一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

「舞台音楽の楽しみ」INDEX(1)

2005-08-27 00:30:00 | MUSIC INDEX
舞台音楽の楽しみ(1)――F. プーランク『城への招待』
舞台音楽の楽しみ(2)――O. レスピーギ『風変わりな店』
舞台音楽の楽しみ(3)――B. ハーマン『サイコ』
舞台音楽の楽しみ(4)――H. ルーセンベリ『街のオルフェウス』
舞台音楽の楽しみ(5)――R. シュトラウス『町人貴族』
舞台音楽の楽しみ(6)――V. ノヴァーク『シニョリーナ・ジョヴェントゥ』
舞台音楽の楽しみ(7)――G. フィンジ『〈恋の骨折り損〉のための音楽』
舞台音楽の楽しみ(8)――V. トムソン『アケーディアの歌と踊り』
舞台音楽の楽しみ(9)――E. サティ『パラード』
舞台音楽の楽しみ(10)――D. ショスタコーヴィチ『バレエ組曲〈黄金時代〉 』

舞台音楽の楽しみ(11)――J. シベリウス『とかげ』
舞台音楽の楽しみ(12)――R. ヴォーン-ウィリアムズ『バレエ組曲〈老いたコール王〉』
舞台音楽の楽しみ(13)――A. ヒナステラ『エスタンシア』
舞台音楽の楽しみ(14)――J. アダムズ『ザ・チェアマン・ダンスィズ』
舞台音楽の楽しみ(15)――中国現代芭蕾舞劇『白毛女』
番外編 陳其鋼『組曲〈蝶恋花〉(ヴェールを取られたイリス)』を聴く。
舞台音楽の楽しみ(16)――B. バルトーク『中国の不思議なマンダリン』
舞台音楽の楽しみ(17)――武満徹『黒い雨』
舞台音楽の楽しみ(18)――フランス6人組『エッフェル塔の花嫁花婿』
舞台音楽の楽しみ(19)――W. ウォルトン『ザ・ファースト・シュート』
舞台音楽の楽しみ(20)――R. ノルドローク『スコットランドのメアリー・スチュアート』

舞台音楽の楽しみ(21)――S. プロコフィエフ『アレクサンドル・ネフスキー』
舞台音楽の楽しみ(22)――K. ヴァイル『小さな三文オペラ』
舞台音楽の楽しみ(23)――H. ヴィラ-ロボス『アマゾナス』
舞台音楽の楽しみ(24)――A. コープランド『ダンス・パネル』
舞台音楽の楽しみ(25)――G. ホルスト『どこまでも馬鹿な男』
舞台音楽の楽しみ(26)――F. プーランク『ぞうのババール』
舞台音楽の楽しみ(27)―― I. ストラヴィンスキー『ミューズをつかさどるアポロ』
舞台音楽の楽しみ(28)――B. マルティヌー『この世で最強の者はだれか?』
舞台音楽の楽しみ(29)――深井史郎『バレエ音楽〈創造〉』
舞台音楽の楽しみ(30)――D. ミヨー『世界の創造』

舞台音楽の楽しみ(31)――E. W. コルンゴルト『から騒ぎ』組曲
舞台音楽の楽しみ(32)――L. ドリーブ『歓楽の王』
舞台音楽の楽しみ(33)――A. ブリス『チェックメイト』
舞台音楽の楽しみ(34)――L. バーンスタイン『〈オン・ザ・タウン〉ダンス組曲』
舞台音楽の楽しみ(35)――G. クラインシンガー『笛吹きパンの物語』
舞台音楽の楽しみ(36)――G. オーリック『画家とそのモデル』
舞台音楽の楽しみ(37)――G. ガーシュイン/ R. R. ベネット『交響的絵画〈ポーギーとベス〉』
舞台音楽の楽しみ(38)――C. ランバート『〈サロメ〉組曲』
舞台音楽の楽しみ(39)――S. バーバー『メディア: 瞑想と復讐の踊り』
舞台音楽の楽しみ(40)――R. シチェドリン『カルメン組曲』

