中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

北京時間

2009年09月28日 | 中国生活
 今年、建国60周年を迎える中国は、その建国記念日(国慶節)の10月1日を前に、これまでの歴史を振り返る、様々な論評を発表している。
 今回は、その中から一篇、紹介したい。

 改変歴史的“北京時間”
 ——写在新中国成立60年之際(上)
 任仲平 2009年09月27日 人民網より

 実は、この任仲平 ren2 zhong1ping2というペンネームは、実在の人物ではなく、「《民日報》論」ren2min2ri4bao4 zhong1 de ping2lun4の下線の部分と音が同じ、ということで付けた名前で、人民日報社の評論員が書き下ろした文章で、《人民日報》紙上で発表する際、こう署名するそうだ。

 在中国流伝了近五千年的“天干地支”計時系統中,60年代表一个輪回。然而,当新中国的歴史即将邁入下一個甲子,俯仰中華大地滄桑巨変,這個行進在中国特色社会主義道路上的古老民族,分明已経打破封建王朝“其興也勃,其亡也忽”的興衰周期律。時間的指針,不可逆転地指向現代化,指向世界,指向未来。
 [訳]中国に五千年近く伝播する「天干地支」の時間の計量システムの中で、60年はひとつの輪廻を代表する。然るに、新中国の歴史が次の60年に突入するに当たり、中華の大地の滄海桑田の激変を仰ぎ見れば、この中国の特色ある社会主義の路線を歩む古い民族は、明らかに封建王朝の「その興隆も急であるが、その滅亡も突然である」という興隆衰退の周期の法則を打ち破った。時計の針は反転することなく現代化の方向を、世界の方を、未来の方を指している。
 ● 天干 tian1gan1 十干。甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸の総称。「甲子」のように、地支(十二支)と組み合わせて年を表記する
 ● 地支 di4zhi1 十二支(えと)。「天干地支」で年月のこと。
 ● 輪回 lun2hui2 仏教でいう輪廻(りんね)。
 ● 一個甲子 yi1ge jia3zi3 干支の60種の組合せが一回りすること(すなわち60年)を「一個甲子」という。
 ● 滄桑 cang1sang1 滄海桑田の略。滄海変じて桑田となる。大海が変じて桑畑となる。世の移り変わりの激しいこと。
 ● 其興也勃,其亡也忽 qi2xing1ye3bo2, qi2wang2ye3hu1
  その興隆も急であるが、その滅亡も突然である
 [出典]《左伝・庄公十一年》“禹、湯罪己,其興也悖焉,桀、紂罪人,其亡也忽焉”
      《新唐書・卷一百一十五》“禹、湯罪己,其興也勃焉;桀、紂罪人,其亡也忽焉。”
 “悖”は“勃”に通じ、意味は:夏王朝を興した禹と商(殷)王朝を興した湯王は自らの咎(とが)を責めたので、彼らの興隆は迅速で、その勢いは誰にも止められなかった。夏の最後の王である桀と、商の最後の王の紂は他人に責めを負わせたので、彼らの滅亡は迅速で、突然にやってきた。
 ● 指針 時計の針

 歴史的細節,時常内有乾坤
 [訳]歴史の細部では、常に大きな変革の要素を含んでいる。

 それはどういうことかと言うと、2009年春のロンドンで開かれたG20金融サミットの、メディアセンターの時間表示ボードに、時計が三つだけ掛かっていたが、それは順番に、「ワシントン時間」、「ロンドン時間」、「北京時間」であったということだ。

 “北京時間”,“中国道路”。全世界都在適応這個重新走向舞台中央的大国,希望従它的足跡里,解読這条迥異于西方的現代化路径。 
 [訳]「北京時間」は「中国への道」である。全世界は、この再度、舞台の中央へ歩き始めた大国に対応し、その足跡から、この西方とは大いに異なる現代化への歩みを解読したいと望んでいる。
 ● 迥異 jiong3yi4(迥別)大いに異なる

 五千年的文明古国、両千年的封建王朝、百余年的屈辱歴史、六十年的滄桑巨変……過去和現在,如何集合那万千点滴,在百転千回中滙成一个民族頑強生長的脉絡?
 [訳]五千年の文明を持つ古い国、二千年の封建王朝、百年余りの屈辱の歴史、六十年の滄海桑田の激変……過去から現在まで、如何にしてあの何万何千の水滴を集め、何度も揺れ動いた歴史の中で、ひとつの民族が頑強に成長する道筋を作り上げたのだろうか。

 古老文明的栄耀、“中央帝国”的迷夢、山河破砕的痛楚、“巨龍騰飛”的輝煌……中国与世界,如何統攬這千年巨変,在跌宕起伏間呈現一個国家波瀾壮闊的転身?
 [訳]古い文明の栄光、「中央帝国」の妄想、国土が粉々にされる苦しみ、「巨龍が飛翔する」栄光……中国と世界は、如何にこの千年の激変を総括し、抑揚や起伏の中から、ひとつの国を勢いよく前進するような変化を実現させたのだろうか?
 ● 痛楚 tong4chu3 (個人の肉体的、精神的)苦痛。
  生活の苦しみや集団の苦しみには用いない(その場合は、「痛苦」)
 ● 跌宕 die1dang4 音調に抑揚がある。文章が変化に富んでいる
 ● 波瀾壮闊 bo1lan2zhuang4kuo4 すばらしい勢いで展開、前進するさま

