後ほど、中国近世の小説、『紅楼夢』の第十二回を投稿します。自分に横恋慕してきた男を懲らしめる鳳姐。その事件を契機に病を得てしまった賈瑞は、びっこの道士からもらった鏡を覗いたことで、不思議な幻想を経験し。是非読んでみてください。
今回は、鳳姐に横恋慕した賈瑞に対して、鳳姐が策略を講じ、賈瑞を懲らしめる様子が描かれます。この事件を契機に病を得、寝たきりとなった賈瑞が、この物語で時々登場する僧侶と道士の片割れからもらった不思議な鏡を覗いてみると……。『紅楼夢』第十二回の始まりです。
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王熙鳳は毒もて相思の一局を設け
賈天祥は正に風月の鑑(かがみ)を照らす
(「王熙鳳」は、本文ではあだ名の「鳳姐」と書かれています。「相思」は男女が互いに思慕すること。「賈天祥」は賈瑞の別名です。)
さて鳳姐がちょうど平兒と話をしていると、取り次ぎをする者の声が聞こえた。「瑞旦那様がお越しになりました。」鳳姐は「お入りになってもらって。」と命じた。賈瑞は面会を請求し、心の中では密かに嬉しく思っていた。鳳姐に会うと、満面笑みを浮かべ、続けて何度も挨拶をした。鳳姐もわざと慇懃に賈瑞を座らせ、お茶を勧めた。賈瑞は鳳姐がこのように身繕いしているのを見て、益々メロメロに倒れそうになり、それでとろんとした眼になって尋ねた。「璉兄さんはどうしてまだ帰ってないの。」鳳姐は言った。「どうしてか知らないの。」賈瑞は笑って言った。「どうせ途中で誰かに捕まってしまい、帰って来れなくなったんじゃないか。」鳳姐は言った。「男性というのは、たまたま見かけた方を好きになってしまうということが、おありになると知りました。」賈瑞は笑って言った。「ねえさん、それは間違っています。わたしはそんな男じゃないですよ。」鳳姐は笑って言った。「あなたのような人が何人もいるものですか。十の内にひとりもいないわ。」
賈瑞はそう聞いて、気持ちが押さえきれない程嬉しくなった。また言った。「ねえさんは毎日ストレスが溜まって大変ですね。」鳳姐は言った。「本当にそうなの。だから誰か来てくれて、お話しして憂さを晴らせるといいんだけど。」賈瑞は笑って言った。「わたしは逆に毎日閑にしています。もし毎日こちらに来て、ねえさんの憂さを晴らしてさしあげれば、いいんじゃない。」鳳姐は笑って言った。「あなた、わたしをからかってるの。あなたのとこから、わたしのとこに来たいとでも言われるの。」賈瑞は言った。「わたしがねえさんの面前で、もし一言でも嘘をついたら、天から雷に打たれて死んでしまいますよ。ただ日頃人の話で、ねえさんはおっかない人で、ねえさんの前では少しも間違いは許されないと聞いていたので、びくびくしていたんです。今ねえさんにお会いして、とてもやさしくて親しみやすい人だと分かりました。どうして来ないもんですか。たとえ死んでも会いに来たいと思います。」鳳姐は笑って言った。「道理であなたはものの分かった人で、蓉ちゃん、薔ちゃん兄弟よりずっと世事に長けているのね。わたしはあの子たちは見かけは綺麗で、もう少しものの分かった人たちだと思っていたけど、実際はふたりともぼんくらで、少しも他人の気持ちを理解してくれないのよ。」
賈瑞はこの話を聞いて、益々心の内に強く響くものがあり、知らず知らずのうちにまた一歩前に近寄り、こっそり鳳姐の荷包(香包とも言う。良い香りのする香料やお菓子などを入れた小さな飾り袋)を盗み見て(「偷香窃色(偷香窃玉)」。男女が密かに通じること。他人の奥さんである鳳姐に横恋慕する意味)、また尋ねた。「どんな指輪をつけているの。」鳳姐はこっそりと言った。「もう少しきちんとなさって。小間使いたちに見られるといけないわ。」賈瑞は服従せざるを得ない話(綸音佛語 lún yīn fó yǔ)を聞いたかのように、慌てて後退すると、鳳姐が笑って言った。「あなた、もう行かないといけないわ。」賈瑞は言った。「わたしはもう少し座っていたい、――本当に容赦の無いねえさんなんだから。」鳳姐はまたこっそり言った。「昼日向は人の往来が多いから、あなたがここにいるのも都合が悪いわ。あんた、とりあえずお行きなさい、夜になって、宵の口(起更)にお越しになって、こっそり西側の穿堂(通り抜けができるようになった部屋)でわたしをお待ちになって。」賈瑞はそう聞くと、珍宝を得たかのように、急いで尋ねた。「わたしを騙さないでよ。でも、あそこは人通りが多いから、どうしたらうまく隠れられるだろう。」鳳姐は言った。「ご安心なさい。わたし、夜勤の小者たちに皆暇を取らせるから、両側の入口を閉じれば、もう誰も来ないわ。」
賈瑞はそう聞くと、嬉しくてたまらなくなり、慌ただしく別れを告げて出て行ったが、心の内ではうまくいったと思った。夜になるのを待ちかね、果たして真っ暗闇の中を栄国府に手探りで入り込み、門を押すやいなや、穿堂の中に潜り込んだ。果たして漆黒の中に誰一人往き来する者も無く、賈のお婆様のお宅の方の門は既に鍵を閉めて閉ざされ、ただ東向きの門だけが閉まっていなかった。賈瑞は耳をそばだてて聞いていたが、しばらくの間誰もやって来なかった。ふと「ガタン」という音がして、東側の門にも鍵が掛けられた。賈瑞は慌てたが声を上げる勇気が無く、こっそり出て行かざるを得ず、門をゆすってみたが、鉄の桶のように固く閉ざされていた。この時外に出ようとしても、不可能であった。南北はどちらも高い壁で、乗り越えようにもよじ登ることができなかった。この部屋の中は風が吹き抜け、がらんとしていた。今は師走の気候であり、夜も長く、冷たい北風が吹き、肌に染み通り骨を砕くようで、一晩でほぼ凍え死にしかる程であった。なんとか早朝になるのを待ちかねていると、ひとりの老婆が先に東門を開けて入って来て、西門の方を呼ばわったので、賈瑞は老婆の背後から覗き込み、素早く飛び出した。幸いまだ早朝で、人々もまだ起き出していなかったので、裏門(后門)からまっしぐらに家に走って帰った。
元々賈瑞の両親は早く亡くなり、彼の祖父の代儒により教育や養育を受けていた。かの代儒は平素たいへん厳しく教育し、賈瑞があちこち歩き回るのを許さず、彼が外で酒を飲んだり博打をしたりしやしないか、またそれで学業を怠けるのではないかと心配した。今ふと一晩帰って来なかったのを見て、賈瑞がきっと外で酒を飲んでいたのでなければ博打を打つか、女郎を買って一夜共にしているに違いないと思い、鳳姐に騙されて穿堂の中に閉じ込められているなど夢にも思わなかった。そのため、一晩中腹を立てていた。賈瑞も怒られるのを恐れて冷や汗をかき、嘘の言い訳を言わざるを得なくなり、こう言った。「叔父さんの家に行きましたところ、暗くなってしまったので、一晩泊めていただいたのです。」代儒は言った。「元々わたしの許しを得ず勝手に出かけるなど許されないのに、どうして昨日は勝手に出かけたんだ。このことだけでも罰しないといけないのに、ましてや嘘をつくとは。」このため意を決して棒で三四十回叩き、更に飯を食べるのを許さず、彼を中庭に跪かせて文章を読ませ、十日分の宿題を追加でやるように命じ、それが終わってようやく許された。賈瑞は先ず一晩寒さに凍え、また棒で叩かれ、また腹を空かせ、風の吹き抜ける地面に跪いて文章を読まされた。それは筆舌に尽くしがたい苦しみであった。
それでも賈瑞の邪(よこしま)な心は改まらず、また鳳姐が自分のことをからかっているとは思わなかった。二日経って、時間ができたので、また鳳姐を訪ねた。鳳姐はわざと賈瑞が約束を破ったと不満を言ったので、賈瑞は慌てて今度は約束通りにすると誓った。鳳姐は賈瑞が自ら網に飛び込んで来たので、また別の計略で賈瑞に思い知らせてやらないといけないと思い、それでまた賈瑞と約束して言った。「今日の晩、あなた、前の場所に行ってはだめよ、わたしの家の後ろの狭い通路の中の空き家の中で待っていて。――でも出し抜けに頭をぶつけちゃだめよ。」賈瑞は言った。「それは本当なの。」鳳姐は言った。「あなた、信じないなら、来なくていいわ。」賈瑞は言った。「必ず行くから。死んでも行くよ。」鳳姐は言った。「今度はあなたが先にお行きなさい。」賈瑞は夜には全てがうまく行くと確信し、今回は先に帰って行った。鳳姐はここで今晩の布陣を考え、計略を仕掛けた。
かの賈瑞は夜になるのを待ちかねたが、あいにく家には親戚が来るわ、晩飯を食べてからようやく帰られるわで、その日は既に火点し頃となった。更にお爺様がお休みになるのを待って、ようやく栄国府に潜り込み、その路地の中の家に来て待っていたが、まるで熱い鍋の上の蟻のように、そわそわして居ても立ってもいられなかった。ただ、左で待てど人の影が見えず、右で聞き耳を立てても人の声が聞こえず、心中不安になり、絶えず猜疑にかられながら言った。「きっとこれは来ないんじゃないか。またわたしを一晩凍えさせないとだめなのか。……」