舞台音楽の楽しみ(41)――J. バイヤー『太陽と地球』
舞台音楽の楽しみ(42)――J. オッフェンバック『月世界旅行』
舞台音楽の楽しみ(43)――T. ピッカーズ『オールド・アンド・ロスト・リヴァーズ』
舞台音楽の楽しみ(44)――L. ヤナーチェック『〈利口な雌狐の物語〉組曲』
舞台音楽の楽しみ(45)――L.-E. ラーション『〈冬物語〉組曲』
舞台音楽の楽しみ(46)――J. ケージ『16ダンシィズ』
舞台音楽の楽しみ(47)――武満徹『燃える秋』
舞台音楽の楽しみ(48)――M. オアナ『舞踏のエチュ-ド』
舞台音楽の楽しみ(49)――D. ショスタコーヴィッチ『オラトリオ〈森の歌〉』
舞台音楽の楽しみ(50)――G. ピエルネ『シダリーズと牧羊神 第1組曲』

「舞台音楽の楽しみ」INDEX(2)

2005-08-27 00:29:00 | MUSIC INDEX
舞台音楽の楽しみ(51)――A. ベルク『〈ルル〉組曲』
舞台音楽の楽しみ(52)――M. グールド『フォール・リヴァーの伝説』
舞台音楽の楽しみ(53)――早坂文雄『七人の侍』
舞台音楽の楽しみ(54)――W. R. ハイマン『会議は踊る』
舞台音楽の楽しみ(55)――A. ルーセル『〈バッカスとアリアドネ〉組曲第1番』
番外編――尾高惇忠『イマージュ』を聴く。
舞台音楽の楽しみ(56)――H. パーセル『〈妖精の女王〉からの組曲』
舞台音楽の楽しみ(57)――S. プロコフィエフ『〈ロメオとジュリエット〉組曲』
舞台音楽の楽しみ(58)――F. プーランク『模範的な動物たち』
舞台音楽の楽しみ(59)――R. モラン『3つのダンス』
舞台音楽の楽しみ(60)――G. F. マリピエロ『〈アルレッキーノの嘘〉より交響的断章』

舞台音楽の楽しみ(61)――C. ドビュッシー『〈サン-セバスチャンの殉教〉より交響的断章』
舞台音楽の楽しみ(62)――W. フォルトナー『〈血の婚礼〉管弦楽のための間奏曲』
舞台音楽の楽しみ(63)――I. ストラヴィンスキー『妖精の口づけ』
舞台音楽の楽しみ(64)――C. グノー『〈ファウスト〉よりバレエ音楽』
舞台音楽の楽しみ(65)――D. ダイアモンド『〈ロミオとジュリエット〉のための音楽』
舞台音楽の楽しみ(66)――W. エック『〈アブラクサス(護符)〉組曲』
舞台音楽の楽しみ(67)――D. Carwithen『サフォーク組曲』
舞台音楽の楽しみ(68)――L. ミンクス『バレエ音楽〈ドン・キホーテ〉』
舞台音楽の楽しみ(69)――R. デル・カンポ『〈神曲〉より地獄編』
舞台音楽の楽しみ(70)――N. へス『TV ディテクティヴズ』

舞台音楽の楽しみ(71)――H. ベルリオーズ『ファウストの劫罰』
舞台音楽の楽しみ(72)――F. ブリッジ『5つの幕間の音楽』


「宗教音楽を聴く」/「番外編」INDEX

2005-08-27 00:28:34 | MUSIC INDEX
宗教音楽を聴く(1) W. バード『5声のミサ』
宗教音楽を聴く(2) M.-A. シャルパンティエ『テ・デウムH146』
宗教音楽を聴く(3) J. アダムズ『魂の転生』
宗教音楽を聴く(4) L. ボッケリーニ『スターバト・マーテル』
宗教音楽を聴く(5) J. D. ゼレンカ『レクイエム ハ短調』

