中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

于丹《荘子心得》[1]: 荘子何其人(2)

2011年11月27日 | 中国文学

 人々は孔子を「聖人」と呼び、荘子を「神人」と呼ぶ。孔子が儒家の代表であるなら、荘子は道家の化身である。荘子の文章は、自由奔放な想像力に満ち溢れ、辛辣な風刺や皮肉に満ち溢れている。荘子の思想は、私達現代人に、どのような啓示を与えてくれるのだろうか。

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・身家 shen1jia1 本人とその家や家庭。
・叮当 ding1dang1 [擬声語]金属や磁器がぶつかり合う音。ちりんちりん、かちん、という音を表す。
・家財万貫 jia1cai2 wan4guan4 巨万の財産。
・富比連城 fu4 bi3 lian2cheng2 富の豊かさの程度が隣り合った幾つもの町を越えるほどの大金持ちであること。
・異化 yi4hua4 異化する。同じ、或いは相似の物が次第に違った物に変化すること。
・文凭 wen2ping2 証書。一般には卒業証書を指す。
・心為形役 xin1 wei2 xing2yi4 心や気持ちが生活や功名心に駆られ、それに酷使されること。
・不値得 bu4zhi2de ……する値打ちが無い
・諡号 shi4hao4 (死者に対し、故人を称えてつける)おくり名。
・辛棄疾 xin1 qi4ji2 南宋の詩人。
・了却 liao3que4 果たす。
・身后 shen1hou4 死後。

□[1]
  実際、私たちは今日、たった10元の金しか持っていない人であっても、必ずしもその人の幸福が、その家に何万もの資産を持つ人に及ばないとは限らない。つまり、その手にどれだけの金銭を持っていようと、決して心の中の重さを決めることはできないのだ。実際、現在の社会で、最も幸福な人は、貧しくて何も無くてすっからかんの人でもなければ、巨万の財産を持った、富がいくつもの町に跨るような人でもなくて、しばしば衣食に困らない程度から、まずまず安定した暮らしができる人である。それというのも、そういう人たちの生活のベースは、それほど困窮している訳でもなく、また財産に縛られ、それが転じて、財産のことを心配するまで至っていないからである。実際、はっきり言って、私たちはおそらく、ここに座っておられる一人一人が、この社会の多数を占めるだろうが、幸福になる資格のある人であるが、幸せかそうでないかは、心の持ち方による。

  実際、このような人を見たことがある。私の友達の一人は、マスコミ出身で、後に不動産業を始め、資産は益々増えた。マスコミを離れる時、彼はとても悲しそうで、彼が言うには、マスコミの仕事は自分の一生で最も好きな仕事だったのだが、どうして不動産の仕事に変わらないといけないかというと、子供ができたら、子供に責任を持たないといけない、子供に幸せな生活を送らせてやらないといけない。彼は、だから自分の心に背き、もっと大きな金銭的な利益を得ないといけないと言った。その後、彼は結婚し、たいへんかわいい子供ができた。その時、彼はそこそこ金を儲け、生活もまずまずであるように思えた。その後、彼は移民しなければいけないと言った。実際、ある遠い遠い国に移民し、先ず奥さんに子供を連れてその国へ行かせ、自分は国内に残って金儲けをしている。それで私たちは尋ねた:あなたはどうしてこのように奥さんや子供と離れ離れでいるの。あなたはあんなに子供をかわいがっていたのに、どうして子供と別れるの。彼の答えは、おそらく皆さんは想像できないだろう。彼はこう言った:自分達の今の財産であれば、この子がもし国内で学校に上がると、私は毎日この子が誘拐されないか心配しないといけない。だから自分は子供を遠くに行かせるのだと。実際、これは皆さんとは関係の無い話だが、もし皆さんの身近でこのような事が起こったとしても、この“利”が本当に大きければ大きいほど良いと言うだろうか。

