goo blog サービス終了のお知らせ 

中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

『紅楼夢』第九回

2025年02月26日 | 紅楼夢
 この回では、いよいよ賈宝玉と秦鐘が一緒に賈家の家塾に通い始め、そこでの騒動が描かれます。『紅楼夢』第九回の始まりです。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

劣子を訓(さと)すに李貴は申飭(しんちょく)を承(うけたまわ)り、
頑童の茗煙が書房を鬧(さわ)がすを嗔(いか)る

申飭shēn chì(しんちょく。叱責する)
chēn(いか)る

 さて秦邦業父子は専ら賈家の方から入学許可の手紙が来るのを待っていた。元々宝玉は急いで秦鐘と会う必要があると思い、遂に明後日に必ず学校に行くと決め、人を遣って手紙を届けさせた。その日になって、宝玉が起きると、襲人がとっくに本や筆の文具をちゃんと準備し、ベッドの縁に腰かけ、気がふさいだ様子であった。宝玉が起きて来たのを見ても、彼が髪を梳いて顔を洗う世話をするだけだった。宝玉は襲人がうつうつと楽しまぬ様子なのを見て、尋ねた。「姉さん、どうして不機嫌な顔をしているの。ひょっとして僕が学校へ行くと、ほったらかしにされて寂しいと思っているの。」襲人は笑って言った。「何を言われるんですか。勉強はたいへん良いことで、ちゃんと勉強しないと一生みじめな思いをして、最後はどうなることか。でもひとつだけ、勉強の時は学問のことだけ考え、それ以外の時間は家のことを考えてください。必ずご学友たちと遊び騒いではだめですよ、旦那様に出会ったら冗談では済まなくなります。発奮する意志は強くないといけないですが、授業は多少少な目にしても、一にあまり欲張って消化不良に終わってはいけませんし、二に健康に留意しないといけません。これはわたしの意見ですが、ともかくご理解くださいね。」襲人が一言言うと、宝玉が一言応えた。襲人がまた言った。「毛の長い毛皮の服も荷物に入れましたから、小者に渡して持って行かせます。学校内は寒いですが、家のように誰かがお世話するわけにいかないので、とにかく重ね着するように心がけてください。脚炉(こたつ)や手炉(手あぶり)も持って行って、それらで身体を暖めるようにしてください。あいつら小者たちは怠け者だから、あなたがおっしゃらないと、あいつらは喜んで怠けて何もしないから、その結果あなたが凍えてしまうことになりますよ。」宝玉は言った。「安心して。僕は自分で仲裁できるから。おまえたちもこの部屋の中でじっとしていたら、気が滅入ってしまうよ。いつも林ちゃんのところに遊びに行くといいよ。」そう言いながら、既に衣服も頭の被り物もちゃんと身に着けたので、襲人は宝玉を賈のお婆様、賈政、王夫人のところへご挨拶に行くよう促した。宝玉はまた晴雯、麝月に二言三言言いつけ、それからようやく賈のお婆様にご挨拶に出かけた。賈のお婆様もいくつか言いつけざるを得なかった。その後王夫人に挨拶に行き、また書斎に行って 賈政にご挨拶した。

 この日賈政はちょうど書斎で食客の旦那方と無駄話をしていたが、ふと宝玉が入って来て挨拶をし、学校へ行くと言ったので、賈政は冷ややかに笑って言った。「おまえがまた「上学」(学校に行く)の二文字を口にするなんて、わたしまで恥ずかしくてたまらないよ。わたしに言わせると、おまえが遊びに行くと言うんだったらまだまともだ。わたしのこの土地を汚すことのないよう気をつけ、わたしたち一族に頼らないようにしてくれ。」周りの食客たちも立ち上がって笑って言った。「旦那様、そこまで言われなくても。今日若様が出立されて、二三年すれば悟りを開かれ名を成され、断じて以前のように子供じみた状態のままでおられることはないでしょう。時刻も昼の飯時ですから、若様も早くお暇(いとま)なさいませ。」そう言うと、ふたりの年配の食客が宝玉の手を携えて出て行かせようとした。

 賈政はそれで尋ねた。「宝玉と一緒に行くのは誰だ。」すると外で応える声がし、すぐに三四人の逞しい男が入って来て、「打千」の礼( 右手を下に垂れ、左足をかがめ、右足を少し曲げる礼)をし挨拶をした。賈政がそれを見ると、宝玉の乳母の息子で、名は李貴という者であった。それで彼に向かって言った。「おまえたちは一日中宝玉と共に授業を受けているが、やつはいったいどんな書物を勉強しているんだ。どうせつまらない噂や根も葉もないことを腹の中に詰め込んで、手の込んだいたずらを学んでいるんだろう。わたしの時間が空いたら、先ずおまえの面の皮を剥がして、それからあの進歩の無い馬鹿の始末をしてくれるわい。」怒られた李貴は急いで両ひざをついて跪き、帽子を取って頭を地面に付けてお辞儀し、何度も続けて「はい」と回答し、また言った。「お兄様はもう三冊目の『詩経』の「呦呦鹿鳴、荷葉浮蘋hé yè fú píng」(正しくは「呦呦鹿鳴、食野之蘋shí yě zhī píng」(呦呦と鹿鳴き 野の蓬を食む)であるべきところ、後半を言い間違え、「荷葉浮蘋」(蓮の葉や浮草)と言っている)のところまで学ばれています。嘘ではございません。」そう言うと、周りから一斉にどっと笑い声が起こり、賈政もこらえきれず笑った。それで言った。「たとえもう三十遍『詩経』を読んだところで、耳を覆って鈴を盗む(掩耳盗鈴)で、自分を欺いているだけだ。おまえ、学校の爺さんにご挨拶したら、わたしが言うことを伝えてくれ。『詩経』だとかの古文は、すべて申し訳程度にあしらい、ただ先ず『四書』を全部良く説明してよく覚えること、これが最も大切だと。」李貴は急いで「はい」と回答し、賈政がもう言うことが無いと知ると、ようやく立ち上がって退出した。

 この時宝玉はひとり中庭の外に立ち、息を潜めて静かに待っていたが、彼らが出て来るのを待って一緒に移動した。李貴らは衣服をはたきながら、言った。「兄貴、聞こえてましたか。先ずわたしたちの面の皮を引っぺがすんですと。おれたちときたら無駄に殴られたり怒られたりして。これからはもう少し同情して見ていただきたいね。」宝玉は笑って言った。「兄さん、そんな残念がらないで。明日あんたに奢るから。」李貴は言った。「若様、誰が敢えて「奢って」ほしがるものですか。ただ少しわたしの言うことを聞いてくださればいいですよ。」

 そう言って賈のお婆様のところに行くと、秦鐘はとっくに来ており、賈のお婆様がちょうど彼と話をしていた。そしてふたりは落ち合い、賈のお婆様の元を辞した。宝玉はふとまだ黛玉に別れの挨拶をしていないことを思い出し、また急いで黛玉の部屋に行って挨拶をした。この時黛玉は窓の下で鏡を見て化粧をしていて、宝玉が学校に行くと言うのを聞き、それで笑って言った。「いいわね。今回行けば、「蟾宮折桂」chán gōng zhé guì(積年の宿願が適う)よね。あなたをお見送りできないのが残念だわ。」宝玉は言った。「いい子だから、僕が今度学校から帰ったら、また晩御飯を食べよう。あの口紅も僕が帰った時にまた作ろう。」しばらくあれこれ話をしてから、ようやくそこを離れた。黛玉は急いでまた呼び止めて尋ねた。「あなたはどうして宝姉さんにお別れを言って行かないの。」宝玉は笑って答えず、まっすぐ秦鐘と学校に向かった。

 実はこの義学(家塾)も家から遠くなく、元々当時始祖が建立し、一族の子弟で学力はあっても先生を招聘できない者が出ることを恐れ、ここに入れば勉強できるようにした。凡そ一族で官吏に就いている者は、皆金銭的な支援があり、求学費用とすることができた。年配で徳の高い人を推薦して塾の教師とした。今秦鐘と宝玉のふたりはここへ来て、一々互いに挨拶に行き、勉強を始めた。これより、ふたりは一緒に学校へ往き来し、一緒に机を並べ、ふたりは益々親密になった。併せて賈のお婆様の愛情は、常に秦鐘にも注がれ、住んでしばらくすると、自分のひ孫と同様に見做すようになった。秦鐘の家があまり豊かでないのを見ると、また衣類などの物も支援した。一二ヶ月も経たないうちに、秦鐘は栄国府での生活にも慣れた。宝玉は結局おのれの本分を守れる人ではなく、一途にほしいままにふるまい、このため習性が出て、また秦鐘に向かって声を潜めて言った。「僕たちふたりは、同じような年齢で、まして同じ学校に通う同窓だから、今後は叔父甥の間柄で言う必要はなく、ただ兄弟友人の間柄で言えばいいよ。」最初は秦鐘にそんな勇気がなかったが、宝玉がそれに従わず、ただ秦鐘のことを「弟」と呼び、彼の字の「鯨卿」と呼んだので、秦鐘もそれに迎合して兄弟として呼び合うようになった。

 元々この学校の中は皆一族の子弟と若干の親戚の家の息子や甥であったが、俗に言うように「一龍に九種あり、それぞれ別のもの」であり、生徒の数が増えると龍と蛇が混じり、卑しい身分の人物も中に混じるようになった。秦鐘と宝玉が来てから、ふたりとも花のように美しく育ち、また秦鐘は内気でやさしく、言葉を発するより先に顔を赤らめ、気が弱く恥ずかしがり屋で、女の子のような態度であった。宝玉はまた生まれつき自分より身分の低い者に素直に従うことができ、謙虚に節を折り、思いやりの心があり、ことば遣いが穏やかであった。彼らふたりがまたこのように近しく情が厚いので、一緒に勉強する生徒たちから疑いの念が起きるのも道理であった。陰であれこれ言われ、根も葉もない誹謗中傷を受けることが、教室の内外至る所で起こった。

 元々薛蟠は王夫人のところで暮らすようになってから、この一族に家塾があり、学校に多くの年若い子弟が通っていることを知り、たまたま「龍陽」の興(戦国時代、龍陽君が男色で魏王の寵愛を得たことから、男色を好むこと)が起き、このため勉強と偽って学校に行くも、しかし勉強は「三日坊主」(三日打魚両日晒網)で、無駄に「束脩」(そくしゅう。一束の干し肉で、教師への謝礼のこと)の贈り物を賈代儒に与えたが、少しも学問の進歩は無く、ただ何人か男色の相手の男子と契りを交わしただけであった。ところがなんとこの学校内の小学生は、薛蟠の銀や銭を得ようと、彼に騙されて手を出されること、いちいち記録するまでもなかった。またふたりの多情の小学生がいて、どの家の親戚かも分からず、未だ本当の氏名も考証されていないが、ただ生まれつき艶めかしくエロティックで、学校中でふたりにあだ名を付け、ひとりは「香怜」、ひとりは「玉愛」と呼ばれていた。他の人は羨ましい気持ちと、子供の心身の健全な成長に良くないとの思いがあったが、ただ薛蟠の権勢を恐れ、敢えて口を出そうとはしなかった。今秦鐘と宝玉のふたりが来て、このふたりを見ると、情がこまやかでお互い慕い合うのを免れなかったが、彼らが薛蟠と関係があるのを知ったので、軽々しく行動する勇気が無かった。 香怜と 玉愛のふたりの心の中では、宝玉と秦鐘の間の感情と同様の気持ちや愛情があった。このため四人の心の中には愛する気持ちがあったが、まだそれを表には出していなかった。毎日授業が始まると、四ヶ所に各々座ったが、それぞれ秋波を送ったり、婉曲に気持ちを伝えたり、桑を詠んで柳を寓したり(咏桑寓柳yǒng sāng yù liǔ。他のことにかこつけて情を伝える)して、互いに離れた場所から心を通じ合わせようとしたが、外面では人の目を避けるようにした。思いがけず、ただ何人かのずる賢い学生がその情況に気づき、背後から目くばせしたり、咳払いしたりしたが、それも一日だけのことではなかった。

 ちょうどこの日は代儒が用事があって帰宅し、一句の七言の対聯の宿題を残し、学生たちに解かせた。回答に正解した学生は、明日再び登校し、新しい課文の授業に出ることを許可した。学校の中のことは、いちばん年上の賈瑞に管理を命じた。うまい具合に薛蟠がこの頃はあまり学校に顔を出さなくなっていたので、このため秦鐘はこの機会に 香怜と示し合わせて、ふたりで偽ってトイレに行くと言って、裏庭に行って話をした。秦鐘が先に香怜に尋ねた。「お宅のおとなたちは、君が誰かと親しくするのを気にするの。」一言も言い終わらぬうちに、背後で咳払いをするのが聞こえ、ふたりが驚いて慌てて振り向くと、学友で名を金栄という者だった。香怜は元々せっかちで、恥ずかしがり屋でしかも怒りっぽく、金栄に尋ねて言った。「君、どうして咳なんかするの。僕たちが話をしてはいけないとでも言うの。」金栄は笑って言った。「おまえらが話をするのがよくて、どうしておれが咳をしちゃだめなんだ。おれはただおまえらに聞きたいことがある。話があるのにはっきり言わず、おまえらのように陰でこそこそと何するなんて許されるんか。おれ、捕まえてやってもいいぜ。まだ何か言いがかりをつけるんか。先ずおれにいい目をさせな。そしたらおれたち、一言も言わんから。そうでなきゃ、みんなにぶちまけるぞ。」秦鐘と香怜のふたりは焦って顔を真っ赤にし、そして言った。「君、何を捕まえるの。」金栄は笑って言った。「おれは今おまえらの現場を捕まえたぞ。」そう言いながら手を叩き、笑いながら大声で言った。「いい焼餅ができあがったぞ(「貼焼餅」で男の同性愛の性行為のこと)。みんな、ひとついらんかね。」秦鐘と香怜のふたりは腹を立てつつ大慌てで、急いで教室に入って賈瑞の前で金栄のことを告げ、金栄が故なく彼らふたりをいじめたと言った。

 元々この賈瑞は、何かいいことがないと何もしない性癖が強い男で、いつも学校の中で公用にことかけて自分の利益を求め、子弟たちをゆすって彼に奢らせた。後にまた薛蟠を助けて幾ばくかの銀銭や酒肉のおこぼれにあずかろうとし、薛蟠が権勢をたのんで横暴なふるまいをするのを許した。彼は薛蟠の行為を止めないばかりか、却って「紂(殷末の暴君、紂王)を助け虐を為す」(悪人を助け悪事を為す)者に迎合した。あいにく薛蟠の性格は浮草のように漂泊して定まらず、今日東を愛しても明日は西を愛すで、最近新しい恋人ができたので、香怜と 玉愛のふたりは一方に捨て置かれてしまっていた。金栄も曾ては恋人であったが、香怜と 玉愛のふたりができると、金栄を見捨ててしまった。最近は香怜と 玉愛も既に見捨てられた。それゆえ賈瑞もこれまで世話を受け金銭上の援助を受けた人を失ったが、薛蟠が新しい恋人を得て古い恋人を捨てるのは恨まないくせに、ただ香怜と 玉愛のふたりが、薛蟠が不在の傍らで世話を受けるのを恨んだ。このため賈瑞、金栄らこの件の関係者は、秦鐘と香怜のふたりにちょうど嫉妬しているところだった。今秦鐘と香怜のふたりが来て、金栄の告げ口をしたので、賈瑞は心中むしゃくしゃして、敢えて秦鐘をしかりつけるようなことはしなかったが、その代わり香怜を叱責し、彼が余計なことをすると、思い切り二言三言叱りつけた。香怜は逆に怒られたのでおもしろくなく、秦鐘までもばつが悪そうに各々自分の席に戻った。

 金栄は益々得意になり、肩を揺すり舌を鳴らし、口の中ではまたいろいろむだ口をたれたのが、あいにく玉愛に聞こえてしまい、ふたりは席を隔ててペチャペチャと口論を起こすことになった。金栄は断じてひとつの見方に固執して言った。「さっき、あいつらふたりが裏庭でキスしたり尻を撫でたりしてるのに出くわしたんだ。ふたりはもう相談がまとまり、お互いに相手のどこがいい、どこが悪いと痴話言(ちわごと)を言っていたんだ。」この時、金栄は口から思う存分あること無いこと言うのに夢中になっていたが、思いがけずこの場にまた別の人物がいて、あろうことか早くもその男の逆鱗に触れることとなった。さてその人物とは誰でありましょうか。