番外編(1) 芥川也寸志『交響管弦楽のための音楽』を聴く。
番外編(2) M. デヴィス『死刑台のエレべーター』を聴く。
番外編(3) 間宮芳生『マンモスの墓』を聴く。
番外編(4)  F. ダンツィと F. ラハナーの木管五重奏曲を聴く。
番外編(5) 山田耕筰『交響曲ヘ長調〈かちどきと平和〉』を聴く。
番外編(6) 間宮芳生『風のしるし・オッフェルトリウム』を聴く。
番外編(7) W. L. ドーソン『ニグロ・フォーク・シンフォニー』を聴く。
番外編(8) 別宮貞雄『交響曲第1番、第2番』を聴く。
番外編(9) M. フェルドマン『コプトの光』を聴く。
番外編(10) 鶴田睦夫『ハイドン風カリプソ・ソナタ』を聴く。


「協奏曲を楽しむ」INDEX

2005-08-27 00:27:54 | MUSIC INDEX
協奏曲を楽しむ(1)―― 吉松隆 『ピアノ協奏曲〈メモ・フローラ〉』
協奏曲を楽しむ(2)―― G. P. テレマン 『リコーダーとフラウト・トラヴェルソのための協奏曲』
協奏曲を楽しむ(3)―― D. ミヨー 『四季―4つの小協奏曲』
協奏曲を楽しむ(4)―― H. ヴィニャフスキー『ヴァイオリン協奏曲 第2番』
協奏曲を楽しむ(5)―― M. ナイマン『ピアノ協奏曲』
協奏曲を楽しむ(6)―― 石井眞木『日本太鼓とオーケストラのための〈モノプリズム〉』
協奏曲を楽しむ(7)―― G. ガーシュイン『へ調のピアノ協奏曲』

『武家と天皇―王権をめぐる相剋』を読む。その3

2005-08-26 00:00:29 | Book Review
家康の場合、実際的な「天下人」となるにあたって、最初のつまづきとなったのは「関ヶ原の役」であった。
戦いに勝利したものの、秀忠の軍勢が遅参したために、豊臣恩顧の大名の兵力に頼らざるえず、豊臣家を完全に滅亡させることができなかったからである。また、それらの大名を優遇しなければならなかったことも、家康の政治的行動を制約してしまった。

そのために家康が打った第一の手が、「武家関白」の制度を廃止したことである。これによって、秀頼が関白となり、疑似律令制下で家康の上位に立つ可能性がまったくなくなった。

しかし、本当に家康が懸念していたのは、次のようなことである、と著者は指摘する。
「家康が恐れ、警戒したことは(中略)誰かが秀頼をかつぎ謀反することに他ならなかった。しかも、この『誰か』の存在を示唆し、ひいては家康の心胆を寒からしめる事件や事象が相次で起っている。関ヶ原戦後に豊臣系大名を優遇せざるをえなかったジレンマが、こんなところにも尾をひいているのである。」

結果、無理であろうがなんであろうが理由をつけて(「方広寺鐘銘事件」)、戦争に持ち込み(「大坂冬・夏の陣」)、豊臣家を滅ぼし、その後もさまざまな言いがかりで、豊臣系大名をも滅亡させていったのである。

それでは、このようにして、名実共に「天下人」となった家康の天皇観はどのようなものであろうか。
「一方で天皇の権威の表出を嫌い、封じ込め政策をはかりつつ、官位による序列を制度化せねばならぬ矛盾であり、家康の対天皇策の微温さ、不徹底さを示している。しかし一面でみるならば、家康の天皇観の根本は、公武の本分の弁別であり、天皇家を政治から遠ざけ、故実・学問の領域に専念させるという点ではそれなりに一貫している。」

以下つづく。


『武家と天皇―王権をめぐる相剋』を読む。その2

2005-08-25 00:00:06 | Book Review
それでは、秀吉はどうだったか。

ご存知のように、秀吉は将軍職には就かず、関白―太閤(前関白)として全国の統治にあたった。つまりは、軍事力による全国支配を諦めたことを意味する。

著者の見解によれば、それは「小牧・長久手の戦い」によって、家康に敗れたからだとする。つまりは、家康の勢力圏は、秀吉のそれよりは小さいものの、信濃・三河以東に自立した存在になってしまった。