ちょうど自らあれこれ猜疑にかられていると、ふと真っ黒の中に人がひとり入って来たので、賈瑞は鳳姐に違いないと思い、黒白構わず、その人が目の前に来るや否や、飢えた虎が食べ物に飛びつき、猫が鼠を捕えるかのように、抱きついて叫んだ。「愛するねえさん、死ぬほどお待ちしていました。」そう言うや、抱きかかえて部屋の中のオンドルの上に行き、キスをしてズボンを引っ張って下ろし、やたらと「愛しいひと」と叫び出した。相手の人はただ声を立てず、賈瑞は自分のズボンを引っ張って下ろすと、硬いものを挿し入れようとした。突然ランプの灯りがきらめき、賈薔が燭台を持ち上げているのが見え、それで照らしながら言った。「誰がこの家の中にいるんだ。」するとオンドルの上のその人が、笑って言った。「瑞叔父さんがわたしを犯そうとしたんだ。」
賈瑞は見えなければそれで済んだのだが、見てしまうと、恥ずかしさの余り、穴があれば入りたいほどであった。――その人は誰あろう、賈蓉であった。賈瑞は身を翻して逃げようとしたが、賈薔にぎゅっと掴まれ、言った。「逃げるな。今、璉叔父さんの奥さん(鳳姐)がもう奥様の前でご報告されているが、おまえがあの方をからかったので、あの方はとりあえずおまえをここにおらせたんだ。奥様はこのことを聞いて激怒され、今回わたしにおまえを捕まえに来させられたんだ。早くわたしと一緒に行くんだ。」賈瑞はこれを聞いて、魂の無い抜け殻のようになり、ただこう言った。「兄さん、お願いだ。わたしが居なかったと言ってくれさえすれば、明日幾重にも重ねてあなたに感謝します。」賈薔は言った。「おまえを放っておいても何の値打ちも無いが、おまえさん、わたしにどれくらい感謝してくれるんだい。ましてや口で言うだけでは何の保証にもならないから、一枚証文を書いてくれないと、割りに合わないね。」賈瑞は言った。「それはどう書いたらいいんだ。」賈薔は言った。「こう書いてくれてもいいよ。博打で負けたので、銀子を若干両借りるものとする、と書けばしまいだ。」賈瑞は言った。「それなら簡単なことだ。」
賈薔は振り向いて出て行くと、紙や筆は有り合わせのものを持って来て、賈瑞に書かせた。彼らふたりは何だかんだ言いながら、ただ五十両の銀子と書き、花押を描くと、賈薔が受け取った。それから賈蓉と片を付けた。賈蓉は最初は歯を食いしばって承知せず、ただこう言った。「明日、一族の人に判断してもらいましょう。」賈瑞は焦って遂には地面に頭をぶつけて(磕頭)謝った。賈薔は何だかんだ言っていたが、五十両の借用証書を書かせて終わりにしてしまった。
賈薔がまた言った。「今おまえを放免したら、わたしは悪事に加担したことになる。お婆様のお宅の方の門はとっくに閉まっている。旦那様はちょうど広間で南京から来たものを見られているので、あちらの通路は通るのが難しい。今は裏門を通るしかない。こう行って、もし人と出逢ったら、わたしも具合が悪い。わたしが先に行って見て来て、それからおまえを連れに来るよ。この家の中は、隠れていられない。しばらくしたらものを積みに来るから、わたしが隠れる場所を捜すのを待ってくれ。」言い終わると、賈瑞を引っ張り、灯りを消したままで、敷地の外に出ると、入口のところの石段の下を手で探り、こう言った。「この窪みの中がいい。じっとしゃがんでいて、声を立てるんじゃないぞ。わたしが戻って来たら、行こう。」そう言うと、ふたりは立ち去った。
賈瑞はこの時、身体の自由が効かず、ただその石段の下にしゃがんでいた。ちょうど頭の中で段取りをつけていると、頭の上の方で「えいやっ」という声が聞こえ、ザザーッと桶一杯の糞尿が頭の上からぶちまけられ、ちょうど賈瑞の全身に注ぎかけられた。賈瑞は我慢できなくなって「ひゃあっ」と声を上げ、慌てて口を塞ぎ、これから敢えて声を出す勇気も無く、頭から顔から糞尿まみれになり、体中が冷たく冷やされブルブル震えた。ふと賈薔が走って来て叫んだ。「早く逃げろ、早く逃げろ。」賈瑞はようやく命拾いしたような気持ちで、急いで裏門から家に走った。時間は既に三更(夜中の12時から2時)を過ぎており、門番を呼んで門を開けてもらうしかなかった。
家人は賈瑞のこの様子を見て、尋ねた。「どうされたんですか。」賈瑞はうそを言わざるを得なかった。「暗くなって、足をすべらせて肥溜めの中に落ちてしまったんだ。」そう言いながら、すぐに自分の部屋に行って着替えて身体を洗ったが、心の中ではようやく鳳姐が彼をからかったのだと分かり、このため一度は彼女を恨んだ。しかしまた鳳姐の容姿の美しさを思うと、またしばらくの間欲しくてたまらないものが手に入らない思いが胸いっぱいに広がり、あれこれ考えていると、一晩中眠りにつくことができなかった。これ以降、鳳姐のことは思っても、栄国府に行く勇気は無かった。

賈蓉たちふたりはしばしばやって来て銀子を要求したが、賈瑞もまたこのことが祖父に知られるのを恐れた。正に鳳姐への思いがなお断ち切れず、おまけに借金をこしらえてしまい、昼間は勉強の課題も厳しくなった。彼は二十歳過ぎであったが、まだ結婚しておらず、鳳姐のことを思うも、思い通りにならないので、自ずと「指先で自慰行為」をすることとなった。しかも二回の凍える寒さと駆けずり回らせる困難に遭い、このように四方八方から攻められ、知らず知らずのうちに病を患うこととなった。――心臓が膨張し、口の味覚を失い、足の下が綿を踏むように力が入らなくなり、眼がチカチカし、夜は熱っぽく、昼間はいつも身体がだるくなった。夢精をしてしまい、痰を吐くと血が混じった。こうした症状が、一年もしないうちに、全て現れた。そして身体を支えることができず、ばったり床に倒れてしまい、精神に異常をきたし、口では常に意味の分からぬことを言い、恐怖心は異常な程だった。なんとかして医者にお願いして治療しようとし、肉桂、付子(トリカブトの根の周囲に付いた小さな塊上のもの)、すっぽんの甲羅、麦冬(ジャノヒゲ)、玉竹(アマドコロ)などの薬を、何十斤も飲んだが、何の効き目も見られなかった。
瞬く間に農暦十二月が終わり新年がやって来たが、この病は益々重くなった。代儒も急いで、あちこちで医者を頼み治療してもらったが、皆効き目が無かった。それでこれから「独産湯」(朝鮮ニンジンと三温糖で作ったスープ)を飲まそうにも、代儒にそんな経済力は無く、栄国府に行ってお願いせざるを得なかった。王夫人は鳳姐に命じて人参を二両量って代儒に与えるよう言った。鳳姐は答えて言った。「先日お婆様のために薬を配合したばかりで、あの人参丸々一本は、楊提督の奥様のお薬として取ってあったのが、あいにく昨日もう人に頼んで持って行かせました。」王夫人は言った。「うちに無いのだったら、人を遣ってあなたのお姑(しゅうとめ)さんのところに行って聞いてあげて。それか珍兄さんのところに有るかもしれないわ。方々尋ねてあげて、それらを合わせて差し上げなさい。ちゃんと飲ませて、人の命を救えば、これもあなたがたの功徳になるわ。」鳳姐は「はい」と答え、しかし人を遣って尋ねには行かせず、ただ少しばかり人参の屑のところを何銭か集め、人に命じて持って行かせた。そしてただこう言わせた。「奥様に命じられて持ってきました。もう他にありません。」それから王夫人にはこう言った。「皆尋ねて来ました。全部合わせて二両余りになりましたので、持って行きました。」
かの賈瑞はこの時何とか生きながらえようと、飲まぬ薬は無く、ただ無駄に金を使うばかりで、効き目は見えなかった。ふとある日びっこの道士(跛足道人 )がやって来て托鉢をし、口では専ら前世からの悪因で起きる病気を治すと称していた。賈瑞は聞かなくてよいものを、あいにく部屋でそれを聞いてしまったので、道士に直に声をかけて言った。「早くその菩薩さまに入って来ていただいて、命を救ってください。」そう言いながらベッドの上で額ずいた。召使たちは道士を連れて来ざるを得なかった。賈瑞はしっかり道士を掴むと、何度も「菩薩様、お助けを。」と叫んだ。かの道士はため息をついて言った。「あなたの病は薬では治すことができません。わたしが持っている宝をあなたに差し上げます。あなたが毎日これを見れば、あなたの命を保つことができます。」そう言うと、袋の中から正面も裏面も人を映すことのできる鏡を取り出し、――背面に「風月宝鑑」の四文字が彫られていた――これを賈瑞に渡して言った。「この鏡は太虚幻境空霊殿から出たもので、警幻仙子が作られ、専ら淫らな性欲や妄想が引き起こす病気の症状を治し、世の中の人々を救済し、生命を保つ効き目があります。それゆえこの鏡が世の中にもたらされたのは、主に聡明で気力に満ち、才能のある人物がこれで映し見て、彼らが淫らな考えや妄想に走るのを防ぐためのものです。くれぐれも鏡の正面を映してはなりません。裏面で映してください。くれぐれもご注意あれ。三日したら、わたしが取りに来ます。あなたの病が良くなること請け合いです。」そう言うと、ぶらぶら歩いて行ってしまった。召使たちはなんとか引き留めようとしたが、適わなかった。