 実はこの男は名を賈薔(かしょう)と言い、寧国府の正嫡の玄孫(やしゃご)で、父母は早くに亡くなり、幼い時から賈珍と一緒に暮らし、今は16歳になり、賈蓉よりハンサムであった。彼ら兄弟ふたりはたいへん仲が良く、いつも起居を共にし、寧国府の中では様々なうわさ話が飛び交っていたが、中でも日ごろから不平不満を持つ召使たちが、専ら作り話をこしらえて主人を誹謗中傷するので、このためまたどこの小者が誹謗中傷やうわさ話をするか分かったものではなかった。賈珍はまた風の便りで賈薔に多少よくない評判を聞いており、自分でもそうした嫌疑を避けるべきだと思っていたので、今は遂に住まいを別にし、賈薔に命じて寧国府から出て行かせたので、賈薔は自分で独立した屋敷を構えて生活するようになった。この賈薔は外面が美男子であるだけでなく、心の内も聡明であった。志願して学校に通ったけれども、それはただ真相が他人の目に晒されるのを避けるためであったのに過ぎない。相変わらず闘鶏やドッグレースにうつつを抜かし、草花や樹木の鑑賞に精を出していた。上は賈珍に溺愛され、下は賈蓉が手助けしてくれるので、一族の中の者は皆敢えて彼の逆鱗に触れないようにしていた。彼は賈蓉と最もよく気が合ったが、今秦鐘がいじめられているのを見て、どうしてそのままにしておけようか。今自分が立ち上がって仇を取らないといけないと思い、心の中で段取りをつけた。「金栄、賈瑞らは皆薛叔父さんの知り合いで、わたしも薛叔父さんとは仲が良いが、もしわたしが出張ると、やつらは薛叔父さんに言いつけるだろうから、わたしたちの仲もひびが入らぬわけにはいかない。あまり関りたくないが、こんなうわさが広まると、皆恥ずかしいし面子も無い。今は計略を使ってあいつらを屈服させ、うわさの根を止めて、また面子を傷つけないようにすればいいじゃないか。」そう考えると、小便に行くふりをし、後ろの方に歩いて行くと、こっそり宝玉の学友の茗煙を呼んで自分の身辺に来させた。このようにしてから、賈薔が二言三言けしかけた。

 この茗煙は、宝玉にとって一番役に立ち且つ年若く無鉄砲な男で、今賈薔がこう言うのを聞いた。「金栄は薛叔父さんの寵愛をいいことに、このように秦鐘をいじめ、おまえたちの宝玉叔父さんにまで因縁をつけている。あいつに思い知らせてやらないと、次はもっと無礼なことをしでかすだろう。」この茗煙は正当な理由が無くても相手を威圧できる男で、今こうした知らせを聞き、しかも賈薔の助けがあるので、いきなり教室に乗り込んで金栄を捜すと、「金相公(旦那)」とも呼ばず、ただ「そこの金という奴、おまえは何様のつもりだ。」賈薔は遂に靴を蹴ると、わざと衣服を整え、太陽の影を見ながら言った。「ちょうど時間になった。」遂に先に賈瑞に「用事があるから一足先に行こう」と言った。賈瑞は敢えて賈薔を止めず、おとなしく彼に従い出て行った。

 ここで茗煙は入って来ると、金栄の首根っこを掴むと、尋ねた。「おれたち尻の穴にあれ突っ込んで、おまえの竿は役に立つんか(いらんことに口を出すな)。どのみちおまえのあれは役に立たんやろ。おまえみたいなチンピラ、よう出て来るなら、この茗煙様と勝負するか。」びっくりした教室中の子弟たちは皆、呆然としてそれを望んだ。賈瑞は慌てて怒鳴った。「茗煙、野蛮なことをしちゃだめだぞ。」金栄は怒りと恥ずかしさで顔から血の気が引き、言った。「やりやがったな。おまえみたいな小者がこんなことをしでかすからには、おれもおまえのご主人にもの申さんとな。」そう言うと、手を振り払い、宝玉を捕まえ殴ろうとした。秦鐘がちょうど身を翻した途端、頭の後ろの方でピュウッと音がしたと思うと、早くも硯が飛んで来るのが見えたが、誰が投げて来たのか分からなかったが、賈藍、賈菌の席にぶつかった。

 この賈藍、賈菌もまた栄国府の血の繋がりの近い直系のひ孫であった。この賈菌は幼くして父を失い、母親が可愛がることひとかたならず、教室の中では賈藍と最も仲が良く、それでふたりは一緒に席についていた。この賈菌は歳はまだ小さいが、見かけによらず気骨はたいへん大きく、極めて腕白で物怖じしなかった。彼は座席の上で、冷ややかに金栄の友人が暗に金栄を助け、硯を茗煙に向けて投げたのを見ていたが、間違えてそれが自分の目の前に落ち、焼き物の墨入れの壺が粉々に割れ、本全体に墨汁がはねてかかった。賈菌がどうして我慢しておれようか。すぐに罵った。「この死に損ないめ。おまえが先に手を出したんやからな。」そう罵ると、硯を掴んで投げつけようとした。賈藍はものの分かった人で、急いで硯を押さえると、なだめて言った。「いい子だから。僕たち、相手になっちゃだめだよ。」賈菌がどうして我慢しておれよう。硯が押さえつけられているのを見ると、両手で本箱を抱えると、硯を投げて来た方に向け放り投げた。その結果、まだ身体が小さく力も弱いので、相手のところまで届かず、却って宝玉と秦鐘の机の上に落ちた。ただガラガラと音がし、机の上に当たって砕け、本や紙、筆、硯などが机の上一杯に飛び散り、また宝玉の茶碗も割れてお茶がこぼれた。

 賈菌は飛び上がり、硯を投げて来た男を捕まえようとした。金栄はこの時無造作に一枚の孟宗竹でできた板を手に掴んだが、室内は狭く学生が多く、どこでこの長い板を振り回すことなどできよう。茗煙は既に先に手を出されたので、喚き散らした。「おまえら、まだ始めないんか。」宝玉には何人か小僧が付いていて、ひとりが掃紅、ひとりが鋤薬、ひとりが墨雨といい、この三人がどうして腕白でないことがあろう、一斉に喚き散らした。「このばいため。みんな、かかれ。」墨雨は遂に一本の門のかんぬきを両手で持つと、掃紅と鋤薬は共に手に馬の鞭を持ち、わっと跳びかかった。

 賈瑞は慌ててこちらを止めてはあちらをなだめたりしたが、誰が彼の言うことを聞くだろう。皆が好き勝手に手を出し、乱闘が起こった。多くの腕白小僧が太平拳(傍らで模様眺めしつつ、ここぞというタイミングで攻撃に出る拳法)で助太刀し、また臆病な者は一方に隠れ、また机の上に立って手をたたきながら笑いさざめき、叫び声を上げて攻撃をけしかける者もいた。教室内はたちまち沸き立った。


 外では何人かの年配の召使や李貴たちが学堂内部で衝突が発生したと聞いて、急いで入って来て一斉に制止したが、衝突の理由を尋ねても、皆違うことを言い、こちらではこう言っても、あちらではまた違うことを言った。李貴は且つ茗煙ら四人を一度ひどく叱りつけ、そこから追い出した。秦鐘の頭は早くも金栄の持った板にぶつけられ、頭の皮膚をすりむいたので、宝玉はすぐに上着の前おくみで秦鐘の傷を押さえ、大声で周りの人々に命令した。「李貴、本を片付けて。馬を牽いて来て。僕、老先生のところに行くから。僕たち、いじめられたんだ。他の人には怖くて言えないけど、ちゃんと礼節を守って瑞大叔父さんに言ったのに、瑞大叔父さんは却って僕たちが正しくないと言って、他の人たちが僕たちを罵るのを聞いて、おまけに皆をそそのかして僕たちを殴らせたんだ。茗煙は他人が僕をいじめるのを見たら、必ず僕のために動いてくれる。彼らは却ってグルになって茗煙を殴り、秦鐘まで頭を殴られて傷を負ったんだ。まだこんなところで勉強ができるか。」 李貴は諫めて言った。「兄さん、そんなに慌てて決めないで。老先生は用事があって家に帰られたのに、今こんな些細なことで先生のお宅を騒がすのは、却ってわたしたちの方が礼を失しているように思えます。わたしの考えでは、問題が起こったらその当事者で解決すべきで、老先生のお宅をお騒がせするべきではありません。これは皆瑞旦那様が悪いんで、老先生はここにおられなかったのです。あなた様はこの学校のリーダーであらせられ、皆があなたのふるまいを見ています。学生たちの中に、間違ったことをする者がおり、殴らなきゃいけない者は殴り、罰しないといけない者は罰して、どうして騒ぎがこのような無茶苦茶な状態にまでなっても、まだ何の措置も取らないのですか。」賈瑞が言った。「わたしは大声で叫んだのだが、誰も聞いてくれんのだ。」李貴が言った。「あなたはお怒りになるかもしれないが、やはり言っておかないといけませんな。普段あなたがいくらか正しくないことをされているから、これらの兄弟たちがあなたの言うことを聞かないのです。騒ぎが老先生の目の前で起こったら、あなた様も逃げられませんぞ。やはり早くしっかりしたお考えを持って解決(撕擄sī lǔ)なさいませ。」宝玉は言った。「何を奪う(「撕擄」の別の意味)って。僕、家に帰らなきゃ。」秦鐘は泣きながら言った。「金栄がここにいるなら、僕は家に帰る。」宝玉は言った。「これはどういうこと。どうして他の人は来れるのに、僕たちはここに来れないの。僕からみんなに事情を説明して、金栄をここから追い出すよ。」また李貴に尋ねた。「この金栄はどちらの家の親戚なの。」李貴はしばらく考えてから、言った。「やはり尋ねる必要はございますまい。もしどちらのお家のご親戚だと言ってしまうと、なおさら兄弟がたの仲を傷つけてしまいますから。」

 茗煙が窓の外で言った。「あいつは東府(寧国府)の璜様の奥さんの甥で、何か強い後ろ盾があるみたいで、おれたちを脅しに来たんだ。璜様の奥さんはあいつのおばさんだ。あのおばさんときたら、何か頼みがあるとひたすら相手にまとわりつくんだ。うちの賈璉様の奥さん(王熙鳳)の前に跪いて質草を借りたし、おれの目にはあんな権勢にへつらい取り入る婆さんなんて見下げてしまうよ。」李貴は慌てて怒鳴りつけた。「あいにくおまえのような早耳に知られてしまうとは。この下衆(げす)め。」宝玉は冷ややかに笑って言った。「僕は誰かさんの親戚であるに過ぎない。実は璜の奥さんの甥であったとは。それなら僕、璜の奥さんに聞きに行くとしよう。」そう言うと、璜の奥さんのところへ行こうとし、茗煙に入って来させ、本を包ませた。茗煙が入って来て本を包むと、また得意満々として言った。「旦那様が自ら会いに行かれるまでもないですよ。後でわたしがあの奥さんに会いに行って、お婆様がおまえに聞きたいことがあると言って、車を一台雇って行かせて、お婆様からあの奥さんに尋ねてもらえば、手間が省けるんじゃないですか。」李貴が慌てて大声を上げた。「おまえ、死にたいんか。おまえがまたこのような騒ぎを起こしたら、帰ってからどのみちおまえを殴らにゃならんな。それから旦那様や奥様にご報告して、宝兄さまは全ておまえにそそのかされてやったことですと申し上げる。おれがここでなんとかなだめすかして、半ば解決させたのに、おまえがまた出しゃばって、新たな火種を起こすんか。おまえが学堂を騒がせたんだから、言うまでもなく、改心して騒ぎを鎮めるのが正しいのに、また火種を持ち込むんか。」茗煙はそれを聞いて、ようやくおとなしくなった。

 この時、賈瑞も疑惑の種が出て来ることをひどく恐れていた。自分の身も必ずしも潔癖ではないので、適当に折り合いをつけて、秦鐘にお願いし、また宝玉にお願いするしかなかった。最初彼らふたりは首を縦に振らず、後で宝玉が言った。「帰らなくてもいいよ。ただ金栄にだけは謝ってもらわないと、具合が悪いよ。」金栄は最初は同意しなかったが、後に賈瑞もやって来て金栄に非を認め謝るよう迫ったので、李貴らは金栄を強く諫めるしかなく、こう言った。「元々おまえが最初に手を出したからで、おまえがそうしなかったら、こんな騒ぎにならなかったろう。」金栄は強く迫られたので、秦鐘に「作揖」(両手を組み合わせ高く挙げ、上半身を曲げる)の礼をし、宝玉はまだ勘弁していなかったが、「磕頭」(額を地につけ拝礼する)の礼をしなければならなかった。賈瑞はとりあえずこの件が解決しさえすれば良かったので、またこっそり金栄を諫めて言った。「俗にも言うだろ。「一時の義憤を堪(こら)えれば、一生の悩み煩いを避けれる」(忍得一時忿、終身無悩悶)とね。」金栄がその諫めに従ったかどうかは、次回に説き明かします。

 結局、賈家の家塾の騒動は、金栄のいじめが原因とされ、金栄が非を認めて謝るということで一件落着となりましたが、金栄はその後どうなったのでしょうか。第十回をお楽しみに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『紅楼夢』第八回

2025年02月20日 | 紅楼夢
 秦可卿の弟の秦鐘と仲良くなり、ふたりで一緒に賈家の家塾に通う約束をした賈宝玉。第八回では、薛宝釵の病気見舞いに行った宝玉が、自分が口に銜えて生まれてきた石に刻まれた文字と、宝釵のつけている金のネックレスに刻まれた文字が対句になっていることが分かります。さて、話はどう展開していくのでしょうか。『紅楼夢』第八回のはじまりです。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

賈宝玉は奇縁にて金鎖を識り、
薛宝釵は巧合(たまたま)通霊を認める

 さて、宝玉と鳳姐は家に帰り、何人かの人に会ったが、宝玉は賈のお婆様に、秦鐘を家塾に入れてあげる約束をしたことを報告し、自分も一緒に勉強する友になり、ちょうど勉強に発奮できる。また秦鐘の人柄や振舞いをたいへん称賛し、たいへん好ましい人物だと言った。鳳姐もその横から助け船を出して言った。「日を改めて秦鐘にはまた、お婆様にお目にかかりに来させますわ。」そう言ったので、賈のお婆様は嬉しく思った。鳳姐はまたこの機に乗じて賈のお婆様に一緒に芝居を見に行こうと誘った。賈のお婆様は年齢はいっているが、たいへん芝居好きであった。後日、尤氏が来て誘ったので、遂に王夫人、黛玉、宝玉らを連れ、芝居見物に行った。昼になって、賈のお婆様は家に戻って休憩した。王夫人は元々静かなところに居るのが好きなので、賈のお婆様がお帰りになるのを見て、一緒に帰って来た。その後は、鳳姐が主賓の席に座り、そのまま夜まで芝居見物を楽しんだ。

 さて宝玉は賈のお婆様を送って家に戻り、賈のお婆様が休んでお昼寝をされるのを待って、また戻って芝居を見るつもりだったが、秦氏らの人の手を煩わすのを恐れ、また宝釵が最近家で病気療養しているのを思い出し、まだお見舞いに行っていないので、宝釵の顔を見に行こうと思った。もし母屋の裏口から出て行くと、他の事で邪魔される恐れがあり、また父親の賈政に出逢うと、更に都合が悪いので、むしろ遠回りをして行った方がよいと思った。この時、乳母や女中たちが宝玉に着替えさせようと控えていたが、宝玉は着替えをせず、そのまま門を出て行った。乳母や女中たちは宝玉に付いて出て来て、宝玉があちらのお屋敷で芝居を見るものとばかり思っていたが、あろうことか穿堂のところまで来ると、東北の方へ向け広間の後ろを回って行った。するとたまたま向こうから賈政の下で居候している食客の詹光、単聘仁のふたりがやって来るのに出くわし、宝玉を一目見ると、急いで近づいて来て、笑いながら、ひとりは腰を抱き抱え、ひとりは手を差し出しながら言った。「これはこれは、お坊ちゃま。良い夢を見たと言っていたら、なんとあなたにお目にかかることができました。」そう言いながら、またぶつぶつとしばらく言ってから、ようやく行こうとした。年配の乳母が呼び止め、尋ねた。「あんたたちふたりは、旦那様のところに行ったのかい。」ふたりは頷いて言った。「そうです。」また笑って言った。「旦那様は夢坡斎の書斎の中でお昼寝されていますので、お邪魔をされませんように。」そう言いながら、行ってしまった。それを聞いて、宝玉もにっこり笑った。そして向きを変えて北に向かい、梨香院へ行った。ちょうど、蔵の管理の責任者の呉新登と、蔵の頭(かしら)で戴良という名の者が、何人かの執事の頭目と一緒に、全部で七人が、帳場から出て来た。一目宝玉を見ると、急いで一斉に両手を垂らして立ち、うやうやしく控えた。その中のひとりの買辦(ここでは、宮廷内で使う物品を納入する商人)で、名を銭華というのが、しばらく宝玉に会っていなかったので、急いでやって来て、身体を屈めて礼をすると、宝玉は微笑みながら手を伸ばして彼を立ち上がらせた。周りの人々は皆笑って言った。「この間、あるところで若様が書かれた斗方(四角の赤い紙に書や文字を書いたもの)をお見受けしましたが、益々お上手になられて。いずれ、わたしたちのところにも何枚か貼っていただき、眺めたいものです。」宝玉は笑って言った。「どこで見たの。」皆が言った「あちこちにありますよ。皆、すばらしいと褒めていて、わたしたちにも問い合わせがありますよ。」宝玉は笑って言った。「そんな大層なものじゃないよ。おまえたち、僕付きの小者に言ってもらえば、準備させるよ。」そう言いながら、前へ進んだ。人々は宝玉が行ってしまうのを待って、それぞれ分かれて行った。