 今、ネット上で流行っている、こんな話がある。人生なんて何枚かの紙きれのために過ぎないと言う。一生は何枚かの紙きれのためにある。それは金であり、何枚かの人民元紙幣のためである。それは名声であり、何枚かの賞状、証書、功績記録のためである。人が死んでからは、それは墓誌銘のためであり、紙銭を燃やすためである。一生のことを考えてみると、本当に何枚かの紙に過ぎない。荘子が生きていた時代は、これらの物はあまり重要視されなかった。だから、“利”で彼を縛ることはなかった。彼はこう感じていた:自分が心配しているのは、“利”のために自分の自由や心の機智が失われてしまうことで、自分が功名心に駆られる程の値うちも無いと思うように心掛けた。この道理は、或いは高尚な人は理解できるかもしれない。けれども、その次の段階の、名を捨てることは、利を捨てることよりも難しい。多くの人は、自分は金のために動かされることはないと言う。けれども、私たちは古今到来、どれだけ多くの人が生前、死後一つのおくり名を追封されるよう努めてきたことか。君王から彼は忠であったとか、孝であった、文、武であったと。これはおくり名にいつも見られることである。このおくり名が墓誌銘に刻まれさえすれば、その人は生前の一切の失ったものをこの永遠の墓碑の上で補うことができると思っていたに違いない。これこそが辛棄疾のいわゆる、君王が天下の事を果たし、生前に死後の名声を勝ち得たとしても、悲しいかな、その時には老いさらばえて白髪頭になっている。人の一生というものはこのように過ぎていくのだ。

  ことわざに、「雁は過ぎて声を留め、人は過ぎて名を留める」という。利を捨てることは容易でないが、名を捨てることは更に難しい。どれだけの人が、利のためには惑わされずとも、名のために惑わされたことか。たとえ高潔な人でも、名を歴史に残すことを望むものである。それでは、荘子は名声を気に留めなかったのか。高い官位や名誉を前にし、荘子はどのような態度を取ったのか。

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・雄才大略 xiong2cai2 da4lve4 [成語]傑出した知力と遠大な計略。(主に歴史上の偉人についていう)
・遊蕩 you2dang4 ぶらぶらと働かずに遊びまわる。
・梧桐 wu2tong2 アオギリ。
・栖 qi1 鳥が木に止まる。
・猫頭鷹 mao1tou2ying1 フクロウ。ミミズク。
・嘎 ga1 [擬声語]アヒルや鵞鳥のガアガアという鳴き声。
・名位 ming2wei4 名誉と地位

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  荘子は名声を気にしなかったのだろうか。荘子という人は、傑出した知力と遠大な計略を持っていたが、自ら進んで語ろうとしなかった。なぜなら、世の中の人が迷って悟っていないのに、真面目な事を言っても仕方がないからである。人間社会で、彼は対話すべき前提を何も持たなかった。天地はたいへん美しいが、自ら語ろうとはしない。だから彼は自分からは何も話そうとしなかった。このようにして、彼は各地をぶらぶらと歩き回った。この時、彼はちょうど彼の良き友、恵施と出会ったのである。恵子という人は梁国で宰相をしていた。荘子はぶらぶらとちょうど梁国にやって来た。そうすると多くの人が恵子に駆け寄って言った。荘周という人は弁舌の才があり、雄弁なことといったらあなたを遥かに上回る。彼が話をしないと考えてはいけない。もし話し出したら、あなたの相手ではない。実は、恵施は当時、有名な《堅白論》を著し、天下に聞こえた雄弁家であった。恵施はそれを聞くと、焦り、恐れた。梁国は大きくないので、配下の者を動員し、街中で荘子を捜した。必ず彼を探し出し、決して彼が直接、梁恵王に会わせないようにした。万一、宰相の位を彼に与えたらどうしよう。荘子はこの話を聞き、彼の方から恵子を訪ねてやって来た。

  恵子:あなたの方から私を訪ねて来られたのは何か特別な目的があるのですか。荘子:南方に宛雛(鳳凰のような鳥)という名の鳥がいて、南海から北海に飛ぶ時、こんなに遥かな道のりであるのに、アオギリの木でなければ休まず、竹の実でなければ食べず、甘泉でなければ飲まないそうです。ある日、宛雛が一羽の鴞鳥(フクロウの仲間の猛禽)の頭上を飛んでいると、この鴞鳥はちょうど腐ったネズミを食べているところでした。鴞鳥は宛雛がネズミを奪い取らないよう、上を向いて一声鳴き叫びました。あなたは今、私にガアガアと一声鳴き叫ぼうとしているのですか。名誉や地位は、俗世間に対しては、設ける必要があるでしょうが、高い智慧のある人にとっては、旅館のようなもので、記念として残す値打ちもないものです。

■[3]