賈瑞は鏡を受け取ると、こう思った。「あの道士は面白いやつだ。早速試しに顔を映してみよう。」そしてかの「宝鑑」を持って来て、鏡の裏面を映して見ると、ひとりの骸骨が中に立っていた。賈瑞は慌てて蓋をし、かの道士を罵った。「このろくでなしめ。わたしを驚かせやがって。――それなら、鏡の正面で映すとどうだろう。」そう思いながら、鏡の正面を映すと、鳳姐が中に立って、彼を手招きしているのが見えた。賈瑞は心の中で大いに喜び、ふわふわと空中に浮いているような気になり、鏡の中に入って行き、鳳姐と男女の営みを行い、鳳姐が彼を送って出て来た。ベッドの上に着くと、「うわっ」と一声発し、眼を開くと、鏡はもう一度向きを変え、相変わらず鏡の裏面ではひとりの骸骨が立っていた。賈瑞は自ら汗びっしょりになるのを感じ、下の方には大量の精液が残っていた。心の中ではそれでも満足できず、また鏡の正面にひっくり返すと、鳳姐がまた手招きして彼を呼ぶので、賈瑞はまた入って行った。このようなことが三四回続いた。最後には、ちょうど鏡から出て来ると、ふたりの男がやって来て、鉄の鎖で賈瑞をくくると、引っ張って行こうとした。賈瑞は叫んだ。「わたしに鏡を取らせて、それから行ってくれ……」これだけ言うと、もはや口をきくことができなくなった。

横で世話をしていた召使が見ると、賈瑞は先にまた鏡を映し見ていたが、鏡を下に落とし、それでもなお眼を見開いて鏡を手で拾ったが、最後には鏡を下に落とし、もう身体が動かなくなった。召使たちが集まって来て様子を見ると、賈瑞はもうこと切れて、身体の下の方は冷たく湿り気で染み通り、大量の精液が残っていた。こうなってから急いで衣裳を着させてベッドから移動させた。代儒夫婦は正気を失うほど泣きぬれ、道士を大声で罵った。「なんといかがわしい道術じゃっ。」遂に人に命じて火を起こしてその鏡を燃やさせた。ふと空中でこう叫ぶのが聞こえた。「誰がやつに正面で映し見させたのか。おまえたち自身がうそを真としていながら、なぜわたしという鏡を燃やすのか。」ふとその鏡が部屋の中から飛び出すのが見えた。代儒が門を出て見ると、やはりあのびっこの道士であり、大声でこう叫んだ。「わたしの「風月宝鑑」を返してくれ。」そう言いながら、鏡を奪い取ると、見る間にふらりと行ってしまった。
当座は代儒はなす術が無く、葬儀の事を執り行うことしかできず、各所にそれを伝えに行った。三日の間お経を読んでもらい、七日目に棺を担ぎ(「發引」。葬送する)、鉄檻寺にお棺を預けた。その後しばらくして、賈家の人々が一斉に弔問に訪れた。栄国府の賈赦は銀二十両を贈り、賈政も二十両、寧国府の賈珍もまた二十両贈った。それ以外の一族の人々は、貧富様々で、ある者は一二両、ある者は三四両と、皆異なった。それ以外にも同じ家塾に通う者の中にも香典を出す者がいて、それらを集めると二三十両になった。代儒の暮らし向きは貧しく質素であったが、これらの香典をもらったお陰で、却って金持ちとなって賈瑞の葬儀を終えた。
思いがけずこの年の冬の終わりに、林如海が伝染病に罹って重体となり、手紙を書いて、特に黛玉に帰宅するよう迎えを寄越した。賈のお婆様はこのことを聞いて、また悲しまれるのを免れなかったが、急いで黛玉に出発する準備をさせざるを得なかった。宝玉は面白くなかったが、父と娘の情愛は如何ともし難く、それを妨げることはできなかった。そして賈のお婆様は賈璉に黛玉を送って行かせると決められ、また事が終われば彼女を連れて帰るよう命じた。土産物や路銀のことなど一切については、くどくど喋るまでもなく、自然と穏当に準備が為された。速やかに日時を選び、賈璉が黛玉と共に人々に別れを告げ、召使たちを連れて、船に乗り揚州に向かった。そして果たしてどうなったか、次回に解説いたします。
次回第十三回では、秦可卿が亡くなり、その葬儀にまつわる話が展開されます。次回をお楽しみに。
寧国府では賈敬の誕生日のお祝いで、庭に芝居の舞台が設置され、一族の人々がお祝いにやって来ます。賈敬の孫の賈蓉の嫁の 秦可卿の身体の具合が悪いと聞き、王熙鳳(鳳姐)らがお見舞いに行きます。その後、お庭に向かった 鳳姐に、一族の賈瑞がちょっかいを出し、良からぬ下心を抱きます。『紅楼夢』第十一回の始まりです。
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寿辰を慶し寧府は家宴を排し、
熙鳳を見て賈瑞は淫心を起こす
さて、この日は賈敬の寿辰(老人の誕生日)で、賈珍は先に上等な食べ物、珍しい果物を、十六の大捧盒(大きな蓋付きの箱で、両手で捧げ持つ)に詰め、賈蓉に家の召使たちを連れて、賈敬のところに届けに行かせ、賈蓉に対してこう言った。「おまえ、お爺様が喜んでおられるかどうか、注意して見て、お辞儀をしたら、こう言うんだ。「父はお爺様のお言葉を守り、敢えて罷(まか)り越しませんので、家で一家の者を率いて、今朝拝礼をして参りました。」と。」賈蓉は聞き終わると、召使を連れて出て行った。
ここには次第に人々がやって来た。最初に賈璉、賈蔷が来て各所の座席を見て、尋ねた。「どんな出し物をやるの。」召使は答えて言った。「うちのご主人様のお心積もりでは、元々お爺様に今日うちにお越しいただくので、あえて出し物を準備する予定は無かったのですが、おとついお爺様が来られないと聞いたので、今はやつがれどもに小さな劇団や十番鑼鼓の演奏をする楽隊を捜させ、皆お庭の舞台で準備しております。」
これに続き、邢夫人、王夫人、鳳姐(王熙鳳)、宝玉が皆やって来たので、賈珍と尤氏が出迎えに入って来た。尤氏の母親は既に先にここに来ており、皆が挨拶すると、それぞれ譲り合って座った。賈珍と尤氏のふたりは茶を手渡し、それから笑って言った。「お婆様は元々我が一族の祖で、わたしの父はその甥でありますが、こんなにご高齢であられ、またこのような特別な日でもあり、元々敢えてお婆様にお越しいただくつもりはありませんでした。けれどもこの時期、天気は涼しくさわやかで、庭園中菊の花が満開ですので、お婆様にお越しいただき日頃の憂さを晴らしていただき、子供や孫たちが賑やかにしているのをご覧いただく、そういう趣旨でございます。――ところがあいにく、お婆様もお顔を出されないとは。」 鳳姐が、 王夫人が口を開く前に、先にこう言った。「お婆様は昨日はまだ来ると言っていたのですが、夜に宝兄さんが桃を食べるのを見て、このお年寄りは口が卑しくて、お婆様も桃をおおかた一個召し上がったものだから、五更(夜中の三時から五時)の時分に、続けざまに二度も目が覚め、今日は早朝に少し身体がだるく感じられ、それでわたしからお爺様に、今日はきっと来れないだろうと回答させられたのです。美味しいものを何種類か準備し、それらは柔らかくて噛み砕きやすいものにしろとおっしゃっていました。」賈珍はそれを聞いて笑って言った。「お婆様は賑やかなことがお好きなのに、今日お越しにならないのは、きっと何か理由があると思っておりました。――そういうことでしたか。」
王夫人が言った。「おとつい妹( 王熙鳳 )が申してましたが、蓉兄さんの奥様(秦可卿)のお身体が少しお悪いとか。いったいどのようですの。」尤氏が言った。「あの娘の病気の症状は奇妙なんです。先月の中秋の時はまだお婆様、奥様とご一緒に夜中まで遊んでいて、帰ってきてもピンピンしていたのです。二十日以降になると、一日一日身体がだるくなり、また食欲も無くなったのです。この状態が半月以上続いています。月経も二(ふた)月来ていないのです。」 邢夫人は続けて「おめでたじゃないの。」と言った。
そう話していると、外の者がこう言って来た。「大旦那様、若旦那様はじめご一家の旦那様方が皆お越しになりました。広間におられます。」賈珍が急いで出て行った。ここで尤氏がまた言った。「以前お医者様の中にもおめでただという方がいらっしゃいましたが、昨日馮紫英様が推薦された、あの方が幼い時に一緒に勉強なさった先生がおられて、医術に優れた方で、診ていただくとおめでたではなく、重い病気の症状だと言われたのです。昨日お薬を処方され、それを飲むと、今日は目がくらむのは多少良くなったのですが、それ以外はあまり効き目が見られないのです。」鳳姐が言った。「わたしはあの娘の病状は、身体を十分支え切れないほど悪くはないと思いますけど、今日のような大切な日でも、もはや無理をして起きて来ようと思わないとは。」尤氏が言った。「あなたは今月の三日にここであの娘に会われて、あの娘は半日なんとか我慢していたけれど、これもあなた方ふたりがとても仲が良くて、恋々として別れられないからよ。」鳳姐はそう聞いて、(悲しみで)眼の縁を少し赤くし、それからようやく言った。「「天には不測の風雲が起こり、人生には思いがけない災いが起こる」よ。この年齢で、もしこの病気のために不幸な結果となれば、人がこの世で生活して、どんな楽しみがあると言うの。」