 閑話休題、さて宝玉は梨香院に到り、先ず薛叔母さん(薛姨媽)の部屋に行くと、薛叔母さんが女中たちと一緒に針仕事をしていた。宝玉が急いで挨拶をすると、薛叔母さんは急いで宝玉を抱きしめ、胸の中に抱きかかえながら笑って言った。「こんな寒い日に、坊や。来るとは思っていなかったわ。早くオンドルにお座りになって。」人に命じて「熱々のお茶を淹れて来て。」宝玉はそれで尋ねた。「兄さんは家におられますか。」薛叔母さんはため息をついて言った。「あの子はまるで轡(くつわ)の外れた馬で、何の束縛も受けず、毎日勝手にほっつき歩いてるわ。どうして一日家にいるものかね。」宝玉は言った。「姉さんの具合はどうですか。」薛叔母さんは言った。「それがね。あんた、前に人を遣ってあの子の様子を見てくれただろ。あの子は中にいるんじゃないかね、あんた見てみておくれ。あの子はあちらに居る方がこちらより楽だったんじゃないかね。あんた、中で座っていて、わたしもここを片付けたら、中に入って話をするから。」

 宝玉はそう聞くと、急いでオンドルを降り、奥の部屋の入口の前に来ると、お古の赤い繻子の柔らかい帷(とばり)が掛けれれていた。宝玉が帷をめくり上げて中に入ると、最初に宝釵がオンドルの上に座って裁縫をしているのが眼に入った。頭には黒くつやつやした髷(まげ)を結び、黄色味を帯びた白色(蜜合色)の綿入れの上着、玫瑰紫の生地に金糸銀糸で紋様を縫い込んだチョッキ、浅い黄色の綾衣のスカートを身に着けていた。どれも新品ではないが古くはなく、見たところ贅沢ではないが、ただ上品に感じられた。言葉数が少なく、他人は彼女がわざと愚鈍を装っていると言う。自らの本分を守るも世俗に順応し、自らは「出しゃばらず分に安んじる」と言う。

 宝玉は宝釵の様子を見ながら、尋ねた。「姉さん、具合は良くなられたの。」宝釵は首を上げて宝玉が入って来るのを見ると、急いで身体を起こし、笑みを浮かべて答えて言った。「もう随分良いのよ。お心遣いいただき、ありがとう。」そう言いながら、宝玉をオンドルの端に座らせ、鶯兒に「お茶を淹れてきてちょうだい」と命じた。一方でまた、お婆様や叔母様はお元気か、女兄弟たちはお元気か、尋ねた。また一方、見ると宝玉は頭に金糸で編み、宝石を象嵌した冠を被り、額には二匹の龍が珠を捧げ持つ図柄の鉢巻を締め、身体には淡いオリーブ色の生地に蟒蛇(うわばみ)の図柄が描かれた白狐の腋の毛で作られた筒袖の上着を着、五色の蝶々の柄が縫われたベルトを締め、首には長命鎖(南京錠の形のペンダントを付けた首飾りで、子供の長寿を願うお守り)、記名符(子供が無事育つよう祈るお札)を掛け、これ以外に例の生まれた時に銜えていた宝玉を身に着けていた。宝釵はそれを見て、笑って言った。「いつも、あなたのその玉を、まだじっくりと鑑賞したことがないわね、と言っていたのよ。今日はちょっと見せてちょうだい。」宝釵はそう言って、宝玉に近づいた。宝玉もまたそれに応え、玉を首からはずして、宝釵に手渡した。宝釵はそれを手のひらに載せて見ると、雀の卵くらいの大きさで、夕焼け雲のように明るく輝き、バターのようにしっとりつやつやし、五色の模様がまとわりついていた。

 読者の皆さんは既にご存じの通り、これは大荒山中青埂峰下のあの石ころの幻相(まぼろし)であり、後の人が詩で嘲(あざけ)って言った。

  女媧氏が煉った石は已に荒唐、また荒唐に向け大荒を演ず。
  本来の真の面目を失い、幻は新たに臭き皮嚢に就く。
  好く知る運命の衰敗し金も彩無きを、嘆くに堪ゆ時運に乖(そむ)き玉も光(ひか)らず。
  白骨は山の如く姓氏を忘る(死んだ者はもはや誰とも分からぬが)、公子、紅粧(美しく化粧した公女)に非ざるは無し。

 かの石ころはまた曾てこの幻相を記録し、またしらくも頭の坊さんが篆文を刻んだのだが、今また後ろの図絵のようになっていたが、真にたいへん小さなもので、やっと胎内から小さな子供が口に銜えて出てきたもので、今もしその様式で描き出しても、恐らく文字の筆跡があまりに微細であるため、見る者の眼光を損ね、また煩わしいので、多少拡大して示すことで、灯火の下で酒に酔っていても見れるようにした。今このいきさつを注釈するすることで、はじめて胎内から子供が口に、どうしてこんなかさばって重いものを銜えて出てくることができたのかという思いは消すことができるだろう。


 宝釵は見終わると、またもう一度おもてにひっくり返して子細に見て、口の中で唱えて言った。「莫失莫忘(失う莫れ忘るる莫れ)、仙寿恒昌。」二度唱えると、振り返って鶯兒の方を向いて笑って言った。「あなた、茶を淹れに行かないで、ここでぼおっとしてどうしたの。」鶯兒もにこにこ笑って言った。「わたしこのふたつの文句を聞いて、ちょうどお嬢さんのネックレスの上のふたつの文句と一対になっているように思えたのですが。」宝玉はそう聞くと、急いで笑って言った。「なんと姉さんのネックレスの上にも文字があったの。僕にも見せて見せて。」宝釵は言った。「あの子の話を真に受けないで。字なんて書かれていないから。」宝玉は頼み込んで言った。「姉さんお願い、どうか僕に見せてちょうだい。」宝釵は宝玉があまりにしつこいので、こう言った。「これも人がくれた二句の縁起の良いことばで、彫ってあるの。だから毎日着けているのよ。そうでないとこんな重たいもの、好んで着けたりしないわ。」そう言いながら、ホックをはずし、中の赤い上着の上から、その真珠や宝石がきらきら輝き、黄金がきらびやかに輝く瓔珞(ようらく。珠玉や貴金属に糸を通して作った装身具で、首に掛ける)を掴み取った。宝玉が急いで鎖を手のひらに載せて見てみると、果たして一面に四つの文字、両面で八つの文字で、合わせて二句の吉祥の予言であった。またその様式通りに外観を以下に描く。


不離不棄、芳齢永継

宝玉はそれを見て、二回唱え、また自分のものも二回唱え、それで笑って尋ねた。「姉さん、この八文字はやはり僕のと対になってる。」鶯兒が笑って言った。「これはしらくも頭の坊さんがくれたもので、あの人は必ず金の器の上に彫らないといけないって言われてました。」宝釵は鶯兒が言い終わるのを待たずに、茶を淹れに行かないのを怒り、一方でまた宝玉にこの玉がどこから来たのか尋ねた。

 宝玉はこの時、宝釵と肩を寄り添い座っていたが、ふとひとしきり香りが漂ったが、何の香りか分からなかったので、尋ねた。「姉さん、これ何の香りなの。僕、こんな香り嗅いだことがないよ。」宝釵が言った。「わたし、燻した香りが一番苦手なの。すばらしい衣裳なのに、どうしてそれを燻すの。」宝玉は言った。「それだったらこれは何の香りなの。」宝釵はちょっと考えていたが、言った。「そうだ、これはわたしが朝飲んだ冷香丸の香りだわ。」宝玉は笑って言った。「どこの「冷香丸」がこんな良い香りがするの。姉さん、お願いだから、僕に一錠試させて。」宝釵は笑って言った。「また無茶言って。薬まででたらめに食べるのかい。」

 それから一言も発せられないうち、ふと外の人の声が聞こえた。「林お嬢様が来られました。」声がまだ終わらぬうち、黛玉がもうよろよろとした歩調で入って来たが、宝玉を一目見ると、笑って言った。「あらまあ、わたし悪いタイミングで来たわね。」宝玉らは急いで立ち上がり、黛玉を座らせると、宝釵は笑って言った。「それってどういうこと。」黛玉は言った。「この人が来ていると知っていたら、わたし来なかったわ。」宝釵は言った。「それどういうこと。」黛玉は言った。「どういうことかって。来るんだったら一緒に来るし、来ないんだったら誰も来ないわ。今日は宝玉が来て、明日はわたしが来る。時間をずらしたら、毎日誰かが来ることになるんじゃない。冷遇され過ぎる訳でもないし、にぎやか過ぎる訳でもない。姉さん、何か理解できないことがあって。」

 宝玉は黛玉が上着の上に真っ赤な羽毛の前身ごろ(衣服の胸前の部分)が真ん中で割れた外套を羽織っていたので、尋ねた。「雪が降っていたの。」女中たちが言った。「この半日、降っていました。」宝玉は言った。「僕の外套を取って来て。」黛玉は笑って言った。「ほら、そうでしょ。わたしが来たら、宝玉は帰らないといけないんだから。」宝玉は言った。「僕がいつ帰るって言った。準備しておくだけだよ。」宝玉の乳母の李ばあやが言った。「外はまだ雪が降るかもしれないので、時間を見ないといけませんから、ここで姉さんや妹と一緒に遊んでいてくださいまし。薛の叔母様のところでお茶請けの準備をされていますよ。わたしが女中に言って外套を取りに遣りますから、小者たちには帰るように言いましょうか。」宝玉は頷いた。李ばあやは外に出て、小者たちに、「みんな、帰っていいよ」と命じた。

 こちらでは薛叔母さんがいくつか手の込んだお茶請けを準備し、宝玉たちに茶を飲み菓子を食べさせた。宝玉は先日東府(寧国府)で賈珍の奥さんのガチョウの水掻きが美味しかったと褒めていたので、薛叔母さんは急いで自分が酒に漬けたものを取って来て、宝玉に味見させた。宝玉は笑って言った。「こいつは酒と一緒に食べたら美味しいよ。」薛叔母さんは人に命じて上等な酒を淹れさせた。李ばあやがやって来て言った。「奥様、酒はもう注がないで。」宝玉は笑って懇願して言った。「ばあや、後生だから、僕に一杯だけ飲ませて。」李ばあやは言った。「この役立たず。大奥様や奥様の前だったら、たとえ酒を一甕飲んだって構わないさ。いつだったか、わたしがちょっと眼を離した隙に、誰がうちのきまりを理解していなかったのか知らないが、ただあんたの歓心を惹きたいがために、あんたに酒をひと口飲ませて、おかげであたしゃ二日も罵られたんだから。薛叔母さん。あんたはこの子の性質をご存じないんだ。酒を飲むと大暴れするのよ。そのうち、大奥様がご機嫌な時に好きなだけ飲ませたら、次からもう二度と飲ませてもらえなくなるわよ。わざわざあたしに要らぬ面倒をかけないでくれない。」 薛叔母さんは笑って言った。「老いぼれ。安心して自分の分だけ飲んだらいいわよ。わたしもこの子に余り飲ませないから。奥さん、あんたに言っとくけど、わたしがいるから大丈夫よ。」一方で女中に命じて、「さあ、皆さんがたにも一献さしあげて、寒さをしのいでください。」かの李ばあやはこのように言われると、周りの人たちと一緒に酒を飲むしかなかった。

 ここで宝玉はまた言った。「燗をしなくていいよ、僕は冷やで飲むのが好きだから。」薛叔母さんが言った。「それはだめよ。冷たい酒を飲むと、字を書く時に手が震えるわよ。」宝釵が笑って言った。「宝兄さん、あなたは毎日家でいろんな雑学を学んだおかげで、まさか酒の性質は最もものを温めるから、熱くして飲むと、発散が速くなる。冷たいまま飲むと、体内で凝結され、五臓に持って行ってこれを温めてやらないといけないから、身体を傷めるという道理を知らないってことはないわね。この説はまだ改められていないわ。もうそんな冷たいもの、飲んじゃだめ。」宝玉はこの話を聞いて道理だと思い、冷や酒を下に置くと、人に命じて燗をさせてから飲んだ。

 黛玉は瓜子(ヒマワリやスイカの種を炒ったもの)を歯先で割って食べていたが、ただ口をすぼめて笑って見ていた。ちょうど黛玉の小間使いの雪雁がやって来て、黛玉に手あぶりの小炉を手渡した。黛玉はそれで笑みを浮かべて雪雁に尋ねた。「誰がおまえに持って来させたの。心配させちゃったわね。あっちでは、わたしが凍え死んでいるんじゃないかって。」黛玉は受け取ると、胸の中に抱いて、笑って言った。「またあなたに要らない話を聞かせてしまったわ。わたしが普段あなたに言っていることは、いつも馬耳東風なんだから。どうしてあの人の言うことには、天子様の命令のように従うの。」宝玉はこの話を聞いて、黛玉がこの場を借りて皮肉を言っていると知り、返すことばも無く、ただにこにこ笑っていただけだった。宝釵はもともと黛玉にこんなことを言う習慣があると知っていたので、相手をしなかった。薛叔母さんはそれで笑って言った。「あなたはもともと身体が弱いから、寒さに耐えられないと、皆があなたのことを気にかけてくれるのを、戸惑っているのね。」黛玉は笑って言った。「叔母様はご存じないの。幸い叔母様はここに住んでおられるけど、もし他所の家におられてこんなことがあったら、相手が困られるでしょう。どうしてその家には手あぶりも無いからって、急いで家から届けさせるようなことをするでしょう。女中たちがあまりに細かいことを気にしすぎるとは言いませんが、わたしが平素軽はずみで傲慢だと思われるかもしれませんわね。」薛叔母さんは言った。「あなた、考え過ぎよ。そんなこと考えて。わたしはそんなふうに思ってはいませんよ。」

 話している間に、宝玉はもう酒を三杯飲んでしまった。李ばあやがまた近寄り、飲むのを止めさせようとした。宝玉はちょうど酒に酔って気持ちよくなっている時だったので、また周りの女性たちと談笑し、どうして酒をすすんで止めるだろうか。ただへりくだり懇願して言った。「ばあや、お願い。あと二杯飲んだら止めるから。」李ばあやは言った。「坊ちゃん、今日は旦那様がご在宅ですからね。坊ちゃんのお勉強のことを細かく尋ねられますよ。」

 宝玉はこの話を聞いて、心中あまり愉快でなく、ゆっくりと酒を置くと、首を下に垂れた。黛玉は急いで言った。「皆をしらけさせないで。叔父様に呼ばれたら、叔母様に引き留められたと言えばいいわ。この叔母さんったら、わたしたちをからかっているだけよ。」一方ではこっそり宝玉をけしかけ、宝玉をいこじにさせ、一方ではぶつぶつ独り言をつぶやいた。「あんなポンコツの言うことなんか気にしない。わたしたちは自分たちが楽しむことだけ考えよう。」かの李ばあやも素より黛玉の人となりを知っているので、こう言った。「林お嬢様、宝玉様を助けるようなことを言わないでください。あなたがお諫めすれば、宝玉様も少しは聞いていただけると思います。」黛玉は冷ややかに笑って言った。「わたしがどうしてこの方を助けるの。わたしもこの方を諫めるに値しませんわ。この叔母様は用心深過ぎるわ。いつもお婆様もこの方にお酒をお出しになるから、今晩薛叔母様のところでちょっと飲み過ぎたからといって、特に問題はないと思います。きっと薛叔母様のところは赤の他人だから、ここで酒を飲んではいけないということかもしれないわね。」李ばあやはそれを聞いて、急いで、また笑って言った。「本当にこの林お嬢様というお方は、おっしゃる一言が、ナイフより鋭いんですね。」宝釵も我慢できず笑いながら、黛玉の頬っぺたをちょっとつねって言った。「本当に、この眉を顰めたお嬢ちゃんのお口から出ることばは、人に嫌われるでもなく、好かれるでもないわね。」

