中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

最近の新聞記事から: 橘生淮南則為橘,生于淮北則為枳

2011年02月28日 | 中国語成語

 最近、企業の社会責任が強く問われるようになりましたが、中国に於いてもそのことは例外ではありません。特に、中国の下請け、二次下請けに仕事を出している親会社が、こうした下請け企業で起こった問題にも責任を負わなければならないというのは、経済原理一辺倒で進んできた社会に警鐘を鳴らすものでありましょう。
 さて、今回は、最近明るみになったアップルのIPHONEなどの部品を製造している下請けメーカーの中国工場で起きた、有害物質使用による従業員の労働災害について、アップルが責任を問われるという事件についてです。

 この記事の中で、ことわざが二つ使われています。一つは表題に記したものですが、さて、その意味と使われ方を見ていきましょう。

                 “苹果”究竟出了什麼問題?
             (アップルは一体どんな問題を起こしたのか?)
               2011年02月22日 来源:中国経済網

■ 経済学家郎咸平在《産業鏈陰謀》一書中曾指出,“中国経済正上演着一産業鏈悲劇。在這出悲劇里,凭借産業鏈優勢盤剥中国企業的外商們笑逐顔開,得意洋洋;中国的経済、中国的企業、中国的百姓却在哭泣!外企公司応該対供応商的社会責任行為負責。”在富士康的“跳楼風波”、沃尓瑪的“虚假標簽”事件剛剛偃旗息鼓之時,又有一家跨国公司陷入了供応鏈責任困境

・産業鏈 chan3ye4lian2 =供応鏈 gong1ying4lian2 サプライチェーン。サプライチェーンをそのまま訳すと“供応鏈”が正しいのでしょうが、一般に“産業鏈”もよく使われます。
・出 chu1 [量詞]芝居の一幕。芝居を数える。ここでは、中国の一般の民衆にふりかかった「悲劇」の量詞として使っていますが、この使い方では通常はこのように“一”、或いは“這”が付き、実際の数はあまり意味がありません。
・盤剥 pan2bo1 (高利貸しが)搾取する。金を搾り取る
・笑逐顔開 xiao4zhu2yan2kai1 [成語] うれしさに顔をほころばせる。相好を崩して笑う。
・供応商 gong1ying4shang1 サプライヤー
・風波 feng1bo1 騒ぎ
・虚假 xu1jia3 うその。偽りの。
・標簽 biao1qian1 ラベル。レッテル。
・偃旗息鼓 yan3qi2xi1gu3 [成語] 軍旗を降ろし軍鼓を打つのをやめる、つまり、軍隊が敵に悟られないよう、秘かに進軍または退却すること。〈比喩〉批判や攻撃が鳴りを潜める。
・困境 kun4jing4 苦境。苦しい立場。/陷入xian4ru4~困境 ~という苦境に陥る

  経済学者の郎咸平は『サプライチェーンの陰謀』という本の中で、次のように指摘した。「中国経済はサプライチェーンの悲劇を正に演じている。この悲劇の中で、サプライチェーンでの優勢に基づき、中国企業を搾取する外国の商人たちはうれしさに顔をほころばせ、得意満面であるが、一方、中国経済、中国企業、そして中国の一般大衆達は悲しみにくれている。外国企業はサプライヤーの社会責任行為に対して責任をとらないといけない。」フォックスコンの「従業員飛び降り自殺騒ぎ」、ウォルマートの「虚偽の価格表示」事件がようやく落ち着いたばかりだというのに、またグローバル企業が一社、サプライチェーンの責任という苦境に陥った。

■ 近日,36家国内民間環保組織披露苹果産品生産過程中渉嫌使用有毒物質正己[●火偏に完]。沉默多日之后,苹果公司終于公布了2010年供応商責任進展報告,首次公開承認中国供応鏈137名員工因汚染致残。而有受害員工称,公司与其簽訂一份協議,離職后,公司与員工再無関係。如果不離職就得不到賠償金。

・披露 pi1lu4 公表する
・渉嫌 she4xian2 嫌疑がかかる。疑われる
・正己[●火偏に完] zheng4ji3wan2ノルマルヘキサン

 最近、36の中国内の民間の環境保護団体が、アップル製品の生産過程で有毒物質・ノルマルヘキサンが使われた疑いがあると公表した。何日にもわたる沈黙の後、アップルは遂に2010年のサプライヤー責任進展報告を公表し、はじめて公に中国のサプライチェーンの137名の工員が汚染により障害を負ったことを認めた。障害を受けた工員によれば、会社とは協議書を締結させられ、離職後、会社は工員とは無関係であるとされ、もし離職しなければ、賠償金をもらうことができないと言う。  

 以上が事件のあらましですが、ここで、この記事のひとつ目のことわざが使われます。

■ 本着“打破砂鍋問到底”的精神,我們不禁還要追問下去:為什麼一向以“緑色形象示人”、対供応商行為准則要求厳格的企業,到我国后就被貼上了“血汗工廠”的標簽呢?

・打破砂鍋問到底 [比喩]“打破砂鍋問到底”は本当は“打破砂鍋紋到底”で、土鍋は割れやすく、口のところにひびが入る(“砂鍋紋”)と、あっという間にひびが鍋の底にまで広がり(“紋到底”)割れてしまいます。“紋”と“問”は声調は違うが音は共に“wen”なので、入れ替えて、“問到底”とし、問題の根本原因を徹底的に追求するという意味で使われます。
・准則 zhun3ze2 基準、規範。のっとるべき原則。[用例]行動的准則

 「問題の根本原因を徹底的に追求する」という精神に基づき、私たちは次のことを追求せざるを得ない。どうしてずっと「クリーンなイメージを人に与え」、サプライヤーの行動基準に厳格な要求をしてきた企業が、我が国に来たとたんに「労働者の血と汗を搾取する工場」というレッテルを貼られてしまうのか?

 続いて、二つ目のことわざが使われます。

■ 或許只有“橘生淮南則為橘,生于淮北則為枳”這句話,才可以為我們答疑解惑。“苹果中毒事件”経媒体曝光后,面対環保組織的質疑、受害員工的訴求、社会大衆的関注,這個著名的跨国公司従回避沉默,到低調承認,其冷漠的態度之下,頗有“我爸是XX”的“風範”。這一刻,苹果公司倣佛被国内一些缺企業“霊魂附体”,学会了“打死都不承認自己犯錯”的癩皮狗精神,還擁有“錯誤都推給臨時工”的護身大法。

・橘生淮南則為橘,生于淮北則為枳zhi3 蜜柑の木は淮河の南に植えられると蜜柑が実るが、淮河の北に植えられると枳殻(からたち)になって、実は食べられない。そこから、比喩として、「環境が変わると、事物の性格も変化してしまう」という意味で使われます。 出典は、《晏子春秋・雑下之十》。
・答疑解惑 da2yi2jie3huo4 疑問に答え、困惑を解決する
・冷漠 leng3mo2 冷淡である。冷ややか。
・風範 feng1fan4 態度
・霊魂附体 ling2hun2fu4ti3 死人の霊魂が生きている人の体に取り付くこと。
・癩皮狗 lai4pi2gou3 〈比喩〉恥知らず。卑怯者

 ひょっとすると、「環境が変わると、ものの良し悪しの基準が変わってしまう」ということばの中に、私たちの疑問への解答があるのではないか。「アップル中毒事件」がマスコミを通じて明るみになってから、環境団体の質問、障害を受けた工員の訴え、社会大衆の関心に直面し、この著名なグローバル企業は、問題を避けて沈黙を保つという態度から、控え目にそれを認めるという態度に変わったが、その冷やかな態度の下には、頗る「私の父親はXXだ」という傲慢な態度が見受けられる。この瞬間、アップルは中国国内のいくつかの悪徳企業に「霊魂が取り付かれ」、「殺されても自分の間違いを認めない」恥知らずの精神を学び、「過ちは皆、臨時工に押しつける」という護身術を身につけた。