ちょうどこう話していると、賈蓉が入って来て、 邢夫人、王夫人、鳳姐に挨拶をし、それから尤氏に回答して言った。「さきほどわたしはお爺様に食べ物をお届けに行き、またわたしの父が家で皆さまのお世話をし、一族の方々をおもてなしし、お爺様のお言葉を守り、敢えてこちらには参りませんと申し上げました。お爺様はそれを聞いてたいへん喜ばれ、「それでこそ良いのだ。」と言われ、お父様、お母さまには、よくよく旦那様方、奥様方にお仕えするよう言われました。またわたしには、よく叔父様、叔母様、お兄様方にお仕えするよう言われました。またこうも言われました。「かの『陰騭文』(いんしつぶん)は彼らに急いで版に彫らせ、一万枚印刷し、人に配るように」と。わたしは今これらのことを皆お父様にお伝えさせていただきました。わたしはこれからまだ急いで出かけて、皆さま方や一族の方々にお食事のお世話をしないといけないです。」鳳姐が言った。「蓉兄さん、ちょっと待って。奥様は今日はいったいどんなご様子なの。」賈蓉は眉間にしわを寄せて言った。「良くないです。叔母様がお帰りの際に、ちょっと見舞いに行ってもらえば分かります。」そう言って賈蓉は出て行った。
ここで尤氏は 邢夫人、王夫人に言った。「奥様方はここで食事をお召し上がりになりますか、それともお庭で食べられますか。芝居の劇団が今庭で準備をしております。」王夫人は 邢夫人に向け言った。「ここはとてもいいわ。」尤氏はそれで召使たちに言いつけた。「早く料理を並べてちょうだい。」門の外では一斉に「はい」と回答があり、めいめい皿を持って行った。程なくして、料理が並べられた。尤氏は 邢夫人、王夫人と自分の母親を上座に座らせ、自分は鳳姐や宝玉の側の席に座った。邢夫人、王夫人は言った。「わたしたちが来たのは元々お爺様の長寿をお祝いするするためでしたのに、これではわたしたちが誕生会をしに来たみたいじゃありませんか。」鳳姐が言った。「お爺様は元々静かにされているのがお好きで、仙人になる修行も積まれていて、もう仙人になられたようなものです。奥様方がこのようにおっしゃれば、「気持ちが自然に神様に通じる」ことになりますわ。」こう言うと、一座の人々は皆どっと笑った。
尤氏の母親と邢夫人、王夫人、鳳姐は食事を済ますと、口を漱ぎ、手を洗った。それからようやく庭園の方に行こうとすると、賈蓉が入って来て尤氏に言った。「旦那様方、並びに叔父様お兄様方は、皆お食事を取られました。大旦那様(賈政)は家で用事があるとおっしゃり、下の旦那様(賈郝)は芝居がお好きではなく、また人が大騒ぎするのが怖いとおっしゃり、おふたりともお帰りになりました。それ以外の一族の皆様方は、璉叔父様や蔷旦那様がお連れになって、芝居を見に行かれました。さきほど南安郡王、東平郡王、西寧郡王、北静郡王の四家の王様、並びに鎮国公牛府など六家、忠靖侯史府ら八家から、人を派遣し、名刺を持って誕生祝いの贈り物を届けに来られ、それぞれ父上が応対され、帳場に収納し、贈り物のリストは皆帳簿に記録しました。お礼のお手紙はそれぞれの家からのお客人にお渡しし、お客人方も皆さんいつも通りお芝居をご覧になり、お食事をお召し上がって行かれました。お母さま(尤氏)、おふたりの奥方様(邢夫人、王夫人)、お婆様(尤氏の母親)、叔母様(鳳姐)にお庭に行って座っていただいてください。」
尤氏は言った。「こちらもちょうど食事が終わったところで、行こうとしていたのよ。」 鳳姐が言った。「奥様にお返事しますが、わたしは先に蓉兄さまの奥様のお顔を見に行ってから、行こうと思います。」王夫人が言った。「それがいい。わたしたちみんながお見舞いに行ったら、おそらくあの方が、わたしたちがひどく騒ぎ立てたと嫌がられるかもしれません。わたしたちがよろしくと言っていたと伝えてください。」尤氏は言った。「良い娘だね。あの娘に会ったら、あなたからちょっと諭してくだされば、わたしも安心できます。早くお庭に来てくださいね。」宝玉も 鳳姐と一緒に秦氏のお見舞いに行こうとしたので、王夫人が言った。「おまえはちょっとお顔を見たら失礼するんだよ。あの方はおまえの甥のお嫁さんなのだから。」そして尤氏は王夫人、 邢夫人と、彼女のお母さまをお連れして会芳園の方に行った。
鳳姐、宝玉は賈蓉と秦氏の部屋にやって来た。入口を入ると、そっと奥の部屋に歩いて行くと、秦氏がそれを見て起き上がろうとしたので、 鳳姐が言った。「お願いだから起き上がらないで。眩暈(めまい)がするわよ。」そして鳳姐が更に一二歩近づき、秦氏の手をしっかり握ると、言った。「あなた、どうして何日か会わないうちに、こんなに痩せてしまったの。」そして秦氏が座っている敷布団の上に座った。宝玉も挨拶をし、向かい側の椅子に座った。賈蓉が大声で言った。「早くお茶を淹れて来ておくれ。叔母さんと下の叔父さんは、母屋でまだお茶を召しあがられていないから。」

秦氏は鳳姐の手を握ると、作り笑いをして言った。「これも皆、わたしに幸運が無いのですわ。このようなお宅で、お父様もお母さまもご自分の家の娘のように接してくださいます。叔母様、あなたの甥御さんはまだお若いのに、わたしを敬ってくださり、わたしもこの方を敬い、これまで喧嘩をしたことがございません。ご一家の年配の方も同世代の方も、叔母様は言うまでもありませんが、他の方もこれまでわたしをかわいがってくださらない方はおられず、わたしと仲良くされない方もおられませんでした。今こんな病気になると、わたしのあの強い気持ちが全く無くなってしまいました。お義母様の前では未だ一日たりとも親孝行させていただいたことがありません。叔母様はこんなにわたしを可愛がってくださり、わたしは十分に孝行心がありますが、(実際の行動は)今も十分にはできていません。わたし、思うんですが、ひょっとすると年を越せないんじゃないかしら。」
宝玉はちょうどあの「海棠春睡図」とあの秦太虚の書いた「嫩(よわい)寒さが夢を鎖(とざ)すは春の冷たさに因り、芳気の人を襲うは是酒香」の対聯を眼にし、思わずここで昼寝をし、夢の中で「太虚幻境」に行ったことを思い出した。ちょうどぼんやりしていて、秦氏がこうしたことを言うのを耳にし、まるで心に万の矢が貫いた(万箭攢心 wàn jiàn cuán xīn)ような気がして、涙が思わず流れ落ちた。鳳姐は見たところ、心の中がとても堪えがたい様子であった。しかし病人がこんな様子を見て、却って悲しみを増し、ここへ来て秦氏を諭そうとした意図に反してしまうのを恐れ、それでこう言った。「宝玉、おまえあまりにめそめそし過ぎてるわ。病人がこんなことを言ったからって、どうしてそんなことになるものですか。ましてや歳もそんないっている訳じゃなし、ちょっと伏せったら良くなるわ。」また秦氏の方に応えて言った。「あなた、変な考えは止して。どうして病気をひどくしようとするの。」賈蓉は言った。「こいつの病気も他でもなく、食事をしっかり食べていさえすれば、恐れることはないんです。」鳳姐が言った。「宝ちゃん、お母さんがおまえに早くおいでと言われていたわ。おまえはここでこんなことばかりしていてはだめよ。却ってお嫁さんも落ち着かないわ。奥さんがあちらでおまえのことを気にされていますよ。」それで賈蓉に言った。「あなた、先に宝叔父様と行ってください。わたしはまだちょっと座っていますから。」賈蓉はそれを聞いて、 宝玉と会芳園の方に行った。
ここで鳳姐はまた一度(秦氏を)慰め、また低い声でいろいろ心に秘めた思いを話した。尤氏が人を二三回派遣して来たので、鳳姐はようやく秦氏に言った。「あなた、よくよく養生するのよ。わたしまたお見舞いに来るからね。当り前だけど、あなたは良くならないといけないのよ。だからおとつい良いお医者さんに出会えたのだし、もう病気を恐れることはないわ。」秦氏は笑って言った。「たとえそのお医者様が仙人であっても、「解決できることは解決しても、人の力で解決できないことはどうしようもない」(治了病,治不了命)の。叔母様、わたしこの病気は時間を引き延ばしているだけだと思うわ。」鳳姐は言った。「あなたがそんなふうにばかり考えていたら、どうして病気が良くなるの。とにかく心を広く持った方がいいわ。まして先生が言われるのを聞いたでしょ。もし治らなければ、ひょっとすると春によくないことになるって。わたしたち、もし(貧乏で)人参を食べれない家だったら、分からないけど、あなたのお義父さんもお義母さんも治ると聞いたら、たとえ毎日二銭の人参だって、二斤だって飲めるくらいの財力はあるわ。よく養生なさい。わたしはお庭の方に行くから。」秦氏はまた言った。「叔母様、わたし一緒に行けなくてごめんなさい。お暇な時にまたわたしに会いにいらして。わたしたち女同士で座って、いろいろ世間話をしましょう。」鳳姐はそれを聞いて、思わず眼の縁を赤くして、言った。「わたし、閑ができたら必ずあなたに会いに来ますからね。」そして一緒に来た召使たち、また寧国府の召使たちを連れて、家の中からぐるりと回って庭園の通用門を入った。そこで見えた光景は以下のようであった。