 薛叔母さんは一方で笑いながら、またこう言った。「びくびくしないで、子供たち。こちらに来て、悪いものを食べさせられるんじゃないかと、ちょっとした心配でもあるように感じられるなら、わたしは不安です。安心して食べていただいたら、責任は全てわたしが取ります。さあ、晩御飯を食べましょう。酔っぱらったら、わたしと一緒に寝ましょう。」そして命じた。「もっとお酒を燗して来てちょうだい。薛叔母さんが一緒に飲みますよ。ご飯も食べてちょうだい。」宝玉はそれを聞いて、ようやくまた気持ちが掻き立てられた。李ばあやはそれで女中に言いつけた。「あんたたち、ここで気を付けていてちょうだい。わたしは家に帰って着替えてまた来るから。」そっと薛叔母さんに挨拶して言った。「薛叔母様、宝玉様にあまり酒を飲ませないでください。」そう言って、家に帰った。

 ここにはまだ二三の年寄りの女中が残っていたが、皆このお話の筋とはあまり関係が無い。李ばあやが帰ったので、彼女たちもそっと自分の用を済ましに行った。ふたりの子供の女中が残り、宝玉の歓心を惹こうとした。幸い、薛叔母さんが精一杯なだめて、宝玉に何杯か酒を飲ませると、急いで酒を片付けさせた。酸笋鶏皮湯(タケノコの漬物と鶏皮のスープ)が出ると、宝玉は何杯か痛飲し、またお茶碗半分余り碧粳粥(碧粳米(河北省玉田県で取れる青みを帯びたうるち米)で作ったお粥)を食べ、しばらくして宝釵、黛玉のふたりも食事を終え、濃いお茶を何杯か飲んだ。薛叔母さんはようやく安心した。雪雁ら数人も、食事をして部屋に入って来てかしずいた。黛玉はそれで宝玉に尋ねた。「もう帰りませんか。」宝玉はうとうと眠気がさしてきて、眼を細めて言った。「君が帰るなら、僕も一緒に帰るよ。」黛玉はそれを聞くと、立ち上がって言った。「わたしたち、今日一日おじゃましましたが、もう帰らないと。」そう言うと、ふたりは暇乞いをした。

 子供の召使たちが急いで笠を捧げ持って来たので、宝玉は頭を少し下に下げ、笠を被せさせると、その召使はこの真っ赤なフェルトの笠をちょっと払った。それでようやく宝玉の頭の上に乗ったのだが、宝玉は言った。「もういい、もういい、このへたくそ。もうちょっとやさしく。まさか他の人が被るのを見たことがないの。僕、自分で被るよ。」黛玉がオンドルの縁の上に立って言った。「こっちに来て。わたしが被せてあげる。」宝玉は急いで近づいた。黛玉は手で軽く髪の毛を束ねた冠を覆うと、笠の縁を額の鉢巻の上に固定し、その胡桃の大きさの赤い綿の髪留めを支えて、ゆさゆさ揺すぶって笠の外に露出させた。頭の上を整え終わると、しばしよく確認してから、言った。「いいわ、マントを被って。」宝玉はそれを聞くと、ようやくマントを受け取って被った。薛叔母さんは急いで言った。「あなたがたの乳母の叔母さんたちがまだ戻って来られていないわ。ちょっと待ってなさい。」宝玉は言った。「僕たち、どうして叔母さんたちを待っていないといけないの。召使たちがお伴してくれればいいよ。」薛叔母さんは心配なので、ふたりの女中に言いつけ、この兄弟たちを送って行かせた。

 ふたりはお礼を言って、まっすぐ賈のお婆様の部屋に帰った。賈のお婆様はまだ晩御飯を食べていなかったが、薛叔母さんのところから帰って来たと知り、一層嬉しくなった。宝玉が酒を飲んで来たのを見て、宝玉を部屋に戻って休ませ、再び出て来るのを許さなかった。また召使たちにちゃんと世話をするよう言いつけた。ふと宝玉に付いて行った者のことを思い出し、皆に尋ねた。「乳母の李ばあやはどうしていないの。」周りの人々は直接李ばあやが家に帰ったと言う勇気がなかったので、ただこう言った。「戻って来たところで、用事を思い出して、また出て行ったのでしょう。」宝玉は千鳥足で歩きながら、振り返って言った。「李ばあやはお婆様よりもっと役に立ちますよ。あの人に何を聞くの。あの人がいなかったら、おそらく僕はもう二日長く生きていられますよ。」そう言いながら、自分の寝室に戻った。見ると筆と墨が机の上に置かれていた。晴雯(せいぶん)が先ず出迎え、笑って言った。「ごきげんよう。わたしに墨を磨らせて、今朝ご機嫌で、三つ文字を書かれ、筆を投げ捨てて出て行かれ、わたしに言いつけられたので、今日一日ずっと待っていました。早くわたしにこの墨で書き終えていただけば、仕舞えるんですが。」宝玉はようやく今朝の出来事を思い出し、それで笑って言った。「僕が書いた三つの文字って、どこにあるの。」晴雯は笑って言った。「この方は酔っぱらっているのね。あなたは前もってお屋敷の方に行って、門斗(部屋の門の外に設けた風除けの小部屋)の上に貼るよう言いつけられました。わたしは他人に頼むと貼り損なう恐れがあるので、自分で上まで登って、しばらく貼っていて、それで手がかじかんで動かなくなったんですよ。」宝玉は笑って言った。「忘れていたよ。おまえの手が冷えたんなら、僕が代わりに握ってあげる。」そう言って手を伸ばし、晴雯の手を引き、一緒に 門斗の上に新たに書いた三つの文字を見た。

 しばらくして黛玉が来たので、宝玉は笑って言った。「いい娘だから、嘘を言っちゃあだめだよ。見て、この三つの字でどの字がいいかな。」黛玉が首を上げ見えたのは「絳芸軒」(こううんけん)の三文字であったが、笑って言った。「一字一字皆いいわ。どう書いたらこんな良い文字が書けるの。明日は代わりに扁額を揮毫してもらおうかしら。」宝玉は笑って言った。「君、また僕によいしょするんだから。」そう言ってまた尋ねた。「襲人(しゅうじん)姉さんはどうしたの。」晴雯は部屋の中のオンドルの方に向けて口を突き出して示した。宝玉が部屋の中を見てみると、襲人が服を着たまま眠っていた。宝玉は笑って言った。「分かったよ。こんなに早く寝ちゃったんだ。」また晴雯に尋ねて言った。「今日僕があちらで朝食を食べた時、一皿豆腐皮(湯葉)の包子(饅頭)があったんだ。僕はおまえが好きだろうと思ったんで、珍叔父さんの叔母さん(珍大奶奶。尤氏のこと)に、僕が今晩食べたいから、誰かに届けさせてほしいと言ったんだ。おまえ、見なかったかい。」晴雯は言った。「もうそんなことおっしゃらないで。届けられるとすぐ、これはわたしにだなと分かりましたが、ちょうど食事を食べたばかりだったので、そこに置いておきました。その後、乳母の李ばあやが来てそれを見つけ、こう言われました。「宝玉坊ちゃんはお食べにはならないだろうから、持って帰って自分の孫に食べさせよう。」そう言って、人に言って家に届けさせていました。」ちょうどそう言っていると、茜雪(せんせつ)が茶を捧げ持って来たので、宝玉はまた「林ちゃん、お茶をお飲み。」と勧めた。周りの人々は笑って言った。「林お嬢様はとっくに行かれましたよ。まだお勧めするんですか。」


 宝玉はお茶を茶碗に半分飲むと、ふとまた今朝飲んだ茶のことを思い出し、茜雪に尋ねて言った。「朝起きた時に楓露茶を淹れてくれたけど、僕はあのお茶は三四回目でようやく色が出ると思うんだけど、今回どうしてまたこのお茶を淹れたの。」 茜雪は言った。「実は残しておいたのを持ってきました。あの時、李ばあやが来られて、飲んで行かれたんです。」宝玉はそう聞くと、手の中に持っていた茶碗をそのまま地面に投げつけると、ガチャンと音がして、粉々に壊れ、茶が茜雪のスカートにかかった。宝玉はまた跳びかかるように茜雪に尋ねて言った。「李ばあやはおまえたちと一緒に仕えてくれている乳母だけど、おまえたちはあの人をそんなに敬っているのかい。僕が小さい時に何日かあの人のおっぱいを吸っただけなのに、今やご先祖様より大きな顔をしやがって、追い出してやったら皆せいせいするよ。」そう言うとすぐに賈のお婆様のところへ戻ろうとした。

 元々 襲人は寝ていなかったが、わざと眠ったふりをし、宝玉をからかおうとしていた。先ず字のことを言ったり包子のことを尋ねたりで、起き出さなくても良かった。その後宝玉が茶碗を投げつけ、怒り出したので、急いで起き上がってなだめに行った。早くも、賈のお婆様のところの人が来て尋ねた。「どうされたのですか。」襲人は急いで言った。「わたしが今さっきお茶を淹れたのですが、雪で滑って転んでしまい、うっかり茶碗を落としてしまいました。」一方ではまた宝玉をなだめて言った。「あなたが本心からあの人を追い出されたいなら、それも結構ですが、それならわたしたちも皆お暇(いとま)をいただきたく存じます。それでも、この場の勢いで皆が一斉に追い出されるよりましですし、あなたももっと良い召使が来て、あなたのお世話をしてくれないと悩む必要もないですよ。」宝玉はそう聞くと、ようやく何も言わなくなった。 襲人らは宝玉に手を貸してオンドルの上に連れて行き、服を脱がせた。宝玉は口の中でまだ何か言おうとしていたようであったが、ろれつが回らなくなり、意識が益々朦朧としてきたので、急いで宝玉を介抱して寝かせてやった。襲人はあの「通霊宝玉」をはずして、ハンカチでちゃんと包むと、敷布団の下に押し込み、翌日宝玉がこれを身に着け、首を冷やすことのないようにした。かの宝玉は頭を枕にして眠りについた。この時乳母の李叔母さんらは既に部屋に入って来ていたが、宝玉が酔っぱらっていると聞いていたので、敢えて前には出て来ず、ただそっと彼の寝息を聞いて、ようやく安心して家に帰った。

 翌日目覚めると、取り次ぎの者がこう申し上げた。「あちらの蓉旦那様が秦鐘様をお連れになり、ご挨拶にお見えです。」宝玉は急いで出迎えに行き、秦鐘を連れて賈のお婆様にお目にかかった。賈のお婆様は秦鐘の容貌が美しく、ふるまいがやさしく、宝玉の勉強のお伴に堪え得ると思ったので、心の中ではたいへん嬉しく思い、それで彼を引き留めお茶や食事を摂らせ、また人に言いつけて王夫人らに会いに行かせた。周りの人々は秦氏のことが好きだったので、秦鐘がこのような人柄であるのを見て、皆嬉しく思い、彼が帰る時には、皆お土産を持って帰らせた。賈のお婆様はまた荷包(小物を入れる小さなきんちゃく袋で、刺繍が施してある)と金魁星(黄金で鋳造した北斗七星の第一星の魁星(かいせい)の神像)をくださり、これにより「文星和合」(科挙の試験に無事合格する)というおめでたい意味になった。また秦鐘にこう言いつけた。「あなたは遠くにお住まいだから、一時的には身体が慣れないかもしれないが、わたしたちのところで暮らしなさい。どうかあなたと宝玉が一緒に勉強し、その他の努力せず進取の気持ちの無い学生の影響を受けないようになさい。」秦鐘は一々頷き、家に帰って父親に報告した。

 彼の父親の秦邦業は現在営繕司郎中に任じられ、年齢は70歳に近く、夫人は早くに亡くなっていた。年齢が50歳になるまで息子、娘がおらず、養生堂(捨て子を収容して育てる機関)から男の子をひとり、女の子をひとり、もらって養育した。ところが思いがけず男の子は死んでしまい、女の子だけが残った。この女の子は幼名を可兒といい、また正式な名前を兼美と名付けた。成長すると、姿かたちがしなやかで、立ち居振る舞いがさっぱりし、元々賈家と多少の縁故があったことから、賈家に嫁入りした。(秦可卿のこと。)秦邦業は53歳にして秦鐘が生まれ、今年12歳となった。昨年家塾の恩師が南方へ戻られ、家で以前勉強した内容を復習するだけであったが、ちょうど親戚の賈家と賈家の家塾に入れてもらう相談をしていた。たまたま宝玉に出会ったこの機会に、また賈家の家塾で塾を司っているのは、今の老儒(年寄りの学者)、賈代儒であることを知り、秦鐘が塾に入ると、学業の進歩が見込め、これによって名声を得ることができれば、たいへん喜ばしいことであった。ただ経済的に手元不如意で、賈家の人々は富や地位を重んじ、貧しい者を蔑(さげす)んだ。このため息子の一生の大事に関することであるので、やむを得ず無理やり算段して、うやうやしく二十四両の初対面の贈り物の金を包み、秦鐘を連れて賈代儒の家を訪問し、その後宝玉が選んだ吉日を聞き、一緒に入塾した。塾の中ではこれより騒動が持ちあがるのであるが、それがどのようなものであったのか、次回に詳しく説き明かします。

 さて次回は、賈宝玉と秦鐘が賈家の家塾に通うことになりますが、どのような「騒動」が起こるのか、次回第九回をお楽しみに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『紅楼夢』第七回

2025年02月15日 | 紅楼夢
 劉婆さんが帰った後、周瑞の家内の家内がそのことを王夫人のところに報告に行くところから、第七回が始まります。『紅楼夢』第七回の始まりです。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

宮花を送り賈璉は熙鳳と戯(たわむ)れ、
寧府の宴で宝玉は秦鐘に出会う

 さて、周瑞の家内は劉婆さんを見送りに行って後、王夫人のところに戻り報告をしに行ったのだが、あいにく王夫人は部屋におられず、召使の女たちに尋ねて、ようやく薛おばさんのところに相談に行ったと分かった。周瑞の家内はそれを聞いて、東の角門を出て、東院を通って、梨香院に向かった。ちょうど梨香院の門の前まで来ると、王夫人の小間使いの金釧兒とようやく髪を伸ばし始めた少女が階(きざはし)の上で遊んでいるのが見えた。周瑞の家内が入って来るのを見て、話があって来られたと知り、それで家の中へ向けて口を突き出し、さし示した。


 周瑞の家内は、音のたたないようにそっとカーテンをめくり上げ部屋の中に入ると、王夫人がちょうど薛おばさんとで家庭内の些細な事や世間話をあれやこれや話しているのが見えたので、周瑞の家内は邪魔をしないよう、そっと中に入ると、薛宝釵が普段の装いで、頭には髪飾りだけ付けて、オンドルの中に座り、机の上に身を伏せて、小間使いの鶯兒と一緒にちょうどそこで花の絵を描いているようであった。周瑞の家内が入って来たのを見て、筆を置くと、こちらを向いて、満面に笑みを浮かべて「周姉さん、お座りください。」と勧めた。周瑞の家内も慌てて作り笑いを浮かべて尋ねた。「お嬢さん、ご機嫌いかが。」オンドルの縁に腰を掛けながら、尋ねた。「ここ二三日お嬢さんがこちらにお散歩に来られるのをお見受けしなかったので、ご兄弟の宝玉様の行状のせいで、ご気分を損ねられたのではないかと心配しておりました。」宝釵は笑って言った。「そんなことあるものですか。ただわたしのいつもの病気が発症したので、しばらく静養しておりました。」周瑞の家内は言った。「本当ですか。お嬢さんはいったいどんな持病をお持ちなのですか。なるべく早くお医者様に診ていただき、真剣に治療なさいまし。まだお小さいのに、持病をお持ちなんて、冗談じゃないですよ。」宝釵はそれを聞いて笑って言った。「病気のことはもう言わないで。もうどれだけのお医者さんに診てもらい、どれだけの薬を飲み、どれだけのお金を使ったことか。それでも少しも効き目が無かったのですよ。その後にある和尚様のお陰を被り、専ら原因不明の病の症状を治されるというので、診ていただいたところ、この方の言うには、これはお母さまの胎内から持って来た熱毒で、幸いわたしは元々身体が丈夫なので、健康に影響は無い。およそ薬を飲んで治そうと思っても、役に立たない。この方に教えていただいたのは、海の彼方からもたらされた仙人伝授の処方で、この処方は特別な香りとにおいのある粉薬で、薬効を強める効果があって、症状が出たら一粒飲めば良いとのこと。不思議なことに、本当に効果があるのです。」