それを無視し、全国平定を果したかのように政治的に振る舞うためには、
律令制のもとで全国の統治者であった天皇の大権を擬似的に復活させ、秀吉みずからは天皇の代官(宰相職)として領域支配の執行にあたるという論理
が必要だったのである。
著者は、それを「秀吉の『王政復古』」と呼ぶ。

みずからが疑似律令制における臣下としての頂点〈関白職〉に立った秀吉は、その体制において諸大名を律令制的官位体系の中に組み込み、統制化・秩序化したのである。
いわく「内大臣正二位徳川家康」「大納言従三位前田利家」「参議従四位毛利秀元」……。

「秀吉の『王政復古』」を現実化した条件も、前回触れたように天皇権力・権威の回復という流れにあったからである、と著者は説く。
戦国期における天皇家の没落(いわゆる『皇室式微』)が事実だとするならば、安土桃山の『王政復古』などが可能であるはずがない。永享の乱(一四三八)年以来の、天皇権威の間断なき復活と上昇という趨勢を考慮に入れてはじめて理解しうる歴史的事象なのである。

以下つづく。


『武家と天皇―王権をめぐる相剋』を読む。その1

2005-08-24 00:00:00 | Book Review
著者は中世日本史専攻(室町時代史)。
したがって、室町時代における武家と天皇の関係の延長線上で、江戸時代初期におけるその相剋を中心に描いたのが本書である。

鎌倉時代に始まる前史には、さまざま事件があったが、建武新政を特異な例外として、足利義満の時代までは、院権力(実質的に天皇家の実権を握っていたのは、当代の天皇ではなく、「治天の君」と呼ばれた上皇)が政治的な実効力を失っていった歴史と見てよい。
その点では、著者と一般常識とに差異はない。
しかし、信長―秀吉―家康と天皇家との関係については、大きな違いがある。

著者は、まず、室町時代は、義満の治世を底として(皇位簒奪計画まであった)、徐々に権威を回復する過程と見る。
義満の〈院政〉時期に、権威・権力ともに最低となったが、十五世紀以降は天皇権威が回復していく過程であり、戦国時代が終焉しようというとき、天皇権威は確固たるものになっていたのであった。
その過程の中に、信長以下の「天下人」があったわけである。

戦国時代は一般に、権威が必要とされた。
なぜなら他を討つためには、大義名分が必要であり、そのためには天皇による綸旨が最強であった。また、戦国大名たちのステータス・シンボルとしての武家官位も需要が高い(左京大夫、修理大夫、大宰大夫、三河守、尾張守など)。

傲慢とすら思われるほど自尊心の高い信長でさえも、「決定的瞬間に」「天皇の権威に頼ることになる」のである。
将軍義昭や石山本願寺との勅命講和、などなど。
しかし、信長は「おのれに忠実なロボットであるかぎり丁重に扱うが、そうでなけえば容赦しない」。
それが挫折したのが、正親町天皇への譲位強要である、と著者は説く。原因としては、前に述べたように、この時期「天皇権威が回復」しつつあったため、それを背景に天皇も信長に対して、強く出ることができたのである。
正親町天皇が、譲位を拒否しつつ、おそれていたのはただ一つ、義満がやったような『不逞』の行為を信長がしかけてこないかということであったから、信長の将軍任官に問題はなかった。天皇はすぐ内諾のサインをだし、織田幕府の成立は現実のスケジュールにのぼった(原註・信長が将軍になろうとしていた事実は近年あきらかになっている)。だがまさにそのやさき、信長は油断をつかれ、重臣明智光秀に暗殺されたのである。
*したがって、天皇家およびそれにつながる人びとによって、明智光秀を使嗾する必要性はなかった、ということになる。

今谷明
『武家と天皇―王権をめぐる相剋』
岩波新書(新赤版)
定価:580円(本体563円)
ISBN: 4004302862

レマゲン鉄橋を探して Searching the Bridge at Remagen

2005-08-23 11:58:08 | Essay
『レマゲン鉄橋』という1968年のアメリカ映画をご存知だろうか?
原題が"The Bridge at Remagen"、ジョン・ギラーミン監督作品で、ジョージ・シーガル、ロバート・ボーン、ベン・ギャザラ主演。
第2次世界大戦末期、ライン川に架かる最後の橋をめぐっての、ドイツ軍と連合軍との攻防を描いた映画である。