 新中国60年,不過是一個歴史悠久的文明古国的時間片段,却承載起中国現代化歴程中開天辟地的“歴史単元”,標注了几近亡国滅種的中華民族重新屹立于世界民族之林的“空間坐標”。従内部説,這60年関乎一个延続几千年的古老文明的生死;従外部看,這60年渉及一個占世界人口1/5的東方大国的興衰。這両大課題,恰与中華民族近代以来救亡図存、強国富民的両大歴史使命相呼応,与中国共産党人60年不変的治国理想相契合——
 [訳]新中国の60年は、悠久の歴史を持った古き文明国の時間の一部に過ぎないが、中国現代化の過程で天地開闢の「歴史の一場面」を引き受けさせ、亡国や民族消滅の危機に瀕した中華民族を再び世界民族の林の中にそびえ立つ「空間座標」にその名を記させた。内部から言うと、この60年は、数千年続いた古き文明の生死に関わる。外部から見れば、この60年は、世界人口の1/5を占める東方の大国の興隆衰退に関係する。このふたつの課題は、ちょうど中華民族の近代以来の救国存続、強国富民のふたつの歴史的使命と呼応し、中国共産党の60年間変わることのない統治の理想とぴったり符合する。
 ● 承載 cheng2zai4 荷重を受ける
 ● 開天辟地 kai1tian1pi4di4 天地開闢。有史以来
 ● 屹立 yi4li4 高くそびえ立つ。確固として揺るがない

 在前不久閉幕的中国共産党第十七届四中全会上,胡錦涛総書記再次強調中華民族偉大復興是我們党的偉大事業,再次強調要建設富強民主文明和諧的社会主義現代化国家。回首新中国60年歴程,一個主題格外突出:中国共産党始終以中華民族偉大復興為己任;一個路径相当鮮明:中国人民堅定地把現代化視作走向復興的路径。
 [訳]少し前に閉幕した中国共産党第十七期四中全会で、胡錦涛総書記は再度中華民族の偉大な復興は我々党の偉大な事業であると強調し、また豊かで民主的で、文明的で調和のとれた社会主義現代化国家の建設を強調した。新中国60年の歴史を振り返ると、ひとつのテーマがとりわけ突出している。つまり、中国共産党は終始、中華民族の偉大な復興を自らの任務とすると。ひとつの道筋はたいへん鮮明である。中国人民は確固として現代化を復興に向かう道筋と見做すと。

 就譲我們沿着現代化這条主線,梳理時間和空間的坐標,由此来看新中国改天換地的貢献,看60年滄桑巨変的意義。
 [訳]つまり、現代化というメインルートに沿い、時間や空間の座標を整理してみると、ここから、新中国の根本的変革の貢献がわかり、60年の滄海桑田の激変の意義がわかる。
 ● 改天換地 大自然を根本的に改造する。大きな変革のたとえ

 “多少事,従来急;天地転,光陰迫。一万年太久,只争朝夕。”世界上没有哪一个民族,像中華民族這様,既創造了五千年的悠久文化,也承受着百余年山河破砕、喪権辱国的巨大痛楚。也没有哪一个民族,有着如此強烈的復興意志。這種只争朝夕的復興理想,成為中国現代化道路上最強大的凝聚力。
 [訳]「たくさんの事が起こり、これまで焦ってきた。世界は変換期にあり、時間は迫っている。一万年は長すぎるが、我々はただ、ごく短い時間を争っている。」世界中の如何なる民族も、中華民族のように、五千年の悠久の文化を創造しただけでなく、百年余りにわたる国土の破壊、権利を喪失し国の辱めを受けるという巨大な苦しみを受けた民族はいない。また如何なる民族も、かくも強烈な復興の意志を持っていない。このごく短い時間を争う復興の理想が、中国の現代化路線のもっとも強い凝集力となっている。
 ● 多少事,従来急;天地転,光陰迫。一万年太久,只争朝夕
  Duo1shao3shi4, cong2lai2ji2 。tian1di4zhuan3, guang1yin1po4。 
   yi1wan4nian2tai4jiu3, zhi3zheng1zhao1xi1
  たくさんの事が起こり、これまで焦ってきた。世界は変換期にあり、時間は迫っている。一万年は長すぎるが、我々はただ、ごく短い時間を争っている
  [解説]毛沢東の詩、《満江紅》からの引用。副題に、郭沫若同志に和する、とあり、郭沫若の詩に呼応する形で、1964年初頭、毛沢東70歳の誕生日に発表された。詠まれたのは1962年の有様で、当時、毛沢東政権は内外で様々な困難に直面していた。内では、大躍進運動の傷跡が癒えず、外にはソ連との不協和音、アメリカのケネディー政権のインドを西側の民主主義のショーウインドーとしようとする動き、アメリカの軍事顧問のベトナム入り等。これらに対し、長い歴史の中の一瞬のことに過ぎず、恐れるに足りない。自分たちの勝利は近い、と言っているのである。

 以上、非常に長い文章の最初の一部を紹介したが、G20の金融サミットで、ワシントンとロンドンはともかく、後ひとつがモスクワや東京でなく、北京がクローズアップされたということ、過去の屈辱の歴史を振り返り、いよいよ我々の時代が来た、という、いささかナショナリズムを鼓舞する内容ではある。しかし、間近に迫った、建国60周年式典への、中国の国民の国を愛する思いが感じられた。

鳩山首相と胡錦涛国家主席との会談

2009年09月26日 | 中国ニュース
鳩山新首相の初外遊は、ニューヨークの国連総会であったが、その中でも真っ先に中国の胡錦涛国家主席との会談が組まれた(9月21日)。
会談内容について、中国側メディアはどのように紹介しているのだろうか?

