いっぽ自然整体院

いっぽ自然整体院のブログ。千葉市中央区新田町にて再開院しました。

感覚を取り戻す

2011年02月26日 | 身体と心
当院の施術の考え方に、感覚を取り戻すということがある。
痛み、緊張、疲労などで感覚が鈍くなっているのを
正しい状態に戻すということです。

ただし、感覚が鈍ると痛みや辛さも感じやすくなる?
確かにそうなのですが感覚を繊細にすることは
痛みや緊張、疲労をとることです。
だから症状自体も軽くなるのでその心配はない。

ただし、ほかの問題を感じるようになる。
それは一番辛かった問題(症状)がなくなっていくことで
ほかの問題がわかること。
当然その問題も解消させていかなくてはなりません。

その痛みがなくなれば、また次の問題を感じる。
治るたびにべつのところが痛むということは
よくあります。

すべての痛みがなくなる。

それが最終的な目的でしょうが
痛みはすべて無くなることはないと考えています。
????

つまり治ることがないということか?
いいえ、そうではありません。 

続きは次回に

視点の変化

2011年02月23日 | 健康
昨日は映画の話でしたが、
同じ映画でも視点が変れば違った面白さがあるように
本も視点が変ると
前とは違ったことを教えてくれる。

院にはいろんな本がある。
興味があればどんどん買って増えていくけど
読んでしまえばしばらくは放置。
ただ積んであるものになる。

しばらくして、何かのきっかけ
気まぐれで読み返すと
初め読んだとき気づかなかった発見がよくある。

それは視点が変ったからであるが、
その視点の変化をもたらすのは
経験であったり、時間の経過、考え方の変化。

読んでしばらく放置するのは
何もしてないようで意味がある。
だから購入した本がたまっても、
まず、ブックオフに持ち込むことはない。

本は今、電子書籍化の流れがあるけど、
電子書籍になると放置イコール本当に放置になる気がする。

大いなる西部

2011年02月22日 | 日記、独り言
テレビで「大いなる西部」という映画を見た。
私が中学生くらいのころ、
西部劇が好きでよくテレビや映画館でやっていればよく見てました。
ジョン、ウエイン。ジュリアーノ、ジェンマ。
クリント、イーストウッドの俳優や「シェーン」
「真昼の決闘」「明日に向かって撃て」「夕陽のガンマン」
「荒野の7人」などの作品が好きでした。

「大いなる西部」はグレゴリーペック主演。実は初めて見た。
派手な打ち合いより、勇気、欲といった
テーマ重視のような作品だった。
それでも素手での決闘や古式の決闘など見所はあった。

子供のころの視点は
派手なアクションメインだったと思うので、
今まで見た作品も今見れば違った見方、印象に
なるのかもしれない。

物語は2つの勢力の対立にグレゴリーペックが冷静な見方で
解決させようという流れ。

この勢力争いは、互いのリーダーである老人の
私的な対立であって、若いメンバーの多くは
仕方なくやっている。
それぞれのリーダーは己の愚かさに気づき
1対1の決闘で相打ちで共に死ぬ。
その仇をうとうとする若手はどちらにもでず、
静かに引き上げてゆき終幕。

、、、、なぜか日本の政治を思い浮かぶ。
この映画の主人公のような
冷静な見方、賢い知恵、大局的見方、
問題に立ち向かう勇気と行動のできる人がいない。






宗教の研究

2011年02月22日 | 日記、独り言
先日、院に宗教の勧誘?が来た。
あいにく施術中で「時間が取れません。」といってお帰りいただいた。
数日後またこられて、再度施術中であった為以下同文。
さらに数日後、また来られ、また施術中。
仕方なく空き時間を指定してこの時間ならお話を聞きますよと提案。

私は心や魂も整体の研究の一環として宗教の勉強もする。
しかし、それはあくまでも科学的な考察であって、
特定の宗教を信じるというわけではない。
心の問題において宗教は大きな影響を与えていると思うし、
宗教側もそういった研究をしている。
だから心の問題においても宗教はよい勉強材料と感じています。
心理学、スピリチュアル、気なども同様。
ただ、その関心は人であって、神ではない。
死後の世界や来世も研究対象ではない。

そういったことを説明し、それでもお越しになるならというと
指定した時間に再度見えられた。

私の宗教観というか研究の話しで、
私が話すばかりになってしまった。
それについての反論、意見、議論を期待したのですが、
結局討論にもならず、お帰りになってしまった。