戦争映画の内容はともかくとして、この「レマゲン鉄橋」ということば、どこかで一度聞いたことがある。しかも、最近、戦争とは関係なくだ。
近頃危うくなった記憶をたどってみると、隅田川に架かる橋に関することだと思い出した。
けれども、どの橋だったか?
最近調べたことのある橋だとすれば、候補が絞られてくる。
「千住大橋」? 違う。
「清洲橋」? あやしい。
そこで、清洲橋について書かれた資料を再読する。
「デザインは当時世界の美橋といわれれたライン川の吊橋ドイツァー橋がモデル」
とあった。「ドイツァー橋」が「レマゲン橋」と呼ばれることはあるのだろうか?しかし、架かっていた場所の名前が明記されていないので、可能性がないわけではない。
次の候補は「永代橋」。
こちらの資料には、「モデルはライン川に架かるルーデンドルフ橋」とある。

こうなると、候補は「清洲橋」と「永代橋」の2つ。まだ決定的な決め手がない。

そこで別の資料を当たる。そこには「清洲橋」について「ドイツライン川のケルンに架かる吊り橋」がモデルとある。ケルンであって、レマゲンではない。しかし、ケルンの小地名がレマゲンということもありうる。なぜなら、映画の原題に"at"とあるからだ。ただし、小生の映画の記憶で言えば、吊り橋ではなかったとは思うが……。
えーい、「永代橋」の資料の調べ直しだ!
Bingo! ありましたね、「レマーゲンの鉄道橋」ということばが。まず、これに間違いないとは思うが、まだ状況証拠の段階。直接、「レマーゲンの鉄道橋」=「ルーデンドルフ橋」を証明する資料がほしい。

世の中には奇特な方がいらっしゃるもので、レマーゲンに行った方がサイトを持っている。
第1のサイト「ヨーロッパ川紀行」。
現在は映画のように破壊されて、橋脚の「塔は未だ残され、記念館となっている」との記事。写真は、その塔の現状のみ。
第2のサイト「ラストオブ・カンプフグルッぺの世界」。
その名のとおり、第2次世界大戦末期のドイツ軍に関するサイト。
ありましたね、在りし日の「レマゲン鉄橋」の写真が。モノクロ写真の右奥に鉄橋が見えている。まさしく、「永代橋」のスタイルです。もちろん細部に違いはありますが、特徴的な弧を描いたシェイプはそのまま。

これで証明できました。
すなわち、「永代橋」のモデルは、映画『レマゲン鉄橋』に出てきた「ルーデンドルフ橋」である、と。
quod erat demonstrandum

『日本の歴史をよみなおす(全)』を読む。

2005-08-23 00:13:54 | Book Review
本書は、網野史学の〈総まとめ〉と言ってもいいだろう。
読後、最も強く感じたのは、小生が日頃思っていた以上に、網野史学の射程距離が長い、ということ。
普通、網野善彦といえば、中世史のイメージが強いが、そこで得られた視点から、本書ではロング・レンジに日本史を捉えている。また、網野史学がそれを可能にするだけの、史実との理論的整合性を持ち得ているということでもある。時代的には、古くは縄文時代から、新しくは江戸時代に至るまで(明治時代以降に関しては、触れられていないが、それはあえて、読者への課題として残しているような気がする)。

ここでは、内容を記述の順に添って紹介するよりも、主なトピックス(網野史学の重要な視点)を一つだけ述べてみたい。

それは「女性」を中心としたジェンダーの問題(本書「日本の歴史をよみなおす」第4章を中心にして)に関してである。

〈女性の無縁性〉(〈無縁性〉=世俗社会の関係や価値観から切り離されていること)について、網野氏はこう述べている。
「南北朝時代までの女性は、人ならぬ力をもってもの、聖なるものに結びつく存在と考えられていた」。
「女性が世俗の争いや戦乱のなかにあって平和な管理者や平和の使者になり得たことも、こうした女性の特質にその背景を求めることができる」。
そして、また「日本の社会には女性の商人が非常に多い」ことも、ここから説明がつく(商業/交換の原初的形態は、一度神に捧げたものを分ち与えることから始まる。神に捧げるのも、神から授かるのも、聖なる存在に近い者―供御人、神人が行なう)。