胡錦涛会見日本首相鳩山由紀夫 提出5点意見
2009年09月23日 来源:人民網-《人民日報》 から引用

 胡錦涛主席は、先ず次のように指摘した。
 2006年中日関係実現転圜后,両国領導人密切互訪和接触,決定構築中日戦略互惠関係,這是双方首次在戦略層面対両国関係進行定位和運籌。去年,我対日本進行国事訪問,双方発表中日第四個政治文件,規劃了中日関係未来発展藍図,指明了21世紀両国関係発展方向。中日関係改善和発展不僅給両国和両国人民帯来重大利益,而且為亜洲乃至世界和平、穏定、繁栄作出積極貢献。
 [訳]2006年、中日関係の回復実現後、両国の指導者は密接に相互訪問、接触を行い、中日戦略互恵関係の構築を決定した。これは双方が初めて戦略レベルで両国関係についての位置決めと計画を行ったものである。昨年、私は日本に公式訪問し、双方は中日の四番目の政治文書を発表し、中日関係の未来の発展の青写真を企画立案し、21世紀の両国関係の発展方向を明示した。中日関係の改善、発展は両国と両国人民に重大な利益をもたらすだけでなく、アジア、乃至は世界の平和、安定、繁栄に積極的に貢献するものである。
 ● 国事訪問 guo2shi4fang3wen4 公式訪問。国の行事として公式に訪問すること

  次いで、胡錦涛主席は中日関係の発展について、以下の5つの意見を提案した。 
 一、 加強高層交往,増進政治互信。両国領導人可以継続保持接触,為両国関係発展不断注入政治動力。 
 [訳]トップ交流を強化し、政治の相互信頼を増強する。両国の指導者は引き続き連携を保ち、両国関係発展の為、絶えず政治力を注入する。

 二、 加強経貿合作,強化利益紐帯。中日都是世界主要経済体,互為最重要経貿伙伴,加強経貿合作有利于両国尽早克服国際金融危机衝撃,推動各自和世界経済復蘇。今年6月第二次中日経済高層対話在日本成功挙行,確定了当前和今后一个時期両国経貿合作目標。双方有関部門応該採取切実措施,全面落実対話成果,推動両国経貿合作向更高層次邁進。 
 [訳]経済面の協力を強化し、利益の結び付きを強化する。中日は何れも世界の主要な経済体であり、互いに最も収容な経済パートナーである。経済協力を強化することは、両国が早期に国際金融危機の衝撃を克服し、各々、及び世界経済の復興を推進するのに有利である。今年6月の第二次中日経済界サミットは日本で成功里に挙行され、当面と今後一定期間の両国の経済協力目標が確定した。双方の関係部門は確実に対応し、全面的に対話の成果を実行し、両国の経済協力がより高いレベルに進むよう取り組む。

 三、 増進国民感情,夯実民意基礎。双方応該着眼中日友好的時代潮流,持之以恒地開展青少年、中青年干部、文化、媒体交流,推動両国国民感情不断改善。 
 [訳]国民感情を高め、民意の基礎を突き固める。双方は中日友好が時代の潮流であることに着目し、青少年、若手指導者、文化、マスコミの交流を粘り強く推進し、両国の国民感情の絶え間ない改善を推進する。
 ● 夯実 hang1shi2 突き固める
 ● 持之以恒 chi2zhi1yi3heng2 根気よく続ける。あくまでもやり通す

 四、 加強亜洲事務合作,推動国際事務協調。中日作為本地区重要国家,応該共同致力于推動朝鮮半島無核化,維護東北亜和平穏定。双方還可以就共同応対国際金融危机、気候変化、環境及能源等全球性挑戦進行対話、協調、合作。 
 [訳]アジアでの実務協力を強化し、国際実務協力を推進する。中日はこの地域での重要な国であり、共同で朝鮮半島無核化、東北アジアの平和安定の維持の推進に力を注がなければならない。双方はまた、共同で国際金融危機、気候変動、環境・エネルギー等へのグローバルな挑戦への対応で、対話、協調、協力を進めることができる。
 ● 致力(于)zhi4li4(yu2) 力を集中する。努力する。力を注ぐ 

 五、 妥善処理分歧,維護友好大局。中日作為交往密切的近隣,両国関係中難免会出現一些問題和分歧,対此双方応該従大処着眼,准確把握定位,慎重妥善処理,防止影響両国関係穏定発展大局。 
 [訳]意見の不一致にうまく対処し、友好の大局を維持する。中日は交流の密接な隣国であり、両国関係に若干の問題や不一致が出るのはやむを得ない。これに対し双方は大所高所に着目し、正しく位置を把握し、慎重に妥当な処理をし、両国関係の安定発展の大局への影響を防がなければならない。
 ● 大処着眼 da4chu4zhuo2yan3 大きいところに着目する
 (大処着眼,小処着手 ~ xiao3chu4zhuo2shou3:大きいところに目をつけ、小さいところから手をつける)  

 五番目の意見は微妙である。東シナ海のガス田開発問題等、中日間には懸案課題もあるが、そういう問題に固執する余り、大局を見誤ってはいけない、ということだが、では中国から見た時の靖国参拝問題や、台湾の李登輝氏の日本訪問等の問題については、次のように言って、くぎを刺している。

 歴史問題和台湾問題事関中日関係政治基礎。慎重妥善処理這両大問題,是中日関係健康穏定発展的基本前提和関鍵所在。中方希望日方恪守承諾,従中日関係大局出発,慎重妥善処理有関重大問題。
 [訳]歴史問題と台湾問題は中日関係に関わる政治の基礎である。慎重で妥当にこのふたつの問題を処理することが、中日関係を健全で安定して発展させる基本前提で要(かなめ)の所在である。中方は日方が謹んで守り承諾し、中日関係の大局から出発し、関連する重大問題を慎重、妥当に処理することを希望する。
 ● 恪守 ke4shou3 謹んで守る

 鳩山首相との初会見で、先ずはジャブの応酬でお手並み拝見、ということだろうか。

国連気候変動サミット

2009年09月26日 | 中国ニュース
 日本では、鳩山新首相の外交デビューとして、国連気候変動サミットでの鳩山首相のスピーチで、2020年までに1990年比で温室効果ガスを25%削減するという目標を掲げたことが話題になった。
 この会議に参加した、中国の胡錦涛国家主席は、どのようなスピーチをしたのだろうか?