整体院と接骨院の廃業

2011年02月20日 | 日記、独り言
ココの近所だけでも整体やカイロ、マッサージ等は半径100m内におそらく10軒以上あるだろう。
先日、用事で周辺を車で走っていてふと「テナント募集」の看板を目にした。
「あれ?ここは整体やってたとこだ。」同乗していた娘も気づいた。
少し行くと「あっ、ココもなくなってる。」
フリーペーパーでよく掲載していた整体院も無くなっていた。
不況はこの業界でも例外ではない。

その先で、今度は接骨院が開店してたくさん花が飾ってあった。 
昨年、その100m先に別の接骨院が開業している。
その手前には以前からやっている接骨院があって、
わずか100mの道に、
3軒接骨院があることとなっている。

接骨院に対して私はあまり良い印象はない。
度々報道にあるように不正保険請求の件がまず頭をよぎる。
そう思いこむのは良くないが、
乱立状態と不況で経営は厳しいはず。
しかし整体院と違って保険という逃げ道があり
不正には不況は関係ない。
だから接骨院がどんどん乱立すれど、不正発覚以外では
廃院は少ないのかと考えるのは考えすぎなのか。

治してはいけない整体院

2011年02月17日 | 自律神経失調症
「治す」「治る」「治療する」
これらの言葉を整体で用いることは医師法に違反とされます
これらの言葉は医師が行うこと「医業」にあたり、
それを仕事として行えるのは医師だけであると「医師法」で
定められています。

では、当院の施術で治してはいけないのか?、、、
そう、治してはいけません。
当院は病院ではないし、私は医師ではありませんから。

でも、
自分で治ってもらうのはいいのです。
結果的に治っても、治したのは患者、治療したのも患者。

当院の施術は自分で治る手助けです。

自ら治るよう、自分で治すようにするためには
どうするかを、助言し、サポートするのが当院の仕事。
それを実行するのが貴方です。
ですから、人任せに、治してもらう」では良くなりません。

それは病院での治療も同じ。
しかし法律上では治すのは医師(業務として)。
そしてそれが当たり前と思い込み、自分で治すということを
皆が忘れてゆく傾向にあると感じる。


治すのは誰?

2011年02月15日 | 自律神経失調症
一般的には病院もココ(いっぽ自然整体院)も
「治すこと」が仕事です。

ただ、
最終的に治すのは医師でも施術者でもない。
患者自身です。


ならば、事故や脳出血や心筋梗塞などで危篤状態でも
自分で治すのか?と言われそうですが、
そのような状態は自分で治すパワーが
症状の解消に必要なパワーよりも極端に足りない場合です。

その不足する能力をカバーする、手助けすることを
「治療」といいます。
例えば出血がひどければ止血、輸血する。
血栓があれば取り除く。
細菌やウイルスが蔓延していれば消毒するなど
一般に「治療」というわけですが、
いくら治療しても自分で治すパワーが無ければ
無意味です。

自分で治すパワーがゼロ。それは「死」です。
問題が及ぼすパワーが、自分で治すパワーより多ければ「悪化」、
自分で治すパワーのほうが多ければ回復してゆきます。
その結果問題が無くなった状態を
「治癒」、「治った」「完治」といいます。

「治してほしい。」という場合、
その自分の回復力を認識していないのではと感じます。


椎間板ヘルニア 絶対に1週間で治したい

2011年02月13日 | 腰痛、椎間板ヘルニア、坐骨神経痛
「ヘルニアを今週中に治したい」という患者さん。
ヒアリングでは
絶対に来週中に治して欲しい。」と
初めは言っていたのが「治したい」に変っている。
患者さんも無意識に言葉を使っていたでしょうが
わずかな違い、変化がある。

「治してほしい」から「治したい」に代わっています。
私も初めはそれをわからなかったけど
無意識に何かの違いを感じたから
「もしかして、その通りに治るのでは。」と直感した。
今思えば直感というよりその言葉の変化を
無意識ながら感じ取ったということかも知れない。

「治して欲しい」は医師または施術者に治すことを一任していること。
「治したい」は患者の希望。ただしその責任はまだ不明。
「治してほしい」なら治す責任は施術者、医師です。

普通に考えれば病院も当院のような施術院も
「治すこと」が仕事です。
当院の考えは「治ってもらうこと」が仕事です。
わずかな言葉の違いですがその意味は大きく違います。

つづく