黄色い花が一面に咲き、白い柳が池のほとりに横たわる。小さな橋が若耶の渓谷を通り、曲がりくねった小径は天台山に通じる道に続いている。石中の清流から一滴一滴水がしたたり、垣根の間から芳しい樹木の香りが漂う。木々の紅葉は秋風の中ひらひらと舞い、木の疎らな林は絵のように美しい。西風がにわかに強く吹き、まるで鶯が鳴いたように聞こえる。暖かい陽光の下、天気は温暖になり、またコオロギの鳴き声が聞こえる。遥か東南を望めば、何ヶ所か山に依って高殿が建ち、近く西北を観れば、三間の水辺の小さな家が建っている。簫やチャルメラの音が響き渡り、この上なく趣がある。華麗な衣裳を着た人々が林の中を行き交い、趣を倍増させる。
鳳姐は庭園の中の風景を眺めながら、一歩一歩進み、この風景をちょうど愉しんでいる時、突然築山の石の後ろからひとりの男が進み出て、前から鳳姐に向かって言った。「姉さん、ごきげんよう。」鳳姐はびっくりして、身体を後ろに退かせ、言った。「これは瑞旦那様ではないですか。」賈瑞は言った。「姉さん、わたしまでお忘れですか。」鳳姐は言った。「忘れたんじゃないわ。突然現れたから、まさか旦那様がここにおられるとは思わなかったのですよ。」賈瑞は言った。「幸い、わたしと姉さんには縁があるのですよ。わたしは今しがたこっそり席をはずし、この静かな場所で、ちょっと気晴らしをしようと思ったら、思いがけず姉さんをお見受けしたんです。これは縁があるんじゃないですかね。」一方でそう言いながら、一方で眼は休まず鳳姐を見つめていた。

鳳姐は聡明な人で、この光景を見れば、十中八九相手の魂胆を悟らぬことがあろうか。それで賈瑞に向かってわざと笑みを浮かべて言った。「道理でお兄様はいつもわたしに挨拶されるのね。今日お目にかかり、あなたの言われることを聞いて、あなたが聡明でやさしい人だと分かりました。今はわたし奥様方のところに行かなければならず、あなたとお話しすることができません。落ち着いたらまたお会いしましょう。」賈瑞は言った。「わたしが姉さんの家にご挨拶に行ったら、ひょっとすると姉さんは年若いから、軽々しく人に会ってはくださらないのじゃないですか。」鳳姐はまた作り笑いをして言った。「わたしたちは同じ家族ですから、歳が若いのなんのは関係ありませんわ。」賈瑞はこのことばを聞いて、心の中で密かに喜び、それでこう思った。「今日こんな奇遇なことがあるなんて、思いもしなかった。」そして益々思いが募った。鳳姐は言った。「あなた、早く席に戻られて。あの方たちに捕まったら、罰として酒を飲ませられますよ。」賈瑞はそれを聞くと、身体の半分がもう麻痺したようになり、ゆっくりと歩きながら、一方で振り返って鳳姐を見た。鳳姐はわざと歩みを遅くし、賈瑞が遠く離れたのを見て、心の中で密かに思った。「これこそ「人の見かけを知るのは易しいが、内心を理解するのは難しい」(知人知面不知心)よ。どこにこんな人でなしがいるものですか。あいつがまたこんなことをしたら、いつかあいつをわたしの手の中で殺してやれば、あいつもわたしのやり口が理解できるわ。」
そして鳳姐はようやく歩を進めてやって来た。一層目の山の斜面を曲がったところで、二三の年配の召使たちがあたふたとやって来るのが見え、鳳姐を見ると、笑って言った。「大奥様が若奥様が来られないので、とてもそわそわされ、手前どもにまた、若奥様に来ていただくよう遣わされました。」鳳姐は言った。「おまえんとこの大奥様は本当に「せっかち」じゃな。」鳳姐はゆっくりと歩きながら尋ねた。「芝居は何幕やられたの。」かの召使は答えて言った。「八九幕やりました。」話している間に、もう天香楼の裏門に着き、宝玉と多くの小間使いや小者たちがそこで遊んでいるのが見えたので、鳳姐が言った。「宝ちゃん、あまりやんちゃをしちゃだめよ。」ひとりの小間使いが言った。「奥様方は二階にお座りになっています。若奥様、こちらからお上がりください。」
鳳姐はそう聞くと、ゆっくりとした足どりで、スカートのすそを持ち上げ二階に上がった。尤氏は既に階段の上り口で待っていた。尤氏は笑って言った。「あんたたち女ふたりは本当に仲良しね。顔を合わせたら、ずっと離れられないんだから。あんた明日引っ越して来て、あの娘と一緒にお住まいなさいよ。――お座りなさい、わたしが最初にあなたに一献お酒を差し上げますわ。」そして鳳姐は邢夫人、王夫人の前に行って座った。尤氏は芝居のプログラムを持って来て鳳姐にリクエストさせると、鳳姐は言った。「奥様方がここにおられるのに、わたしがどうしてリクエストなんてできるでしょう。」邢夫人、王夫人が言った。「わたしたちや親戚の奥様がもう何幕も選んだのよ。あなたが何幕かいい芝居を選んでわたしたちに聞かせて。」鳳姐は立ち上がって「はい」と答え、芝居のプログラムを受け取ると、最初から見て、「還魂」と「弾詞」をリクエストすると、プログラムを返して、言った。「今歌っている「双官誥」が終わったら、この二幕を歌ってもらえば、もういい時間になるわ。」
王夫人が言った。「確かにそうね。早めにお兄様や奥様に休んでいただかないと。皆さん、気持ちも慌ただしくされているから。」尤氏が言った。「奥様方はめったにお越しになれないんですから、お嬢様方もう少しゆっくりして行かれたら、面白みも出て来ましょう。まだ時間も早いですし。」鳳姐は立ち上がって階下を見ると、言った。「旦那様方はどちらへ行かれたの。」傍らでひとりの年配の召使が言った。「旦那様方は今しがた凝曦軒に行かれ、十番(鑼鼓の楽隊)を連れてそこでお酒をお召し上がりです。」鳳姐は言った。「ここでは都合が悪いから、陰で何をしてるか分かったもんじゃないわ。」尤氏が笑って言った。「あんたみたいにまじめな人ばかりじゃないわよ。」
そしてわいわいがやがや、選んだ芝居が皆終わると、ようやく酒の席が片付けられ、食事が並べられた。食事が終わると、皆庭園から出て、母屋に来て座ると、お茶を飲み、ようやく準備した車を呼ぶと、尤氏の母親に暇を告げた。尤氏は一家の女たちや家人たちを連れてお見送りに出、賈珍は子弟たちを連れて車の脇にかしずき、お客様をお待ちした。邢、王の両夫人を見ると、言った。「おふたりの叔母様方、明日また遊びに来てください。」王夫人は言った。「もういいわ、わたしたち今日は丸一日ずっと座って、疲れたわ。明日は休息しないと。」そして皆車に乗り込んだ。賈瑞はなおずっと鳳姐の方を見つめていた。賈珍が家に戻って後、李貴はようやく馬を牽いて来て、宝玉が馬に跨り、王夫人に随い出発した。
ここで賈珍は一家の子弟たちと一緒に食事をし、それから皆解散した。翌日、相変わらず一族の人々は一日がやがやと働いたが、細かく言うまでもない。この後、鳳姐は時々自ら秦氏に会いに来た。秦氏も何日かは具合が良かったが、何日かは具合が悪かった。賈珍、尤氏、賈蓉は甚だいらいらした。
さて、賈瑞は栄国府に何度か訪ねて来たが、毎回その度にあいにく鳳姐は寧国府の方へ行っていた。この年はちょうど十一月三十日が冬至であった。節気の当日、賈のお婆様、王夫人、鳳姐は日々人を遣って秦氏を見舞わせた。帰って来た者は皆、「この数日、新たな症状が出た様子も見えませんが、良くなった様でもないです。」と言った。王夫人は 賈のお婆様に言った。「この病気は、このような節気になって、新たな症状が出ていないようなら希望が持てますよ。」賈のお婆様は言った。「ほんにそうじゃな。愛しい娘、もし万一のことがあったら、死ぬほどの痛みを感じぬわけにはいかぬ。」そう言いながら、ひとしきり心の中で悲しみに打ちひしがれていたが、鳳姐に言った。「おまえたちふたりはずっと仲が良かったから、明日は農暦十二月一日なので、明日が過ぎたら、あんたまたあの娘のお見舞いに行っておいで。詳しくあの娘の様子を見舞ってやって、もしひょっとして多少良くなっているようなら、あんた帰って来たらわたしに言ってくれるかい。あの娘がふだん好きな食べ物を、あんたいつも人を遣ってあの娘に届けておくれ。」
