン語。その語幹はcom. comはcumに同じ。cumは・・・「と一緒に」「ともに」「と共同に」・・・の意。英語の派生語にはコンビネーション、コンバイン、コミュニケーション、コミュニティー、コンパニオン、カンパニー・・・などときりがない。ラテン語には次のような言葉がある。(研究社『羅輪辞典』による)
ア、communis ・・・ 1、共有の、共通の、共同の 2、一般の、通常の、日常の、公共の
イ、commune ・・・ 1、共有財産、2、共同体、自治団体
ウ、communitas ・・・ 1、共同、共有、2、公共心
この三つのうちのどれかが語源だと思われる。イのcommuneはフランス式にいえばコミューンだがラテン語ではコムーネ。このイは外れで、アかウか、アかな?。そして最大公約数でいえば「共同」「共有」「公共」の順か。いまなら「共産主義」ではなく「共同主義」と名づけるだろう。そうすれば「共に同する」などという言い方にはならないだろう。
③明治の言語名人
以下は小林論文から「communism」,「communist」の訳語の出所だけを抜き書きしたもの。説明文は割愛して後にまとめを。小林氏も断っているが,ここの事例がすべてではない。
ア、「コミュニスメ」・・・加藤弘之『真政大意』(1870)
イ、「通有党(コミュニスト)」・・・西周『百学連環』(1870-71)
ウ、「共同党(コムミュニスム)」・・・福地源一郎「僻説の害」(「東京日日新聞」1878)
エ、「コムムニスト党」「カムムニズム」・・・(「東京新聞」社説、1879)
オ、「貧富平均党(コンミニスト)」・・・「闘邪論」(「朝野新聞」論説、1879)
カ、「共産党」「共産同業」など・・・小崎弘道「近世社会党の原因を論ず」(『六合雑誌』1881)
マルクスの名と断片的主張を初めて紹介した文献。「共産」という語の初出か? これ以後頻出、その他の訳語急速に減少。
キ、「コミュニスム(共産説)」・・・福地源一郎「東洋社会党」(「東京日日新聞」1882)
ク、「共有主義」・・・保木利用「制度論」(「東京日日新聞」1882)
ケ、「共産党」・・・村上浩「東洋社会党」(「東京日日新聞」1882)
コ、「共産党」「共産説」・・・大井憲太郎『時事要論』(1886)
④communismが「共産主義」とされた理由
その理由についての小林論文の説明文を我流にまとめてみた。
a 、明治初期にcommunismを紹介した人たちにとっては、それは多くの場合、プラトン、エッセネ派や空想的社会主義者たちの思想を指した。したがってマルクス・エンゲルスの学説は視野に入っていない。ほとんどはアメリカのウィールセイ『古今社会党沿革説』(宍戸訳)などの説を介して間接的に不正確に、断片的にしか伝わっていない。
b 、そのため、ほとんどの紹介者が、communismを「生産の共同」ではなく「財産の共有」というニュアンスでとらえ、1881年頃を境に「共産主義」という訳語がそういう意味に使われるようになって定着していった。
c 、日本人民がマルクス・エンゲルスの学説を自分達の解放の羅針盤として受容するようになったのは、日清戦争(1894-95)後に本格的展開を見せた労働組合運動と社会主義運動のなかにおいてである。
d 、このときすでに、communismの訳語は「共産主義」に定着していた。幸徳秋水、堺利彦は「共産党宣言」(『平民新聞』1094)を訳すとき訳語に苦労したが、「共産」はそのまま使った。この時点で「communism」は以前と違ってマルクス・エンゲルスの学説をさす言葉として使われ始めている。
⑤中国の共産主義
冒頭に「世界に輸出」という記事があったと書いたが、これは少しオーバーな表現だ。もっとも中国では共産党が政権を握っているので、13億の民が「共産」という言葉を使う頻度は極めて高く、その使用頻度から言えば世界一かもしれない。
中国ではまさか「共産」を「共に○○を生む」などとは解さないだろ。やはり「産を共にす」だろう。
小林論文で「共産主義」が日本で生まれだということは推測できたが、明確には言明されていなかった。先の記事でもやもやした疑問も晴れたような気がする。まだ安心はできないが。それにしても、なぜ漢字の母国中国ですんなり?「共産主義」の語を受容したのか、私には分からない。もっと違う中国語であってよかったとも思うのだが・・・。
ついでに私見を一つ。現今の中人民共和国は共産主義社会ではなく、資本主義社会の亜種である。しかも今まで一度も共産主義社会であったこともない。中国人は看板など気にしないのかもしれない。
少し前、10日ほど前だったか、「共産主義」という語は日本で生まれて、世界に輸出された言葉であるという記事が載った。新聞か何かだったがメモするのを忘れて残念。
実は何年も前、共産主義という言葉は日本生まれなのか中国生まれなのか、またどういう具合に誕生したのか気になって調べてみたいという気持ちになったことがある。そこで知人のAさんに頼んでみた。Aさんは膨大な資料・書籍を蓄積していることで友人間では知られている。ついでにいうと、Bさんも大変な蔵書家で、玄関から廊下・階段まで本だらけ、Cさんは新築時は応接間はガラガラだったが、今は本で溢れて踏み場もないくらい。以前、井上ひさしさん宅へ所用で伺ったことがあるが、これはもう大変、本に埋もれている。私の家といえば、小さい家で、小さい部屋で、小さい本棚で、そこで、部屋の真ん中で、手足を伸ばしてゆっくり昼寝ができるのは幸せ、幸せ。
Aさんが送ってくださった資料の話は少し後回しにして、「共産」の解釈について。
共産を、「共に産する(生む)」と読む。すると、多様な表現が生まれる。言葉の多様化だ。
ア、共に米を産する・・・中国の人民公社のことかな?