《携手応対気候変化挑戦》
[訳]手を携え、気候変動への対応に挑戦しよう
2009年9月22日 アメリカ・ニューヨークで開催された、国連気候変動サミット開幕式での胡錦涛国家主席のスピーチ ~2009年9月23日 人民網より引用

 気候変化是人類発展進程中出現的問題,既受自然因素影響,也受人類活動影響,既是環境問題,更是発展問題,同各国発展階段、生活方式、人口規模、資源禀賦以及国際産業分工等因素密切相関。帰根到底,応対気候変化問題応該也只能在発展過程中推進,応該也只能靠共同発展来解决。
 [訳]気候変動は人類の発展過程で出てきた問題であり、自然要素が影響を受けるだけでなく、人類の活動も影響を受け、環境問題であるだけでなく、発展の問題であり、各国の発展レベル、生活様式、人口規模、資源の豊かさ、及び国際産業分業等の要素と密接な関係がある。結局のところ、気候変化の問題に対応するには、発展の過程でのみ推進でき、共同発展によってのみ解決ができるはずだ。
 ● 禀賦 bing3fu4 天賦(てんぷ)。生まれつき

 発展中国家歴史排放少、人均排放低,目前受発展水平所限,缺少資金和技術,缺乏応対気候変化能力和手段,在経済全球化進程中処于国際産業鏈低端,承担着大量転移排放。
 [訳]発展途上国はこれまでの歴史でもCO2排出量が少なく、ひとり当たりの排出も低レベルで、現在は発展レベルの制約を受け、資金と技術が不足し、気候変動に対応する能力、手段に欠けており、経済のグローバル化の過程で国際的なサプライチェーンの末端に置かれ、大量の先進国になり代わっての排出を受け持っている。

 履行各自責任是核心。共同但有区別的責任原則凝聚了国際社会共識。堅持這一原則,対確保国際社会応対気候変化努力在正確軌道上前行至関重要。発達国家和発展中国家都応該積極採取行動応対気候変化。根据《聯合国気候変化框架公約》及其《京都議定書》的要求,積極落実“巴厘路線図”談判。発達国家応該完成《京都議定書》確定的減排任務,継続承担中期大幅量化減排指標,并為発展中国家応対気候変化提供支持。発展中国家応該根据本国国情,在発達国家資金和技術転譲支持下,努力適応気候変化,尽可能減暖温室気体排放。
 [訳]各自の責任を全うすることが重要である。共同の、しかし区別のある責任の原則は、国際社会の共通認識を集めたものである。この原則を堅持し、国際社会の気候変動への対応の努力を正確な軌道の上で前進させることが極めて重要である。先進国と発展途上国は積極的に活動し、気候変動に対応していかなければならない。《国連気候変動枠組条約》および《京都議定書》の要求に基づき、積極的に「バリ・ロードマップ」の話し合いを実行する。先進国は《京都議定書》で確定した排出量削減の任務を完遂し、引き続き中期的な大幅な分量の排出削減の目標を担い、その上で発展途上国の気候変動への対応をサポートしなければならない。発展途上国はその国の国情に基づき、先進国の資金や技術移転の支援の下、気候変化への適応に努め、温室効果ガスの排出をできるだけ減らすよう努めねばならない。
 ● 聯合国気候変化框架公約 lian2he2guo2qi4hou4bian4hua4kuang4jia4gong1yue1
 国連気候変動枠組条約。正式名称は「気候変動に関する国際連合枠組条約」、United Nations Framework Convention on Climate Change / UNFCCC, FCCC)は、地球温暖化問題に対する国際的な枠組みを設定した条約。地球温暖化防止条約、温暖化防止条約とも通称される。附属書締約国に対し、1990年代末までに温室効果ガスの排出量を1990年の水準に戻すことを目指していくこと、また、開発途上国に気候変動に関する資金援助や技術移転などを実施することを求めている。1992年6月にリオ・デ・ジャネイロで開かれた環境と開発に関する国際連合会議(UNCED、地球サミット)で採択され、155か国が署名。
 ● 巴厘路線図 ba1li2 lu4xian4tu2 
 バリ・ロードマップ。京都議定書の第1約束期間の終了する2013年以降の削減目標を09年のCOP15(コペンハーゲン)で決定するための「工程表」(ロードマップ)で、インドネシア・バリ島で行われたCOP13(07年12月)で合意されたために、「バリ・ロードマップ」と呼ばれる。