 周瑞の家内はそれで尋ねた。「それでどんな処方なのですか。お嬢さんに教えてもらえば、わたしたちも憶えられ、人に教えてあげれば、もしこのような病気に遇っても、対処できますわ。」宝釵は笑って言った。「この処方は尋ねない方がましですわよ。もし聞いたら、本当にこまごまと煩わしいのです。ものも薬材も限りがあるし、最も得難いのは「折よく」という点で、春に咲く白牡丹の花蕊(かずい。花のしべ)を十二両(両は1斤の16分の1)。夏に咲く白い蓮の花蕊を十二両。秋の白芙蓉の花蕊を十二両。冬の白い梅の花蕊を十二両。これら四種の花蕊を翌年の春分に陽に晒して乾かし、粉薬と合わせ、一緒に磨り潰します。また雨水の日に天から降る水が十二銭(銭は1斤の160分の1)必要です……」周瑞の家内は笑って言った。「あらまあ。そうすると三年の時間が必要ですわ。もし雨水の日に雨が降らなかったら、どうするんですか。」宝釵は笑って言った。「そうなんです。こんなに「折よく」雨が降るはずがないでしょう。それでもまた待つしかないのです。更に白露の日の露が十二銭、霜降の日の霜が十二銭、小雪の日の雪が十二銭。この四種の水でむらなく調合し、龍眼の大きさの丸薬にし、古い磁器の壺に入れ、花の根の下に埋め、もし病状が出たら、取り出して一錠飲むのです。一銭二分の黄柏(黄檗。オウバク、キハダ)を煎じたお湯で飲み下します。」

 周瑞の家内はそれを聞いて、笑って言った。「南無阿弥陀仏。本当にとってもうまいタイミングでないとだめですね。十年待っても、全部は揃わないわ。」宝釵が言った。「それがなんとうまくいったのです。和尚様が帰られて後、一二年して、折よく皆揃い、なんとか薬の材料を配合し、今は家から持って来て、梨の樹の下に埋めてあります。」周瑞の家内がまた尋ねた。「その薬は名前がありますか。」宝釵が言った。「あります。これもあの和尚様が言われたのですが、「冷香丸」と言います。」周瑞の家内はそれを聞いて頷き、また尋ねた。「この病気は発症すると、いったいどうなるのですか。」宝釵が言った。「特に何も感じなくて、少し息ぎれがして咳が出るだけですが、一錠薬を飲むと、治まります。」

 周瑞の家内がまだ何か話そうとした時、ふと王夫人が尋ねる声が聞こえた。「誰か中におられるの。」周瑞の家内は慌てて応答し、劉婆さんのことをご報告した。しばらく待っていると、王夫人が何も言わず帰ろうとしていたので、薛おばさんが急にまた笑って言った。「ちょっとお待ちになって。うちにあるものを、持って帰ってちょうだい。」そう言いながら、「香菱」と呼んだ。入口のすだれをジャラジャラ鳴らし、金釧兒と遊んでいた少女が入ってきて、「奥様、何かご用で。」と尋ねた。薛おばさんが言った。「あの箱に入った花を持ってきてちょうだい。」 香菱は「はい」と応え、あちらから小さな錦の箱を捧げ持って来た。薛おばさんが言った。「これは宮廷で作った生花に似せた紗(薄いシルクの布)で作った造花で、十二本あります。昨日思い出して、うちに置いておいても古くなるだけで勿体ないので、おたくの女兄弟たちの髪に挿していただけないかしら。昨日お持ちしようと思っていたのだけれど、忘れていました。今日ちょうどお越しになったから、持って行ってちょうだい。お宅には三人お嬢ちゃんがおられるから、おひとり二本、残った六本は林お嬢ちゃんに二本、四本は鳳姉さんにあげてください。」王夫人は言った。「宝釵ちゃんに取っておいてあげて挿してもらって。それからあの娘たちのことを考えればいいわ。」薛おばさんは言った。「あなたはご存じないのね。宝ちゃん(宝釵)は変わってるの。あの子はこれまでこうした花や飾りに興味が無いの。」


 そう言いながら、周瑞の家内は箱を持って、部屋の入口を出て、金釧兒がまだそこで日の光を浴びていたので、周瑞の家内は尋ねた。「あの香菱という娘が、よくうわさに出る、都に上がる時に買ったとかいう、あの人が人を殺(あや)めて訴訟沙汰になった、あの娘かい。」金釧兒は言った。「他でもなく、あの娘がそうです。」ちょうど話していると、香菱がにこにこしながら歩いて来たので、周瑞の家内が香菱の手を取り、彼女を一度子細に見回し、それから金釧兒に笑って言った。「この身なりは、結局わたしたち東府(寧国府)の小蓉若奥様さんのお人柄が出ているのかしら。」金釧兒は言った。「わたしもそう思います。」周瑞の家内はまた香菱に尋ねた。「あなたはいくつの時にここに連れて来られたの。」また尋ねた。「あなたの父さん母さんはどちらにおられるの。今年は十何歳。出身はどこなの。」香菱は質問を聞いても、首を振って答えた。「憶えていません。」周瑞の家内と金釧兒はそれを聞いて、却ってため息をついた。

 しばらくして周瑞の家内は花を持ち、王夫人の母屋の後ろに行った。実は最近賈のお婆様が、孫娘たちの人数が多過ぎて、一ヶ所にいると窮屈で不便なので、宝玉と黛玉のふたりだけここに残して気を紛らし、迎春、探春、惜春の三人は王夫人のこちらの建屋の後ろの三間の抱厦(母屋の後ろにつながった部屋)に移して住まわせ、李紈に付き添い世話をさせるよう言いつけた。今周瑞の家内は元の道順で先ずここに来ると、何人かの女中たちが抱厦の中に黙って座り、お呼びがかかるのを待っていた。 迎春の小間使いの司棋と 探春の小間使いの侍書のふたりが、ちょうど簾(すだれ)をめくって出て来た。ふたりとも手にお盆と湯のみを捧げ持っていたので、周瑞の家内は姉妹が一緒にいるのが分かり、部屋の中に入った。すると迎春、探春のふたりがちょうど窓の下で囲碁を指していた。周瑞の家内は花を届け、経緯(いきさつ)を説明したが、ふたりは囲碁に夢中で、ちょっと腰を上げてお礼を言っただけで、小間使いたちに命じて仕舞わせた。

 周瑞の家内は承諾すると、また尋ねた。「惜春様(四姑娘)が部屋にいらっしゃらないが、ひょっとして大奥様のところに行かれたの。」女中たちが答えた。「あちらのお部屋ではないですか。」周瑞の家内はそう聞くと、こちらの部屋にやって来た。すると惜春がちょうど水月庵の若い尼(小姑子)の智能兒とふたり一緒に遊んでいた。周瑞の家内が入って来たのを見て、用件を聞いた。周瑞の家内は花の箱を開け、経緯を説明すると、惜春は笑って言った。「わたし、ここでちょうど今、智能兒と話していたのだけれど、わたしが明日もし髪を剃って尼にならないといけないとして、そんな時に、ちょうどうまい具合に花が送られて来るなんて。髪を剃ってしまったら、花をどこに付ければいいのかしらね。」そう言いながら、皆でけらけら笑った。惜春は小間使いに命じて仕舞わせた。

 周瑞の家内はそれで智能兒に尋ねた。「あなた、いつ来られたの。あなたのお師匠のあの禿頭はどこへ行ったの。」智能兒は言った。「わたしたち、朝一に来ました。うちの師匠は奥様にお目にかかってから、旦那様のお宅に行かれ、わたしはここで待っているよう言われました。」周瑞の家内はまた言った。「毎月十五日のお供えのお布施の銀子はもうもらったの。」智能兒は言った。「存じません。」惜春は周瑞の家内に尋ねた。「今はそれぞれのお寺への毎月のお布施は誰が管理しているの。」周瑞の家内は言った。「余信が管理しています。」惜春はそう聞くと笑って言った。「今回がそうなんですね。この子のお師匠が来ると、余信の家の者が飛んで来て、お師匠と半日ごちゃごちゃやって、おそらく今ちょうど話し合っているのがそのことなんですね。」

 かの周瑞の家内はまた智能兒とぶつぶつ言っていたが、その後鳳姐のところに行くのに、通路を通り抜け、李紈の家の裏窓の下から西の花垣を通り、西角門を出て、鳳姐の家に入った。広間に着くと、小間使いの豊兒が部屋の入口の敷居の上に座っているのが見えた。周瑞の家内が来たのを見ると、急いで手を振り、彼女を東側の部屋に行かせた。周瑞の家内は了解して、急いで足音を忍ばせ東側の部屋の中に入ると、鳳姐が寝ていたので乳母が手の平で叩いて起こしているのが見えた。周瑞の家内はそっと尋ねた。「若奥様はお昼寝されているの。でも起きていただかないと。」乳母は笑いながら、口をへの字に曲げて首を振った。ちょうど尋ねていた時、あちらから微かに笑い声が聞こえたが、賈璉の声であった。続いて部屋の扉が開く音が響き、平兒が大きな銅のたらいを持って出て来て、それに水をくんで来させた。

 平兒がこちらに入って来て、周瑞の家内を見ると、尋ねた。「あなた、また来られて何かご用なの。」周瑞の家内は急いで立ち上がり、箱を持ってきて平兒に見せた。「お花を届けに来ました。」平兒はそう聞くと、箱を開け、花の枝を四本取り出し、またその場に置いた。しばらく考えていたが、手で二本取り上げ、先ず彩明を呼んで、こう言いつけた。「あちらのお屋敷にお届けして、蓉ちゃんの奥様の頭に付けていただいて。」そう言ってからようやく帰ろうとする周瑞の家内にお礼を言った。

 周瑞の家内はこうしてようやく賈のお婆様のお宅に向かったのだが、穿堂(表庭から裏庭に通り抜けられるようになっている部屋)を通ったところで、出会い頭にふと自分の娘が、たった今夫の家から来たばかりのようなふりをしているのを見かけた。周瑞の家内は慌てて尋ねた。「あなた、いま走ってきて何をしているの。」彼女の娘は言った。「母さん、ずっとお身体は大丈夫なの。わたしは家でずっと待っていたけど、母さんはとうとう帰ってこないし、どんな事情でこんなに忙しいのに帰って来ないの。わたしは待ちくたびれて、自分が先に大奥様のところにうかがいご挨拶しようと思い、たった今大奥様にご挨拶してきました。お母さんは何かまだ終わらないお使い事があるの。手に持っているのは何なの。」周瑞の家内は笑って言った。「まあ。今日はもっぱら劉お婆さんのことで来て、自分でもいろんなことがあって、劉お婆さんのために半日走り回ったわ。今回は薛の叔母様(姨太太。お妾さんのこと)にお目にかかって、頼まれてこの花をお嬢さんや若奥様にお届けにうかがったの。まだ全部がお届けできていないの。あなた、今日出て来たのは、きっと何か事情があるんじゃないの。」

 彼女の娘は笑って言った。「母さんならきっと分かるわ。考えてみたらすぐ分かるはずよ。実際、母さんに言うけど、うちの旦那(周瑞の家内の娘婿の冷子興)が以前ちょっと酒を飲み過ぎて、人と争いが起きて、どうやって人を怒らせたか知らないけれど、あの人の素性がよく分からないと、役所に訴えられ、故郷に送り返されそうになったの。だからわたしが出て来て、母さんとちょっと相談して、情状の余地がないか検討してみたいの。どなたにお願いしたら解決できるんでしょう。」周瑞の家内はそう聞いて答えた。「分かったわ。こんなこと別に大したことでもないのに、慌ててこんなことをして。あなた、先に家に帰ってなさい。わたしは林お嬢様にお花を届けたら戻るから。今回は奥様や若奥様に面倒をおかけする訳にはいかないわ。」彼女の娘はそう聞くと、帰ろうとして、また言った。「母さん、ともかく早く戻ってね。」周瑞の家内は言った。「ほらごらん。小者はどんなことでも、慌ててこんなに取り乱すんだから。」そう言うと、黛玉の部屋に行った。

 あいにくこの時黛玉は自分の部屋におらず、宝玉の部屋に居て、皆で九連環(知恵の輪のような玩具)を解いて遊んでいた。周瑞の家内は入って行くと、笑って言った。「林お嬢様、叔母様(姨太太)がわたしにお花をお届けするよう言われました。」宝玉はそれを聞くと、言った。「どんなお花なの。取り出して、僕にもちょっと見せて。」一方で手を伸ばして箱を受け取り、見てみると、実は二本の宮廷で作られた紗を重ねた新しい技巧の造花で、黛玉はただ宝玉が手に持つ花を一目見て、尋ねた。「わたしひとりだけにくださるの。それとも他のお嬢ちゃんたちのも皆あるの。」周瑞の家内は言った。「皆さん全部にありますよ。この二本は林お嬢様の分です。」黛玉は冷ややかに笑って言った。「わたし、分かっていてよ。他の皆さんに選ばれずに残ったものをわたしにくれたんじゃないの。」

 周瑞の家内はそれを聞いて、一言も返答できなかった。宝玉は尋ねた。「周お姉さま、どうやってこちらまで来たの。」周瑞の家内はそれでこう答えた。「奥様があちらにおられ、わたし、お返事にうかがったんです。そうすると、叔母様( 姨太太 )がついでにわたしにお花を持って行くよう言われたんです。」宝玉は言った。「宝姉さんは家で何をされているの。どうしてここ何日かお越しにならないの。」周瑞の家内は言った。「お身体の具合があまりよくないのです。」宝玉はそう聞くと、女中たちに言った。「誰かちょっと見てきておくれ。こう言うんだ。わたしと林ちゃんから言付かって、宝姉さんのお加減をうかがいに来ました。姉さん、どんなご病気で、どんなお薬を飲んでおられますか。本当は、わたしが自ら来ないといけないのですが、学校から戻ったばかりで、また少し風邪気味なので、日を改めまたお見舞いにうかがいます、とね。」そう言うと、茜雪が返事をして出て行った。周瑞の家内は家に戻ったが、特に話は無い。

 元々、周瑞の家内の娘婿は雨村の親友の冷子興で、最近骨董の商売で、人と訴訟沙汰になり、それで妻を寄こして情状の余地を探らせたのだった。周瑞の家内は主人の権勢を頼りにして、この事件もあまり心配しておらず、夜に鳳姐にちょっとお願いするだけで、この件は終わりにした。

 火点し時になって、鳳姐は化粧を落とし、王夫人に会いに来て、回答して言った。「今日、甄家が送って来たものを、わたしもう受け取りました。わたしたちがあちらに送ったものは、ちょうどあちらさんからお正月に新鮮な果物や魚を送って来た船で、あちらに持って帰ってもらいました。」王夫人は頷いた。鳳姐がまた言った。「臨安の伯お婆様の誕生日のお祝いの品はもう準備しました。奥様、誰に届けさせましょうか。」王夫人は言った。「あなたが誰が閑(ひま)か見て、四人の女性を行かせればいいわよ。わたしに尋ねるまでもないわ。」鳳姐が言った。「今日珍叔父様の奥様が来られて、わたしに明日ちょっと来てほしいとのことでしたが、明日は何かありましたっけ。」王夫人は言った。「何かあっても無くても、何も支障は無いわ。いつもあちらが招待されるのがわたしたちだと、あなたも不都合でしょうが、あちらがわたしたちでなく、あなただけをご招待されたなら、それはあちらの誠意で、あなたに羽を伸ばしていただきたいということよ。あちらのお気持ちに背いてはいけないわ。やはり行ってこなくっちゃ。」鳳姐は「はい」と答えた。すぐさま李紈、探春らの姉妹たちもお休みのご挨拶が終わり、各々部屋に帰った。その後特に話は無い。

 翌日鳳姐は身づくろいをし、先に王夫人への挨拶が終わると、ようやく賈のお婆様にご挨拶をした。宝玉は聞きつけて、自分も一緒に行きたいと言ったので、鳳姐は分かったと言うしかなく、直ちに衣裳を着替えるのを待ち、鳳姐と宝玉ふたりは車に乗ると、しばらくして寧府に入った。早くも賈珍の妻の尤氏と息子の賈蓉の嫁の秦氏という嫁と姑ふたりが、何人かの側室や女中を連れて、儀門で出迎えた。

 かの尤氏は鳳姐を一目見ると、先ずひとしきり嘲笑し、宝玉の手を取り、一緒に部屋に入って座らせた。秦氏が茶を淹れると、鳳姐が言った。「皆さんはわたしを招待してどうされるの。どんな贈り物がいただけるの。ものがあるなら持っていらして。わたし、用事があるの。」尤氏がまだ応答せぬうちに、何人かの嫁たちが先に笑って言った。「若奥様、今日は来られなくてもよろしかったのに。でも来られた上は、お宅の方でもあなたに頼る必要がなくてよ。」ちょうどそう言っていると、賈蓉が部屋に入って来て挨拶をするのが見えた。宝玉はそれで言った。「大お兄様は今日は家におられないの。」尤氏は言った。「今日は出かけていて、上役の方のところへご挨拶に行っているの。」また言った。「でもあなたはうつうつとして愉しまず、こんなところに座っていてどうするの。どうして出かけて行ってぶらぶらしないの。」