イ、共に綿花を産する・・・中央アジアのコルホーズのことかな?
ウ、共にテレビを産する・・・日本の巨大なテレビ組立工場のことだろう。分業と協業、アダム・ミスが得意なところだな。
エ、共に幸せを生む・・・いいな。
オ、共に平和を生む・・・これもすばらしい。
カ、共に貧困を生む・・・困る。
キ、共に戦争を生む・・・ブッシュのイラク戦争、オバマのアフガン戦争のことだな。
ク、共に赤ちゃんを産む・・・これはもっともすばらしい。
②ラテン語の強み
ラテン語が次から次へと派生語を「産する」言葉だということは先(前回のブログ)で触れた。小林標氏はag-という語幹を例として、それが豊富な派生語を生み出してきたこと、また生み出しつつあることを分かりやすく説明している(『ラテン語の世界』)。言語の多様化だ。
先の話の続き。Aさんからは、雑誌の2段組み19ページの堂々たる論文のコピーが送られてきた。著者名は小林太郎、いろいろ面白いことが書いてあるが、いまの焦点は「共産主義」の語源について。はじめに私の愚かな思考。
共産主義は英語で言えば communism であるが、語源はラテン語。その語幹はcom. comはcumに同じ。cumは・・・「と一緒に」「ともに」「と共同に」・・・の意。英語の派生語にはコンビネーション、コンバイン、コミュニケーション、コミュニティー、コンパニオン、カンパニー・・・などときりがない。ラテン語には次のような言葉がある。(研究社『羅輪辞典』による)
ア、communis ・・・ 1、共有の、共通の、共同の 2、一般の、通常の、日常の、公共の
イ、commune ・・・ 1、共有財産、2、共同体、自治団体
ウ、communitas ・・・ 1、共同、共有、2、公共心
この三つのうちのどれかが語源だと思われる。イのcommuneはフランス式にいえばコミューンだがラテン語ではコムーネ。このイは外れで、アかウか、アかな?。そして最大公約数でいえば「共同」「共有」「公共」の順か。いまなら「共産主義」ではなく「共同主義」と名づけるだろう。そうすれば「共に同する」などという言い方にはならないだろう。
③明治の言語名人
以下は小林論文から「communism」,「communist」の訳語の出所だけを抜き書きしたもの。説明文は割愛して後にまとめを。小林氏も断っているが,ここの事例がすべてではない。
ア、「コミュニスメ」・・・加藤弘之『真政大意』(1870)
イ、「通有党(コミュニスト)」・・・西周『百学連環』(1870-71)
ウ、「共同党(コムミュニスム)」・・・福地源一郎「僻説の害」(「東京日日新聞」1878)
エ、「コムムニスト党」「カムムニズム」・・・(「東京新聞」社説、1879)
オ、「貧富平均党(コンミニスト)」・・・「闘邪論」(「朝野新聞」論説、1879)
カ、「共産党」「共産同業」など・・・小崎弘道「近世社会党の原因を論ず」(『六合雑誌』1881)
マルクスの名と断片的主張を初めて紹介した文献。「共産」という語の初出か? これ以後頻出、その他の訳語急速に減少。
キ、「コミュニスム(共産説)」・・・福地源一郎「東洋社会党」(「東京日日新聞」1882)
ク、「共有主義」・・・保木利用「制度論」(「東京日日新聞」1882)
ケ、「共産党」・・・村上浩「東洋社会党」(「東京日日新聞」1882)
コ、「共産党」「共産説」・・・大井憲太郎『時事要論』(1886)
④communismが「共産主義」とされた理由
その理由についての小林論文の説明文を我流にまとめてみた。
a 、明治初期にcommunismを紹介した人たちにとっては、それは多くの場合、プラトン、エッセネ派や空想的社会主義者たちの思想を指した。したがってマルクス・エンゲルスの学説は視野に入っていない。ほとんどはアメリカのウィールセイ『古今社会党沿革説』(宍戸訳)などの説を介して間接的に不正確に、断片的にしか伝わっていない。
b 、そのため、ほとんどの紹介者が、communismを「生産の共同」ではなく「財産の共有」というニュアンスでとらえ、1881年頃を境に「共産主義」という訳語がそういう意味に使われるようになって定着していった。
c 、日本人民がマルクス・エンゲルスの学説を自分達の解放の羅針盤として受容するようになったのは、日清戦争(1894-95)後に本格的展開を見せた労働組合運動と社会主義運動のなかにおいてである。
d 、このときすでに、communismの訳語は「共産主義」に定着していた。幸徳秋水、堺利彦は「共産党宣言」(『平民新聞』1094)を訳すとき訳語に苦労したが、「共産」はそのまま使った。この時点で「communism」は以前と違ってマルクス・エンゲルスの学説をさす言葉として使われ始めている。
⑤中国の共産主義
冒頭に「世界に輸出」という記事があったと書いたが、これは少しオーバーな表現だ。もっとも中国では共産党が政権を握っているので、13億の民が「共産」という言葉を使う頻度は極めて高く、その使用頻度から言えば世界一かもしれない。
中国ではまさか「共産」を「共に○○を生む」などとは解さないだろ。やはり「産を共にす」だろう。
小林論文で「共産主義」が日本で生まれだということは推測できたが、明確には言明されていなかった。先の記事でもやもやした疑問も晴れたような気がする。まだ安心はできないが。それにしても、なぜ漢字の母国中国ですんなり?「共産主義」の語を受容したのか、私には分からない。もっと違う中国語であってよかったとも思うのだが・・・。
ついでに私見を一つ。現今の中人民共和国は共産主義社会ではなく、資本主義社会の亜種である。しかも今まで一度も共産主義社会であったこともない。中国人は看板など気にしないのかもしれない。
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