 実現互利共贏是目標。気候変化没有国界。任何国家都不可能独善其身。応対這一挑戦,需要国際社会同舟共済、斉心協力。支持発展中国家応対気候変化,既是発達国家応尽的責任,也符合発達国家長遠利益。我們応該樹立幇助別人就是幇助自己的観念,努力実現発達国家和発展中国家双贏,実現各国利益和全人類利益共贏。
 [訳]互いに利益があり共に勝利することが目標である。気候変動に国境は無い。如何なる国も独りよがりでいることはできない。この挑戦に対応するには、国際社会が互いに助け合い、心を合わせて協力することが必要である。発展途上国が気候変化に対応することをサポートすることは、先進国が最善を尽くさねばならない責任であるとともに、長い目で見れば先進国の利益にもなる。我々は他人を助けることが自分を助けることになるという考え方を打ち立て、先進国と発展途上国双方の利益の実現に努め、各国の利益と人類の利益の同時達成を実現しなければならない。
 ● 独善其身 du2shan4qi2shen1 協調精神に欠け、独りよがりになる
 ● 同舟共済 tong2zhou1gong4ji4 同じ船に乗っている人々は互いに助け合う。同じ事に当っている人々が互いに力を合わせ、難関を切り抜けること。
  ● 斉心協力 qi2xin1xie2li4 心を合わせて協力する
  *このフレーズでは、盛んに「贏」ying2ということばを使っている。英語で言えば“win”だが、先進国と発展途上国の「双贏」、つまりwin-winこそ求める姿だ、と強調している。

 促進共同発展是基礎。発展中国家応該統籌協調経済増長、社会発展、環境保護,増強可持続発展能力,罷脱先汚染、后治理的老路。同時,不能要求発展中国家承担超越発展段階、応負責任、実際能力的義務。従長期看,没有各国共同発展,特別是没有発展中国家発展,応対気候変化就没有広汎而堅実的基礎。
 [訳]共同発展の促進が基礎である。発展途上国は経済成長、社会発展、環境保護を一貫して計画、協調し、持続発展能力を強め、先ず汚染して、後で対処するというこれまでのやり方から脱却しなければならない。同時に、発展途上国にその発展段階、負うべき責任、実際能力を超えた義務を負うよう要求することはできない。長期的に見て、各国の共同の発展が無ければ、特に発展途上国の発展が無ければ、気候変動に対応するのに広範な堅実な基盤ができない。

 ここで、中国の立場を説明している。中国は、経済発展の成果により、経済のトータルの規模は世界のトップクラスに位置するようになったが、国民1人当たりのGDPは依然世界の100位以下であり、世界最大の発展途上国である。人口は世界の5分の1を占め、都市と農村、地域、経済社会発展の不均衡を抱え、直面する困難はたいへん多い。しかし、自国の国民や世界の人々に責任を負うという目線から、気候変化に対応することの重要性、緊迫性は十分に認識しており、気候変動への対応はこれまでもしてきたし、今後も継続して努力していきたい。また他の発展途上国へもできるだけの支援を行っていきたいと言う。
 中国は《気候変動に対応する国家方案》を制定、実施し、2005年から2010年までのGDP当たりのエネルギー消費、主要汚染物質排出の削減、森林占有面積の拡大、再生可能エネルギー比率の向上等に拘束力を持った国家指標を明確に提示した。例えば、エネルギー消費低減についてだけでも、中国は5年以内に標準炭換算で6.2億トンのエネルギーを削減する。これはCO2排出を15億トン削減することに相当する。

 今后,中国将進一步把応対気候変化納入経済社会発展規劃,并継続採取強有力的措施。一是加強節能、提高能効工作,争取到2020年単位国内生産総値二氧化碳排放比2005年有顕著下降。二是大力発展可再生能源和核能,争取到2020年非化石能源占一次能源消費比重達到15%左右。三是大力加森林碳匯,争取到2020年森林面積比2005年加4000万公頃qing3,森林蓄積量比2005年加13億立方米。四是大力発展緑色経済,積極発展低碳経済和循環経済,研発和推広気候友好技術。
 [訳]今後、中国はより一層気候変動への対応を経済社会発展計画に取り入れ、且つ強力な措置を継続して採り入れる。一つ目は省エネの強化、エネルギー効率向上の取り組みであり、2020年にGDP当たりのCO2排出量を2005年比で著しく低減させるようにする。二つ目は再生可能なエネルギーと原子力エネルギーを大いに発展させ、2020年に非化石エネルギーの一次エネルギー消費に占める比率が15%前後に達するようにする。三つ目は森林炭素蓄積を大幅に増加させ、2020年に森林面積が2005年比で4000万ヘクタール増加させ、森林蓄積量を2005年比13億㎥増加させるようにする。四つ目はグリーン経済を大いに発展させ、低炭素経済と循環経済を積極的に発展させ、気候友好技術を開発、普及させる。
 ● 森林碳匯 sen1lin2tan4hui4 森林炭素蓄積

 世界期待着我們就事関人類生存和発展的気候変化問題作出抉擇。我相信,只要我們本着対各自国家和人類社会負責任的態度,立足現実,着眼未来,堅持《聯合国気候変化框架公約》及其《京都議定書》主渠道地位,堅持共同但有区別的責任原則,堅持“巴厘路線図”的授権,哥本哈根大会就会成為国際社会合作応対気候変化新的里程碑。中国願同各国携手努力,共同為子孫后代創造更加美好的未来!
 [訳]世界は我々が人類の生存と発展に関わる気候変動の問題に決着をつけることを期待している。私は、我々が自分の国や人類社会に対する責任ある態度に基づき、現実に立脚し、将来を見つめ、《国連気候変動枠組条約》及び《京都議定書》の主要ルートたる地位を堅持し、共同で、しかし区別のある責任の原則を堅持し、「バリ・ロードマップ」の権限を堅持しさえすれば、コペンハーゲン会議は国際社会の気候変動へ共同で対応する新たなマイルストーンになると信じる。中国は各国と手を携え、共同で子子孫孫、次の世代の為に、もっと美しい未来を作りたい。
 ● 抉擇 jue2ze2 選択する
 ● 着眼 zhuo2yan3 着目する。着眼する
 ● 哥本哈根大会 ge1ben3ha1gen1da4hui4 
 国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)。今年12月にデンマーク・コペンハーゲンで開催される予定で、ここで京都議定書に続く新たな温室効果ガス削減の枠組みを決めることが目指されている。