・順道 shun4dao4 通りすがりの。

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  実は、これが荘子の考えている“名”である。もちろん、皆さんはこう言うかもしれない:これは通りすがりのことで、彼は元々、その宰相の位を狙っていたのではない。しかも梁国は小国なので、彼は気にかけていなかったと。けれども実は更に大きな宰相の地位が届けられたのだ。皆さんは楚国が大国であることをご存じだろう。私たちは先ほど斉国、楚国、秦国が大国であると言った。これは戦国時代の最も大きな三国である。それでは、楚王が大臣を荘子の所に遣わし、自ら彼を訪ね、楚国の宰相の位を彼に授けたいと望んだ。荘子はその時、何をしていたか。当時、彼は自由気儘に蒲水で魚釣りをしていた。この時、二人の大臣が来、うやうやしく彼に、我が国の事を、よろしくお願いします、と語った。たいへん丁寧に、出仕して宰相になってほしいと頼んだ。荘子はここでまた物語を語り始めた。たいへん回りくどいけれども。

   荘子:聞くところによると、楚国に神亀がいたそうで、三千年前に死んで、その骨は宗廟に置かれ、占いに使われているそうです。神亀は死んで骨を留め、人に厚く敬われることを望んでいるでしょうか、それとも生きて泥の中を転げまわっていたいと思うでしょうか。大臣:きっと、泥の中を転げまわっていたいと思うでしょう。荘子:それなら、お帰りなさい。私も亀と同じで、尻尾を引きずって泥の中で転げまわっていたいので。

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・労頓 lao2dun4 疲労する。疲れ切る。
・交待 jiao1dai4 申し開きをする。
・堂而皇之 tang2 er2 huang2zhi1 公然と。堂々とした。
・淪陥 lun2xian4 陥落する。
・無事忙 wu2shi4mang2 つまらない事で忙しいこと。

□[4]
  荘子はその時、一笑して彼らに、私は尻尾を引きずり泥の中で暮らしたい、どうかお帰りください、と言った。実はこれが、荘子が家に届けられた名誉に対し、取った態度である。皆さんはお分かりになっただろうか。人の心はどうしたら自由でいられるのか。自由とは、自分が気に留めないからである。実際、人の一生は、本当に気にかけた事情によってのみ、真に拘束されるべきものである。だから、人生の疲れが積み重なったら、先ず目的は何か問うてみるべきである。多くの事が互いに繋がって循環している。ひょっとすると、あなたのところが起点であるかもしれず、自分に対する申し開きは、たいへん高尚な答えである。例えば、家人のため、自分の成果のため、社会貢献のため、というように。言ってみると、すばらしい名声である。しかし、背後に隠された動機は何であったのか。私達は一人一人、心に問うてみるべきだ。これは私たちが名声や利益を得るために、公然と口実をつくっているのではないか。時には、名利のために先に少しずつ引っ張り込まれ、人が余計な事でばたばたするという人生の隘路に陥ってしまっているかもしれない。

(この項続く)


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于丹《荘子心得》[1]: 荘子何其人(1)~荘子とは如何なる人物か?

2011年11月23日 | 中国文学

 これから、北京師範大学 于丹教授の《荘子心得》を読んでいきたいと思います。于丹教授が大ブームを引き起こした《論語心得》に続いて《荘子》を取り上げたのには意味があります。孔子の教えを基にする儒教と、老荘の教えというと、何か対立する思想のような気がしますが、実はそうではありません。《論語》は、人が社会との関わりの中で如何にあるべきかを語っているのに対し、《荘子》は人が個人として如何に生きていくべきかを語っており、この二つは、実は本質のところでは密接な関係があると思われるのです。それでは、于丹《荘子心得》の第一回、先ずは荘子とは如何なる人物か、というところから話がスタートします。

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・傳誦 chuan2song4 語り伝える。
・潦倒 liao2dao3 落ちぶれる。
・追名逐利 zhui1ming2 zhu2li4 名声や利益を追い求める
・嘲諷 chao2fen3 あざける。諷刺する。
・嬉笑怒罵 xi1xiao4 nu4ma4 [成語]嬉しければ笑い、怒れば罵る。
・尖酸刻薄 jian1suan1 ke4bo2 辛辣である。“尖酸”は言葉がとげとげしいこと。
・瞠目結舌 cheng1mu4 jie2she2 [成語]目を見張り、口がきけない。あっけにとられて、ものが言えない。
・拍案叫絶 pai1an4 jiao4jue2 机をたたいて、すばらしいとほめる。“拍案”は机をたたくことで、激しい怒り、驚き、称賛などを表す。
・不屑 bu4xie4 軽蔑する。さげすむ。
・金聖嘆 jin1 sheng4tan4 民末清初の文学家、文学批評家。
・才子 cai2zi3 文才のある人。才智に長けた人。
・上窮碧落下黄泉 shang4qiong2 bi4luo4 xia4 huang2quan2 上は大空の果てまで、下は地の底まで。“碧落”は大空。
・是耶非耶 shi4ye2 fei1ye2 是か非か。“耶”は助詞で、疑問を表す。