 秦氏が笑って言った。「今日はちょうど良かったわ。この前、宝叔父様が会いたがってたわたしの弟が、今日はここの書斎にいますよ。ちょっと顔を見に行かれては。」宝玉が会いに行こうとしたので、尤氏は急いで召使に気をつけてお世話するよう言いつけ、付いて行かせた。鳳姐が言った。「こういうことだったら、どうしてこちらの部屋に入らせて、わたしにも会わせてくださらないの。」尤氏は笑って言った。「まあ、まあ。お会いにならなくてもよろしいでしょう。このお屋敷のお子たちとは比べようもなく、叩かれ、ほったらかしにされるのに慣れていますの。人様の子供は、みなお上品で、あなたのようなおっかない女に会ったことがないのに、まだ人様を笑いものにするつもりなの。」鳳姐は笑って言った。「わたしが笑いものにしなければいいんでしょう。でもあちらがわたしを笑いものにしてきたら、後はどうなるか知らないわよ。」賈蓉が言った。「あの子は生まれつき引っ込み思案で、大きな立ち回りを見たことがないのです。叔母さんに会ったら、圧倒されて気持ちが萎えてしまいます。」鳳姐はつばを吐いて言った。「ちぇっ。あほくさ。その子がたとえ神話の中の哪吒nézhā(なた。道教で崇められている護法神)様だって、ちょっと会ってみる必要があるわ。ばか言わないで。それでも連れて来ないなら、あんたの頬っぺたに一発びんたをお見舞いするからね。」賈蓉はおっかなくて正視できなくなり、眼をそらしながら笑って言った。「叔母さん、そんなにいじめないでよ。わたしたちがあの子を連れて来ればいいんでしょう。」鳳姐も笑い出した。話が終わって、しばらくして、果たしてひとりの若者を連れて来た。宝玉より少し痩せていて、眉目秀麗で、顔は白粉を塗ったように白く、唇は朱を塗ったように真っ赤で、身体は見眼麗しく、ふるまいは優雅で、見たところ宝玉の上をいく美男子であった。ただ気弱で恥ずかしがりの様子は少女のようで、なんとなくはにかみながら鳳姐にごきげんようの挨拶をすると、鳳姐は嬉しがって宝玉を押し出し、笑って、「比べてごらんよ。」と言いながら、身を乗り出してこの子の手を握り、自分の傍らに座らせると、ゆっくりと年齢や勉強のことを尋ね、ようやくこの子が学名(子供が学校に入学するときにつけた正式の名前)を秦鐘ということを知った。


 早くも鳳姐お付きの女中や嫁たちは、鳳姐が初めて秦鐘に会い、且つまだ贈り物を渡す準備をしていないのを見て、急いであちらに行って平兒にそれを告げると、平兒は素より鳳姐と秦氏が極めて親しいのを知っていたので、自分の判断で一匹の布地、「状元及第」の刻印を施した金の小さな塊をふたつ持って来て、人に言いつけて持って行かせた。鳳姐が更に「ちょっと些細なもので申し訳ありませんが」と一言加えた。それに秦氏らが感謝を言い終わると、しばらくして食事をし、尤氏、鳳姐、秦氏らはマージャンをしたが、このことは特に言うまでもない。

 宝玉と秦鐘のふたりは適当に立ったり座ったりして話をしたが、かの宝玉は秦鐘を一目見るなり、心の中で何かを亡くしたように感じ、しばらくボオッとしていたが、自分の心の中でまた無意識に考えているうちに、すなわちこう思った。「世の中には、なんとこのような人物がいようとは。今思うに、僕は自分が卑賎で粗野な人間になったような気がする。恨むべくは、僕はどうして貴族や官吏の家に生まれてきたのだろう。もし貧しい小役人の家に生まれていたら、とっくに彼と交際していたろうし、一生を無駄に過ごすことも無かっただろう。僕は彼より身分が高いが、綾衣や錦、 紗(しゃ)、薄絹なども、僕という枯れて腐った木を包んでいるだけ、羊の羹(あつもの)や美酒も、僕という肥えツボを満たしているに過ぎない。「富貴」の二文字は、本当に人間に害を与えるものだ。」 かの秦鐘が眺めてみると、宝玉の顔かたちが人並み優れていて、ふるまいが非凡で、そのうえ金の冠、刺繍の入った服を身に着け、身辺には美しい女中や麗しい召使の少年が控えている。「なるほど、お姉さんが平素言われていたように、たいへんすばらしいですね。わたしはあいにく貧しい家に生まれたので、どうしてこんな方と親しく接することができたでしょうか。これも縁(えにし)ですね。」ふたりは同じようにあれこれ思いめぐらせた。宝玉はまた秦鐘にどんな本を読んでいるか尋ね、秦鐘は尋ねられたことに、正直に答えた。ふたりは話し合いながら、意見を交わし合い、益々親密になった。

 しばらくしてお茶請けが運ばれて茶を飲むと、宝玉は言った。「僕たちふたりは酒も飲まないから、奥の部屋のオンドルにおつまみを用意させて、あちらへ行こうよ。そうすればがやがや騒がしくて落ち着かないこともないだろう。」そしてふたりは奥の部屋に行って茶を飲んだ。秦氏は一方で鳳姐が酒を飲む支度をし、一方では急いで部屋に入って来て宝玉に言いつけた。「宝叔父様、甥はまだ幼くて、何か失礼なことを言うかもしれないけど、くれぐれもわたしに免じて、この子を叱らないでね。この子は内気だけど、つむじ曲がりなところがあるから、あまり人付き合いが良くないの。」宝玉は笑って言った。「もう行ってよ。分かったから。」秦氏はもう一度弟の秦鐘にあれこれ言いつけると、ようやく鳳姐のお伴をして行ってしまった。

 しばらくして鳳姐と尤氏が人を遣って宝玉に尋ねた。「何か食べたいものがあったら、遠慮せずこちらに来なさいよ。」宝玉はただ「はい」と答えていたが、飲食のことには関心が無く、ただ秦鐘に最近の家庭内のできごとなどを尋ねた。秦鐘はそれで言った。「恩師が昨年家(うち)を辞められたのですが、父は高齢で、身体に障害があり、公務が煩雑なので、まだ新しい教師を雇うかどうか決まっておらず、目下は家で既に学んだところの復習をしているだけです。それに、勉強するにも、一二の学友と一緒でないとだめで、いつも皆で討論してこそ、学識の進歩が得られるのです。」宝玉は秦鐘が言い終わらないうちに、こう言った。「本当にそうだね。うちの家には家塾があるから、一族の中で新たに教師を雇えないなら、家塾に入って勉強することができ、親戚の子弟なら一緒に勉強できる。僕も去年恩師が故郷に帰られたので、今は勉強がおろそかになっているんだ。父の意見は、僕にしばらく家塾を離れ、既に学んだところの復習をして、来年新しい先生が赴任されたら、再び各々家塾で勉強しなさいと言っている。祖母はそれでこう言うんだ。ひとつに、家塾で学ぶ子弟が多過ぎて、おそらく皆やんちゃだろうから、却って良くない。二に、僕が何日か病気だったので、ちょっと勉強が遅れてしまっている。こんな風に言うものだから、父上も今はこのことを気にかけているから、今日帰ったら、うちの家塾に君が来ることを、報告しようじゃないか。僕も一緒に勉強すれば、お互いに有益で、いいんじゃないかい。」秦鐘は笑って言った。「父は先日家で新しい先生を招くことを話した時にも、ここの義学(家塾)がすばらしいから、元々こちらに来てここの旦那様に入学の推薦をいただくよう相談すると申していたのですが、ここのところまた仕事が忙しく、このような些細なことで面倒をおかけするのは申し訳ないと言うのです。宝叔父様がもし甥のことを心配し、一緒に勉強してもいいとおっしゃるなら、すぐに行動を起こしませんか。そうすればお互いに勉強がおろそかにならず、いつも一緒に話ができるし、父母の心を慰め、また友人の交わりを楽しむこともでき、すばらしいじゃないですか。」宝玉は言った。「安心して。僕たち、帰ったら君の姉さん夫婦と璉叔父さんの奥さんに話をしよう。今日君は帰ったらお父上に報告して、僕は帰ってお婆様に報告すれば、遠からず実現しない道理は無いさ。」

 ふたりの相談は既に定まり、その日は既に火点し時となったので、戻ってまた皆と麻雀を一局やって遊び、精算すると、秦氏と尤氏のふたりが負けて食事を奢ることになり、後日宴席招待の約束をし、一方また皆で夕食を食べた。

 辺りが暗くなったので、尤氏が言った。「ふたりの小者に秦お兄様の家まで送らせましょう。」女中たちがその旨伝えに行ってしばらく経った。秦鐘は暇乞いをして立ち上がると、尤氏が尋ねた。「誰に送らせるの。」女中たちは答えて言った。「外では焦大を遣わすと言ってましたが、あろうことか焦大が酔っぱらって、また怒鳴るんですよ。」尤氏、秦氏は言った。「どうしても焦大を遣わさないといけないの。あの小者は派遣できないの。いたずらに焦大の気分を損ねるだけでしょ。」鳳姐は言った。「いつも家で言われているように、あんたはあまりに軟弱だから、家の中の者がこのように勝手気ままに振舞って、収拾がつかず大変だわ。」尤氏は言った。「あなたはこの焦大のことを知らないとでも言うの。たとえ旦那様でも焦大を相手にできない。お宅の珍お兄様でも無理よ。それというのも、焦大は小さい時からお爺様と三四回出兵して、屍(しかばね)の山の中からお爺様を背負って出て来て、それでようやく命拾いできたの。自分は空腹を我慢しても、何か食べるものを盗んで来て、ご主人様に食べさせたし、二日の間水が無くて、やっと茶碗半分の水を得たら、ご主人様に飲ませて、自分は馬の小便を飲んだの。でもこうした昔の功労のよしみに頼っていては、ご先祖様が存命の時は、特別な優待や尊重をしてもらえるけど、今じゃあ誰も焦大を擁護しようとは思わないわ。焦大自身、もう歳だし、体面も気にしないけれど、もっぱら酒好きで、酔っぱらうと誰彼となく怒鳴り散らすの。わたしはいつも執事に言ってるのよ、今後、焦大を使いに出すなって。あの人が死んでさえくれたら、もうそれで終わりだから。今日またあの人を遣わそうなんて。」鳳姐が言った。「わたしがどうしてこの焦大を知らないなんてお思いなの。結局あなたがたがしっかりした考えが無いからよ。あの人を遠くの村まで行かせてしまえば済むことでしょう。」そう言って、また尋ねた。「うちの車は準備ができているの。」女中たちは言った。「もう全員が控えております。」鳳姐も立ち上がり暇乞いをすると、宝玉と手を携え、一緒に出て行った。

 尤氏らは広間の前まで見送ると、灯火が光り輝いているのが見え、小僧たちが朱塗りの階(きざはし)のところで付き従って立っていた。かの焦大は賈珍が家に不在なのをいいことに、酒の勢いに任せ、先ず大総管(管理責任者)の頼二を怒鳴りつけ、彼に言った。「不公平だ。弱い者には強く出て。簡単なお使いには他の奴を遣わして。こんな深夜に人を送る時はおれだ。良心のかけらも無いばか野郎だ。でたらめに執事になりやがって。おまえさんもちょっと考えてみな、焦大爺さんが片足を上げるだけでも、おまえさんの頭よりももっと高いんだ。この二十年というもの、焦大爺さんの眼中に誰がいたか。おまえたちみたいなのは、十把一絡げの大馬鹿野郎だ。」ちょうど罵りが佳境になった時に、賈蓉が鳳姐を送る車がやって来たが、人々が焦大を止めることができないので、賈蓉は我慢できず二言三言罵ると、叫んだ。「こいつを縛ってしまえ。明日酔いが醒めたら、こいつに首をくくって死ぬかどうか聞こうじゃないか。」

 かの焦大の方では賈蓉は眼中にあったろうか。却って大声を上げ、賈蓉の叫び声を追い払った。「蓉兄貴、あんた焦大の目の前で主人づらするんじゃないよ。あんた、そんなこと言うなよ。あんたの父さんも爺さんも、焦大の前で威張るなんてようしなかった。焦大ひとりがいなかったら、あんたたちが役人になり、栄華を享受し、富貴を得ることも無かった。あんたの祖先は九死に一生を得たおかげで今の財産を手にしたのに、今に到るもわたしの恩に報いず、却ってわたしに主人づらをしやがって。わたしに対してこれ以上何か言うなんて、まだ許されると思っているのかい。もし言おうものなら、おれたち、血を見ることになるぜ。」鳳姐は車の中で賈蓉に言った。「できるだけ早くあんな法律や道徳規範を無視する輩は追い出した方がいいわ。家に留めても、害になるだけでしょ。親しい友人に知られたら、うちの家が、行儀作法もできていないと、笑いものになるわ。」賈蓉は「はい」と答えた。


 人々は焦大があまりに粗暴な振舞いをするので、何人かで焦大をつかんで押し倒して縛り上げ、厩(うまや)の方に引っ張って行った。焦大は益々激高し、賈珍の名前まで持ち出し、大声で叫んだ。「祠堂(一族の先祖を祀った廟)へ行って、お爺様に泣いてお詫びせねば。誰が今となってこんな畜生らが生まれてくると思ったことか。毎日正業に就かず、「爬灰」(香炉の中の灰を掻く。俗語で親父が息子の嫁と姦通すること)する者は「爬灰」する、「養小叔子」(不義の子供を作る)する者は「養小叔子」と、おれが知らないとでも思っているのか。おれたちなんて、「腕が折れたら袖の中に隠す」で、消されちまうのさ。」小者たちは焦大が少しも恐れも遠慮もなく話すのを聞いて、驚きのあまり、魂が身体を離れて飛び散りそうになり、焦大を縛り上げると、土や馬の糞を彼の口一杯に詰め込んだ。

 鳳姐と賈蓉も長々と焦大の話が聞こえていたが、聞こえないふりをした。宝玉は車の中でそれを聞き、鳳姐に尋ねた。「お姉さま。あの人が「爬灰」(香炉の中の灰を掻く)する者は「爬灰」と言うのが聞こえたけど、これってどういうこと。」鳳姐は慌てて叱って言った。「あまりばかなことは言わないで。あれは酔っ払いが口の中でゲロを吐いただけなの。あなたはどんな立場の人間なの。聞こえなかったとは言わないまでも、細かく尋ねるんじゃないの。うちに帰って奥様に報告したら、奥様があんたをぶん殴るかどうか見てみましょう。」驚いた宝玉は急いで懇願した。「お姉さま、お願い。僕もうこの話をしないから。」鳳姐は宝玉をなだめすかして言った。「いい子。それでいいのよ。うちに帰って大奥様にご報告したら、人を家塾に遣って説明しましょう。秦鐘が家塾に来て勉強できるようにするのが大事だからね。」そう言って、栄国府に帰って来た。この先どうなるかは、次回に説き明かします。

 これで第七回は終了、宝玉が栄国府に帰ってから、どんなお話が展開するか、次回『紅楼夢』第八回をお楽しみに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅楼夢第六回

2025年02月05日 | 中国語でどう言うか?
『紅楼夢』第六回、栄国府に劉婆さんがやってきます。是非読んでください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『紅楼夢』第六回

2025年02月05日 | 紅楼夢
 さて第五回で、宝玉は警幻仙女から性の手ほどきを受け、賈蓉の妻の秦氏と契りを交わしますが、その後物語はどのような展開を見せるのか、第六回のはじまりです。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

賈宝玉は初めて雲雨の情を試し、
劉老老は一たび栄国府に進む

 さて、秦氏は宝玉が夢の中で彼女の幼名を呼んだことから、心の中で合点がいかなかったが、また細かく聞くのは差し控えた。この時宝玉は失禁をしたかのようで、戸惑っていた。遂に立ち上がって全身の着物を脱いだ。襲人がやって来て、宝玉のためズボンの帯を締めてやった時、ちょっと手を太ももまで伸ばしたところ、そのあたりがひんやり冷たく、ねばねば湿っているのを感じ、びっくりして慌てて太ももから手を離して、尋ねた。「どうされたんですか。」宝玉は顔を赤くし、彼女の手を捻(ひね)った。襲人は元々聡明な女子で、歳も宝玉より二歳上なので、最近は次第に世間のことが分かってきて、今宝玉のこのような光景を見て、心の中では半ば事情を飲み込んでいたが、思わず恥ずかしくて顔を真っ赤にし、遂にそれ以上尋ねることができなかった。そのまま続けて宝玉に着物を着せてやると、ついでに賈のお婆様のところへ行き、慌ただしく晩飯をかっ込むと、こちらに戻って来て、ちょうど召使の女たちが宝玉のお傍にいない時を見計らい、替えの下着を取り出すと、宝玉に履き替えさせた。