 中国の全体の数値目標は明かされていないものの、中国がCO2削減取組みに積極的に取り組んでいることのPRと、他国への支援も含め、今後も積極的に取り組むことを強く訴えるスピーチであった。また、中国は発展途上国である、という立場は堅持しながら、全体の経済規模、ということでは世界のトップクラスとなったということで生じる責任、という意味合いも感じられ、環境対策での中国の立場の微妙な変化が感じられるスピーチであった。

糖葫芦  北京の冬の風物詩

2009年09月22日 | 中国グルメ(美食)

糖葫芦  táng hú lu

 りんご飴とかいちご飴というと、日本では夏の夜店の風物詩だが、これに似た、山楂子(さんざし)などの果物を竹ぐしに刺し、飴で覆ったものを、中国では糖葫芦、或いは冰糖葫芦といい、北京の冬の代表的な「小吃xiǎo chī(軽食、おやつ)である。

 最も古い糖葫芦は、食べて遊ぶものであった。一串に二個の「紅果」(北京人は山楂子(サンザシ)の実を紅果と呼んだ)が刺してあり、上のが小さく、下のが大きく、果実の外側には飴がついていて、真中は一本の竹串が貫いている。その形状がヒョウタン(「葫芦」)に似ているので、冰糖葫芦bīng táng hú luの名がついた。その後、商うのに都合がよいので、竹串に刺した果物のことを冰糖葫芦と呼び慣わした。これが冰糖葫芦の起源の一説である。

 別の説として、900年余り前の南宋の時代、宋の光宗・趙悖の寵愛した黄貴妃が原因不明の病気になった。顔色が黄色くなり痩せ、食欲がなくなり、長期間治らなかった。御殿医では為すすべがなく、皇帝はやむなくひとりの民間の医者を呼び、貴妃を診させた。もう助からないだろうが、万に一つも、という思いからである(也算是死馬当作活馬医吧)。
死馬当作活馬医 sǐ mǎ dāng zuò huó mǎ yī もう助からないが、万に一つの希望を持ち、積極的に助けようとすること。一般に、最後に一回だけ試してみることを指す。

 この医師が貴妃に出した処方箋は、氷砂糖と山楂子をいっしょに煎じて、食事の前に五~十粒飲ませ、十五日で効果が出ると請け負った。黄貴妃は服用すること半月で頑固な症状も果たして快癒した。これは山楂子に消化を助け血液の流れをよくし、寄生虫を駆除し、赤痢を止める効能がある、とりわけ消化を助ける効能が顕著であるからである。その後、こうした氷砂糖と山楂子をいっしょに煎じるやり方が民間に伝わり、庶民は山楂子を串に刺し、冰糖葫芦になったのではないだろうか。

 この説には科学的な道理はあるが、冰糖葫芦が表面に飴が付いているのはなぜだろう?氷砂糖や蜂蜜で山楂子等の果物を煮て作ったものは、「蜜餞mì jiàn(ドライフルーツ)である。これは宋代には既に存在し、蜜煎と呼ばれた。北京の冰糖葫芦は、材料は氷砂糖と山楂子で同じであるが、両者は果物の表面に飴として付着しているか、鍋でいっしょに煮られているかで、味も全く異なる。両者は全く別のものと見た方がよいのではないか。

 北京の冰糖葫芦の通常の作り方は、新鮮な紅果(すなわち山楂子)を洗ってから干し、一尺くらいの竹串を刺し、七、八粒の紅果を一串とする。その後、氷砂糖か上白糖を鍋に入れ弱火にかける。鍋の傍らには表面がなめらかで鏡のような石板を置き、その表面に薄く香油(ごま油)を塗っておく。氷砂糖が完全に溶けて気泡が立ってきたら、串に刺した紅果を鍋に入れてひっくり返し、身の周囲に砂糖液を浸したら、それを石板に置いて冷まし乾かす。このようにして、甘酸っぱい冰糖葫芦が完成する。もし砂糖を煮るのを念入りにするなら砂鍋(土鍋)や銅勺を用い、その出来不出来は火加減で決まる。火力が足りないと、紅果の表面の飴は食べると歯にくっつく。火が強すぎると、味が苦くなる。

 北京の糖葫芦で、どこのものが一番おいしいかは、いろいろ説があって、紅楼夢研究の泰斗で民族学者である雲郷はこう言う。

 かつて北京で最も良い糖葫芦は東安市場のもので、あのあかあかとした電灯に照らされて、台の上には一層一層と並べられ、釉下藍花や五彩釉子の大きな磁器の盆の中に、各種の飴に浸したばかりの冰糖葫芦がきらきらと輝き、人をうっとりさせる異彩を放っていた。その中には、紅果(山楂子)、海棠、胡桃の実、花梨(カリン)、山芋、ムカゴ、紅果に小豆餡を挟んだものなど、種類はたいへん多かった。
 北京では、糖葫芦にする材料がたいへん多く、水分のあるものでは、山里紅(山楂子)、海棠、花梨(カリン)、マスカット、みかん、クワイ。水分の無いものは、胡桃の実。よく煮たものは、ムカゴ、長芋。餡を挟んだものは、山里紅に漉し餡を挟んだもの、山里紅に胡桃の実を挟んだものなど。