□[1]
  今日、私たちは一人の人物の話をしたいと思う。誰かというと、荘子である。荘子という名前は、皆が長い間語り伝えてきたが、荘子がどのような人であるかは、言われ方がずっと漠然として矛盾に満ちている。誰でも知っているのは、荘子が物に乗って心の中を遊び、独り天地や精神を行き来できる人物だということだ。

  荘子が私達に残したのは、寓話や物語のたくさん詰まった書物である。荘子の一生は、貧しく困窮していたが、貧困を超越し、その中で楽しむことができた。荘子は弁舌が巧みであり、とりわけ寓話や物語で自分の見方を表現し、同時に自分の利益や名声ばかり追い求める小人物を嘲笑した。彼の文章は喜怒哀楽が激しく、彼のすること為すことは、いつも人をあっけにとられ、ものがいえなくし、また机をたたいて、すばらしいと褒めさせる。彼は功名を看破し、利益や仕官により俸禄を得ることをさげすみ、死に対してさえ、自分独自の見解を持っていた。荘子は一体全体、どのような人物なのであろうか。

  皆さんもご存じのように、金聖嘆は6人の文才のある人の書を批評したが、その第一が《南華経》の荘子であった。この人は、嬉しければ笑い、怒れば罵り、上は大空の果てまで、下は地の底まで、天下の英雄を罵り尽くしたが、実は彼の内心は決して怒りに燃えたものではなかった。私たちも知っているように、荘子は、天地はたいへん美しいが、ものを言わないと言ったが、彼が本に書いたものは、でたらめで、とりとめがなく、際限の無い言葉であったが、見たところ、とりとめが無くても、その実、その中には多くの智慧が含まれている。荘子という人は天地の間で、生死を看破し、名利を超越し、この一切合切を見抜いたと言うことができる。しかし、彼は自分が誰だと言っているのか。荘子は夢の中で蝶になったというが、それが本当なのかどうか、誰も荘子が本当はどんな人であったか知らない。彼の一生には、いったい幾つの物語があったのだろうか。

※ 司馬遷の《史記》によれば、荘子の名は周、字は子丘、戦国時代の宋の蒙地の人で、生年、卒年ははっきりしないが、おおよそ紀元前369年から286年の間に活躍し、梁の恵王、斉の宣王、孟子、恵施等と同時代で、南華山に隠棲したことがあり、それで唐の玄宗の天宝初年に、南華真人と追号された。

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・了然 liao3ran2 はっきり分かる。
・熙 xi1 隆盛。・攘攘 rang3rang3 混乱しているさま。
・在世 zai4shi4 在世。存命する。(死者を追憶する時に用いる)[用例]他~的時候。

□[2]
  荘子という人は、乱世の中で、彼が天地大道から、人間社会の名利、生死に至るまで、看破したもの、経験してきたもの、この一切合切が心にはっきり分かるようにしたと言うことができる。今日まで《荘子》という本は内篇7篇、外篇15篇、雑篇11篇が残されている。それでは、荘子のこの本の中で、私たちが分かるのはどういうことだろうか。実は、この本の中で、真に伝えられた思想は、ある種の天地を自由気儘に動き回る“逍遥遊”であるに違いなく、このような“逍遥遊”の中で、荘子、彼が看破したものはたいへん多い。いわゆる「天下は繁栄し、皆利のために来、天下は混乱し、皆利のために去る」である。人生、この世に生ある間、太古から今日に至るまで、看破し難いのは、名と利、この二文字である。

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・紛擾 fen1rao3 騒ぎ。混乱。
・困窘 kun4jiong3 困惑する。当惑する。どうしてよいか分からなくなる。
・一斑 yi1ban1 全体の一部分。[用例]管中窺kui1豹bao4,可見~。(管を通してヒョウを見ても、斑紋の一部は見ることができる。そこから転じて、見方が狭くてもおよその見当はつくこと。)
・掲不開鍋jie1bu4kai1gyo1 貧しくて、食糧や、食べ物を買う金が無いこと。
・四下 si4xia4 四方。周り。あたり。
・軋 ya4 ローラーをかける。車に轢かれる。
・車轍 che1zhe2 わだち。車の通った跡。
・印 yin4 痕跡。跡。
・淡淡地 dan4dan4di 冷やかに。
・捉襟見肘 zhuo1jin1 jian4zhou3 [成語]えりを合わせると肘が出る。衣服がぼろぼろである形容。そこから転じて、困難が多くてやり繰りがつかない喩え。にっちもさっちもいかない。
・擋住 dang3zhu4 遮る。捉える