 宝玉は恥ずかし気に懇願して言った。「姉さん、後生だから、決して他の人に言わないで。」襲人も恥じらいを含み、声を潜め笑って尋ねた。「あなた、どうして……」ここまで言うと、眼であたりを見回すと、また尋ねた。「これはどこで出たの。」宝玉はひたすら顔を赤らめるばかりで何も言わず、襲人はただ宝玉を見つめて微笑んでいたが、しばらくして、宝玉は夢の中のことを詳しく襲人に言って聞いてもらった。話が雲雨私情のことに及ぶと、襲人は恥ずかしくて顔を覆い身を伏して笑った。宝玉も素より襲人がしとやかでなまめかしく綺麗なのが好きで、遂に襲人を引っ張って警幻が教えたのと同じ行為に及んだのであった。襲人は賈のお婆様が曾て自分を宝玉に与えたことを知っており、また断ることもできないので、しばらくもじもじしていたが、どうすることもできず、宝玉と一回むつみ合うしかなかった。これより宝玉が襲人を見る眼は一層これまでとは異なり、襲人の宝玉へのお世話も益々励み尽くすようになったが、この話はしばし置く。

 さて栄国府の中を合計すると、上から下まで、三百人余りの人がおり、一日に十件、二十件の事件が起こり、もつれて筋道が立たぬようになり、対処する原則を作る糸口も見出せなかった。本当にどの事件をどの人物から書き出せばうまくいくのだろうか。ちょうどうまいことに突然千里の外から、ごく些細なことだが、ごく小さな一家が、栄国府の遠い親戚の関係であったため、この日ちょうど栄府に向けやって来た。それゆえこの一家のことから話を始めれば、ちょうど話の糸口になるだろう。

 実はこの小さな家は、姓を王、すなわち当地の人氏で、祖先もちょっとした都の役人をしたことがあり、曾ては鳳姉さん(鳳姐)の祖の王夫人の父と知り合いであった。王家が権勢を貪ったことで、同じ宗族としての付き合いが生じ、叔父、甥と認め合うようになった。当時、王夫人の兄である鳳姉さんの父親と王夫人が都での知己を通じてこの一族の遠い親戚を知っていたが、その他の者は誰も知らなかった。目下その祖先はとっくに故人となり、ただひとり息子が残され、名を王成といい、家業が左前となり、今は城外の郷村に引っ越して暮らしていた。王成も続いて亡くなり、幼名を狗兒という息子がおり、劉氏の女を娶り、幼名を板兒という子を生んだ。また娘を生み、名を青兒と言った。四人家族で、農業で生計を立てていた。狗兒は昼間は自分で働き生計を立て、劉氏も水汲みや米を搗くなどし、青兒、板兒の兄弟ふたりは、面倒を見てくれる者がいなかったので、狗兒は遂に姑(しゅうとめ)の劉婆さん(劉老老)を引き取り、ひとつ屋根で生活していた。

 この劉婆さんはすなわち老獪な未亡人であり、自分の生んだ息子もおらず、ただ二畝のやせた田畑を頼りに暮らしていた。今は娘婿が引き取って面倒を見てくれていたが、どうしてそれを望まないことがあろうか。遂に心をひとつにして、娘や娘婿を助けて生活をしていた。この年、秋が終わり冬に入り、天気が寒くなり、家中の冬の支度が終わらず、狗兒は心の中がいささかイライラし、何杯かやけ酒を飲んでは、家でイライラしていた。妻の劉氏は敢えて盾突くことはしなかった。このため劉婆さんは見かねて、こう言ってなだめた。「婿殿、あんた、わたしのおしゃべりに腹を立てなさんな。わたしたちは農家のもんだから、どの家も真面目に自分の飯茶碗の大きさを守って、食べれるだけの飯を食っているだよ。あんたは子供の頃、父さん母さんのお陰で、好き勝手に飲み食いさせてもらえたけど、今は金があると後先考えずに使ってしまい、金が無いとむやみに怒り出す。それで一人前の男と言えるかい。今わたしたちは都を離れて暮らしているが、それでも天子様のおひざ元であるのに違いはない。ここ「長安」城の中は、至る所銭が落ちてるだが、ただ残念ながら誰も取りに行けてないだけだよ。家で地団太踏んでいても意味がないよ。」狗兒はそれを聞いて言った。「あんたみたいな年寄りは、ただオンドルの上に座っていいかげんなことを言っているだけじゃないか。まさかおれに強盗をして来いとでも言うのかい。」劉婆さんは言った。「誰がおまえさんに強盗をして来いなんて言うもんかね。要は皆で方法を考えればいいのさ。そうでないと、どこの銀子が自分から我が家に飛んで来るものかね。」狗兒は冷ややかに笑って言った。「方法があるとしたら、やはり今を置いて無いだろう。おれには税金を収めているような親戚はいないし、役人をしている友人もいないが、いったいどんな方法を考えればいいんだ。たとえいたとしても、そいつらがおれたちの世話をしてくれる道理も無いじゃないか。」

 劉婆さんは言った。「それがそうでもないのさ。謀(はかりごと)をするは人にあり、事が成るかは天のみぞ知る、だよ。わたしたちが謀を決めたら、後は菩薩様のご加護に頼るまでで、少しでも機会があるかどうか、やってみないと分からない。わたしはもうおまえたちに替わってひとつ機会を思いついた。曾てあんたのとこは元々金陵の王家と同族のつきあいをしたことがあった。二十年前、あちらさんはあんたとこを親戚と認めていなさったのに、今じゃああんたとこがやせ我慢して、あちらさんと仲良くされんから、それから疎遠になってしもうた。思えばわたしと娘が一回伺ったことがあって、あちらの二番目のお嬢さんが、それは気持ちよくお世話してくれ、少しも偉そうになされなんだ。今は栄国府の賈の二番目の旦那様の奥様になられ、聞くところによると、今は年を取られて、ますます貧しい人に同情し老人をいたわるようになられ、また喜んで托鉢の坊さんにお布施をされるんだとか。今、王府は朝廷で昇進され、ひょっとすると二番目の旦那様の奥様がまだわたしたちのことを憶えてくださっておられるかもしれないのに、あんたはどうしてちょっと伺ってみようとされないんだい。ひょっとするとあちらさんはまだ昔のつきあいを憶えておられて、何か良いことがあるかもしれない。あちらさんがちょっとした親切心を起こしてくれさえすれば、産毛をほんの一本抜いてくれるだけでも、わたしたちの腰まわりよりまだ太いわい。」劉氏が続けて言った。「お母さんはいつも良いことを言われるが、わたしたちのこのようななりでは、どうしてあちらさんを訪ねて行けますかいの。ひょっとするとあちらのお屋敷の門番がちゃんと取り次いでくれないかもしれません。そうなったら無駄に恥を晒しに行くようなものですよ。」

 狗兒が名利を追い求めるに一途だとは誰知ろう、この話を聞いて、心の中で考えをめぐらせていたが、また彼の妻の話を聞いて、笑って言った。「母さんがそうおっしゃるし、まして以前おまえもその奥様に一度お目にかかったことがあるのだから、どうしておまえさんたちが明日一度あちらさんのところに行ってみて、先ず試しに様子を見て来ないのかね。」劉婆さんは言った。「あらまあ。だけどあちらのお屋敷は敷居が高すぎるわ。わたしがどんな者なの。あちらのお屋敷の方がわたしと分かっていただけなかったら、行っても無駄になるわ。」狗兒は言った。「大丈夫。おれに方法がある。あんたは板兒を連れて行って、先に奥様付の召使の周旦那を訪ねるんだ。周旦那に会えたら、脈ありだ。この周旦那というのが、昔おれの親父と交際があり、あの人とうちとはもともととても良い関係だったんだ。」劉婆さんは言った。「わたしも知っているよ。ただ長いこと往き来が無かったから、あの人が今どうされているか知っているのかい。それじゃあ話にならないよ。あんたは男で、そんななりじゃあ、行くわけにいかないね。うちの年若い嫁も、人様の前に顔を晒すわけにいかないから、やはりこの年寄りが身を捨て当たってみるしかないね。もし良い目が出たら、皆にも利益になるんだから。」その晩の相談はこうして定まった。

 翌日夜のまだ明けぬうちに、劉婆さんは起き出して身ごしらえし、また板兒に二言三言注意した。五つや六つの子供とて、都見物に連れて行ってくれると聞いて、嬉しさの余りなんでもはい、はい、と頷いた。それで劉婆さんは板兒を連れ、城門をくぐって寧府栄府が並ぶ通りにやって来た。栄国府のお屋敷の正門前の石の獅子の傍らに着くと、門前は駕籠や馬で一杯だった。劉婆さんは入って行く勇気がなかったので、衣服の土やほこりをはたくと、また板兒に二言三言小言をたれ、それから角門の前に歩み寄ると、何人か偉そうにふんぞり返り、あれこれ来訪者のあら捜しをする男たちが正門の前に座り、あれこれ話をしているのが見えた。劉婆さんは注意深く、内心びくびくしながら近寄って尋ねた。「兄さんたち、ごきげんよう。」男たちはしばらく値踏みしていたが、尋ねた。「どちらさんかね。」劉婆さんは作り笑いを浮かべて言った。「奥様のお付きの召使の周旦那にお目にかかりたいんです。兄さんたち、どなたかお取次ぎいただけませんか。」男たちは聞いていたが、皆相手にしてくれず、しばらくして、ようやくこう言った。「あんた、ずっと向こうのあの塀の角のところで待ってなさい。しばらくしたらあのお宅の人が出て来るよ。」男たちの中の年かさの男が言った。「わざわざあの旦那のことで間違ったことを言わなくてもいいじゃないか。」そして劉婆さんに言った。「周旦那は南の方へ行かれたんだ。あの人は後ろの方にお住まいで、あの家のお婆様がご在宅だ。あんた、こちろから回って、後ろの通りの門のところで尋ねればいいよ。」

 劉婆さんは礼を言って、板兒を連れて後ろの門に回ると、門のところでは物売りの担ぎ子が休んでいた。食べ物を売る者、おもちゃを売る者がいて、がやがや賑やかに三十人ほどの子供たちがそこにたむろしていた。劉婆さんはそれでそのうちひとりを引っ張ってきて尋ねた。「お兄ちゃん、ちょっと聞くけどね。周おばさんて方はご在宅かい。」その子供は腹を立て睨みながら言った。「どちらの周おばさんなの。ここには周おばさんは何人もいるんだ。何をしてる人だい。」劉婆さんは言った。「奥様のお付きの召使の方さ。」その子は言った。「だったら簡単だ。僕についておいで。」劉婆さんを連れて裏庭に入ると、ある家の塀のそばまで行って、指さしして言った。「ここがその人の家だよ。」そして大声で言った。「周おばさん、お婆さんが尋ねて来たよ。」




 周瑞の家内(周瑞家的)は中で急いで応対に出て来ると、尋ねた。「どちら様で。」劉婆さんはそれに対して笑って言った。「周のねえさん、お元気ですか。」周瑞の家内はしばらく考えてようやくそれと分かり、それから笑って言った。「劉のお婆様、ごきげんよう。どうされていたの、ここ数年お会いしていないものだから、忘れてしまいましたわ。どうぞ中でお座りください。」劉婆さんは、歩きながら笑って言った。「あんたはいつも「身分のお高い人はよく物忘れする」だからね。よくまだうちのことを憶えていたものね。」そう言っているうち、部屋に着き、周瑞の家の召使がお茶を淹れて一服をした。周瑞の家内はまた尋ねた。「板ちゃんはこんなに大きくなったのね。」また前回別れてからのよもやま話をしていたが、また劉婆さんに尋ねた。「今日は途中で寄られたの、それともわざわざ来られたの。」劉婆さんはそれで言った。「元々はちょっと姉さんの顔を見たいと思って来たんだよ。二つ目に奥様にご機嫌うかがいをしたくてね。もしわたしを連れて行ってもらってお会いできればそれが一番だけれど、だめなら姉さんの方からお伝えしてもらえばいいわ。」

 周瑞の家内はそう聞いて、ある程度来意を察した。彼女の夫は昔田地の購入を争い、狗兒の父親の助力を大いに受けたことがあり、今は劉婆さんのこのような有様を見て、心の中でむげに断るのは難しいと思った。また二つ目には自分の体面をひけらかしたいとも思った。それで笑って言った。「お婆さん、安心して。遠くからわざわざ誠心誠意来られたのに、どうしてあんたに本当の仏様にお会いいただかずにおけましょう。理屈から言うと、お客様が来られても、わたしとは関わり合いが無いのよ。このお屋敷では、皆それぞれ役割が決まっているの。男は春と秋の小作料の管理をして、閑な時は坊ちゃん方を連れての外出。わたしは奥様や大奥様と外出することだけ関わっているの。でもあんたは奥様の親戚だし、それにわたしを見込んで、うちに身を寄せて来られたのだから、わたしも慣例を破ってあんたのことをお伝えするわ。でもひとつ、あんたがご存じないことがあるの。このお屋敷は五年前と違って、今奥様は屋敷内の事務を差配しておられず、皆お子さんの璉様の奥様が取り仕切っておられるの。あんた、璉様の奥様ってどなただと思う。奥様の姪御さんで、お兄様の娘さん、幼名を鳳哥と言われるの。」

 劉婆さんはそれを聞いて、急いで尋ねた。「どなたかと思えばあのお方ですか。道理で、わたしも当時あの方は大したものだと思っていましたの。そうおっしゃるなら、わたし今日その方にもお目にかかれますか。」周瑞の家内は言った。「それはもちろん、今お客がいらしたら、必ず鳳様が接待の周旋をされますから、今日たとえ奥様にお会いできなくても、あの方に一目お会いされれば、今回来られたのも無駄にならずに済みますわ。」劉婆さんは言った。「南無阿弥陀仏。これも皆姉さんの便宜のお陰ですわい。」周瑞の家内は言った。「お婆さん、何をおっしゃいます。諺にも言うじゃないですか、「人に便宜をはかれば、自分にも具合が良い」と。でもわたしについて言えば、わたしが何ら関わることじゃありませんのよ。」そう言うと、若い召使を呼んで倒庁(母屋の北側の裏庭に面した付属の部屋)に行き、こっそり奥様の部屋に食事の支度がされたか聞いて来るよう言いつけた。若い召使が出て行った。

 ここでふたりはまたしばらく無駄話をした。劉婆さんはそれで言った。「この鳳お嬢様は、今年やっとまだ十八九に過ぎないのに、このように才能がおありになって、このようなお屋敷では、しかし得難い方ですね。」周瑞の家内はそれを聞くと言った。「ああ、お婆さん、あまり人様には申し上げられないことですわ。この鳳お嬢様は年はまだお若いのに、事務を処理することにかけては、他の誰より長けていらっしゃるの。今ようやくお年頃になられたばかりなのに、少なく見積もっても一万もの才覚をお持ちです。更に口も達者で、十人のよくしゃべる男でもあの方を言い負かすことなんてできません。あの方にお会いになれば分かります。ただひとつ、下の者に対してはやや厳しいかもしれませんわ。」話していると、若い召使が戻って来て言った。「奥様のお部屋に食事の支度ができています。若奥様は奥様のお部屋におられます。」

 周瑞の家内はそれを聞いて、慌てて立ち上がると、劉婆さんをせきたてた。「早く行きましょう。この時間は食事を取られる間だけが空いていますから、わたしたち先に行って待っていましょう。もし一足遅れたら、用事のある方がたくさんいて、お話しするのが難しくなります。その後はお昼寝の時間になって、益々時間がなくなります。」そう言いながら、一緒にオンドルに座ると、身づくろいして、また板兒に二言三言教え諭し、周瑞の家内に付いて、くねくね曲がった通路を通り賈璉の家にやって来た。先ず倒庁に行き、周瑞の家内は劉婆さんをそこに待たせておいて、自分は先に影壁(目隠しの壁)を通って、門の中に入り、鳳姐がまだ出て来ていないと知ると、先に鳳姐の腹心の召使で、名を平兒と言うのを捜して来た。周瑞の家内は先ず劉婆さんの来歴を最初から説明すると、こう言った。「今日は遠方からご機嫌うかがいに来られました。昔は奥様がいつもお目にかかられていたので、わたしがこの方をお連れしました。奥様が出て来られましたら、わたしが詳しくご説明します。きっと奥様もお怒りになって後先無く振る舞われることはないと思います。」

 平兒はそれを聞いて、こう提案した。「その方たちに入っていただいて、先にここに座っていただいてくださればいいですわ。」周瑞の家内はそれでようやく出て行き、劉婆さんたちを連れて入って来た。母屋の階(きざはし)を上ると、若い召使が緋色の緞子のカーテンを開けてくれ、ようやく広間に入ることができた。部屋の中では良い香りが一斉に顔に降りかかった。何の香りかは分からなかったが、身体がまるで雲の端にいるかのような心地がした。部屋中の調度が皆輝いて眼に眩しく、そこにいると頭がぼうっとして眼がくらくらした。劉婆さんはこの時はひたすら頷いて舌打しながら念仏を唱えるばかりだった。そして東側の部屋に入ると、そこは賈璉の娘の寝室であった。平兒はオンドルの縁に立ち、劉婆さんを両眼で見つめて観察したが、挨拶をして座ってもらうしかなかった。劉婆さんは平兒を見ると、全身絹の衣服に、金銀の装飾品を身に着け、花や月のように綺麗な容貌であったので、この方が鳳お嬢様だと思い、若奥様と呼ぼうとしていると、周瑞の家内が「この方は平様です。」と言った。すると平兒が周瑞の家内をすかさず「周おばさん」と呼んだので、それでようやくこの人が地位のある召使だと分かった。それで劉婆さんと板兒をオンドルの上に座らせ、平兒と周瑞の家内はオンドルの縁に沿って対面に座り、若い召使たちがお茶を淹れて一服してもらった。