そのような社会的特質も、
「氏族内部の男女の婚姻を血縁者間の結婚として、これをタブーとし、かならず他氏族と結婚するという規制をもった氏族集団は、母系にせよ父系にせよ、日本の社会には存在しなかった」。
と、最近の家族史の知見から説明され、
「当然、女性と男性の社会的地位にはさほどのちがいはなかったと思われます。家父長制は決して確立していないのですが、そこへ中国の律令制が導入される」
ことによって、法制的/建前的には、父系であるような形になってきたのである(ジェンダー・バイアスがかかってくる)。

ちなみに今、話題になっている〈女帝〉の問題は、8世紀においては、この建前が完全に浸透しきれなかったための現象と、網野氏は見ている。
「基本的には律令制の建前、つまり公的な表の世界は男性で、女性は裏の私的世界という建前が、まだ貫けなかった段階の現象」
だというわけだ。

その他、「差別」、「農業社会」(日本は本当に農業を中心とした社会だったのか)、「天皇」「交通/交易」の問題などについて、興味深い考察があるので、実際に本書に当たっていただきたい。

網野善彦
『日本の歴史をよみなおす(全)』
ちくま学芸文庫
定価:本体1200円+税
ISBN4480089292


『落語家の居場所―わが愛する藝人たち』を読む。

2005-08-22 00:00:55 | Book Review
藝人は、余計者であるといった「負け犬的コンプレックス」といえばいささか恰好がいいが、そんな屈折した表現にたよる自己主張が、逆に自己を社会から逸脱させ、あえて奔放無頼な生き方に逃避しながら、それを自分の藝へのエネルギーに転化させているように見えた。
などの、藝人論を読むと、やはり、この人〈浪漫主義者〉なんだなとの感を強くする。
ネガティヴな〈浪漫主義者〉、これがひっくり返ると、天才藝人を誉め讃えるポジティヴな〈浪漫主義者〉に変る。
例えば、こんな一節。
「古今亭志ん生は、彼の口をついて出る言葉そのものが落語であった。なにを、どうしゃべっても落語になってしまうようなところがあった。」

語り口は客観的ではあるのだが、ところどころに顔を出す、このような表現に、そのような感想を抱かせる。
いかにも「寄席はおろか日曜日に子供連れで浅草に足をむけることすらしない」山の手のサラリーマン家庭に生まれ育ち、「私立の中学に入って、放課後の肩鞄をさげたまんまの恰好で寄席をのぞくのが、ひそかな娯しみになった」経歴を持つ著者らしい。

その点、根っからの下町育ちの小林信彦や、古いところでは安藤鶴夫(父親は義太夫語り)などとは異なる(小林信彦『名人―志ん生、そして志ん朝』については、こちら)。
小林や安藤の場合、藝や藝人というものが、既に生活の中の一部としてあったため、あらためて自らに確認をする必要はなかった(強いて言えば、美意識を知的なことばで語るための努力か)。
――色川武大は、どちらのタイプなのであろうか(色川武大『なつかしい芸人たち』については、こちら)。

人気はともかくとして、若い人たちにとって、どちらが分り易いのか、といえば、矢野誠一のタイプなのではあるまいか。
なぜなら、小林や安藤には〈藝談〉にも似て、分る奴には言わなくとも分る(分らない奴には、何を言っても分らない)、といった下向きのヴェクトルを持った〈エリート意識〉があるからだ。

これから落語をまともに聴こうと思い始めた方には、矢野の一連の書物をお勧めしたい(矢野誠一『圓生とパンダが死んだ日』については、こちら)。

矢野誠一
『落語家の居場所―わが愛する藝人たち』
日本経済新聞社
定価:1545円(本体1500円)
ISBN: 4532162106