□[3]
  言っておかないといけないのは、先ず誰もが直面するのは利益に心をかき乱され、利益の誘惑を受けることで、それというのもこの世界では、人々は皆経済の問題に直面し、生存の困難に直面するからである。それでは、荘子の生活はどのようであったのだろう。実は、荘子の生活は、彼の寓話の中からその一端を見ることができる。荘子は嘗てある話を語ったことがある。ある日、家の蓄えが尽き、食べる物が無くなってしまい、米を借りに行かないといけなくなった。彼は当時、“監河侯”と呼ばれた、水利を管理する小役人に会いに行った。河川を管理しているので、生活は荘子よりましであった。彼は言った:「少し、米を貸してくれませんか。」その“監河侯”は話がたいへんスマートで、彼に対し、たいへん親切に言った:ご覧のように、私たちはちょうど年貢の回収で忙しくしていて、ひとたび年貢を全部回収したら、すぐにあなたに300金をお貸ししましょう。この話はたいへんきれいで、300両の黄金といえば、たいへん大きな資産である。荘子はそれを聞くと、「私はあなたに一つお話をしましょう。」と言った:昨日、私もこのあたりを通ったのですが、誰かが私の名を呼んでいるのが聞こえました。あたりを見回してみたのですが、誰も見えません。もう一回捜してみて、最後に頭を下げて下の方を見てみると、車が通った後の溝の底が平らになってできたわだちの跡に、一匹の小さなフナがいて、そこで飛び跳ねていました。

   フナ:私にちょっと水を飲ませていただけませんか。荘子:いいですよ。でも私は、今は水を持っていません。これから呉越に行って、呉越王に、西江の水を引いてくれるよう頼みますが、水が引けたら、あなたを大海原に帰してあげますが、どうですか。フナ:それなら、明日の朝、魚市場に行って、私を買って帰ってくれればいいですよ。

   彼は言った:そのフナは話を聞くと、冷やかにこう言った:あなたが一升の水を持っていれば、今私の命を救うことができるのです。あなたがそんなに遠くの水を引いてくるのを待たないといけないなら、ご覧なさい、あの魚の干物を売っている店を。ひょっとすると、その中に私が見つかるかもしれない。荘子はそう言い終わると、行ってしまった。このことは何を説明しているのだろう。荘子は現実の境遇の中では、決して超越した、洒脱した、生活が満ち足りて悩みの無い人ではなく、彼の生活はにっちもさっちもいかない状態で、彼は方々で人の支援を求めねばならず、鍋に入れる米も無い状態であったと言うことができる。このような生活の苦境は、おそらく一般の人々と同じであったろう。しかし皆が不思議に思うのは、このような人物が、どんな資格があって“逍遥遊”ができたのだろうか。一人の人間が、寒さを凌ぎ、空腹を満たすこともできない状況下で、どうしてより高いものを追い求めることができたのだろうか。ここには実は一つ秘密があり、真に人の心を捉えることができるというのが、永遠に彼が最も重んじた基準であったのだ。

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・補丁摞補丁 bu3ding luo4 bu3ding つぎはぎだらけ。“摞”luo4は積み重ねる。“補丁”はつぎはぎ。
・后羿 hou4yi4 羿(げい)。中国神話の英雄で、弓の名手。10個の太陽が一度に出て、植物が枯れ、人々が苦しんだ時、羿が9個の太陽を射落とし、人々を救ったという伝説がある。
・荊棘 jing1ji2 いばら。
・小心翼翼 xiao3xin1 yi4yi4 小心翼翼。注意深いさま。
・生不逢時 sheng1 bu4 feng2 shi2 [成語]巡り合わせが悪い。運が悪い。

□[4]
  荘子はある時、梁恵王に会ったが、彼は麻布で作った、つぎはぎだらけの服を着、靴には靴紐も無く、適当に藁で縛り、そのような格好で会いに行った。

   梁恵王:先生、あなたはどうしてそのように困窮されているのですか。荘子:私は確かに貧しいですが、困窮はしていません。大いに智慧があるのに世の中を変えることができなければ、困窮していると言えます。サルがクスノキの上を、ぐるぐる飛び跳ね、唯我独尊、たとえ后羿であってもそれに対してどうすることもできません。けれども、いばらの茂みの中では、サルも注意深くせざるをえず、むやみに飛んだり駆けたりできません。そして私は今、ちょうど運悪く、いばらの茂みの中にいるのです。

