院の空調の故障でクーラーのありがたさが身にしみます。
思えば私自身、クーラーが家にある生活は
結婚してからのことで、
それまでは家では扇風機でした。
私は昭和36年の生まれで、
戦争が終わってから16年後。
物心つくころはまだ電話もなく、
風呂は薪で沸かしていました。
水は井戸ですが電気ポンプですから水道と同じように
使えていました。
でも手押しポンプも使ってもいました。
それから20年、30年後世の中はかわり、、
現在はクーラーがあって当たり前。
電気、ガス、水道があって当たり前。
携帯、スマホが当たり前。
日本は戦争がないのが当たり前。
しかし、災害や国際情勢で、
それらが失われる可能性はある。
健康もそうです。
痛みがあるから健康に気をつかう。
けれども痛みがなくなると
健康にまた関心がなくなる。
健康なのが当たり前となり、ありがたさをわすれてゆく。
思えば私自身、クーラーが家にある生活は
結婚してからのことで、
それまでは家では扇風機でした。
私は昭和36年の生まれで、
戦争が終わってから16年後。
物心つくころはまだ電話もなく、
風呂は薪で沸かしていました。
水は井戸ですが電気ポンプですから水道と同じように
使えていました。
でも手押しポンプも使ってもいました。
それから20年、30年後世の中はかわり、、
現在はクーラーがあって当たり前。
電気、ガス、水道があって当たり前。
携帯、スマホが当たり前。
日本は戦争がないのが当たり前。
しかし、災害や国際情勢で、
それらが失われる可能性はある。
健康もそうです。
痛みがあるから健康に気をつかう。
けれども痛みがなくなると
健康にまた関心がなくなる。
健康なのが当たり前となり、ありがたさをわすれてゆく。