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『武家と天皇―王権をめぐる相剋』を読む。その1

2005-08-24 00:00:00 | Book Review
著者は中世日本史専攻(室町時代史)。
したがって、室町時代における武家と天皇の関係の延長線上で、江戸時代初期におけるその相剋を中心に描いたのが本書である。

鎌倉時代に始まる前史には、さまざま事件があったが、建武新政を特異な例外として、足利義満の時代までは、院権力(実質的に天皇家の実権を握っていたのは、当代の天皇ではなく、「治天の君」と呼ばれた上皇)が政治的な実効力を失っていった歴史と見てよい。
その点では、著者と一般常識とに差異はない。
しかし、信長―秀吉―家康と天皇家との関係については、大きな違いがある。

著者は、まず、室町時代は、義満の治世を底として(皇位簒奪計画まであった)、徐々に権威を回復する過程と見る。
義満の〈院政〉時期に、権威・権力ともに最低となったが、十五世紀以降は天皇権威が回復していく過程であり、戦国時代が終焉しようというとき、天皇権威は確固たるものになっていたのであった。
その過程の中に、信長以下の「天下人」があったわけである。

戦国時代は一般に、権威が必要とされた。
なぜなら他を討つためには、大義名分が必要であり、そのためには天皇による綸旨が最強であった。また、戦国大名たちのステータス・シンボルとしての武家官位も需要が高い(左京大夫、修理大夫、大宰大夫、三河守、尾張守など)。

傲慢とすら思われるほど自尊心の高い信長でさえも、「決定的瞬間に」「天皇の権威に頼ることになる」のである。
将軍義昭や石山本願寺との勅命講和、などなど。
しかし、信長は「おのれに忠実なロボットであるかぎり丁重に扱うが、そうでなけえば容赦しない」。
それが挫折したのが、正親町天皇への譲位強要である、と著者は説く。原因としては、前に述べたように、この時期「天皇権威が回復」しつつあったため、それを背景に天皇も信長に対して、強く出ることができたのである。
正親町天皇が、譲位を拒否しつつ、おそれていたのはただ一つ、義満がやったような『不逞』の行為を信長がしかけてこないかということであったから、信長の将軍任官に問題はなかった。天皇はすぐ内諾のサインをだし、織田幕府の成立は現実のスケジュールにのぼった(原註・信長が将軍になろうとしていた事実は近年あきらかになっている)。だがまさにそのやさき、信長は油断をつかれ、重臣明智光秀に暗殺されたのである。
*したがって、天皇家およびそれにつながる人びとによって、明智光秀を使嗾する必要性はなかった、ということになる。

今谷明
『武家と天皇―王権をめぐる相剋』
岩波新書(新赤版)
定価:580円(本体563円)
ISBN: 4004302862