鳳姐は一々承った。十二月二日になり、朝食を食べると、寧国府に来て、秦氏の様子を見た。新たな病気の症状は出ていなかったが、顔も身体も肉が落ちて痩せさらばえていた。そして秦氏と半日一緒に座り、よもやま話をし、また病気に差し支えの無い話で彼女を諭してやった。秦氏は言った。「良くなるかどうかは、春になれば分かるわ。今は冬至を過ぎたところで、まだどうということも無い。ひょっとすると良くなるかもしれないけど、まだ分からないわ。叔母さん、お婆様にお伝えして。ご安心くださいって。昨日お婆様に頂いた、棗(なつめ)餡のお饅頭(山薬糕)、わたし二切れ食べましたが、どうやらちゃんと消化できたようですわ。」鳳姐は言った。「明日またあなたにお届けするわ。わたし、あなたのお母様にご挨拶したら、急いで戻ってお婆様にお返事しに行くわ。」秦氏は言った。「叔母様、お婆様と奥様によろしくお伝えください。」
鳳姐は「はい」と答えると部屋を出た。 それから尤氏の家の母屋に行って座った。尤氏は言った。「あなた、冷静に見て、うちの嫁の具合をどう思う。」鳳姐はしばらく俯(うつむ)いていたが、言った。「これはどうしようも無いですね。あなたも、もしもの際の後のことを準備されておかないといけないですわ。――厄払いをするのもいいですね。」尤氏は言った。「わたしもこっそり人に言いつけて準備しているんですよ。だけどあれ(棺桶)は良い木材を使ってはいけないので、まあゆっくりと手配してるの。」そして鳳姐はお茶を飲み、ひとしきり話をすると、言った。「わたし、早く帰ってお婆様にご報告しないと。」尤氏は言った。「よくご説明してね。ご老人をびっくりさせないように。」鳳姐は言った。「分かっていますわ。」
そして鳳姐は立ち上がると、家に戻り、 賈のお婆様に会い、言った。「蓉お兄様の奥様が、お婆様によろしくと申され、お婆様に磕頭 kē tóu(ひざまずき両手をついて地面に額をつける礼)のお辞儀をして、ご挨拶されていました。どうかお婆様ご安心ください。あの方は幾分快方に向かわれており、またお婆様に磕頭の礼でご挨拶されていました。」賈のお婆様は言った。「おまえが見て、どんなご様子だね。」鳳姐は言った。「当面は問題無いです。お気持ちもまだしっかりしておられます。」賈のお婆様はそう聞いて、しばらく低い声でぶつぶつ言っていたが、それから鳳姐に言った。「服を着替えてゆっくりお休み。」
鳳姐は「はい」と答えてお婆様の家から出て来ると、王夫人に出会った。家の中に入ると、平兒が暖めておいた普段着に、鳳姐に着替えさせた。鳳姐は座ると、尋ねた。「家で何か無かったかい。」平兒はお茶を捧げ持って来て渡すと、すぐに言った。「何もありませんでした。あの三百両の銀子の利銀を、旺兒叔母さんが送って寄越したので、受け取りました。それと、瑞旦那様が人を遣わし、奥様がご在宅かお尋ねでした。こちらにお越しになりご挨拶とお話があるとか。」鳳姐はそれを聞くと、「フン」と一声発し、言った。「この畜生は死にたいみだいだね。どうなるか見ておいで。」平兒は答えて言った。「この瑞旦那様はどうして、そんな後先構わず来られたいので。」鳳姐はそれで九月に寧国府の庭園で賈瑞に出会った時の光景や、彼の話しぶりを、皆平兒に話して聞かせた。平兒は言った。「ガマが白鳥の肉を食べたがる(癩蛤蟆想吃天鵝肉)――身の程知らずですわね。この人は道徳心というものが無いのでしょうか。こんな邪念をお持ちじゃ、往生はできないですわ。」鳳姐は言った。「あいつが来たら、わたしにも考えがあるわ。」さて賈瑞が来ると、どのような光景が待っているのか、それは次回に解説します。
次回第十二回で、賈瑞にちょっかいを出された鳳姐が、どんな仕打ちをするか、そして賈瑞がどうなるかの因果応報が見どころとなります。次回をお楽しみに。
金栄が秦鐘をいじめたことに端を発した賈家の家塾での乱闘騒ぎで、金栄は皆の前で謝らされ、面目を失したのですが、自分ひとりが責任を取らされたことを不満に思い、金栄は帰宅後、母親に不満をぶつけます。金栄の叔母の賈璜の妻が寧国府の賈珍の妻の 尤氏に不満を訴えようとするが……。第十回の始まりです。
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金寡婦は利を貪り権を利し辱めを受く
張太医は病を論じ細かく源を窮(きわめ)る
さて金栄は、多数の人々からの勢いに押され、また賈瑞により非を償うよう命じられ、秦鐘に「磕頭」kē tóu(額を地面につけて相手にぬかずく)して謝り、宝玉はそれでようやく騒ぎ立てることをしなくなった。学校が引けて、金栄は自分の家に帰ったが、考えれば考えるほど腹が立ち、言った。「秦鐘は賈蓉の義弟に過ぎず、また賈家の子弟ではないのに、他家の家塾に入って勉強するのは、おれと同じ立場に過ぎないのに、あいつは宝玉に頼り宝玉と仲が良く、おれのことなど眼中にない。それなら、肝心なことに注力すべきで、些細なことに関わっちゃだめだ。秦鐘はふだん宝玉と陰でこそこそやっていて、他人はめくらで見えていないと思っている。今日あいつはまた誰かさんと密かに通じているところを、折悪しくおれの眼に飛び込んできたから、騒ぎを起こしたので、おれがまた何を恐れないといけないんだ。」
金栄の母親の胡氏は、息子がぶつぶつ独り言を言うのを聞いて、言った。「おまえはまたどんなろくでもないことに首を突っ込んだの。わたしがあんたの叔母さんにいろいろお願いして、あんたの叔母さんも百方手を尽くして西府(栄国府)へ行って賈璉様の若奥様(王熙鳳)の前でお願いし、それでようやくおまえは家塾に入れていただくことができたんだ。人様に頼らなければ、我が家に先生に来ていただく力があるかい。まして人様の家塾の中では、食事も準備いただける。おまえがこの二年あちらで勉強させてもらったおかげで、うちも随分生活費が節約できたんだ。節約した金で、おまえはまた恥ずかしくない衣裳を身に着けているんだ。それに、おまえがあそこで勉強していなかったら、薛旦那と知り合えたかい。あの薛旦那は一年にわたしたちに七八十両の銀子をご支援くださっているのよ。おまえが今この学校を飛び出したら、またこのような場所を捜そうと思っても、言っとくけど、天に登るよりまだ難しいのよ。おまえ、頼むからおとなしく分を守って、よくお休み。もう面倒を起こすんじゃないよ。」そして金栄は怒りをこらえてじっと我慢し、しばらくして、部屋に戻って休んだ。翌日、いつも通り学校へ行ったが、そのことは言うまでもない。
さて金栄の叔母は元々賈家で名前に「玉」の字を付けた世代(宝玉と同世代)の嫡流で、名を賈璜という者に嫁いだのだが、彼ら家族の者の誰が、寧、栄両府の人々の権勢に及ぶことができただろうか。このことは細かく言うまでもない。この賈璜夫婦は、ごく小さな家産を守り、またいつも、寧、栄両府に来てはご機嫌を伺い、また鳳姐や尤氏におべっかを使っていたので、鳳姐、尤氏もいつも賈璜に経済的な援助をし、それでようやくこのように日々生活を送ることができていた。この日はちょうど天気のよい日に当たり、また家でも特に用事がなかったので、遂に年配の召使を連れて車に乗り、家に嫁や甥の顔を見にやって来た。
さて、金栄の母親は昨日賈家の学堂で起こった事件をことさらに持ち出し、最初から終わりまで、細大漏らさず、小姑(こじゅうと)に話した。この璜の奥様は聞かなければそれで済んだものを、話を聞いて、カンカンに怒り、言った。「この秦鐘という小童(こわっぱ)が賈一族の親戚なら、どうして栄ちゃんが賈一族の親戚じゃあないの。そんな差別をしちゃだめだわ。ましてやどちらもやらかしたことは何ら面目が立たないことでしょ。たとえ宝玉様でも、こんなに秦鐘に肩入れしちゃだめだわ。わたしが東府(寧国府)へ行って、うちの珍の大奥様(尤氏)にお目にかかって、それから秦鐘のお姉さま(秦可卿)ともお話しして、どちらが正しいか決めてもらうから、待っててちょうだい。」金栄の母親はそう聞いて、慌ててこれはえらいことになったと思い、急いで言った。「これは皆わたしの口が軽いからで、叔母様に申し上げますが、どうか叔母様、決して他言はしないでください。あの子たちの誰が正しくて誰が間違っていても、もしまた騒ぎになったら、どうしてあそこで勉強が続けられるでしょう。もしあそこにおれなかったら、我が家では先生をお呼びすることができないだけでなく、あの子のために多くの出費をしなければならなくなります。」璜の奥様は言った。「どちらでどういう者たちを管理するというの。わたしが言えばどうなるか、見ていてちょうだい。」そして兄嫁の忠告も聞かず、一方で年老いた召使に言って車を手配させ、それに乗って寧国府へ向かった。