 そして、次の一節でこの記事の結論が語られています。

■ 進一歩説,近些年来,一些地方政府為了経済発展,漠視這些跨国公司的違法行為,黙許代工廠的運作方式。我們可以看到,在GDP数字的瘋狂増長下,却是人為圧低的労働者工資、遭到侵害的労働者権益、日益破壊的生態環境……

 一歩進んで言うと、ここ数年、いくつかの地方政府は経済発展のため、これらグローバル企業の違法行為を無視し、下請け工場の運営方式を黙認してきた。私たちは、GDPの数字の狂気じみた成長の下、人為的に低く抑えられた労働者の賃金、侵害を受けた労働者の権益、日益しに破壊が進む生態系……といったものを見てきた。

■ “苹果”到底出了什麼問題?或許只有我們自己才是問題的答案。

 「アップル」はつまるところどんな問題を起こしたのか?或いは私たち自身だけが問題の解答を持っているのかもしれない。

 このように、記事の表題が結びの文となっています。さて、アップル事件とはどんな問題だったのでしょうか?そこで、今回のことわざが重要な意味を持ちます。

 “橘生淮南則為橘,生于淮北則為枳”というのは、実はグローバル企業のことを言っているのではなく、経済成長に浮かれる自分たち自身のことを言っているのです。


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《雲郷話食》を読む: [食孛] [食孛](ボォボ)

2011年02月27日 | 中国グルメ(美食)



 「ボォボ」とは、聞き慣れないことばです。そもそも、[食孛]という字自体、boという音に対して食偏を付けた造字で、これ以外には使われません。そこで、雲郷のこの文を読んで分かったのは、“孛孛卓”という満州族の風習で、これがこのことばの源流にあり、それが、清朝が300年余りの長きに続く中で、広く麺食を表すことばとなっていったようです。
 なお、この文の中では、便宜上、食偏を省略し、“孛孛”と表記しています。

     -*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

■ “孛孛”(●食偏。以降、便宜上“孛孛”と表記する。bo1bo)這個詞語,是地地道道北京的土語,恐怕直到現在,北京的老年人還是這様叫吧?北京旧時点心舗,有的就叫孛孛舗,門前房檐下挂着四塊長木牌,紅漆金字作幌子,有一塊上一定写着“大小八件,満漢孛孛”八个字。這也好像飯館子写満漢全席一様。孛孛実際就是点心、糕点的同義詞。人們把好吃的糕点叫作香孛孛,方言中意思又有転折,如嘲笑“紅人”,大家都找的大忙人,就叫“香孛孛”,這在《紅楼夢》里用的極為伝神。這里且不多説,我只提個醒儿,留待読者自去翻閲吧。

・孛孛(実際は食偏)bo1bo 小麦粉など穀物の粉を焼いたり蒸したりして作った菓子。主に北京など北方の言い方
・地道 di4dao [形容詞]正真正銘の。生粋の。本場の。本文のように、重ねて“地地道道”di4didao4daoというように用いて、意味を強める。
・土語 tu3yu3 “土話”tu3hua4ともいう。方言。
・房檐 fang2yan2 軒。軒先。
・大小八件: 昔、北京や天津のお菓子屋で贈答用に売られているお菓子は、中に餡の入った、外側は型に入れて作った焼き菓子で、中の餡が八種類あって“八件”と呼び慣わした。大と小は大きさ、重さの違いで、大八件は、8個合わせて重さが1斤(500g)、小八件は8個合わせて重さが半斤(250g)であった。
・紅人 hong2ren2 売れっ子。人気者。
・伝神 chuan2shen2 真に迫る

 「ボォボ」ということばは、生粋の北京の方言で、おそらく現在でも、北京の年寄りはこう呼んでいるのではないだろうか。北京の昔のお菓子屋は、あるものは“孛孛舗”と呼ばれ、店の軒先には四枚の細長い木の看板が掛けられ、赤い漆の地に金文字で書かれた看板は、中の一枚には必ず「大小八件、満漢孛孛(満族風・漢族風の孛孛)」の八文字が書かれていた。これはちょうどレストランの看板に「満漢全席」と書かれているのと同じである。“孛孛”は、実際は“点心”、“糕点”と同義語である。人々は美味しいお菓子を“香孛孛”と呼んだが、そこから派生して、例えば「売れっ子」をからかうのに、皆が会いたがっている大忙しの人のことを、“香孛孛”と呼んだ。このことは《紅楼夢》の中でよく書けている。ここではこれ以上言わないが、敢えて指摘しておく。皆さん自身で実際に読んで確認してほしい。

■ 按:孛孛也可写作“波波”,或作“磨磨”、“莫莫(●食偏。mo2mo)”,実皆“畢羅(●共に食偏)bi4luo2”一詞的一音之転,意思都是一様的。楊升庵《升庵外集》中,就明確注明:“畢羅今北人呼為波波。”在北京方言中,它最少有三四種涵義。一是如満漢孛孛所説的,汎指一切糕点餅餌。二是売硬面孛孛的小販売的,的確是以孛孛命名的面餅等,如硬面孛孛、発面孛孛、杠子孛孛、笪da2子孛孛(即鐲zhuo2子孛孛,一個面做的圓圈)、片儿孛孛等等。三是“孛孛卓”的孛孛。四是把水餃也叫作煮孛孛。按《正字通》的解釈,“畢羅用面為之,中有餡”,因而就詞的内涵説,是有不少東西都可叫作孛孛的。

・畢羅(●共に食偏)bi4luo2 中に餡の入った点心のこと。
・涵義 han2yi4 “含義”とも書く。字句の中に含まれている意味。
・餅餌 bing3er3 小麦粉や米の粉で作った餅(ビン)類の総称。
・硬面 ying4mian4 後出の“発面”に対し、イーストで膨らませていないクッキー。“硬面孛孛”:堅焼きのクッキー
・小販 xiao3fan4 天秤棒を担いで街中を売り歩くもの売り。
・発面 fa1mian4“硬面”に対し、イーストで発酵させてふくらませ、柔らかく焼いたクッキー。
・杠子 gang4zi 棒。“杠子孛孛”で棒状のクッキー。
・笪子 da2zi 竹で編んだむしろ
・鐲子 zhuo2zi 腕輪
・片儿 pian1r 平たくて薄いもの。

 孛孛は“波波”とも書き、また“磨磨”、“莫莫(●実際は食偏)”とも書くことから、皆“畢羅(●共に食偏)”ということばの音が一つ転化したもので、意味は皆同じである。楊升庵《升庵外集》の中で次のように明記している。「畢羅は今の北方の人は“波波”と呼んでいる。」北京の方言では、これには少なくとも三、四種の意味を含んでいる。一つは“満漢孛孛”と言うように、およそ全ての菓子や餅(ビン)を指した。二つ目に、“硬面孛孛”(堅焼きのクッキー)を売るもの売りが売るのは、確かに“孛孛”の名の付いた菓子や餅(ビン)で、例えば、硬面孛孛(堅焼き)、発面孛孛(柔らかいクッキー)、杠子孛孛(棒状のクッキー)、笪子孛孛(すなわち鐲子孛孛。生地を丸い輪の形にして焼いたもの)、片儿孛孛(薄焼)などがあった。三つ目は“孛孛卓”の孛孛である。四つ目は、水餃子も“煮孛孛”と呼んだ。《正字通》の解釈によれば、「畢羅は小麦粉でこれを作り、中に餡がある」。したがって、ことばの内包する意味から言うと、多くのものを“孛孛”と呼ぶことができる。

■ 以上四種,第一種最容易理解,第二種将另文説明,這里先説説第三種。這是一種有関満族風俗的特殊東西,在几十年前旗人家庭中還常常遇到,因之要稍微細説一下。《京都竹枝詞》有詩道:

