一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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『武家と天皇―王権をめぐる相剋』を読む。その2

2005-08-25 00:00:06 | Book Review
それでは、秀吉はどうだったか。

ご存知のように、秀吉は将軍職には就かず、関白―太閤(前関白)として全国の統治にあたった。つまりは、軍事力による全国支配を諦めたことを意味する。

著者の見解によれば、それは「小牧・長久手の戦い」によって、家康に敗れたからだとする。つまりは、家康の勢力圏は、秀吉のそれよりは小さいものの、信濃・三河以東に自立した存在になってしまった。

それを無視し、全国平定を果したかのように政治的に振る舞うためには、
律令制のもとで全国の統治者であった天皇の大権を擬似的に復活させ、秀吉みずからは天皇の代官(宰相職)として領域支配の執行にあたるという論理
が必要だったのである。
著者は、それを「秀吉の『王政復古』」と呼ぶ。

みずからが疑似律令制における臣下としての頂点〈関白職〉に立った秀吉は、その体制において諸大名を律令制的官位体系の中に組み込み、統制化・秩序化したのである。
いわく「内大臣正二位徳川家康」「大納言従三位前田利家」「参議従四位毛利秀元」……。

「秀吉の『王政復古』」を現実化した条件も、前回触れたように天皇権力・権威の回復という流れにあったからである、と著者は説く。
戦国期における天皇家の没落(いわゆる『皇室式微』)が事実だとするならば、安土桃山の『王政復古』などが可能であるはずがない。永享の乱(一四三八)年以来の、天皇権威の間断なき復活と上昇という趨勢を考慮に入れてはじめて理解しうる歴史的事象なのである。

以下つづく。