寧国府に着くと、東角門を入り、そこで車を降り、屋敷に入って 尤氏にお目にかかったが、どうしてまだかんかんに怒ったそぶりなどしようか。慇懃に時候のご挨拶をし、いくつか無駄話をしていたが、それからようやく尋ねて言った。「今日はどうして蓉様の若奥様(秦可卿)がいらっしゃらないのですか。」尤氏は言った。「あの娘はここのところどうしたことか、月経が二ヶ月余り無いのです。先生をお呼びして診てもらいましたが、妊娠でもないと言われました。ここ二日は、午後になると身体がだるくて動けなくなるのです。話をしても注意力が散漫で、ぼんやりしています。わたしはあの娘に、こう言っているの。「礼儀にこだわらなくていい、朝夕いつも通り出て来なくていいから、養生なさい。親戚が尋ねて来ても、わたしもいますよ。目上の方がいぶかったら、わたしがあなたに代わって説明しておきます。」とね。蓉兄さんにも言い聞かせて、わたし、こう言ったの。「あの娘を煩わせたり疲れさせてはだめよ。あの娘を怒らせてはだめよ。数日の間、静かに養生させれば、良くなるわ。あの娘が何か食べたいと言ったら、構わないからうちに取りに来なさい。あの娘にもしものことがあったら、あなたが再びこんなお嫁さんをもらおうと思っても、こんな器量で、こんな性格の人なんて、おそらく「灯りで照らしてもどこにも見つからない」だわ。あの娘の人柄や行いを見て、親戚や目上の方々の中で、あの娘が嫌いだという方がいらっしゃるかしら。だからわたし、この二日というもの気持ちがとてもいらついているの。――あいにく朝起きるとあの娘の弟があの娘に会いに来たんだけど、あろうことかそのチビさんはものの分別がまだ分かってなくて、お姉さんの身体の具合が良くないのが分かりながら、ああした事は姉さんに話すべきじゃないのに、たとえどんなに不満があってもお姉さんに言うべきじゃなかったのに。――あろうことか昨日学校で喧嘩があって、どちらのお家から入った学生にか知らないけれど、いじめられて、その中には多少汚らしい話もあったのだけれど、みんなお姉さんに話してしまったの。あんた、あんたは分かるよね。あの嫁は人に会う時は朗らかに話をしているけど、実は注意深くて、どんな話だって、聞いたら何日か繰り返し考えて、それから結論を出すのさ。この病気はつまり、「心を使い過ぎて」患ったものだわ。今日は弟が人にいじめられたと聞いて、悩んだし、腹が立ったのさ。悩みは、そのまじめに勉強しない友達が、いらぬ議論をふっかけ、双方をけしかけて仲違いをさせたことで、腹が立つのは、弟が不真面目で、身を入れて勉強しないものだから、その結果、学校で騒ぎを引き起こしたことなの。あの娘はこの事件のせいで、朝飯も喉を通らなかった。わたしはそれであの娘のところへ行ってしばらくなだめて、またあの娘の弟にも二言三言言い聞かせてから、弟にはあちらのお屋敷に行って、宝玉を訪ねておいでと言った。わたしはまたあの娘を見舞って、お碗に半分ツバメの巣のスープを飲ませて来たところだよ。あんたどうだい、わたしいらいらしているように見えるかい。ましてや今は良い医者がいなくて、あの娘の病状を思うと、心が針で刺されたように痛むんだ。あんたがた、どこか良いお医者さんを知らないかい。」

金氏(賈璜の嫁)はこの話を聞くと、さきほどまで彼女の兄嫁の家での秦氏( 秦可卿 )に向けての攻撃の理論の勢いも、早くも驚きのあまり、遠くジャワ国に置いてきてしまった(「丢在爪哇国去了」。きれいさっぱり忘れてしまった)。――尤氏が良い医者を捜していると聞いたので、急いで答えた。「わたしたちもどこかに良い医者がおられるか聞いたことがないです。今大奥様からこの病のことを伺いましたが、ひょっとすると、やはりおめでたかもしれません。若奥様には他の者が勝手に治療されませんように。もし処置を間違えると、取返しがつきませんから。」尤氏は言った。「ほんにそうじゃな。」
話をしていると、賈珍が外から入って来た。金氏を見て、尤氏に尋ねて言った。「この方は賈璜の奥さんかい。」金氏は前に進み出て賈珍に挨拶をし、賈珍は尤氏に言った。「おまえ、奥さんに食事をして行ってもらいなさい。」賈珍はそう言うと、あちらの部屋に行ってしまった。金氏はこうして、元々秦氏に、秦鐘が自分の甥にいじめられたことを話そうと思っていたのだが、秦氏が病気だと聞き、その話を持ち出すことさえようしなかった。しかも賈珍や尤氏のもてなしがたいへん良かったので、怒りが喜びに変わり、その後またしばらくよもやま話をして、それからようやく家に帰った。
金氏が帰ってから、賈珍がちょうどやって来て座ると、尤氏に尋ねて言った。「今日はあの人、何の話で来たの。」尤氏は答えて言った。「別に何も言われなかったわ。部屋に入られた時には、顔に少しお悩みの色が出ていたけど、しばらく話してから、嫁の病気のことを言ったら、あの人もだんだん顔色が穏やかになられたわ。あなたがまたあの人に食事をしていくよう言われて、あの人が嫁のこんな病気を聞いたものだから、ただ座っているだけでは申し訳ないと思ったのか、いくつかよもやま話をして帰られたけど、別に何も要求はされなかったわ。――それにしても、嫁のこの病気は、あなたの方で良い医者を捜して、早く診てもらわないといけないわ。手遅れにならないうちに。今うちの家にはたくさんのお医者様たちが通って来られるけど、どちらのお医者様が良いのかしら。お医者様ひとりひとりの評判を聞いて、人がどう言っているか、医者自身がそれについてどう言っているかも聞いて、とても周到にお医者様を選んでいるのよ。三四人の医者が、毎日次々やって来られ、各々四五回も脈を診られるの。それらのお医者様が一緒になって治療のやり方を考えていただいているのだけれど、そうして処方されたお薬を飲んでも効果が無いの。なんと一日に何度も衣裳を着替えて、それから座って先生に診てもらっているんだけれど、実際、これでは病人にとっても良くないわ。」
賈珍は言った。「しかしこの娘もばかだな。どうしてそう度々着替えるんだ。もしそれで風邪をひいてしまい、またひとつ病気を重ねることになったら、一体どうするんだ。たとえどんなに良い衣裳でも、何の値打ちがあるものか。この娘の身体こそ一番大切だ。たとえ毎日新しい衣裳を一式身につけても、何の値打ちも無い。わたしはちょうどおまえに言っとくことがある。さっき馮紫英がわたしに会いに来たのだが、彼はわたしが心に少しいらだちがあるのを見て、どうしたのか尋ねたので、わたしは彼に、嫁の身体があまりよくない。良い医者が見つからず、おめでたか病気かはっきり分からないし、この情況がこの娘の身体によくない影響があるかどうかも分からないので、気持ちがとても焦っているんだと言った。馮紫英はすると、彼には幼い時から学問に師事している先生がいて、姓を張、名を友士といい、学問はとても博識があり、更に医学の理論にもたいへん精通し、且つ人の生死を判断することができる。今年は上京されて、彼の息子に官位を買ってやるため、現在は彼の家に泊まられているそうなんだ。こうして見ると、或いは嫁の病気はこの先生の手でひょっとすると取り除けるかもしれない。わたしはもう人にわたしの名刺(名帖)を持って行かせ、診察に来ていただくようお願いした。今日はもう遅いから、たぶん来られないが、明日はきっと来られると思う。――しかも馮紫英からも、帰宅したら自らわたしに代わって先生にお願いしてくれるから、必ず先生が来て診てくださるさ。張先生が来られて診ていただいてから、どうするか考えよう。」
尤氏はそう聞いて、たいへん喜び、それで言った。「あさってはお爺様のお誕生日ですが、いったいどうすれば良いですか。」賈珍は言った。「わたしの方からお爺様の方にご挨拶にうかがい、併せてお爺様に一軒一軒の家からお祝いを受けていただくようお願いしたばかりなんだ。お爺様はそれでこうおっしゃった。「わたしは清浄な生活に慣れていて、おまえたちの日々是非を争うような所に行きたくないんじゃ。おまえたちが是非ともわたしの誕生日のお祝いで、皆の「叩頭」kòu tóuの礼(額を地面につけてぬかずく礼。「磕頭」と同じ)を受けろと言うなら、わたしが以前注釈を加えた『陰騭文(いんしつぶん。正式には『文昌帝君陰騭文』といい、道教の典籍。因果応報を主題とする)を、ちゃんと人に頼んで揮毫し、石に刻んでもらう方が、わたしが故なく皆の叩頭の礼を受けるより、百倍も意義がある。もし明日あさっての二日に一家の者が来られるなら、おまえが家でちゃんと皆を丁重にもてなせばよい。別にわたしに何か物を贈る必要はない。おまえもあさっては来なくてよい。おまえがもしそれでは不安に思うなら、今日わたしに「磕頭」して行けばいい。もしあさっておまえがまた多くのの人を連れて来て騒ぎ立てたら、わたしはおまえをただでは済まさないぞ。」このように言われてしまったので、あさってわたしはもうあちらによう行かんのだ。それから頼昇を呼んで、やつに二日の宴席の準備をしておくよう言いつけた。」
