一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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『福沢諭吉の真実』を読む。(10)

2005-08-06 09:31:45 | Book Review
さて、問題の『脱亜論』であるが、平山氏によれば、論説『脱亜論』と福沢の〈脱亜思想〉とは分けて考える必要がある、と指摘する。
福沢が脱亜の主義として終生儒教を排したということについての研究者の理解には大きな隔たりはない。
しかし、論説『脱亜論』には、その成立過程を含めた考察がないために、
近代化しつつある日本のおごりやアジアの人々に対する民族蔑視として、否定的な評価しか与えられることがない。
それでは「悪名高い」論説『脱亜論』は、どのようにして成立したのか。
まず「時事新報」に社説(もちろん無署名)として掲載されたのは、明治18(1885)年3月16日。当時の主筆は、後に実業界で有名になる中上川彦次郎であったから、
読者はそれを『時事新報』の意見とは見なしたものの福沢個人の思想としては受け取らなかったに違いない。

有名な結論部は
左れば今日の謀を為すに、我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの猶予ある可らず、寧ろ其伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、其支那朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に従て処分す可きのみ。悪友を親しむ者は共に悪名を免かる可らず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。
である。
従来の評価によれば、
(福沢の思想の)根底にあるのが、先進西欧に習い、近づくためには、これまで交流してきた朝鮮、中国など遅れた国との付合いは迷惑でむしろ支障となるので、これとは絶縁し西欧に目を向けようというアジア蔑視観(韓桂玉「征韓論の系譜」)
となるのだが、平山は、それまでの福沢の言説全体の分脈の上で、判断・評価すべきだとする。

*写真は中上川彦次郎 (1854 - 1901)。福沢諭吉の甥(姉の息)。三井を工業化路線に導き財閥形成の基礎を築いた。