     満洲糕点様原繁,踵事増華不可言,惟有卓張遺旧制,几同告朔餼xi4羊存。

・旗人 qi2ren2 清朝の時代、満州族の貴族は八つの“旗”に属した(八旗)ことから、満州族の貴族のこと。
・竹枝詞 zhu2zhi1ci2 竹枝(ちくし)。七言絶句に似た漢詩の形式。土地の風俗や人情を詠んだものが多い。
・踵事増華 zhong3shi4zeng1hua2 “踵”は追随する、継続する、の意味。前人の事業を継続し、より完璧なものにすること。
・告朔餼羊 gu4shuo4xi4yang2 魯では文公から自ら祖廟で祭祀を行わなくなり、生贄の羊を一匹殺させてお茶を濁したという故事から、いつも通り対処してお茶を濁すことを言う。“告朔之礼”というのは、毎月一日に生きた羊を殺して祖廟に祭ることを言う。“餼”xi4は生きた家畜のこと。

 以上の四つのうち、一つ目は最も分かり易い。二つ目は別の文で説明する([訳者注]この後に《硬面孛孛》という題の一文が続く)。ここでは先ず三つ目について説明しよう。これは満州族の特殊な風習で、数十年前は旗人の家庭ではよく眼にすることができた。したがってやや詳しく説明しよう。《京都竹枝詞》に次のような詩がある。

     満州族の菓子の種類は元々たいへん多かったが、それがその後発展したとは言い難い。ただそれらをテーブルに並べてお供えするという古い制度は、“告朔之礼”で生きた羊を生贄にするのと同じように存続している。

■ 這種詩可能有的読者看不懂,這“卓張”就是孛孛卓。這是一種很古老的風俗,清代同、光時喬松年《蘿摩亭札記》云:

     満洲筵宴,以餅餌為尚。按楼攻愧《北征行紀》謂遼宴使臣,茶食以大盤陳四十碟,此似今之孛孛卓矣。

・使臣 shi3chen2 使節
・茶食 cha2shi2 茶菓子

 このような詩は読者の中には意味が分からない人がいるかもしれない。ここにある“卓張”(テーブル)というのが“孛孛卓”なのである。これはたいへん古い風習で、清代の同治、光緒時代の喬松年《蘿摩亭札記》に言う:

     満州族の宴席では、小麦粉などで作った餅(ビン)や菓子類が尊ばれた。楼攻愧《北征行紀》によれば、遼が使節を接待する時、茶菓子を大きな盆の上に小皿40枚分並べたそうで、このことは今日の“孛孛卓”に似ている。

■ 這也就是辧紅白喜事宴客以及過年擺的餅供。宴客不設菜肴,只擺点心果品,即孛孛卓。《紅楼夢》中“寿怡紅群芳開夜宴”所説擺四十碟果子,似即孛孛卓。至于過年時,一般家庭由孛孛舗買来敬神的餅供,那是很蹩bie2脚的。一大畳面餅,堆起来一只比一只小,像座小塔,或二盤,或四盤,或六盤,擺在高卓上敬神行礼,這就叫作孛孛卓,過寿叫寿意孛孛,喪事叫層台孛孛等等。孛孛的外形看着像“自来紅”月餅,却不能吃,都是半生半熟的。

・紅白喜事 hong2bai2xi3shi4 紅事は結婚式、白事は葬式のこと。冠婚葬祭。
・餅供 bing3gong1 餅(ビン)、つまり小麦粉で作ったお供え。
・蹩脚 bie2jiao3 品質が悪い
・自来紅月餅 北京の伝統的な月餅で、日持ちするよう固く焼かれていて、表面は砂糖で白く塗られ、てっぺんに赤い印が付けられている。餡も乾した果物や砂糖を煮詰めたもので、お供えに用いれるよう、日持ちはするが、美味しくなかった。

 これは、冠婚葬祭で客をもてなしたり、年越しの時に並べる菓子のお供えでもある。客をもてなすのに料理を用意せず、菓子や果物だけを並べる。すなわち“孛孛卓”である。《紅楼夢》の「怡紅の誕生日を祝い群芳が夜宴を開く」(第63回)で四十皿の菓子を並べると言っているのも、孛孛卓に似ている。年越しの時、一般家庭では孛孛舗から神様を祭る菓子のお供えを買ってくるが、それはたいへん品質が悪い。何段にも重ねられた小麦粉の菓子で、上へ行くほど小さくなるように並べられ、小さな塔のようで、二基、或いは四基、或いは六基から成り、背の高いテーブルの上に並べて神様を祭る礼拝をする。これが孛孛卓と呼ばれ、誕生日の時は“寿意孛孛”、葬式では“層台孛孛”と呼ばれる。孛孛の外観は“自来紅”の月餅のようだが、食べることはできず、十分には火が通っていない。

■ 第四是老北京把煮餃子叫作煮孛孛,這是非常親切的。外祖母対小外孫説:“好孩子,乖啊 ―― 姥姥給你煮孛孛吃!”結婚時,新郎和新婦要吃子孫孛孛、長寿面。取子孫万代、長生不老之意。

 四つ目は、北京っ子が餃子を茹でることを“煮孛孛”と呼ぶことで、これはたいへん親しみがある。おばあさんが孫に言う:「おりこうさん、おばあさんがおまえに孛孛を煮てやるからね。」結婚の時は、新郎、新婦は“子孫孛孛”と“長寿面”を食べないといけない。何代も絶えることなく子孫が続き、長生きできますように、という意味である。

■ 売満漢孛孛的孛孛舗,大部分都開在鼓楼前、后門大街和東四一帯,舗子里自己不做点心孛孛,門市所売均是作坊送来的。這種作坊叫“紅炉会子行”,恐怕也是北京老式孛孛舗中買不到好点心的一個原因吧。早在三十年代,豈明老人就写文章嘆息当時北京没有好茶食、好点心了。

  “満漢孛孛”を売る孛孛舗は、大部分が鼓楼前、后門大街、東四一帯に店を構えていたが、店では自分では菓子を作らず、店で売るものは全て工場で作って届けられたものだった。こうした工場を“紅炉会子行”と言ったが、おそらく北京の伝統的な孛孛舗では美味しい菓子が買えない原因の一つだろう。早くも1930年代に、豈明老人は文章の中で当時の北京には美味しいお茶受けや菓子が無いと嘆いていた。


【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月

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《雲郷話食》を読む: [才八][米羔](パアガオ)と灌腸(グァンチャン)

2011年02月25日 | 中国グルメ(美食)



 今回は、北京伝統の“小吃”を取り上げます。“扒糕”、発音はpa2gao1です。“扒”pa2とは、手や熊手で引っかくという意味。蕎麦粉に熱湯をかけてかき混ぜて固めたものなので、日本の蕎麦掻きの親戚になるでしょうか。もう一つ、“灌腸”guan4changは、蕎麦粉をソーセージのように豚の腸に詰め込み、小口に切ってこんがり焼いたもの。或いは腸を使わず、扒糕を薄く切って焼いたものも灌腸と言います。

     -*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

■ 説起蕎麦面食品,除去面条、圧合絡he2le而外,還可以做両種有特殊風味的食品:扒糕pa2gao1和灌腸。這是両種地道的北京民間小吃,説糕gao1不是糕,称腸不是腸,究竟是什麼,且聴我慢慢道来。

・合絡 he2le 蕎麦粉や高粱粉を捏ねて、ところてん突きのようなもので突き出して筋状とし、そのまま鍋に落として煮て食べる。正しくは“河漏”he2lou4と書くが、訛ってhe2leとなった。“合”は正しくは“食”偏に合。“絡”は正しくは“食”偏に“各”。“圧”は、本当は“軋”ya4で、ところてん突き状の道具で突き出すこと。
・糕 gao1 小麦粉を捏ねて焼いたケーキや餅(ビン)などの食べ物の総称

 蕎麦粉を使った食品について言えば、ソバや合絡 he2le以外に、二種類の特別な風味の食品を作ることができる。扒糕(パアガオ)と灌腸である。これは二種類の生粋の北京の民間のスナック(小吃)であり、“糕”gao1と言っているが“糕”(小麦粉や米粉を蒸したり焼いたりした食品)ではなく、“腸”と呼んでいるが“腸”(腸詰)ではない。それではつまるところ何であるかは、私がこれからゆっくり説明するのを聞いてほしい。

■ 焼一鍋開水,最好是風箱柴火,不停地拉風箱,水噗噗pu1pu1地滚gun3開着,把蕎麦面一辺洒入水中,一辺不停地攪動,就像打漿糊一様,等到攪稠之后,便須很快撤火,不然就焦了。在鍋中冷却一会儿,趁熱一団団地拿起,按成碗口大小的厚餅,顔色是藕荷色,一個個放在容器中,待完全冷却,就可以切成薄片吃了。

・風箱 feng1xiang1 ふいご
・柴火 chai2huo 柴や薪で燃やした火
・噗噗pu1pu1 お湯が沸騰して水蒸気が噴き出る様。ぽっぽっ。しゅっしゅっ。
・滚開 gun3kai1 ぐらぐら煮えたぎる
・攪動 jiao3dong4 棒などで液体をかき回す
・漿糊 jiang4hu のり。“打漿糊”でのりを作る。
・稠 chou2 濃い。稠密である。
・撤火 che4huo3 火から下ろす
・碗口 wan3kou3 茶碗の口。15センチくらいの物の太さを言う時にこう言う。
・藕荷 ou3he2 赤みがかった薄紫色。

 鍋に湯を沸かす。できれば薪の火をふいごで吹いてやるのがよい。絶えずふいごを吹き、湯がふつふつと煮えたぎってきたら、蕎麦粉を湯の中に撒き入れながら、絶えずかき回してやると、のりを作る時のように、ねばねばと固くなってくるので、そうなったら素早く火から下ろす。そうしないと焦げてしまう。鍋の中が少し冷えてきたら、熱いうちにひと塊りずつ取り出し、茶碗の口くらいの大きさのだんごにする。色はうす紫色で、一個一個を容器の中に入れ、完全に冷めたら、薄切りにして食べる。

■ 一種是冷食法,同用淀粉制成的涼粉一起在夏天売。吃時,小販従瓦盆中取一塊餅,用小刀切成片放在碗中,撩一点塩水、醋,加一勺調稀的芝麻醤,滴両滴辣油,再加一点腌紅蘿蔔絲,用筷kuai4子拌一拌就可以吃了。味道咸咸的,酸酸的,有点像江南水磨年糕片一様,吃起来很滑,很韌ren4,有蕎麦香,這就叫扒糕,昔年在北京做過中小学生的人,大概都吃過吧?

・涼粉 liang2fen3 リャンフェン。本来は緑豆の粉で作った、ところてんのような食べ物。ここでは、でんぷんから作ると書いてあるので、おそらく葛粉から作ったくずもちのようなものだと思う。
・撩 liao1 水や液体を手ですくってふりかける。
・調稀 diao4xi1 薄める・腌 yan1 塩漬けにする。みそや醤油に漬ける。
・韌 ren4 強くてしなやかである。腰がある。

 一つは冷たくして食べる食べ方で、でんぷんで作った涼粉(リャンフェン)といっしょに夏に売る。食べる時、もの売りは素焼の鉢の中からだんごを一塊り取り出し、小刀で小口に切ると碗の中に入れ、塩水、酢をふりかけ、さじ一杯の薄めたゴマ味噌を加え、ラー油を垂らし、更に塩漬けのニンジンの細切りを加え、箸で和えれば食べられる。味は塩辛く、酸っぱく、江南の水研ぎの粉で作ったもちのように、食べてみるとつるつるして、腰があって、蕎麦の香りがする。これを扒糕(パアガオ)と言い、昔北京で小中学生時代を過ごしたことがある人なら、おそらく食べたことがあるのではないだろうか。

■ 把這様的東西切成薄片,放在平底鍋上用熟猪油半炸半煎,煎成焦黄色盛入盤中,淋上一点塩水蒜汁,吃起来別有風味,這就叫灌腸。其実并不是腸子,只不過有時加一点色料,做成粉紅色的。記得后門外橋頭上有一家舗子叫合義斎,専門売灌腸而出名,対門還有一家舗子是以“大葫芦”為商標出名的。這是老北京愛吃的一種小吃,同爆肚等類的食品一様,既非菜,又非点心,只能説是一種很好吃的閑食罷了。

・淋 lin2 水や液体をかける。花などに水をかけて濡らしてやること。
・灌腸 guan4chang 本来は腸詰め(ソーセージ)の意味だが、文にあるようにここでは蕎麦粉を使ったスナックである。だから“不是腸子”(ソーセージではない)と言ったのである。
・橋頭 qiao2tou2 橋のたもと
・爆肚 bao4du3 牛や羊の胃袋を刻み、熱湯にさっと通して調味料をつけて食べる料理。

 これを薄切りにし、平底鍋の上で熱したラードで半ば揚げるように煎りつけ、焼けて焦げ茶色になったのを皿に盛り、塩水やニンニクの擦り下ろし汁をかければ、食べると格別の風味がある。これを灌腸と言う。実はソーセージではなく、時に着色料を加え、ピンク色に色をつけることがあるだけである。確か后門外の橋のたもとに合義斎という名の店があり、灌腸を専門に売っていて有名だった。その向いのもう一軒の店は、「大きな瓢箪」を商標にして有名だった。これは年配の北京の人が好きなスナックで、豚の胃袋の類と同様、おかずでもなく、軽食でもなく、美味しい、手持無沙汰な時に口に入れるものと言うしかない。

■ 扒糕与灌腸,在近人雪印軒主的《燕都小食品雑咏》中都有詩和注,其注扒糕条云:

     熱天的扒糕,用蕎麦面蒸成餅式,浸凉水中,食者以刀割成小条,拌醋蒜醤油等而食之。

 扒糕と灌腸は、近世の人、雪印軒主の《燕都小食品雑咏》の中に詩と注釈があり、その注の扒糕の項に言う: 夏の暑い日の扒糕は、蕎麦粉を蒸して餅状にし、冷たい水に浸し、食べる時に包丁で細い棒状に切って、酢、ニンニク、醤油などと和えて食べる。

■ 其注煎灌腸条云:

     以染紅色之蕎麦粉灌入猪腸内,煮熟后,刀切成塊,猪油煎之,使焦,蘸塩水爛蒜而食之。

・蘸 zhan4 液体、粉末、或いは糊状のものをちょっとつける

 その灌腸の炒めものの項に言う:

     赤色に染めた蕎麦粉を豚の腸に詰め込み、よく煮てから、包丁で小口に切り、ラードでこれを炒め、塩水とおろしニンニクをちょっとつけて食べる。

■ 大概這位雪印軒主不大欣賞這両様純北京味的食品,詩中説的很不好,什麼色悪、蝋味等等,所以他的詩就不引了。

 おそらくこの雪印軒主という人はこの二種類の純粋な北京風味の食べ物をあまり賞味したことがないのだろう。詩の中で美味しくないとか、色が悪いとか、ロウソクのような味だとか言っているので、彼の詩は引用しない。

■ 灌腸在西長安街另有名店叫聚仙居,有人記以詩云:

     老餐習気総難除,食品精研楽有余,油炸灌腸滋味美,長安街畔聚仙居。

・習気 xi2qi4 (よくない)癖、風習。
・精研 jing1yan2 詳しく研究する

 灌腸は西長安街にもう一店、有名な聚仙居という店があり、ある人が詩に詠んで言うには:

     昔からの食べ物の習慣はなかなか除くことが難しい。食品はよく研究されていて、その楽しみは余りある。油で揚げた灌腸の風味は素晴らしい。長安街のほとりの聚仙居。

■ 又咏扒糕云:

     蕎麦搓団様式奇,冷食熱食各相宜,北平特産人称,醋蒜還加蘿蔔絲。

・搓 cuo1 (両手で)もむ。こする。(ひもなどを両手の掌で)よる。より合わせる。

 また扒糕を詠んで言う:

     蕎麦を捏ねて団子に丸めた形は奇妙だが、冷たくしても熱くして食べても美味しい。北京名物で皆が賞賛する。酢、ニンニクに大根の細切りを加えて食べる。

■ 這位是北京人,対扒糕、灌腸就大加賛賞了。

 この人は北京の人で、扒糕、灌腸を大いに褒め称えた。

■ 蕎麦不同莜麦,它的種類很多,還有甜蕎、花蕎、苦蕎之分。苦蕎磨成面,做成凉粉是豆緑色,味道比甜蕎還重,略帯苦味,是涼性的東西,吃了很能解内熱,近似緑豆的作用。

・莜麦 you2mai4 カラスムギによく似た麦の一種。中国西北地方に多く、“油麦”とも書く。
・豆緑色 dou4lv4se4 淡緑色。薄緑色。
・涼性 liang2xing4 漢方で言うところの体内の熱を冷ましてくれる食品。

 蕎麦は莜麦(ヨウマイ)とは異なり、その種類はたいへん多く、その他、甘蕎麦、花蕎麦、苦蕎麦に分かれる。苦蕎麦を挽いて粉にし、作った凉粉(リャンフェン=トコロテンのような食べ物)は薄緑色で、味は甘蕎麦より濃く、少し苦味があり、熱を冷ましてくれる食物で、食べると体内の熱を下げ、緑豆のような働きがある。

■ 蕎麦春天開小花,産量低,但成熟期短,北方春夏之間逢天旱,地里出不了苗時,就改種蕎麦,即使種的很晩,秋天也能有所収穫,所以是救荒的好東西。蕎麦皮是装枕頭芯子的好材料,弾性極好,几十年不砕。我有一個蕎麦皮枕芯,几十年了,跟着我南北播遷,我天天枕着它做思郷夢,真是一往情深啊!

・天旱 tian1han4 雨が降らない。旱魃。
・救荒 jiu4huang1 救荒。不作を切り抜ける。飢饉から人々を救うため、積極的な措置を講じること。
・播遷 bo1qian1 [書面語]故郷を離れ、さすらい移る。流離する。
・一往情深 yi1wang3qing2shen1 [成語]自分の感情を抑えきれないほど夢中になる。人や物にひたすらあこがれる、首ったけになる。

  蕎麦は春に小さな花が咲き、生産量は少ないが、実の熟すまでの時間が短く、北方で春、夏の間に旱魃になり、新芽が出ない時、蕎麦を植えると、種蒔きが遅くなっても、秋に収穫することができるので、凶作を救うことのできる良い作物である。蕎麦殻は枕の芯に入れる好材料で、弾性がたいへん良く、数十年使ってもボロボロ崩れない。私は蕎麦殻の枕を一つ持っているが、もう数十年になる。私といっしょに南へ北へとさすらい、私は毎晩これを枕に故郷の夢を見ている。本当にこれ無しではいられない。


【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月

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【対訳】老舎《出口成章》を読む: 人物、語言及其他(2)

2011年02月24日 | 中国文学
 この講演の前半では、小説や芝居で人物を描くことの重要性が述べられましたが、後半は、ことばの使い方、文章の書き方について述べられています。

   -*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

■ 語言的運用対文学是非常重要的。有的作品文字色彩不濃,首先是邏輯性的問題。我写作中有一个竅qiao4門,一個東西写完了,一定要再念再念再念,念給別人聴(聴不聴在他),看念得順不順?准確不?別扭不?邏輯性強不? …… 看看句子是否有不够gou4妥当之処。我們不能為了文字簡練而簡略。簡練不是簡略、意思含糊,而是看邏輯性強不強,准確不准確。只有准確邏輯性強而又簡単的語言才是真正的簡練。

 ことばの使い方は、文学ではたいへん重要です。ある作品で文字の色彩が濃くないとしたら、先ず論理性の問題です。私は創作で一つ秘訣があり、一つのものを書いたら、必ず何度か読み返してみます。他の人に聞いてもらいます。(その人が本当に聞いてくれているかは相手次第ですが。)読んでみて、すんなり耳に入るかを見てやります。内容が正しいか、くどくどと煩わしくないか、論理性は十分あるか……。文に妥当性が不十分なところが無いかどうかを見てみます。私たちは文字を簡潔にするために簡略にすることはできません。簡潔とは、簡略で意味があいまいであることではありません。論理性は十分あるかどうか、正確かどうかを見ることです。正確で論理性が十分あり、且つ簡単なことばで書かれているものこそ、真の簡潔と言えるのです。

■ 運用文字,首先是准確,然后才是出奇。文字修辞、比喩、聯想假如并不出奇,用了反而使人感到庸俗。講究修辞并不是濫用形容詞,而是要求語言准確而生動。文字鮮明不鮮明,不在于用一些有顔色的字句。一千字的文章,我往往写三天,第一天可能就写成,第二天、第三天加工修改,把那些陳詞濫調和廃話都刪掉。這様做是否会使色彩不鮮明呢?不,可能更鮮明些.文字不怕朴実,朴実也会生動,也会有色彩。斉白石先生画的小鶏,雖只那麼几筆,但墨分五彩,能使人看出来許多顔色。写作時堆砌形容詞不好。語言的創造,是用普通的文字巧妙地安排起来的,不要硬造字句,如“他們在思謀 ……”,“思謀”不常用,不如用“思索”倒好些,既現成也易懂。寧可写得老実些,也別生造。

・出奇 chu1qi2 普通でない。珍しい。変わっている
・濫調 lan4diao4 くだらない議論。たわごと
・刪掉 shan1diao4 削除する
・朴実 pu3shi2 =朴素pu3su4 質素である。(“朴実”は「うわべを飾らない」ことに重点がある。“朴素”は「華美でない」ことに重点があり、服装などの形容に用いる)
・堆砌 dui1qi4 れんがなどを積み重ねる。文章に美辞麗句を並べる
・生造 sheng1zao4 新語などを無理に作る

 ことばの活用は、第一に正確かどうかで、次いで新奇性です。文字の修辞、比喩、連想にもし新奇性が無いと、読む人に低俗な印象を与えてしまいます。修辞を追求することは決して形容詞を濫用することではなく、ことばの正確さと躍動感を追求することです。ことばが鮮明かどうかは、色彩のある文字を用いることではありません。一千字の文章でも、私はしばしば三日かけます。一日目におそらく書き終るでしょう。二日目、三日目は加工修正し、陳腐なことばやたわごと、よけいな話は削除してしまいます。このようにすると色彩が不鮮明にならないでしょうか。いや、おそらく更に鮮明になります。ことばは質素であることを恐れてはならず、質素でも躍動感が生まれ、色彩のあるものになります。斉白石先生が描いたひよこは、ほんの数筆で描かれたものでも、墨は五色の色彩を放ち、見る者が様々な色彩を見出すことができます。創作の時に形容詞を並べたてるのはよくありません。ことばの創造は、普通の文字を巧みに配置して出来上がるもので、無理やりことばや文を作り出すものではありません。例えば、“他們在思謀 ……”(「彼らは~に思いをめぐらせている」)の“思謀”という語は通常は使われません。ここは“思索”を使った方が、一般的だし分かりやすい。素直に書く方がよく、無理にことばを作ってはいけません。

■ 文学是語言的藝術,我們是語言的運用者,要想辧法把“話”説好,不光是要注意“説什麼”,而且要注意“怎麼説”。注意“怎麼説”才能表現出自己的語言風格。各人的“説法”不同,各人的風格也就不一様。“怎麼説”是思考的結果,侯宝林的相声之所以逗人笑,并不只因他的嘴有功夫,而是因為他的想法合乎笑的規律。写東西一定要善于運用文字,苦苦思索,要譲人家看見你的思想風貌。

・逗 dou4 (ある感情を)起こさせる(“逗”はこれ自身、笑わせるという意味があり、“這話真逗”この話は本当にユーモラスだ、という使い方もできるが、ここでは首記の意味で、“逗人笑”で人を笑わせる、という意味となる)
・合乎 he2hu1 ~に合う。~にかなう。[用例]合乎規律:法則に合う

 文学はことばの芸術であり、私たちはことばの活用者です。「お話」をうまく語ろうと思ったら、「何を言うか」に注意するだけでなく、「どう言うか」に注意しなければなりません。「どう言うか」に注意してはじめて自分のことばのスタイルを表現することができます。一人一人「言い方」は異なり、スタイルも異なります。「どう言うか」は思考の結果であり、侯宝林の漫才が人を笑わせるのは、決して彼の話術がすばらしいからだけでなく、彼の考え方が笑いの法則に合っているからです。ものを書くにはことばの活用が上手でなければならず、懸命に思索を行い、他人に自分の考え方のスタイルをわかってもらわなければなりません。

■ 用什麼語言好呢?過去我很喜歓用方言,《龍須溝》里就有許多北京方言。在北京演出還好,観衆能懂,但到広州就不行了,広州没有這種方言。連翻訳也没法翻訳。這次写《女店員》我就注意用普通話。推広普通話,文学工作者都有責任。用一些富有表現力的方言,加強郷土気息,不是不可以,但不要貪多;没多少意義的,不易看懂的方言,干脆去掉為是。

・気息 qi4xi1 息吹
・貪 tan1 欲張る

 どんなことばを使えばよいでしょうか。嘗て私は方言を使うのがたいへん好きで、《龍須溝》の中では多くの北京の方言を使いました。北京で上演する時はまだ良く、観衆も理解できるのですが、広州に行くとだめです。広州にはこんなことばは無いのです。翻訳しようにも翻訳しようがありません。今度《女店員》を書くに際して、私は普通話(標準語)を用いることに注意しました。普通話を広めることには、文学関係者は皆責任があります。表現力に富んだ方言を用い、郷土の息吹を強めることは、だめではないのですが、あまり欲張ってはいけません。それほど意味がないのであれば、理解しづらい方言は、きっぱり消し去るのが正しいと思います。

■ 小説中人物対話很重要。対話是人物性格的索引,也就是什麼様的人説什麼様的話。一個人物的性格掌握住了,再看他在什麼時間、什麼地点,就可以琢磨出他将会説什麼与怎麼説。写対話的目的是為了使人物性格更鮮明,而不只是為了交代情節。《紅楼夢》的対話写得很好,通過対話可以使人看見活生生的人物。

・索引 suo3yin3 索引。インデックス
・琢磨 zuo2mo よくよく考える。思案する、熟慮する。(“琢磨”はzhuo2mo2と発音すると、磨きをかける、彫刻する、鍛え上げる、という意味になる)
・活生生 huo2shengsheng1 生き生きとした

 小説の中の人物の対話はたいへん重要です。対話は登場人物の性格の索引のようなもので、どのような人だったらどのような話をするというものがあります。一人の人物の性格をしっかり把握して、そのうえで彼がどんな時間に、どんな場所にいるかによって、彼がどんなことを、どのように言うかを考えだすことができます。対話を書く目的は、人物の性格をより鮮明にするためで、ただ単に話のいきさつのやりとりをするためではありません。《紅楼夢》の対話はたいへんよく書けており、対話を通じて読者に生き生きとした人物を見せてくれます。

■ 関于文字表現技巧,不要光従一方面来練習,一棵樹吊死人,要多方面練習。一篇小説写完后,可試着再把它写成話劇(当然不一定発表),這会有好処的。話劇主要是以対話来表達故事情節,展示人物性格,毎句話都要求很精煉,很有作用。我們也応当学学写詩,旧体詩也可以学学,不摸摸旧体詩,就没法摸到中国語言的特点和奥妙。這当然不是要大家去写旧体詩詞,而是説要学習我們民族語言的特色,学会表現、運用語言的本領,使作品中的文字千錘百煉。這是要下一番苦功夫的。

・一棵樹吊死人 通常は“不要一棵樹吊死人”ということばで比喩的に用いられます。意味は、同じ方法をずっと続けるのでなく、状況に応じて融通を利かさないといけない、という意味です。[用例]老舍 《勤有功》:“這一本写失敗了,即去另写一本。新事物是取之不竭的,何必一棵樹上吊死人?”
・摸 mo1 手で触る、手探りでつかみ取る、という意味から派生して、模索する、模索して理解する、という意味に使う。
・本領 ben3ling3 腕前。才能。能力。技能。(学習することによって得られるかなり高度な技術)
・千錘百煉 qian1chui2bai3lian4 [成語]鍛えに鍛える。詩文などで推敲に推敲を重ねること。

 ことばの表現のテクニックは、一面からのみ練習してはなりません。同じやり方にばかり固執するのでなく、多くの面から練習をしなければなりません。一篇の小説が書き終ったら、試しにそれを芝居に書き直してみる(もちろん必ずしも発表はしませんが)のも、良いかもしれません。芝居は主に対話により物語の内容を表現し、人物の性格を表します。一つ一つのことばが練れていて、意味を持たないといけません。私たちは詩を書くことも学んでみなければなりません。旧体詩も学んでみなければなりません。旧体詩に触れてみないと、中国語の特徴や奥深さを理解することができません。これはもちろん皆が旧体詩のことばを書かなければいけないと言っているのではなく、私たち民族のことばの特色を学び、ことばを表現、活用する技能を習得し、作品の中のことばを鍛えなければならないと言っているのです。これには一定の修業が必要です。

■ 写東西一定要求精煉、含蓄。俗語説:“寧吃鮮桃一口,不吃爛杏一筐”,這話是很値得深思的。不要使人家読了作品以后,有“吃膩了”的感覚,要給人留出回味的余地,譲人看了覚得:這両口還不錯呀!我們現在有不少作品不太含蓄,直来直去,什麼都説尽了,没有余味可嚼。過去我接触過很多拳師,也曾跟他們学過両手,材料很多。可是不能把這些都写上。我就撿最精彩的一段来写:有一個老先生槍法很好,最拿手的是“断魂槍”,這是几輩祖伝的。外地有個老人学的槍法不少,就不会他這一套,于是千里迢迢来求教槍法,可是他不教,説了很多好話,還是不行。老人就走了,他見那老人走后,就把門鎖起来,把自己関在院内,一个人練他那套槍法。写到這里,我只写了両個字:“不伝”,就結束了。還有很多東西没説,譲読者去想。想什麼呢?就譲他們想想小説的“底”―― 許多好技術,就因各人的保守,而失伝了。

・筐 kuang1 かご
・回味 hui2wei4 [名詞]後味。(用例) 回味無窮。[動詞]後味を味わう。(用例) 回味他説的話。
・両口、両手 “一両口”、或いは“両三口”、“一両手”、或いは“両三手”の意味で、数の少ないことを表す。
・直来直去 思ったことをはっきり言うこと。包み隠さず、あけすけにものを言うこと。
・槍法 qiang1fa3 長槍を使う技能。
・迢迢 tiao1tiao1 道が遠いさま。[用例]千里迢迢:千里はるばる
・底 di3 事の仔細。真相。(漫才などの)話の落ち。[用例]謎底:なぞなぞの答。摸底:内情を探る。露底:(しかけなどの)種がばれる。

 書かれたものはよく練られ、含蓄がなければなりません。ことわざにも「一籠の腐った杏より、ひと口の新鮮な桃」と言いますが、このことは深く考えてみるべきです。人に作品を読んでもらった後、「食傷感」を感じさせてはならず、余韻を味わう余地を残さないといけません。読んだ後に、「この一節は悪くない」と思ってもらわないといけません。現在は、多くの作品にあまり含蓄が無く、あけすけにものを言い、全てを言い尽くし、味わうべき余韻がありません。嘗て私は多くの拳法家と接触があり、彼らから多少の型も学び、話のネタもたくさんあります。けれども、これらを皆書いてしまうことはできません。私なら最も精彩を放つ部分を選んで書きます。一人の老拳法家の槍の技がすばらしく、最も得意とするのが“断魂槍”で、これは何代にもわたり伝えられてきたものとします。外地に一人の老人がいて学んだ槍の技は数多いが、彼のこの技はできないので、千里の道をはるばるこの槍の技を学ぶためにやって来ましたが、彼は教えないと言い、いろいろ説明したのですが、それでもだめでした。老人はそれで帰って行ったのですが、彼は老人が行ってしまうと、門に鍵をかけ、自分で中庭の中に閉じこもり、一人であの槍の技術を練習しました。ここまで書いてきて、私はただ二文字のこと、つまり“不伝”(伝承しない)と書いただけですが、これでおしまいです。まだたくさんのことを言っていませんが、読者に考えさせるのです。何を考えさせるのか。読者に小説の「眼目」――多くのすばらしい技が、個人の保守的な考えのために伝承されなかったことを考えさせるのです。

■ 小説的“底”,在写之前你就要找到。有些作者還没想好了“底”就写,往往写到一半就写不下去,結果只好放棄了。光想開頭,不想結尾,不知道“底”落在哪里,是很難写好的。“底”往往結尾時才表現出来,“底”也可以説是你写這小説的目的。如果你一上来把什麼都講了,那就是漏了“底”。比如,前面所説的学槍法的故事,就是叫你想想由于這類的“不伝”,我們祖国従古到今有多少宝貴的遺産都被埋葬掉啦!写相声最怕没有“底”,没有“底”就下不了台,有了“底”,就知道前面怎麼安排的。

 小説の「落ち」は、書き始める前に見つけておかないといけません。作者の中には、「落ち」を考えずに書き始めるものですから、しばしば半分くらいまで書き進めると、後が続かなくなり、結局書くのをやめざるを得なくなります。書き出しのことばかり考え、結末を考えていないと、「話の眼目」をどこに置いたらよいか分からなくなり、うまく書けなくなります。「落ち(眼目)」はしばしば話の最後のところでようやく出てきますが、「落ち」は小説を書く目的だと言うこともできます。もし書き出すや何でもかんでも話してしまうと、それは「種(落ち)」をばらしてしまうことになります。例えば、前で言った槍の技を学ぶ話で言うと、このように「伝承しない」ことで、私たち祖国が過去から現在までどれだけの貴重な遺産を埋もれさせてしまったかを読者に考えてもらうのです。漫才の脚本を書いていて最も怖いのは「落ち」が無いことです。「落ち」が無いと、舞台から降りることができません。「落ち」があってこそ、その前をどう組み立てたらよいかが分かるのです。

■ 小説所要表達的東西是多種多様的。由于我国社会主義建設的需要,当前着重于写建設,這是正確的。当然,也可以写其他方面的生活。在写作時,若只凭有過這麼回事,湊合着写下来,就不容易写好;光知道一個故事,而不知道与這故事有関的社会生活,也很難写好。

・湊合 cou4he2 寄せ集める、という意味から派生して、我慢する、間に合わせる、いいかげんにお茶を濁す、ということ。

 小説で表現したいものは多種多様です。我が国の社会主義建設の必要から、当面は建設に重点を置くというのは、正しいです。もちろん、その他の面の生活を書いても構いません。創作の時に、こんなことがあったという事実だけに基づいて、いいかげんに書くと、うまく書けません。一つのことだけ知っていて、その話と関係のある社会生活を知らないと、うまく書けません。

■ 小説的形式也是多種多様的,有書信体,日記体,還有 …… 資本主義国家有些作品,思想性并不強,可是写得那麼抒情,那麼有色彩,能給人以藝術上的享受。這種作品雖然没有什麼教育意義,我們不一定去学,但多看一看,也有好処。現在我們講百花斉放,我看放得不够gou4的原因之一,就是知道得不多,特別是世界名著和我国的優秀伝統知道得不多。

・書信 shu1xin4 書簡。手紙
・百花斉放 bai3hua1qi2fang4 [成語]百花一時に咲き出す。様式や風格の異なる芸術作品が自由奔放に発展する譬え。

 小説の形式も多種多様で、書簡体や日記体などがあります。資本主義国家のいくつかの作品は、思想性はあまり強くありませんが、たいへん叙情的に書かれ、色彩があり、読む者に芸術的な味わいを味あわせてくれます。こうした作品はあまり教育的な意義はないので、必ずしも学ぶ必要はありませんが、そういうものを読んでみるのも、役に立ちます。現在私たちは百花斉放を唱えていますが、私の考えでは実施が不十分な原因の一つは、知識が不十分であること、特に世界の名著や我が国の優秀な伝統作品をあまりよく知らないことにあると思います。

■ 生活知識也是一様,越博越好,了解得越深越透徹越好。因此,対生活要多体験、多観察,培養多方面的興趣,尽可能去多接触一些事物。就是花木鳥獣、油塩醤醋也都応注意一下,什麼時候用着它很難預料,但知道多了,用起来就很方便。在生活中看到的,随時記下来,看一点,記一点,日積月累,日后大有用処。

・透徹 tou4che4 事情の把握や事理の分析が詳しくてはっきりしていること
・日積月累 ri4ji1yue4lei3 長い期間にわたって少しずつ積み重ねること。

 生活の知識も同様で、知識が広ければ広いほどよく、理解がより深く明確であればある程よいのです。したがって、生活をより多く体験し、多く観察し、多方面への興味を養ない、いくつかの事物にはできるだけ多く接触するべきです。つまり花鳥風月や、料理の各種調味料にまで注意を払うべきです。調味料はどんな時に使うか予測するのは難しいですが、多くのことを知っていれば、使う時にたいへん便利です。生活の中で見たものは、随時記録しておきます。一つ見たら、一つ記録し、それが少しずつ積み重なり、将来大いに役立ちます。

■ 在表現形式上不要落旧套,要大胆創造,因為生活是千変万化的,不能按老套子来写。任何一種文学藝術形式一旦一成不変,便会衰落下去。因此,我們要想各種各様的法子衝破旧的套子,這就要敢想、敢説、敢干。“五四”時期打破了旧体詩、文言文的格式,這是個了不起的文化革命!文学藝術,要不断革新,一定要創造出新東西,新的様式。如果大家都写得一様,那還互相交流什麼?正因為各有不同,才互相観摩,取長補短,共同提高。新創造的東西,可能有些人看着不大習慣,但大家可以辧論呀!希望大家在文学形式上能有所突破,有新的創造!

・千変万化 qian1bian4wan4hua4[成語]千変万化。めまぐるしく変化すること。
・一旦 yi1dan4 ひとたび~すると。いったん。
・一成不変 yi1cheng2bu4bian4 [成語]一旦できあがってしまうと、もはや変更できないこと。永久に変わらないこと。
・観摩 guan1mo2 互いに見習う

 表現形式で、古いやり方にとどまってはなりません。大胆に創造し、生活はめまぐるしく移り変わるものですから、古い決まり文句で書いてはなりません。如何なる文学形式でも、一旦できあがってしまうと、もはや変更ができず、衰退してきます。したがって私たちは様々な方法で古いやり方を打ち破らなければなりません。これはつまり、勇気を持って考え、話をし、実行することです。「五四運動」の時期に、旧体詩や文言文の形式を打ち破りましたが、これはすばらしい文化革命でした。文学芸術は、絶えず革新し、新たなもの、新たな様式を創造しなければなりません。皆が同じようなことを書くなら、お互いに何を交流するのでしょうか。正に各々が異なっているからこそ、互いに見習い、優れた点を吸収して欠点を補い、共に向上することができるのです。新たに創造したものは、何人かの人は見慣れないと感じるかもしれませんが、皆が議論すればよいのです。みんなで文学形式の上で殻を破り、新たな創造ができることを希望します。

【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月

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新聞記事から: 瓜子不飽暖人心

2011年02月22日 | 中国語成語


 毎年、中国政府の幹部は、元旦や春節の間は地方の農村を訪れ、一般の人々の慰問を行うのが恒例行事になっています。こうした活動を成功させるにはどうしたらよいか、というテーマの記事が人民日報に掲載されていました。今回これを取り上げたのは、ことわざや格言からの引用句が合計3つも使われていたからです。

    -*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

             人民日報人民論壇: “温暖”怎麼送才“保暖”
                         馬碧
            2011年01月04日 来源:人民網-《人民日報》

■ 歳末年初,各地各部門掀起“送温暖”熱潮。本来,在辞旧迎新的節点上,給貧困群衆、弱勢群体送銭送物,帯去党和政府的関心,譲寒冬里的他們切実得到一些幇助,歓度節日,展望来年,確実是一件暖人心、解民憂的好事,広大群衆是歓迎的。

・掀 xian1 運動やブームが巻き起こる。

 年末年始、各地、各部門では「暖かさを送る」活動があちこちで展開される。本来、古きを辞して新しきを迎える筋目に、貧苦にあえぐ群衆や、社会弱者に金品を贈り、党や政府の関心を示すことは、冬の寒さの中で彼らには切実に助けとなり、楽しく正月を迎え、来る年に希望を抱かせ、確かに人の心を温かくし、民衆の憂鬱を解消する良い事で、幅広い群衆に歓迎されることである。

 しかし、一般民衆は幹部の行動の中の誠実さを敏感に感じ取ります。

■ “瓜子不飽暖人心”,群衆心中有杆秤,称出的不僅是“温暖”的成色,也称出了干部為民執政的分量。“送温暖”的行動,不在銭物多少,関鍵是真心実意,尽可能為老百姓排憂解難,譲他們感受到看得見、摸得着的実惠。“送温暖”的真諦,更在于通過這種行動,既譲困難群衆感受到党和政府的温暖,感受到社会大家庭的温暖,又譲干部従了解百姓疾苦、掌握群衆期待,従而更好地開展工作。

・瓜子 gua1zi クヮズ。ひまわりやスイカの種などを煎ったお茶受け
・杆秤 gan3cheng4 竿秤(さおばかり)
・成色 cheng2se4 金貨・銀貨や地金の中に含まれる金や銀の分量。品質。
・真心実意 zhen1xin1shi2yi4 [成語]誠心誠意
・真諦 zhen1di4 真諦(しんたい)。真の意味。

  「“瓜子”を食べても腹は膨れないが、人の心を暖かくしてくれる」。群衆の心の中には竿秤があって、「暖かさ」の分量を量ることができるだけでなく、幹部が如何に人民の為に政治を行っているかの分量をも量ることができる。「暖かさを送る」行動は、金銭の多少ではなく、大事なのは誠心誠意であることで、できるだけ一般大衆の憂いを除き困難を解決し、彼らに眼に見えて、実感のできる実際の利益を感じさせることである。「暖かさを送る」真の意味は、こうした行動を通じ、困窮している群衆に党や政府の暖かさを感じさせ、社会という大家族の温かさを感じさせるだけでなく、幹部に民衆の苦しみを理解し、群衆の期待を把握することから、より良く行政を展開するようにさせることである。

 この“瓜子不飽暖人心”というのは、東北地方のことわざであるそうで、2007年に広東省党委員会書記・張江が会議の発言の中で取り上げてから、度々使われているようです。

■ “知屋漏者在宇下,知政失者在草野”。“送温暖”活動,正是干部体察民情、了解群衆疾苦的重要渠道。困難戸的情况各不相同,只有先行調査摸底,問“需”于民,量身定做予以個性化幇助,才能把准“送温暖”活動的脉搏,把“温暖”実実在在地送到困難群衆的心坎上,才能幇助困難群衆擺脱貧困状態,獲得自我改善、自我発展的能力。

・体察 ti3cha2 体験し観察する
・摸底 mo1di3 内情を探る
・脉搏 mai4bo2 脈拍。息吹。
・心坎 xin1kan3 心の奥底

 「雨漏りしているかどうかは、家の中にいる人が一番よく分かる。政策の善し悪しは、一般大衆の評価がたいへん重要で、在野の傍観者が一番よく分かる」。「暖かさを送る」活動は、幹部が民衆の状況を実際に体験し、観察し、群衆の苦しみを理解する重要な道筋である。困難な家庭の状況はそれぞれ異なるが、先ず調査して内情を探り、「必要なこと」を民衆に問い、状況に応じた対応をし、個別の援助を行ってやってこそ、正しく「暖かさを送る」活動の息吹を、「暖かさ」を本当に困窮している群衆の心の奥底に届けることができ、困窮している群衆が貧困から抜け出す支援ができ、自己改善、自己発展の能力を獲得させることができる。

  “知屋漏者在宇下,知政失者在草野”というのは、後漢末の政治思想家・王充の著作《論衡》の中の一文で、温家宝首相が度々引用されているそうです。

■ “心中為念農桑苦,耳里如聞飢凍声”。任何時候,干部都応懐着対人民群衆的深厚感情,多到街巷田間想問題,多与困難群衆交朋友, 身処“廟堂高処”,不忘“白雲深処”,用真心真情去“送温暖”,用真抓実干去“造温暖”,這様的“温暖”才能“保温”,久久温暖群衆的心。我們的社会,也会因此春意盎然,和諧進歩。

・盎然 ang1ran2 満ちあふれるさまを表す。[用例]春意盎然:春の気分がみなぎっている。

 「心の中では桑を栽培する農家の苦しみを気にかけ、耳には飢えや寒さに凍える人々の声が聞こえてくる」。如何なる時も、幹部は人民大衆のちょっとした感情の動きを気にかけ、何度も路地の奥や農村に出向いて問題を考え、たくさんの困難を抱えた民衆と交流し、「身は政府要職という高みにあっても」、「国の隅々のことまで」決して忘れず、誠心誠意「暖かさを送り」、現実の状況を把握し実際に行動して「暖かさを作り出す」、このような「暖かさ」であってはじめて「温もりを保つ」ことができ、長きにわたって群衆の心を暖め続けることができる。私たちの社会も、これによって新春の暖かい気分がみなぎり、調和のとれた進歩発展をすることができる。

 “心中為念農桑苦,耳里如聞飢凍声”は、白居易の《新制綾襖成感而有咏》の一節で、唐・文宗の大和五年(831)の作で、当時の唐朝は牛李の党争が起こり、宦官が権力を握り、政治が乱れていました。そのような中、自分はりっぱな綾織の上着を新調したけれども、一般の人々の苦しみを考えると、心が落ち着かない、という気持ちを詠った詩です。

 実はこれも、2003年の中秋節の行事に参加した温家宝首相が引用された語句です。


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