一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

レマゲン鉄橋を探して Searching the Bridge at Remagen

2005-08-23 11:58:08 | Essay
『レマゲン鉄橋』という1968年のアメリカ映画をご存知だろうか?
原題が"The Bridge at Remagen"、ジョン・ギラーミン監督作品で、ジョージ・シーガル、ロバート・ボーン、ベン・ギャザラ主演。
第2次世界大戦末期、ライン川に架かる最後の橋をめぐっての、ドイツ軍と連合軍との攻防を描いた映画である。

戦争映画の内容はともかくとして、この「レマゲン鉄橋」ということば、どこかで一度聞いたことがある。しかも、最近、戦争とは関係なくだ。
近頃危うくなった記憶をたどってみると、隅田川に架かる橋に関することだと思い出した。
けれども、どの橋だったか?
最近調べたことのある橋だとすれば、候補が絞られてくる。
「千住大橋」? 違う。
「清洲橋」? あやしい。
そこで、清洲橋について書かれた資料を再読する。
「デザインは当時世界の美橋といわれれたライン川の吊橋ドイツァー橋がモデル」
とあった。「ドイツァー橋」が「レマゲン橋」と呼ばれることはあるのだろうか?しかし、架かっていた場所の名前が明記されていないので、可能性がないわけではない。
次の候補は「永代橋」。
こちらの資料には、「モデルはライン川に架かるルーデンドルフ橋」とある。

こうなると、候補は「清洲橋」と「永代橋」の2つ。まだ決定的な決め手がない。

そこで別の資料を当たる。そこには「清洲橋」について「ドイツライン川のケルンに架かる吊り橋」がモデルとある。ケルンであって、レマゲンではない。しかし、ケルンの小地名がレマゲンということもありうる。なぜなら、映画の原題に"at"とあるからだ。ただし、小生の映画の記憶で言えば、吊り橋ではなかったとは思うが……。
えーい、「永代橋」の資料の調べ直しだ!
Bingo! ありましたね、「レマーゲンの鉄道橋」ということばが。まず、これに間違いないとは思うが、まだ状況証拠の段階。直接、「レマーゲンの鉄道橋」=「ルーデンドルフ橋」を証明する資料がほしい。

世の中には奇特な方がいらっしゃるもので、レマーゲンに行った方がサイトを持っている。
第1のサイト「ヨーロッパ川紀行」。
現在は映画のように破壊されて、橋脚の「塔は未だ残され、記念館となっている」との記事。写真は、その塔の現状のみ。
第2のサイト「ラストオブ・カンプフグルッぺの世界」。
その名のとおり、第2次世界大戦末期のドイツ軍に関するサイト。
ありましたね、在りし日の「レマゲン鉄橋」の写真が。モノクロ写真の右奥に鉄橋が見えている。まさしく、「永代橋」のスタイルです。もちろん細部に違いはありますが、特徴的な弧を描いたシェイプはそのまま。

これで証明できました。
すなわち、「永代橋」のモデルは、映画『レマゲン鉄橋』に出てきた「ルーデンドルフ橋」である、と。
quod erat demonstrandum

『日本の歴史をよみなおす(全)』を読む。

2005-08-23 00:13:54 | Book Review
本書は、網野史学の〈総まとめ〉と言ってもいいだろう。
読後、最も強く感じたのは、小生が日頃思っていた以上に、網野史学の射程距離が長い、ということ。
普通、網野善彦といえば、中世史のイメージが強いが、そこで得られた視点から、本書ではロング・レンジに日本史を捉えている。また、網野史学がそれを可能にするだけの、史実との理論的整合性を持ち得ているということでもある。時代的には、古くは縄文時代から、新しくは江戸時代に至るまで(明治時代以降に関しては、触れられていないが、それはあえて、読者への課題として残しているような気がする)。

ここでは、内容を記述の順に添って紹介するよりも、主なトピックス(網野史学の重要な視点)を一つだけ述べてみたい。

それは「女性」を中心としたジェンダーの問題(本書「日本の歴史をよみなおす」第4章を中心にして)に関してである。

〈女性の無縁性〉(〈無縁性〉=世俗社会の関係や価値観から切り離されていること)について、網野氏はこう述べている。
「南北朝時代までの女性は、人ならぬ力をもってもの、聖なるものに結びつく存在と考えられていた」。
「女性が世俗の争いや戦乱のなかにあって平和な管理者や平和の使者になり得たことも、こうした女性の特質にその背景を求めることができる」。
そして、また「日本の社会には女性の商人が非常に多い」ことも、ここから説明がつく(商業/交換の原初的形態は、一度神に捧げたものを分ち与えることから始まる。神に捧げるのも、神から授かるのも、聖なる存在に近い者―供御人、神人が行なう)。

そのような社会的特質も、
「氏族内部の男女の婚姻を血縁者間の結婚として、これをタブーとし、かならず他氏族と結婚するという規制をもった氏族集団は、母系にせよ父系にせよ、日本の社会には存在しなかった」。
と、最近の家族史の知見から説明され、
「当然、女性と男性の社会的地位にはさほどのちがいはなかったと思われます。家父長制は決して確立していないのですが、そこへ中国の律令制が導入される」
ことによって、法制的/建前的には、父系であるような形になってきたのである(ジェンダー・バイアスがかかってくる)。

ちなみに今、話題になっている〈女帝〉の問題は、8世紀においては、この建前が完全に浸透しきれなかったための現象と、網野氏は見ている。
「基本的には律令制の建前、つまり公的な表の世界は男性で、女性は裏の私的世界という建前が、まだ貫けなかった段階の現象」
だというわけだ。

その他、「差別」、「農業社会」(日本は本当に農業を中心とした社会だったのか)、「天皇」「交通/交易」の問題などについて、興味深い考察があるので、実際に本書に当たっていただきたい。

網野善彦
『日本の歴史をよみなおす(全)』
ちくま学芸文庫
定価:本体1200円+税
ISBN4480089292