一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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『福沢諭吉の真実』を読む。(11)

2005-08-07 09:06:53 | Book Review
平山氏の『脱亜論』評価は、こうだ。

まずは、東アジアの政治状勢から。
前述したように、1880年代の朝鮮半島は揺れていた。
朝鮮独立党(一風斎註・反清派)のクーデタ、甲申政変の失敗に始まる清国進駐軍及び朝鮮事大党(一風斎註・親清派)政権による独立党勢力への大弾圧が進行中であった。
(福沢は)一八八〇年に初めて朝鮮独立党と接触してから八一年の慶応義塾への留学生の受け入れ、さらには牛場卓蔵や井上角五郎ら弟子の派遣などを通じて積極的にその支援活動を行っていたのである。
これに対応して「時事新報」は、
一貫して清国に対する朝鮮国の独立を擁護し、また清国軍及び事大党による独立党への過酷な弾圧政策を批判していたのであった。
『脱亜論』掲載の3週間前には、「朝鮮独立党の処刑」という社説が載る。
人間娑婆世界の地獄は朝鮮の京城に出現したり。我輩は此国を目して野蛮と評せんよりも、寧ろ妖魔悪鬼の地獄国と云はんと欲する者なり。而して此地獄国の当局者は誰ぞと尋ぬるに、事大党政府の官吏にして、其後見の実力を有する者は即ち支那人なり。我輩は千里遠隔の隣国に居り、固より其国事に縁なき者なれども、此事情を聞いて唯悲哀に堪へず、今この文を草するにも涙落ちて原稿紙を潤ほすを覚へざるなり。
すなわち、『脱亜論』で述べていた「人を刑するに残酷なる」や「卑屈にして恥を知らざる」という、朝鮮・清国に対する批判は、朝鮮事大党政権や清国進駐軍に対するものだったのである。

また、日本が文明国の一員として、アジア侵略に参加すべきだ、とするのは、後の論説における石河幹明の意見であり、『脱亜論』においては、
文明諸国から日本も野蛮国であるとみなされるならばその侵略を受ける可能性がある、という意味での日本人に向けた警告
がその趣旨なのであった、と平山氏は要約する。

*写真は岡倉天心(1863 - 1913)。アジアと日本との関係を深く考えた明治人の1人。「アジアは一つ」ということばの真意は何か?