一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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『武家と天皇―王権をめぐる相剋』を読む。その3

2005-08-26 00:00:29 | Book Review
家康の場合、実際的な「天下人」となるにあたって、最初のつまづきとなったのは「関ヶ原の役」であった。
戦いに勝利したものの、秀忠の軍勢が遅参したために、豊臣恩顧の大名の兵力に頼らざるえず、豊臣家を完全に滅亡させることができなかったからである。また、それらの大名を優遇しなければならなかったことも、家康の政治的行動を制約してしまった。

そのために家康が打った第一の手が、「武家関白」の制度を廃止したことである。これによって、秀頼が関白となり、疑似律令制下で家康の上位に立つ可能性がまったくなくなった。

しかし、本当に家康が懸念していたのは、次のようなことである、と著者は指摘する。
「家康が恐れ、警戒したことは(中略)誰かが秀頼をかつぎ謀反することに他ならなかった。しかも、この『誰か』の存在を示唆し、ひいては家康の心胆を寒からしめる事件や事象が相次で起っている。関ヶ原戦後に豊臣系大名を優遇せざるをえなかったジレンマが、こんなところにも尾をひいているのである。」

結果、無理であろうがなんであろうが理由をつけて(「方広寺鐘銘事件」)、戦争に持ち込み(「大坂冬・夏の陣」)、豊臣家を滅ぼし、その後もさまざまな言いがかりで、豊臣系大名をも滅亡させていったのである。

それでは、このようにして、名実共に「天下人」となった家康の天皇観はどのようなものであろうか。
「一方で天皇の権威の表出を嫌い、封じ込め政策をはかりつつ、官位による序列を制度化せねばならぬ矛盾であり、家康の対天皇策の微温さ、不徹底さを示している。しかし一面でみるならば、家康の天皇観の根本は、公武の本分の弁別であり、天皇家を政治から遠ざけ、故実・学問の領域に専念させるという点ではそれなりに一貫している。」

以下つづく。


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