 美文家で美食家である梁実秋先生は彼の《雅舎談吃》の中で昔を回想して冰糖葫芦は信遠斎が作ったものが最も精緻であり、竹ぐしを使わず、山楂子や海棠を一粒使いし、実はできるだけ大きなものを選び、油紙を敷いた紙箱の中にきれいに並べ、客が持ち帰るようにした。
 信遠斎は砂糖菓子店で、元々瑠璃廠の東の入口にあり、夏の酸梅湯や酸梅鹵で有名である。冬の冰糖葫芦もたいへん特色があり、かつ何種類もの作り方がある。ひとつは山楂子を押しつぶして軽く形を小判型に整え、いくつかを並べて串に刺し、表面に薄く小豆餡を塗り、小豆餡の上に京劇の役者の顔の隈取りの図案になるよう南瓜の種を埋め込み、それを更に砂糖でくるんであった。



 有名な漫才芸人の侯宝林は、様々な物売りの声を漫才の中で使っているが、糖葫芦売りの声も、次のように写し取っている。
 「葫芦儿――冰糖的!」
 「冰糖――葫芦儿,新蘸得的!」 (zhàn:糊状のものをつける)蜜をつけ立てだよ
 「冰糖多哎――葫芦来嗷――」

 こういう糖葫芦売りの呼び声は、廟・寺の縁日、劇場の入口、前門外の木賃宿や旅館で時々聞こえ、声が澄んでよく響き、抑揚があり聞く者の心に響いたそうである。

 


聚宝盆 中国版打ち出の小槌

2009年09月19日 | 中国語でどう言うか?

聚宝盆 
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 日本で言えば、打ち出の小槌、とでも訳するのだろうが、中国の民間説話に出てくる、いくら取っても尽きない、宝物の湧き出す鉢である。

 北京大学出版社《高級漢語口語》上冊で、《新春同楽話民族(快板書)》(《北京晩報》1997年2月8日 崔《新春同楽話民族》改編)が載っており、その中で、春節を迎える心浮き立つ作業として、

 貼対聯、喜来臨、求吉利画個聚宝盆
 [訳]縁起の良いことばを書いた対聯を門の両側に貼り、喜びがやって来る。縁起を求めて聚宝盆の絵を描く、

とあるので、七福神のように、聚宝盆も縁起の良い図柄となっているようだ。

 さて、聚宝盆の由来は、というと、江蘇省の水郷古鎮、周庄出身の沈万三の伝説が思い出される。

 沈万三、本来の名前は沈富、浙江省南潯の人である。幼少より私塾に上がり、四書五経を学び、機智に富み、聡明に育った。彼の父の沈佑はしんこ細工で生計を立てており、道具を入れた天秤棒を担いで街を売り歩いた。普段から倹約に励み、多少の財産を貯め、南潯で家を何軒かと数畝の土地を買い、半農半商となった。家では人出が不足していたので、沈万三は学校をやめ、父親を助けて店番をし、そろばんをたたいて帳簿をつけ、若くして世に出て、利殖の才に長けた商売人になった。
 ● 捏粉玩具 nie1fen3wan2ju4 「捏」は指でつまんでこねる動作で、米の粉に色をつけて、それを指先でこねて人形の形にしたおもちゃを作る、つまり、日本でも昔あった、しんこ細工である

 ある年、新しい蚕の繭が市場に出たので、沈佑は数十担(「担」は重量の単位で、1担=100斤、1斤は500グラムなので50キロ)の繭を買い、息子の万三に小僧を連れ盛澤の町に行かせてこれを転売し、いくばくかの金儲けをしようと思った。
 盛澤は有名な絹の産地であり、人口が多く、市が立ち賑やかであった。町には何軒もの妓楼があり、夜になると提灯を掲げ色絹を飾り付けた画舫(飾りの付いた屋形船)が運河に出て、絹を買いに来た商人たちに夜の楽しみを提供した。船に上ると芸妓をはべらせ酒宴を張り、楽曲に耳を傾け、サイコロを振って酒の余興の遊びに興じ、花の枝を揺らして手まねきする妓女を抱いて、船の中で一夜の契を結んだ。世事に不慣れな沈万三は、たちまちやくざに船に上げられ飲む打つ買うで、一晩のうちに、繭を売った銀子を巻き上げられ、すってんてんになってしまった。

 沈万三は一文無しで南潯の町に帰って来た。小僧は沈佑の姿を見るや、事の一部始終を報告した。沈佑は髭が逆立つほど怒り狂い、沈万三を縄で縛り殴るけるの折檻を加えると、家から追い出した。沈万三はこの災難により、あちこち町から町をさすらい、乞食をして暮らした。年の瀬を迎え、彼は昆山千灯鎮にやって来た。この時節、家々はお供えにする鶏や羊を屠り、年越しの準備に忙しくしていた。一軒の家に近づくと、口を開いて食べ物を恵んでほしいと言う前に、突然戸が開いて、中からひと山の鶏の羽根が投げ捨てられ、足元に落ちた。沈万三は一目見るや、食べられないし、売れるものでもないので、ムカッと腹を立てた。しかし、大量の色彩が目の覚めるように美しい雄鶏の羽根が彼を引きつけ、彼は突然、父親がかつて、手先の技を職業にし、雄鶏の羽根からも玩具が作れることを思い出した。そこで彼は鶏の羽根を拾い集めると、粘土を澱粉(グルテンを除き漉し出した小麦粉)の代わりに用い、賢く手先巧みに鶏の泥人形を何体か作り、すぐに子供たちに売り歩いた。

