田辺聖子さんに『姥ざかり花の旅笠』という本があります。
「江戸後期(一風斎註・天保時代)、筑前の大店のお内儀さん達4人が伊勢から江戸、日光、善光寺を巡る5ヶ月間八百里の知的冒険お買い物紀行。生気躍動する熟年女旅のゆたかな愉しさおもしろさが甦る!」
という内容です。
元になったのは、副題にもあるように、小田宅子というお内儀による「東路日記」。日本の19世紀半ばには、女性たちがこのような旅行を行なっていた、という証言にもなります。
それでは、なぜ、このような女性たちだけ(荷物持ち兼ボディガードの男3人付いてはいるが)の旅行が可能だったのでしょうか。
従来の歴史家の説明によると、一つには経済的な発達により、金銭的・時間的な余裕が生まれたと原因を挙げ、もう一つには、江戸時代の長期に渡る太平の世が、道中の安全を生んだとします(旅行の簡便性もそれに付帯する)。
しかし、戦乱が続いた戦国時代を除き、日本の女性たちはもっと古くから、共も連れずに結構、自分たちだけで旅行していたようなのです。
今度は、網野善彦さんの『日本の歴史をよみなおす(全)』を読んでみましょう。
この書は、従来の歴史的常識(通説)を覆すような発見に満ちている、網野史学の集大成とでもいえるもので、その中の1章が、特に「ジェンダー」の問題について触れられています(第4章「女性をめぐって」)。
そもそも「旅」とは、どのようなものとして考えられていたか、というところから話は始まります。
「旅をしている間、とくに神社、寺院への物詣などの場合には、(中略)旅人は間違いなく世俗の縁とは切れている」
との指摘があります。逆に言えば、道中には「神仏の力がおよ」んでいるわけで、「女捕り」というナンパはあるものの、命の危険はなかったわけです。
したがって、旅姿(中世では「市女笠をかぶって顔を隠し、『壷装束』といわれた姿で、草履を履」く姿)の女性が、絵巻物などにはしばしば見受けられわけです。
それを考えると、どうも「旅」には危険がつきもので、「護摩の灰」やら「雲助」がうろうろしている、という、われわれのイメージには修正が必要のようです。
網野さんの本にも紹介されていますが、民俗学の宮本常一さんによると、
「若い女性が二、三人で物詣の長旅に出掛ける。しかもほとんどお金を持たないで、何カ月も三人だけで旅を話がでてきます。おもしろことに、そういう旅する女性を泊めてくれる宿があるので、気軽に旅行に出掛けた」
といいます。これは、おそらく江戸時代末期から明治時代にかけてのことと思われますが、少なくとも、中世には同様のことがあったことが、網野さんによって示唆されています。
このような文脈の中に、冒頭でご紹介した田辺さんの書を置いてみると、また違った読み方もできるのではないでしょうか。
田辺聖子
『姥ざかり花の旅笠―小田宅子の「東路日記」』
集英社文庫
定価:740円(税込)
ISBN4087476545
網野善彦
『日本の歴史をよみなおす(全)』
ちくま学芸文庫
定価:本体1200円+税
ISBN4480089292