一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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『武家と天皇―王権をめぐる相剋』を読む。その4

2005-08-29 00:00:15 | Book Review
家康は死後「東照大権現」として神に祀られた。
彼の神道観は、本書に紹介されているキリシタン禁令によれば、
夫(それ)日本は元これ神国なり。(中略)日本は神国仏国、而(しこう)して神を尊び仏を敬う
というもので、秀吉の「日本は神国たるのところ」と仏を無視した神道観とは異なる。

このような神道観を持ち、前述したような「天皇の政治・軍事への介入をことごとく排した」天皇観を持つ家康であるが、死後の神格化には天皇の勅許を必要としたのは皮肉である。「それだけ宗教界における天皇権威の残存は強いものがあった」。

その天皇権威の残存を奪うために、「徳川氏は家康から秀忠・家光と三代、数十年を要した」。
そのための大きな事件が「紫衣(しえ)問題」をめぐる一連の騒動である。
「紫衣」とは、仏教界各宗派の最高位の僧侶に与えられる特権的な衣装であり、従来は原則的に天皇が授与権を握っていた。
事件の経過は本書を読んでいただくとして、結果的に、寛永6(1629)年、紫衣を授与する旨の綸旨が破棄され、関係した僧侶(大徳寺の沢庵も含む)は流罪となった。

自ら発した綸旨を、幕府によって反古にされた後水尾(ごみずのお)天皇は、譲位の内意を周囲に洩らす。
これも詳細は省くが、結果として、幕府の妥協により、寛永6(1629)年、奈良時代の称徳天皇以来の女帝、明正(めいしょう)天皇が誕生する。

以後、幕府と天皇家との協調と融和が存立し、江戸時代後期まで続くこととなる。

以下つづく。


*写真は後水尾天皇の宸筆による「東照大権現」の勅額(日光東照宮)。