 劉婆さんはカタンカタンという音が聞こえ、小麦を篩にかけているようだったので、きょろきょろ見渡すと、ふと広間の中の柱の上に箱がひとつ掛けられ、箱の底から秤(はかり)の分銅のようなものがぶら下がり、絶えず止まらずに揺れ動いていたので、劉婆さんは心の中でこう思った。「これは何だろう。何をするものだろう。」思わずポカンとしていると、突然「ゴオン」という音が聞こえ、まるで釣鐘か銅磬(けい。吊り下げて撞木(しゅもく)で打ち鳴らす楽器)が鳴ったようで、びっくりして眼を見開いた。続いて連続でまた八九回鳴ったので、これが何か尋ねようとしていた時、若い召使たちが一斉に走って来て言った。「奥様がお出ましです。」平兒と周瑞の家内は急いで立ち上がり、言った。「お婆さん、座っていればいいんだよ。適当なタイミングで、わたしたちがお呼びするから。」そう言いながら、お出迎えに行った。

 劉婆さんは音を立てずに聞き耳をたてて黙って待っていると、遠くから人の笑い声が聞こえ、二十人近くの婦人たちが、スカートのすそをサラサラ擦りながら、次第に広間に入って来て、あちらの部屋の中に向かった。また二三人の婦人が、赤い塗料で塗られた蓋付きの箱を捧げ持ち、こちら側に入って来て控えた。あちら側で「料理を並べて」と言うのが聞こえると、だんだんと人がぱらぱらと出て行き、料理を持ち控えている何人かだけが残った。しばらくの間、物音ひとつしなかった。ふとふたりの人がオンドル用のテーブルを一台担いで来て、こちらのオンドルの上に置くと、テーブルの上にお碗や大皿を並べたが、どれも魚や肉が一杯に盛られていて、多少料理の内容が異なるだけであった。板兒は一目見るなり、肉が食べたいと叫んだが、劉婆さんが手のひらで板兒を叩いた。ふと周瑞の家内がにこにこしながらやって来て、手招きして劉婆さんを呼んだので、劉婆さんはそれと察し、板兒を連れてオンドルを降り、広間の真ん中に行くと、周瑞の家内がまた劉婆さんにちょっとささやくと、ようやくゆっくりとこちらの部屋の中に入って行った。

 入口の外の銅の掛け金には赤地に刺繍を施したカーテンが掛けられ、南側の窓の下はオンドルで、オンドルの上には赤い毛氈が敷かれ、東側の板壁に寄りかけ鎖模様の入った錦の座椅子と脇息が置かれ、金糸で織ってきらきらした座布団が敷かれ、その横には銀の痰壺が置かれていた。かの鳳姐は日常使いのクロテン(紫貂)の昭君套(髻(もとどり(まげ))の下を覆う帽子状の防寒を兼ねた飾り)を付け、真珠を金糸や銀糸で連ねた額と耳の覆い(勒子lēi zi)を巻き、桃色の地に刺繍を施した上着を着て、深い藍色のつづれ織りを施した鼠色の外套に、赤い舶来のシロリスの毛皮のスカートを身に着けていた。肌はおしろいで真っ白、唇には紅が艶っぽく塗られ、あちらにきちんと座り、手には小さな銅の火箸を持って、手炙りの中の灰をいじっていた。板兒はオンドルの端に沿って立ち、小さな填漆(てんしつ)の茶盆を捧げ持ち、盆には小さな蓋付きの茶碗を乗せていた。鳳姐はまだ茶をもらわず、俯いたまま、ずっと灰をいじりながら、ゆっくりと言った。「どうしてまだ入ってもらわないの。」そう言いながら、頭を上げて茶をもらおうとすると、周瑞の家内が既にふたりを連れて前の方に立っているのが見えたので、それでようやく急いで立ち上がろうとして、まだ立ち上がらないうちに、顔中笑みを浮かべてふたりに挨拶し、また周瑞の家内に対し、腹立たし気に「どうして早く言わないの」と言った。劉婆さんは既に床に座って何度か額をつけてお辞儀し、若奥様に挨拶をした。鳳姐は慌てて言った。「周姉さん、すぐ手をお取りしてお辞儀をやめて頂いて。わたしは年端もいかないもので、(礼儀作法を)あまりよく知りません。また(お婆さんが長幼の順序で)どの年代の方かも存じ上げないので、どうお呼びしたらよいか分からないのです。」周瑞の家内は急いで答えた。「この方が先ほど申し上げたお婆様です。」鳳姐は頷き、劉婆さんは既にオンドルの縁に座っていた。板兒は劉婆さんの背後に隠れ、手を尽くして出て来て挨拶するよう言っても、決して出て来ようとはしなかった。


 鳳姐は笑って言った。「親戚の方たちはあまり往き来されないので、皆疎遠になっています。知っている人たちは、あなたのところがわたしたちを嫌って相手にしないと言って、あまり来ようとしないのです。情況を知らない人たちは、わたしたちがその方たちを見下して相手にしていないと誤解されているようなのです。」劉婆さんはひたすら念仏を唱えて言った。「うちは暮らし向きが苦しく、(路銀が無く)出て来ることさえままならなかったのです。ここに出て来たのも、(手土産も持たずに来て)若奥様のお顔をつぶそうと思ったのではなく、お屋敷の皆さんにわざと貧乏を装っているように感じさせようとしたのでもありません。」鳳姐は笑って言った。「大丈夫、誰も気を悪くしていませんよ。でも(この家は)お爺様の名声に頼って、朝廷の役職を保っている貧しい役人に過ぎなくて、何様でも無いのですよ。見掛け倒しに過ぎません。ことわざにも言うじゃないですか、「どんな富貴な家にも貧しい親戚がいる」とね。ましてやお宅とうちの間柄じゃないですか。」そう言いながら、また周瑞の家内に尋ねた。「お母さまはもう戻られて。」周瑞の家内が言った。「奥様のご指示のままに。」鳳姐は言った。「ちょっと見て来ておくれ。もしお客様がおられたらそれでいい。もしお暇なようなら、戻って来て、どうおっしゃっているか教えておくれ。」周瑞の家内は「はい」と答えてそちらへ向かった。

 こちらでは鳳姐が人に言いつけて、お菓子を少し持って来させて板兒に与え、ちょうど二言三言世間話でもしようとしていると、いくつかの家族のお嫁さんや執事が取り次ぎを頼みに来た。平兒が戻って来たので、鳳姐は言った。「わたしは今お客のお相手をしているので、夜にまた来てちょうだい。もしお急ぎなら、あなたがここにお連れしてくれればすぐに対応するわ。」平兒は出て行って、しばらくして入って来て言った。「お尋ねましたら、急ぎの用件は無いです。あの方たちには戻るよう申し上げました。」鳳姐は頷いた。すると周瑞の家内が戻って来て、鳳姐に言った。「奥様は、「今日は時間が無い、若奥様がお相手しても同じことで、お心がけに感謝する。もしただ遊びに来られただけならそれでいい。何か話があるなら、若奥様に言ってもらえばそれでいい。」とおっしゃっていました。」劉婆さんは言った。「別に何もお話しすることは無いですよ。奥様や若奥様のお顔をちょっと拝みに伺っただけで、親戚のよしみですよ。」周瑞の家内が言った。「何も言うことが無ければそれでもいいのよ。もし話があるなら、若奥様に相談しさえすれば、奥様と同じことなのよ。」そう言いながら、目くばせした。

 劉婆さんは意を察して、言葉が出ないうちに先に顔を赤らめた。今言わなかったら、今日何のために来たのだろう。それで無理やり口を開かざるを得なかった。「今日初めてお目にかかって、元々言うまいと思っていたのですが、遠くからこちらさんに駆け込んで来た以上は、申し上げない訳にはいかないのです……」ここまで言った時、母屋の入口から小僧たちが入って来てこう言うのが聞こえた。「東府の若様がお越しになりました。」鳳姐は急いで劉婆さんに手を振って言った。「言う必要はありませんよ。」一方で尋ねた。「蓉叔父様はどちらにおられるの。」するとこちらに歩いて来る靴音が聞こえ、17、8歳の少年が入って来た。眉目秀麗で、体つきがスラッとし、綺麗な衣服に華やかな冠を付け、軽い皮の上着と宝石の飾りを身に着けていた。お婆さんはこの時、座るでもなく、立つでもなく、隠れように隠れるところがなく、身をかわそうにも、適当な場所が無かった。鳳姐は笑って言った。「お婆さんは座っていらっしゃって。この人はわたしの甥だから。」劉婆さんはもじもじとオンドルの縁に身体を斜めにして座った。

 かの賈蓉は挨拶を交わし、笑って言った。「わたしの親父からおばさんに頼むよう言われて来ました。この前叔父の奥さんがおばさんにくださったあのガラスのオンドル用の衝立ですが、明日大切なお客さんの接待があるので、ちょっと並べておきたいんです。すぐお返ししますから。」鳳姐は言った。「来られるのが遅かったですわ。昨日もう人にあげてしまったの。」賈蓉はそう聞いて、にこにこ笑ってオンドルの端に片膝をついて言った。「おばさんが貸してくれないなら、親父はわたしが人に頼み事もできないと言って、一発殴られてしまいます。おばさん、後生だから、わたしを可哀そうと思って。」鳳姐は笑って言った。「こちらにある王家のものは何でも上等だと思っていらっしゃるのではないわよね。あんたのとこにもあんな上等なものが置かれているのに、うちのものだけが良いと思わないでほしいわ。一目見るなり、持って帰ろうと思うなんて。」賈蓉は笑って言った。「どうかおばさん、お慈悲を施しください。」鳳姐は言った。「ちょっとでもぶつけて壊したら、あんた、ただでは済まないわよ。」そう言って平兒に命じて、玄関のところの鍵を持って来させ、何人か適当な人を呼んで担いで行かせようとした。賈蓉は喜んで相好を崩し、慌てて言った。「わたしが自分で人を連れて持って行きますよ。乱暴に扱ってぶつけさせないで。」そう言いながら、立ち上がって出て行った。

 この鳳姐はふとある用事を思い出し、窓の外に向かって大声で言った。「蓉ちゃん、戻って来て。」外にいた何人かがその声に次いで言った。「蓉旦那様、お戻りください。」賈蓉は急いで戻って来て、満面の笑顔で鳳姐を見つめながら、どんな用件か聞いた。かの鳳姐はただゆっくりと茶を飲むばかりで、しばらく神経を何かに集中し、黙っていたが、ふと顔を赤らめると、笑って言った。「もういいわ。あなた、先にお帰りになって。夕食後、あなたが来られたらまた言いますわ。今は人がいるから、わたしもその気にならないわ。」賈蓉は「はい」と答え、口をすぼめて笑い、それからしばらくしてゆっくりと退出した。

 この劉婆さんはようやく落ち着いたので、こう言った。「わたしが今日あなたの甥を連れて来たのは、他でもなく、この子の両親は食べるものも無く、季節も寒くなってきたものですから、仕方なく甥っ子を連れてこちらに駆け込んで来ざるを得なかったのです。」そう言いながら、板兒の肩を押して言った。「あんたの父さんは家でどうあんたに教えたの。わたしたちにこちらに来て何をするよう言ったの。お菓子を食べることばかり考えてちゃだめよ。」鳳姐はとっくに来意を察していたので、板兒が話ができないでいるのを見て、笑って言った。「言う必要ないわよ。分かっているから。」それで周瑞の家内に尋ねて言った。「このお婆さんは朝ごはんは食べられたの。」劉婆さんは急いで言った。「朝一番でこちらに伺ったので、飯を食ってる時間もありませなんだ。」鳳姐はそれで「すぐに食事をお持ちして。」と命じた。

 しばらくして周瑞の家内はお客をもてなす料理を一卓運ばせて、東の部屋に並べさせ、こちらに戻ると劉婆さんと板兒を連れて行って食べさせた。鳳姐はこちらで言った。「周姉さんがちゃんとお世話をしてあげてね。わたしは付いてあげられないから。」一方でまた周瑞の家内を呼んで近くに来させて尋ねた。「先ほど奥様のところから戻って来られたけど、奥様はどうおっしゃっていたの。」周瑞の家内は言った。「奥様はこうおっしゃっていました。「あの人たちは元々同じ一族ではありません。曾て、あの人たちのご祖先と大爺様が同じ役所に勤めておられたので、同族のよしみを結んだのです。ここ数年はあまり往き来がありませんでした。当時はあの方たちが来られるのは、必ず何か用事があってのことでした。今私たちに会いに来られたのも、あちらさんの善意ですから、失礼があってはいけません。どう申し上げるかは、若奥様が決められればよろしいです。」」鳳姐はそれを聞いて言った。「道理で同じ一族と言いながら、わたしが見たことも聞いたことも無い訳だね。」

 このように話している間に、劉婆さんは既に食事を食べ終え、板兒を連れてやって来て、舌なめずりしながらお礼を言った。鳳姐は笑って言った。「ちょっとお座りになって。わたしが言うことをお聞きになって。先ほど言われたご用件、了解しました。親戚のよしみで言えば、元々尋ねて来られるのを待たずに応対するのが筋ですが、ただ今は家の中でやらないといけないことが多過ぎて、奥様もお歳をめされ、すぐには想いが廻(めぐ)らないこともあるのです。わたしは今家のことを引継ぎましたが、こうした親戚関係のことはあまり存じ上げないし、ましてや表面的にはとてもにぎやかに見えても、大きな家にはもた違った難しさがあって、それを人に言ってもなかなか信じてもらえないのです。お婆さんは遠くからお越しになり、またいの一番にわたしのところに尋ねて来られたのに、どうして手ぶらでお帰しできるでしょうか。ちょうど昨日奥様がうちの召使たちに衣裳を作るのにくださった二十両の銀子がまだ手つかずです。少なくて申し訳ないのですが、とりあえず持ち帰って使ってください。」

 かの劉婆さんは先ほど自分たちが生活が困窮していると話したが、助けてもらえる希望が無いと思っていたところ、二十両の銀子をいただけると聞き、嬉しくて相好を崩して言った。「うちでもそちら様がご苦労されているとは伺っておりましたが、ただ諺にも「痩せ死にした駱駝でも馬より大きい」と申しますわな。どう比べても、おたくが抜いた産毛一本だって、うちらの腰回りよりまだ太いですからの。」周瑞の家内は傍で聞いても婆さんの言が粗野なものだから、ひたすら目くばせして婆さんが言うのを止めさせた。鳳姐は笑って気にもかけず、平兒に昨日のあの銀子の包みを持って来させ、更にひとさしの銅銭を取り出し、それらを皆劉婆さんのそばに持って行ってやった。鳳姐は言った。「これが二十両の銀子です。とりあえずこの子に冬の衣服でも作ってやってください。後日何もなければ、こちらに都見物にいらしていただければ、それでこそ親戚どおしと言うものです。今日はもう時間も遅いので、無駄にあなたがたをお引止めしません。お家に戻られたら、皆さんによろしくお伝えください。」そう言いながら、立ち上がった。

 劉婆さんはただひたすら恩義を感じて感謝し、銀子と銅銭を手に、周瑞の家内と一緒に家の外に出た。周瑞の家内は言った。「おやまあ、あなたはどうしてあの方にお会いしてもちゃんと話を申し上げなかったの。口を開けば「あなたの甥」だなんて。たとえ実の甥だって、話をするときはことばに注意して、もう少し優しく言わないと。あの蓉旦那様こそあの方の甥御さんなのに、あんたはどうして「あなたの甥」なんて無茶な言い方をしたの。」劉婆さんは笑って言った。「姉さん。わたしはあの方にお会いして、内心あの方が好きでたまらなくなったのだけど、その気持ちがことばで表せなくなったのよ。」ふたりは話しながら、また周瑞の家に戻ってしばらく座っていたが、劉婆さんは銀子を一個周瑞の家内に渡し、周家の子供たちにお菓子を買って食べさせるよう言ったが、周瑞の家内はそんなものは眼中に無く、決して受け取ろうとしなかった。劉婆さんはどんなに感謝してもし尽くせなかったが、また屋敷の裏門から帰って行った。劉婆さんが帰った後にどうなったか、次回で解き明かします。

 以上で第六回は終了。今回鳳姐が劉婆さんにかけた恩により、あとあと鳳姐の娘がお返しで助けられるということが第五回に書かれていましたが、それはまた後のお話。この後、物語がどのように展開するかは、第七回のお楽しみです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする