秦可卿の葬儀で、懸案だった寧国府内部の差配は、王熙鳳(鳳姐)が小気味よく処理していきます。そんな中、 林黛玉の父、林如海が亡くなり、林黛玉に付き添い蘇州に行った 鳳姐の夫の賈璉は、そのまま林如海の葬儀を済ませることとなり、 鳳姐にとって夫と分かれ分かれの寂しい日々が続くことになります。
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林如海の霊は蘇州郡に返り
賈宝玉は路に北静王に謁(まみ)える
さて、寧国府の執事長の頼升は、家の中のことを鳳姐にお願いすると聞いて、同僚らにこう言った。「今、西府(栄国府)の璉様の奥様にお願いして家の中の事を管理してもらうので、もしこの方がものを受け取りに来られたり、お話しされたら、注意してお仕えした方がよい。毎日みんなは朝来て夜帰るが、この一ヶ月たとえ辛くても頑張り、これが終わってからゆっくり休むとしよう。そして決して面子をつぶすことの無いようにしよう。あの方は有名なじゃじゃ馬で、情け容赦ない冷徹な人だ。たまたま悩んだとしても、非情になれる人だ。」人々は皆言った。「言われたことは、分かりました。」またひとりが笑って言った。「理屈から言うと、わたしたち家中の者にとっても、あの方が来て整理、管理をするというのでは、あまりにみっともないです。」ちょうどそう言っていると、(鳳姐の召使の)来旺の妻が対牌( 竹や木で作られた一種の証文 )を持って、上申書や経文を書くのに使う紙を取りに来たのが見えた。書状に必要な枚数が書かれていた。人々は急いでこの人に座ってもらいお茶を淹れ、一方で人に命じて必要な枚数の紙を取りに行かせた。来旺は紙の束を持って、妻と一緒に屋敷の儀門のところまで来てから、そこでようやく紙の束を妻に渡して、彼女自身に持って行かせた。
鳳姐はそこで彩明に命じて帳簿を装幀させた。直ちに頼升の妻を呼んで来て、寧国府に登録された人々の戸籍簿を提出させ、その内容を調べた。また翌日の朝一番に全ての人とその妻に屋敷に集まってもらい、聞き取りをしたいと伝えた。何冊かの帳簿をおおよそ確認すると、頼升の妻に二言三言質問すると、車に乗って家に帰った。
翌日の早朝五時半に、鳳姐がやって来た。かの寧国府の女性たちはとっくに揃っており、鳳姐と頼升の妻がそれぞれ分担して仕事を配分し、他の召使たちは勝手に部屋の中に入って来ず、窓の外で待機していた。鳳姐が頼升の妻にこう言うのが聞こえた。「仕事をわたしに託されたからには、わたしはあなたがたにとって不愉快だと思われることも、言わざるを得ません。わたしはあなたがたのところの奥様(尤氏のこと)のように寛容ではありません。諸事皆さんの心がけ次第です。皆さん、「こちらのお屋敷では元々このようにしていた」などという話は、もうしないでください。今はわたしのやり方でやることになったのですから、それに少しでも背けば、誰であれ、身分の高低に関わらず、全て一視同仁、公平に処理します。」
そう言うと、彩明に戸籍簿を読むよう言いつけ、ひとりひとり部屋に呼んで面接し、しばらくして面接が終わると、こう言いつけた。「この二十人はふたつのグループに分け、1グループが十人、毎日家の中で、親しい友人が来られたら茶を淹れることだけ担当し、それ以外の事は関与しなくていい。この二十人も2グループに分け、毎日当家の親戚への飲食だけ担当し、それ以外の事には関与しなくていい。この四十人も2グループに分け、ただ霊前に線香を上げ、油を足し、帷(とばり)を掛け、霊を守り、ご飯を供え、お茶を供え、随時哀悼し、その他の事は関与しない。この四人は専ら中の茶房でコップや皿、茶器の回収と管理を行い、一個でも足りなければ、共同で弁償する。この八人は祭礼の撤収だけ管理する。この八人は各所の灯油、ろうそく、紙銭の管理だけする。わたしが一括して物品を受け取り、おまえたち八人に渡すから、その後はわたしの計画に合わせて各所に分配すること。この二十人は毎日交替で各所に宿直し、家々を管理し、火の元を監視し、各々の場所の掃除を行う。この他、残った者たちは、家毎に分かれて、某人は某処の番をし、某処の全てのテーブル、椅子、骨董から、痰壺、はたきなどに至るまで、草一本苗一本でも、失くしたり壊したりしたら、担当の番人に弁償させる。頼升の家の者は毎日管理監督し、もし怠けたり、博打、飲酒、喧嘩、口論する者を見つけたら、直ちに捕まえて来てわたしに報告しなさい。もし私情に囚われ不正を行い、わたしに見つけられたら、たとえ三四世代続いた家の年寄りでも、容赦しません。今、皆規定を定めたからには、以後何れかのグループで問題が起きたら、そのグループで落とし前をつけてもらいます。平素わたしと行動を共にする人には、時計を身に着け、事の大小に関わらず、必ず時刻を明確にして仕事の手配をしてもらいます。――どのみちおまえたちの家の母屋にも置時計があると思います。朝6時半になったら、わたしが点呼を行います。午前9時に朝食を食べる。凡そ鑑札が必要な事務は、昼の12時半までに完了させる。夜7時半に黄昏紙(黄昏時に燃やしてお供えする紙銭)を燃やしたら、わたし自らが各所を巡回検査し、戻ってきたら宿直の者と鍵の受け渡しを行う。翌日はまた朝6時半にここに来ます。おまえたちはここ何日かは大変だと思いますが、葬儀が終わったら、おまえたちの旦那様は必ずおまえたちを褒めてくれるでしょう。」

そう言い終わると、また人数に合わせて茶葉、蝋燭、鳥毛はたき、箒(ほうき)などを配布し、一方ではまたテーブルクロス、椅子カバー、オンドルの敷布団、フェルトの座布団、痰壺、足置きなどの家具を運び入れ、一方でこれらを配布し、一方で筆を持って登録した。――某人が某処を管理し、某人が物品を受け取ったと、たいへん明確に記録した。召使たちはこれを受け入れることで、信頼できる拠り所を見つけることができ、以前のように簡単なことだけ選んでやるのではなく、それ以外の困難で煩わしい仕事も進んでやるようになった。各家の中でも、管理の乱れにかまけて物を失くすことができなくなった。それでお客や人々の往来は激しくても、冷静に効率よく仕事が行われ、以前と違って整然と秩序だって対処された。一切の不正な手段で利益を得たり責任を逃れる行為は、すべて無くなった。
鳳姐自身は、厳かに下した命令が実行されるので、心中はたいへん得意であった。尤氏が病に罹り、賈珍も悲しみに暮れ、あまり食も進まないのを見て、鳳姐自身は毎日、あちらのお屋敷(栄国府)から各種の凝った粥、すばらしい小皿料理を拵(こしら)えさせ、人に命じて持って来させた。賈珍もこれとは別に、毎日上等な料理を抱廈(母屋の裏に付随して建てられた部屋で、鳳姐が寧国府にいる時に使っている)に運ぶよう言いつけ、鳳姐のためだけに準備した。鳳姐は骨身を惜しまず、毎日決められた時間にやって来て、事務を行った。ひとり抱廈の部屋に起居し、他の女性たちと一緒に居ることがなかった。たとえ親族が訪ねて来ても、迎えたり見送ったりすることがなかった。
この日はすなわち秦氏の死後、五七三十五日目の祭礼の日に当たり、かの呼ばれて来た仏僧は亡き秦氏のため、ちょうど「破地獄偈文」を唱え、死者の足元に灯(ともしび)を点けて亡骸を照らし、閻魔様に拝礼し、鬼城の鬼卒を捕まえ、地蔵菩薩に金の橋を架けてもらうようお願いし、幢幡chuáng fān(出棺用の旗印)を掲げた。かの道士たちは法壇上でちょうど玉皇大帝への表章を読み、三清祖師に朝し、玉皇大帝に叩頭した。禅僧たちは線香を焚き、施餓鬼供養をし、水懺経を唱えた。また十二人の若い尼僧が刺繍のされた服を着、赤い靴をつっかけて履き、声を出さずに経文や咒語を念じて、死者の亡霊を極楽に導き、たいへん賑やかであった。
かの鳳姐は今日は来客が多いと知り、明け方の四時に起きて髪をとかして顔を洗い、片づけを済ますと、着替えて手を洗い、羊の乳を加えた粥を二三口食べ、口を漱ぎ終わると、ちょうど六時半であった。頼升の妻は召使たちを連れて、もうだいぶ前から伺候していた。鳳姐は広間の前まで出ると、車に乗った。前面には一対の羊角灯(羊の角を煮だして作った半透明のランタン)が掛けられ、その上には「栄国府」と大きく書かれていた。寧国府の大門の前まで来ると、門灯が明々と掛けられ、両側には床置きのランタンが置かれ、白昼のように明るく照らし、白い喪服を着た家人が二列に並んでかしずいた。車は正門で止まり、小者が退き、女の召使たちが近づき、車の帳をめくり上げた。鳳姐は車を降り、手で豊兒に支えてもらい、ふたりの女の召使が手に灯りを持って照らしながら、鳳姐の周りを取り囲んで入って行った。寧国府の召使たちは鳳姐を出迎え、ご挨拶をした。
鳳姐はゆっくりした足どりで会芳園の中の登仙閣の霊前まで入り、棺桶を一目見るなり、涙が真珠のネックレスの糸が切れたかのように、ぼろぼろとこぼれ落ちた。屋敷の中では何人もの小者たちが手を垂らす礼で以て恭しく待機し、紙銭を燃やすお世話をした。鳳姐が一声言いつけた。「茶を供え紙銭を焼け。」銅鑼の音が一発鳴ると、様々な楽器が一斉に奏でられ、早くも大型の半円形ひじ掛け椅子を持って来る者がおり、霊前に置くと、鳳姐が座って声を出して泣き、すると部屋の内外にいる人たちが、身分の高低、男女関わりなく、続けて大声で泣いた。
賈珍、尤氏が急いで人々に止めるよう言い、鳳姐はようやく泣くのを止めた。来旺の妻が茶を淹れ、口を漱ぎ終わると、ようやく立ち上がり、一族の人々と別れ、自らは抱廈に入ると、名簿に基づき点検すると、各担当の人数は、何れも既に揃っていたが、ただ親しい友人の送迎の担当がひとりまだ来ておらず、確認するよう言いつけた。遅刻した召使は恐れおののいたが、鳳姐は冷ややかに笑って言った。「誰かと思えばおまえが遅れたのか。おまえは他の者たちより偉そうだから、わたしの言うことを聞かないんだね。」その召使は答えて言った。「それがし、いつもは早く来るのですが、ただ今日は一足遅れてしまいました。どうか奥様、初めてなので許してください。」そう言っていると、栄国府の王興の妻がやって来て、部屋の中を覗き込んだ。
鳳姐は暫時、その遅刻した召使の処分を保留し、尋ねた。「王興の奥さん、何の用だね。」王興の家内は近寄って来て言った。「対牌で紐をいただきに来ました。車の幌を止めるためのものです。」そう言いながら書き付けを手渡し、鳳姐は彩明にその内容を読ませた。「大型の車の幌は二張り、小型の車は四張り、車は四輌で、共用の大きさの紐が何本か。どの紐にも真珠を何斤か通します。」鳳姐はそれを聞いて、数が合うので、彩明に言って登録させ、栄国府の対牌を受け取り、紐を渡した。王興の妻は出て行った。
鳳姐が話をしようとすると、ちょうど栄国府の四人の執事が入って来たが、何れも物品を受け取る対牌を持って来ていたので、鳳姐は彼らに言って書き付けを読ませた。全部で四件あったが、二件についてはこう指摘した。「この請求は間違っています。もう一回精算してから受け取りに来なさい。」そう言うと、書き付けを投げ捨てた。そのふたりの執事はがっかりして出て行った。
鳳姐は張材の妻が傍らに居るので、尋ねた。「おまえは何の用だね。」張材の妻は急いで書き付けを取り出し、答えて言った。「先ほど言っていた車の囲いが出来たので、裁縫の工賃、何両を受け取りに来ました。」鳳姐はそう聞いて、書き付けを受け取り、 彩明に言って登録させた。王興ができた物を引き渡すのを待って、受け取った物と要望した物が一致しているのを確認し、それから張材の妻に工賃を受け取りに来るよう言いつけた。そう言いながら、また続いて別の件を言いつけた。それは、宝玉の賈のお婆様の家の外に設けた書斎の工事を完成させるため、紙を渡して壁紙を貼る必要があるが、鳳姐はそれを聞いて、すぐに書き付けを持って来て登録させ、張材の妻への支払いが終わったら、請求するよう言いつけた。
鳳姐はそれからこう言った。「明日はあの人が遅刻するかもしれないし、あさってはわたしが遅刻するかもしれず、そうこうしていると、誰も時間通り来なくなります。本来ならあなたを許してあげるべきかもしれないが、わたしが最初に寛容にすると、次回は他の人を管理できなくなります。ちゃんと直しておいた方がいいわ。」直ちに厳しい表情になって、叫んだ。「連れて行って板子(懲罰用の板状の棒)で二十回叩きなさい。」人々は鳳姐が腹を立てたのを見て、なおざりにできず、外に引き出して決められた回数叩くと、また部屋に戻って言い聞かせた。鳳姐はまた寧国府の対牌を投げつけた。「頼升に、この娘のひと月の銭糧を差し引くよう言いなさい。」そしてこう言いつけた。「皆、解散なさい。」人々はようやく各自が仕事に戻った。かの殴られた召使も、涙を呑んで出て行った。この時、栄国府、寧国府の両お屋敷では、対牌を受け取る者、渡す者の往来が引きも切らず、鳳姐は一々払い出しを行った。こうして寧国府の人々はようやく鳳姐のすごさを知り、これより各々が慎重になり、目先の安楽をむさぼることをしなくなったのは、言うまでもない。
今さて宝玉は、来客の多いのを見て、秦鐘がつらい思いをしているのではないかと心配し、遂に彼と鳳姐のところへお邪魔すると、鳳姐はちょうど食事をしており、彼らが来たのを見て、笑って言った。「まあ、なんてすばしこいの。早くオンドルにお上がり。」宝玉は言った。「僕たち、もう食事を済ませて来たんだ。」鳳姐は言った。「ここのお屋敷で食べたの、それともあちらのお屋敷で食べたの。」宝玉は言った。「あんな馬鹿どもと一緒に食事をしてどうするの。やはりあちらのお屋敷で、お婆様と一緒に食事をして来ました。」そう言いながら、一方で元の席に座った。
鳳姐が食事を終えると、寧国府のひとりの召使が対牌を取りに来たが、それは香灯(常夜灯。瑠璃の鉢で香油を燃やし、死者の霊前に置く)を受け取るためだったのだが、鳳姐は笑って言った。「わたしはおまえが今日受け取りに来るに違いないと目論んでいたのに、忘れてしまっていたわ。もしおまえもこのまま忘れてくれていたら、この仕事はわたしの手柄になって、わたしには都合が良かったのだけれど。」その召使は笑って言った。「忘れたのではないとは申せませんね。ついさっき思い出したんですよ。もう一歩遅かったら、受け取れなかったですわ。」そう言うと、対牌を受け取って、出て行った。
しばらく登記をして対牌を渡した。秦鐘はそれを見て笑って言った。「こちらのふたつのお屋敷では、どちらも同じ対牌を使っているんですね。もし誰かが対牌をひとつ勝手に作って、銀子をもらって行ったら、どうするんですか。」鳳姐は笑って言った。「あなたの言う通りだったら、法も道徳も無いわ。」宝玉はそれで言った。「どうしてうちでは、ものを引き取るのに対牌を取りに来る人がいないの。」鳳姐は言った。「彼らが取りに来る時は、あなたはまだ夢の中よ。――ところで、あなたがたは夜の勉強はいつになったら始めるの。」宝玉は言った。「できたら今日こそ勉強できたらいいんだけど。でもあの人たちがなかなか書斎を片付けてくれないものだから、どうしようもないよ。」鳳姐は笑って言った。「あなたがわたしに頼んで、わたしに任せてくれれば、すぐできるわよ。」宝玉は言った。「姉さんがやってもだめだよ。あの人たちがあそこでするべきことをしてくれたら、結果は自然と出るはずさ。」鳳姐は言った。「彼らがやるにしても、ものが必要でしょ。わたしを放っておいて、わたしが対牌を渡さなかったら、難しいわよ。」宝玉はそれを聞いて、猿の真似をして、鳳姐の身体に飛び乗って、一刻も早く対牌をもらおうとし、言った。「お姉様、お願いだからあの人たちに対牌を渡して。そうすれば彼らも仕事を完了させてくれるから。」鳳姐は言った。「わたし、疲れて身体のあちこちが痛いの。ちょっと触られただけでも、我慢できないわ。でも、安心なさい。今日ようやく壁紙を受け取って行ったのよ。あの人たちが要るものがあったら、言って来るはずよ。どう、ちゃんとやることはしてるでしょ。」宝玉が信じなかったので、鳳姐は彩明を呼んで、帳簿を宝玉に見せてやった。
あれこれ騒いでいると、「蘇州に行った昭兒が戻って来ました。」と取り次ぎが来て伝えた。鳳姐は急いで部屋に入って来させた。昭兒は、右手を下に垂らし左足をかがめ右足を少し曲げる「打千兒」の礼をして挨拶をした。鳳姐はそれで尋ねた。「戻って来て、どうしたと言うの。」昭兒は言った。「璉の旦那様(二爺。賈璉のこと)に言われて戻って参りました。林の旦那様(林姑老爺。林如海のこと)が9月3日の巳の刻(午前9時から11時)に亡くなられました。璉の旦那様がそれがしをこちらに帰らせて賈のお婆様に林の旦那様がお亡くなりになったことをお伝えし、賈のお婆様のご指示を求められたのです。また、奥様がお宅で不自由されていないか見てくるよう言われ、わたしに毛糸で編んだ衣裳を何枚か持って来させられました。」鳳姐は言った。「おまえ、他の人には会ったのかい。」昭兒は言った。「皆お会いしました。」言い終わると、急いで退出した。鳳姐は宝玉に笑って言った。「あんたの林お嬢ちゃん(林黛玉)は、きっとこの家でずっと暮らすことになるわね。」宝玉は言った。「なんてことだ。この何日か、あの娘はどれだけ泣いたことだろう。」そう言いながら、眉を顰め大きくため息をついた。
鳳姐は昭兒に会って、他の人たちの目もあり賈璉のことを詳しく聞けなかったので、心中居ても立っても居られない気持ちだったが、賈璉も林如海の葬儀が終わらないと帰って来れず、少なくとも年末に帰って来るまで我慢せざるを得なかった。それでまた昭兒を部屋に呼んで、賈璉らの道中無事の様子を細かく聞いた。その日の晩のうちに毛糸で編んだ衣服を準備し、平兒と一緒に自ら点検、整理し、また細かく必要なものを考えて、それらを一緒に荷造りして昭兒に渡した。また事細かく昭兒にあれこれ言いつけた。「外ではいつも以上に慎重にお世話をしなさい。璉の旦那様を怒らせてはいけないよ。いつもあの人にお酒を控えるようお勧めし、あの人が誘惑されてばかな女と知り合うことの無いように。――もしわたしに知れたら、帰って来たらおまえの足をへし折ってやるからね。」昭兒は笑いながら「はい」と返事して出て行った。その時はもう四更(真夜中の1時から3時)になっていて、横になったが、知らず知らずのうちに空はもう明るくなり、急いで髪を梳き顔を洗うと、寧国府にやって来た。
かの賈珍は出棺の日が近づいたので、自ら車に乗って占い師を伴い、鉄檻寺に来て、柩を置く場所を下見した。また住職の色空に、十分に目新しいしつらえを準備し、多くの名僧にお願いし、亡くなった霊魂をお迎えするのに使うよう、ひとつひとつ言いつけた。色空は急いで夕食の準備をしたが、賈珍は茶も飯も摂る気にならなかった。もう時間も遅く、城内に戻ることができないので、お寺の部屋で適当に一晩休息し、翌日朝早く、急いで街に戻り、出棺の行事の手配をした。一方ではまた人を派遣し先ず鉄檻寺に行き、その日の晩に柩を留めるところに別途装飾を施し、また弔問客へのお茶や食事の接待、弔問に来られた賓客の接待人員の準備を行った。
鳳姐は出棺日が近づいたのを見て、事前に逐次細かく分けて手配を行った。一方では栄国府の車の随行を出して王夫人に従って葬送の行列に加わり、また自分が葬儀の場所に行って居る場所も考えておかねばならなかった。目下、ちょうど繕国公誥命が亡くなったので、邢、王の両夫人が弔問に行くことになっていた。また西安郡の王妃の誕生日で、長寿のお祝いを贈る必要があった。また王熙鳳の実の兄の王仁が親族を連れて南方に戻って来たので、一方では実家の父母に手紙を書き、また金陵に持って帰らせる土産を準備する必要があった。また賈迎春が伝染病に罹り、毎日医者に診てもらい薬を服用するので、医者の診断書を見て、症状の原因を検討し、薬の処方を考える……それぞれの事が煩雑で、言い尽くし難かった。このため鳳姐は多忙の余り茶も飯も摂る気にならず、座っていても横になっても、気が休まらなかった。寧国府に来ると、こちらに栄国府の人がついて来ていた。栄国府に帰ると、あちらには寧国府の人がついて来た。鳳姐はこのように多忙にしていたが、ただ生まれつき人と競争して勝つのを好み、他人に批評されたり褒められることだけを心配したので、それゆえ気力を尽くして、仕事の手配がたいへん周到で秩序だっていたので、一族の中で上も下も称賛せぬ者は無かった。
この日は出棺前夜で、死者の親族が夜通し亡骸を守る日で、親族、友人が部屋を埋め、尤氏はなお奥の部屋で伏せっていて、一切の処理やおもてなしは、皆鳳姐ひとりが周到に対応した。一族の中には多くの嫁たちがいたが、口下手な者もいれば、挙動が軽はずみな者もおり、恥ずかしがり屋で人見知りがする者もいれば、身分の高い人を恐れ、役人と会いたがらない者もいて、それでますます鳳姐ひとりが傑出してスマートで、高尚で美しく見え、真に「緑の草むらの中の一輪の赤い花」であった。――どうしてまた他の人々のことが眼中に入るだろうか。おおらかに指示を行い、その為すところに任せた。その日の夜は灯りが明々と点り、客を送り役人を迎え、万事賑やかであったこと、言うまでもない。明け方の吉の時間になり、六十四名の青い衣服を着た担ぎ手が柩を出迎え、前面に掲げる幟(のぼり)には大きくこう書かれた。「皇帝陛下から封じられた一等寧国公の塚孫の夫人、内廷を防護する紫禁道御前侍衛龍禁尉、賈門で寿命を全うした秦氏宜人の霊柩」。全ての行事を執行する人々も並べられた物も、全て新たに作られ準備されたもので、一様にぴかぴか輝き、まばゆかった。(秦氏の子供の小間使いで、秦氏の養女になった)宝珠は自ら未婚の娘の礼を行い、素焼きの鉢を割り、柩の前で行列を導き、たいへん悲し気であった。
この時、男性の客で葬送の行列に参加したのは、鎮国公牛清の孫で、現在は一等伯を継承した牛継宗、理国公柳彪の孫で、現在は一等子を継承した柳芳、斉国公陳翼の孫で、三品威鎮将軍を世襲した陳瑞文、治国公馬魁の孫で、三品威遠将軍を世襲した馬尚徳、修国公侯暁明の孫で、一等子を世襲した侯孝康。――繕国公誥命が亡くなったため、その孫の石光珠は孝を守り来ることができなかった。――この六家と栄寧二家、当日「八公」と称したのは、すなわちこれらの家であった。
それ以外にも、南安郡王の孫、西寧郡王の孫、忠靖侯史鼎、平原侯の孫で、二等男を世襲した蒋子寧、定城侯の孫で、二等男を世襲、兼京営遊撃の謝鯤、襄陽侯の孫で、二等男を世襲した戚建輝、景田侯の孫で、五城兵馬司の裘良がいた。その他、錦郷伯公子の韓奇、神武将軍公子の馮紫英、陳也俊、衛若蘭など、諸王の孫や公子は枚挙に暇が無かった。女性の客も全部で十台ほどの大型の馬車、三四十台の小型の馬車や駕籠で来られ、屋敷に停められた大小の乗り物の台数は、百数十台を下らなかった。前の方の様々な行列の設(しつら)えも含め、全部つなげると三四里(1.5~2キロ)の長さに亘った。
いくらも行かないうちに、道路上には華麗に装飾されたテントが高く架けられ、宴席が設けられ、音楽が奏でられ、何れもそれぞれの家の路祭(葬送の行列の行路上で行う祭祀)が行われた。第一のテントは東平郡王府の祭祀、第二のテントは南安郡王の祭祀、第三のテントは西寧郡王の祭祀、第四のテントは北静郡王の祭祀であった。実はこれら四王で、当日はただ北静王の功績が最高で、今に至るも子孫はなお王爵を継承していた。今、北静王の世栄はまだ二十歳になっていなかったが、生まれつきたいへんな美男子で、性格は控えめで優しかった。最近寧国府の嫡孫の夫人が亡くなったと聞き、曾て互いの祖父同士が互いに仲が良く、一緒に困難を克服して栄達したので、それで自分が王位にあることに気取らず、前日にも弔問に訪れ、今日も行路上に祭壇を設け、麾下の各官に命じてここに伺候させた。自身は五更(夜明け前)に入朝し、公事が終わると、喪服に着替え、駕籠に乗ると、銅鑼を鳴らし傘を開いてやって来ると、テントの前で駕籠を降り、部下の各官が両側を囲んだので、人々の往き来ができなくなった。

しばらくして寧国府の葬列が威風堂々と、地を圧する銀嶺の山々のように、北の方からやって来た。既に寧国府の行路上の伝令の者が賈珍に報告していたので、賈珍は急いで前方の者に命じて行列を止めさせ、賈郝、賈政と三人で急いで出迎え、国礼で以て相見(まみ)えた。北静王は駕籠の中で身をかがめて礼をし、微笑みながら答礼し、相変わらず先代からの付き合いのまま親しく交わり、決して尊大にならなかった。賈珍は言った。「当家の嫁の葬儀で、郡王様自ら弔問にお出ましいただき、手前どもは先人の勲功で今の地位にいるに過ぎませんのに、真に痛み入ります。」北静王は笑って言った。「わたしたち両家は代々仲良くしてきましたものを、そんなに遠慮されるに及びません。」遂に振り返ると、長府官に命じ、自分の代わりに祭祀の儀式を行わせた。 賈郝らは傍らで返礼をしてから、また自ら前に進み出て謝辞を申し上げた。
北静王はたいへん謙遜された。そして賈政に尋ねて言った。「あちらの方は、玉を銜えて生まれられたという方ですか。以前より一目お会いしたいと思っておりました。今日はきっとここにおられると思っていました。こちらにお招きいただけますか。」賈政は慌てて退くと、宝玉に命じて服を着替えさせ、北静王の前に来て、謁見させた。かの宝玉はもとより北静王の賢徳を聞いており、また才色兼備、スマートで優秀な方で、役所の習慣に染まらず、国家の体制に束縛されておらず、かねてよりお目にかかりたいと思っていたが、ただ父親との約束があって願い通りにならなかったが、今却って呼んでいただいたので、嬉しくてならなかった。一方で歩きながら、一方でかの北静王が駕籠の中に座っているのを一瞥(べつ)すると、りっぱな容貌をされていた。さて、この先どうなるのでしょうか、それは次回解説いたします。