■[5]


・乗 sheng4 乗(じょう)。古代、4頭の馬で引く兵車1台を1乗と言った。
・浩浩蕩蕩 hao4haodang4dang 威風堂々と。
・趾高気揚 zhi3gao1 qi4yang2 足を高くあげて意気揚々と歩くさま。得意満面のさま。
・驕矜 jiao1jin1 傲慢である。驕り高ぶる。
・夸海口 kua1 hai3kou3 大言壮語する。ほらを吹く。
・本事 ben3shi 才能。能力。腕前。
・黄連癟境 huang2lian2 bie3jing4 おそらく“黄臉癟境”の間違いと思う。“黄”は“枯黄”(草木が枯れて黄ばむ)から「元気がない、病弱」の意味があり、“癟”bie3は「干からびた」という意味から、「尾羽打ち枯らす」、落ちぶれる、という意味だろう。
・夸耀 kua1yao4 自慢する。(他人に対し、自慢する、ひけらかす、という、マイナスのイメージで用いられる)
・瘡 chuang1 できもの。瘡(かさ)。
・癤 jie1zi 疔(ちょう)。小さなできもの。(同じできものだが、瘡の方が大きい)
・膿瘡 nong2chuang1 化膿したできもの。
・低三下四 di1san1 xia4si4 [成語]卑屈にぺこぺこ頭を下げる。こびへつらうさま。
・舔 tian3 なめる
・痔瘡 zhi4chuang1 痔(じ)。痔核。いぼ痔。
・稀罕 xi1han (珍しいものなので)欲しいと思う。(多くは否定文、反語に用い、嫌悪を表す)

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  彼によれば、真の仁者や志のある人は、生活上の貧困を恐れない。恐れるのは、精神上の困窮である。人は貧困に困窮することはあるが、その人が心の中で本当にこの貧困を気にかけているかどうかは、彼が“利”という文字をどれだけ重視しているかで、彼の貧困に対する態度が決まってくる。荘子自身は、この“利”という文字を重んじていたのだろうか。彼の周囲に金持ちの人がおり、それで彼は次のような話を残している。

  彼は言う:宋国に、曹商という人がいた。この人はある日、光栄にも、国の使命を帯びて秦国に使いした。皆が知っているように、当時、秦国は中国西部で最も強大な国で、出発する時、宋国は彼に数乗の兵車と馬を準備した。秦に到着後、その使命を辱めることなく、任務を遂行し、とりわけ秦王の歓心を勝ち取ることができた。帰ってくる時には威風堂々と、百乗の兵車と馬を連れて帰ってきた。彼は帰ってからは得意満面で、たいへん驕り高ぶって、皆に対して大言壮語した。彼が言うには、自分という人物は、能力や才能について言えば、自分が破れ屋で、尾羽打ち枯らして毎日草鞋を編み、手仕事をして暮らしていたのでは、恐らくそのような能力は発揮できなかっただろう。自分の能力はどのようなものか。それはつまり、ひとたび一国の君主に見えれば、高い位の人には、自分の一言二言がそういう人たちの歓心を買い、このような財産や富と引き換えることができるのだ。彼は自分の能力がおおよそこのようであると言った。彼がこのように自慢した後、荘子はどのような態度を取ったか。彼は冷ややかにこの人の言うことを聞いていたが、それから彼はこう言った:私も次のように聞いたことがあります。秦王はある時、自分が病気になり、広く天下の名医を捜し、できものができた時には、彼のために膿を吸い出してくれた者には、褒美として車馬を1輌与え、すすんでぺこぺこ頭を下げ、彼のために痔核を舐めてくれた者には、褒美として5乗の車馬を与えたそうです。彼は曹商に言った。あなたは秦王に痔を治療してあげたのではないですか。そうでなければ、どうしてこんなに多くの車馬を連れて帰ることができたでしょうか。行きたいなら行かれれば良い。でもこのような物を私は少しも欲しいとは思いません、と。さて、このような極めて辛辣で諷刺の限りを尽くした言葉で、何を言おうとしたのだろうか。それは、“利”という文字では、荘子の心を縛ることができないということだ。

(この項続く)

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