 沈万三は命をつなぐ方法を見つけ、千灯で泥人形を作って暮らした。三春(春の3か月。孟春、仲春、季春のこと)の一日、沈万三は町はずれの泥沼で泥を掘っていると、農民が蛙を捕まえているのを見つけた。彼は農民のところに行くと、制止して言った。「蛙は作物を守る守り神だから、勝手に捕まえてはいけない。逃がしてやりなさい」と。
 農民は彼を睨みつけて言った。「わかっている。でも今は作物の端境期で、家には食べるものが無い、蛙を捕まえて売って暮らすしかない。」
 沈万三は泥人形を売って得た金を取り出すと、農民に渡して言った。「この蛙を私に売ってくれ。」
 農民は金を受け取ると、紐でひとつながりにされた蛙を沈万三に渡した。すぐさま彼は蛙を全部池に返してやった。

 その日の晩、沈万三は夢の中で何人かの青い衣を着た人に出会った。青衣の人は彼に拱手して言った。「私たちの命を助けてくれてありがとうございます。後で必ずあなたの大恩大徳に報いましょう。」
 何日かして、沈万三が湯家浜に行って泥人形を売っていると、老人が四手網を引いているのに出会った。老人が網を引いても引いても、網の中は空っぽであった。沈万三は不思議に思い、進みでて言った。「おじいさん、私がやってみましょう。」彼は手に力を入れて、網を三回引っ張ると、その度に魚が掛かっていた。しかし四回目には素焼きの鉢が引き上げられ、鉢の中には何匹かの蛙がゲロゲロ休まず鳴いていた。彼はもう一度網を引いた。結果はやはり一個の素焼きの鉢と、何匹かの鳴きやまぬ蛙が掛かっていた。
 老人は口を開いて言った。「鉢を持って行き、あひるの餌入れにでもしなさい。」
 沈万三は素焼きの鉢を手に取ると、老人に渡し、お辞儀をしてその場を離れた。
 老人はみすぼらしい漁船で暮らし、傍には十八歳の孫娘、張秀英がいっしょに暮らしていた。孫娘は老人の言いつけに従い、雑穀の穂を何把か掴むと素焼きの鉢に入れ、あひるに食べさせた。すると思いもかけず、あひるがまだ食べないうちに、鉢の中はたちまち雑穀で一杯になり、益々増えて、船尾まで溢れだした。秀英はびっくりして急いでおじいさんを呼んでどうなったのか見てもらった。
 老人は雑穀の山の中から素焼きの鉢を取り出すと、しばらくじっと見ていたが、どうしてなのかわからなかった。その時ちょうど、沈万三がおもちゃを売り終わって戻って来た。老人は彼だとわかると、鉢をささげ持ち、岸に上がり、彼をつかまえて言った。「兄さん、不思議なことだ、鉢にものを入れるとどうしてこんなにたくさんになったのだろう?」
 ● 看不出个子丑寅卯 kan4buchu1gezi3chou3yan2mao3 どうしてそうなったのか、原因や理屈がよくわからない。子丑寅卯は十二支の最初の四つで、物事が順序良く条理にかなうたとえ

 沈万三は問い返した。「これは本当ですか?」
 老人は鉢を地面に置くと、言った。「もう一度、試してみなされ。」
 沈万三は早速、泥人形を売って得た銅銭を何枚か鉢に入れた。すると見る間に、素焼きの鉢は銅銭で一杯になった。沈万三、老人、秀英の三人はしばらく唖然としていたが、異口同音に言った。「神様!これは打ち出の小槌だ。」

 聚宝盆を得て、三人は家族になった。老人は、沈万三が眉目秀麗、聡明快活であったので、彼を孫娘の婿にした。一家は皆口が固く、また金、銀を聚宝盆に入れ、増やした金、銀を隠しておく場所が無かった。道理にも言う。家に黄金があり外には秤がある。最初の一日はごまかせても、十五日間ごまかし通すことはできない。噂が広まると、安全ではない。そこで相談して世の中の人の注意の集まらないところを捜し、そこに隠れ住んで幸せに暮らすことにした。
 ● 守口如瓶 shou3kou3ru2ping2 (瓶の口を封じたように)口が極めて固い。秘密を厳守する
 ● 家有黄金,外有斗秤jia1you3huang2jin1 wai4you3dou3cheng4 人の家にどれだけの金があるか、外の人は桝を持ってきて量る。財産がどれだけあり、どんな才能があるかを、周りの人は理解しているものだ、という俗語。

 考えが決まると、三人は船一杯の金銀を載せて、呉淞江に沿って南へ向って船を走らせ、何度かの選択を経て、周庄鎮東垞村にやって来た。ここは辺鄙で、交通の便が悪く、世の中と隔絶したようであるので、ここを住む場所に定めた。

 沈万三の本名は沈富、字は仲華。湖州南潯(現在の浙江省呉興県南潯)の人である。元末明初に実在。人々は巨万の富を築いた人を「万戸」と呼んだが、沈万三は財産の額の序列が三番目であったので、沈の三番目の万戸、沈万三と呼ばれたという。彼は元末の張士誠の蜂起、蘇州支配。次いで朱元璋の明王朝建国を助け、道路や橋の建設、明の最初の都、南京城の建設に資金を出した。しかし、最後は朱元璋に疎まれ、君主を欺いた罪で雲南に流罪、また彼の五人の息子も悉く殺され、子孫を断たれた。
 しかし、沈万三の伝説は、この地に長く語り継がれた。周庄の町は湖沼に囲まれ、街道からはずれていたのが幸いし、戦禍や都市化の波を受けず、古い町並みをとどめながら、ひっそり佇んでいたが、近年の水郷古鎮ブームにより、町全体が観光地になっている。