尤氏はそれで賈蓉を呼んで来させた。「頼昇に言いつけ、例年通り二日の宴席の準備は、盛大なものにさせました。あなたもご自分で西府(栄国府)に行って、お婆様、大奥様(邢夫人)、若奥様(王夫人)と璉様のところの叔母様(王熙鳳)をお招きして、遊びにいらしていただいて。あなたのお父様が今日、またおひとり良いお医者様のことを聞いてくださり、もう人を遣ってお願いしたので、明日はきっとお越しになると思うわ。あなたはあの娘のここ何日かの病状を詳しく先生に申し上げてちょうだいね。」
賈蓉は一々頷いて出て行った。ちょうど先ほど馮紫英の家に行って、かの先生のお願いに行った小者が帰って来たのだが、その回答に曰く、「それがし、先ほど馮旦那様のお宅にうかがい、旦那様の名刺を持ってかの先生にお越しいただくようお願いにあがったのですが、かの先生がおっしゃるには、「先ほどこちらの旦那様もわたしに言われたのですが、ただ本日は一日お客様を訪問し、たった今帰宅したばかりで、現在は気持ちを保つことができず、お屋敷にうかがっても脈を診ることができず、一晩休息をとる必要があります。明日は必ずお屋敷に参りましょう。」とのことでした。先生はまたおっしゃいました。「わたしは医学の知識が浅はかで、本来はこのような重要なご推薦をお受けする勇気はないのですが、馮旦那様がお屋敷で既にこのようにお話しされたとのことですから、また行かない訳にはいきますまい。あなたは先にわたしに代わって旦那様にそのようにご回答ください。旦那様のお名刺をいただくのは本当に畏れ多いことです。」そう言って、それがしに名刺を持って帰らせたのです。若様、それがしの代わりに一声お声がけください。」賈蓉がまたこちらを向いて入って来て、賈珍と尤氏の要求に回答し、先ほど出かけて来て頼昇を呼び、二日の宴席の準備のことを言いつけた。頼昇は「はい」と答え、自分でいつも通り手配することになったが、このことは特に言うまでもない。
さて翌日のお昼ごろ、門番の者が取り次ぎ、「ご要請されたあの張先生が来られました。」と言ってきた。賈珍はそれで広間に入ってもらい座っていただいたが、お茶が終わると、ようやく口を開いて言った。「昨日は馮旦那様のご教示を受け、老先生の人品や学識を知り、また併せて医学に深く通じておられるとのこと、小生どんなに敬服してもし切れるものではございません。」張先生が言われた。「わたくしなど粗野な下級の人間に過ぎず、知識も浅はかなものです。昨日は馮旦那様のご紹介いただき、旦那様のお屋敷では下級の者でも謙虚に敬われるとか、またお呼びを受けましたので、ご用命に背くわけには参りませんでした。けれどもわたくしは実際の学問や技能が少しも無く、たいへん恥ずかしく、困惑しております。」賈珍は言った。「先生、あまりご謙遜なさらないでください。先生が来ていただき、息子の嫁を診ていただけば、先生のご高明(見識や技能が卓越している)のおかげを以て、わたくしどもの心の中の困惑を消し去ることができましょう。」
そして賈蓉が一緒に中に入り、寝室に着くと、秦氏にお目にかかり、賈蓉に尋ねて言った。「この方が奥様でいらっしゃいますか。」賈蓉は言った。「はい、その通りです。先生、お掛けください。わたしが家内の病状をご説明しますので、それから脈を診ていただいてはどうでしょうか。」かの先生は言った。「小生の考えでは、やはり先に脈を診て、それから病気の原因が何かをご教示いただけますでしょうか。わたしは初めて奥様を診察いたしますので、元々何が起こったのか存じ上げませんが、馮旦那様から必ず小生が来て診察するようおっしゃられましたので、小生はそれゆえ来ざるを得なかったのです。今日は脈拍を拝見し、小生の考えが正しいかどうか見ていただき、それからここ数日の病状をご説明いただき、皆で薬の処方を検討いたします。それが使えるかどうかは、その時点で旦那様がご決裁いただけばよろしいです。」賈蓉は言った。「先生は実に高明(見識や技能が卓越している)であらせられます。ただ残念なのは、お目にかかるのが遅かったことです。どうか先生、脈拍を診ていただき、治るか治せぬか見ていただければ、我が家の父母も安心するでしょう。」そして家中の召使たちが、大きな迎枕(手元に置くクッション)を捧げ持って来て、一方では秦氏にもたれ掛けさせ、一方では袖口を引っ張り、腕を露出させた。この先生はようやく手を伸ばして右手で脈の上を押さえ、自分の呼吸を安定させてから病人の脈拍を測り、神経を集中させて七八分の時間細かく診ていた。次に手を左手に替え、また同様に脈を診た。診終わると、「わたしたち、外で座りましょうか。」と言った。
賈蓉はそれで先生と一緒に外側の部屋のオンドルの上に座った。ひとりの年老いた召使が茶を持って来たので、賈蓉は言った。「先生、お茶をお飲みください。」お茶が終わると、尋ねて言った。「先生、今日脈を診ていただいて、治る見込みはあるでしょうか。」先生は言った。「奥様の脈を拝見しますと、「左寸沈数、左関沈伏。右寸細而無力、右関虚弱而無神」という状態です。 「左寸沈数」は、すなわち「心気虚而生火」、心臓の気が弱り、火気(のぼせや炎症)が旺盛になっています。「左関沈伏」は、すなわち「肝家気滞血虧」、肝臓の機能が失調し、血が不足し気が滞っています。 「右寸細而無力」は、すなわち「肺経気分太虚」、肺の機能が虚弱で、気や血のめぐりが悪くなっています。「右関虚弱而無神」は、すなわち「脾土被肝木克制」、肝臓の機能が盛んで、脾臓の働きを抑圧し、身体の正常な働きに影響しています。「心気虚而生火」であるので、月経が不調で夜眠れないのです。「肝家気滞血虧」であるので、脇の下が腫れて痛みがあり、月経が遅れ、心臓が発熱するのです。「肺経気分太虚」であるので、頭はしばしば眩暈(めまい)に襲われ、深夜、寅の刻(深夜3時から5時)と卯の刻(5時から7時)の間に必ず冷や汗をかき、まるで舟の中にいるように感じます。「脾土被肝木克制」であるので、食欲が無く、倦怠感があり、手足がだるくて力が入りません。わたしが診た脈の通り、こうした症状があるなら、見立てが正しいことになります。もしこのご病気はおめでたによるものとお考えでしたら、小生は敢えて診察のご用命をお受けするものではございません。」

傍らでひとりの身辺に付き添いお世話している年寄りの召使が言った。「どうしてこのようでないことなどございましょう。まことにこの先生が言われるのは神様のようであること、わたしたちが言うまでもございません。今わたくしどものお屋敷では既に何人ものお医者様が診察にみえておりますが、どの方もこのようにはっきりと見立てることができませんでした。ある方はおめでたと言い、ある方は病気だとおっしゃいました。この方はたいした病気ではないと言われたと思えば、この方はひょっとすると冬至前後に病状が悪化するかもしれないと言われました。総じておひとりとして真に明確な見立てをされた方はおられませんでした。どうか旦那様、明らかにご指示くださいませ。」
かの先生は言った。「奥様のこの症状は、しかし皆さまの対応が遅れたからです。もし最初の生理の時に薬で治療を始めていれば、おそらく今頃は完治していたでしょう。今は病気の対応がここまで遅れたため、このような病状になってしまったのです。わたしが見たところ、病気はなお三分の治癒の可能性があります。わたしの薬を飲んで様子を見て、もし夜間よく眠れるようなら、その時はまた二分の見込みが追加されましょう。わたしが脈拍を診たところでは、奥様は性格が頑強で、とても聡明な方です。けれども聡明過ぎると、思い通りにならぬことが常々起こるでしょう。思い通りにならぬことがいつも起こるのなら、思慮が甚だしくなります。この病気は憂慮が脾臓を傷つけ、肝臓機能が失調し、月経の出血が時間通り来なくなったのです。奥様に以前、月経の日を尋ねたら、決して短くはならず、いつも遅れていた。そうでしょう。」かの年老いた召使が言った。「その通りです。短くなったことはなく、或いは二三日延び、十日というのもありましたが、何れも遅れていました。」
先生はそれを聞いて言った。「そうでしょう、これが病気の原因です。これまでもし気持ちを調節し情緒を和らげる薬を飲んでいれば、今このようになることはなかったでしょう。今は明らかに「水虧火旺」(腎臓の水が不足し、肝気が強すぎる)の症状が出ているのです。――わたしが処方する薬を飲んで様子を見てください。」そして薬の処方を書き、賈蓉に手渡したが、それには次のように書かれていた。
益気養栄補脾和肝湯
(気を補い血を養い脾臓を補い肝を和らげるスープ)
人参 二銭、白術 二銭・土炒、熟地 四銭、帰身 二銭、
白芍 二銭、川芎 一銭五分、黄芪 三銭、香附米 二銭、醋柴胡 八分
懐山薬 二銭・炒、真阿膠 二銭・蛤粉炒、延胡索 銭半・酒炒、炙甘草 八分
引用建蓮子七粒去心、大棗二枚
(補助薬として、蓮の実7粒の芯を抜いたもの、棗(なつめ)2個)
賈蓉はそれを見て言った。「実に高明(見識や技能が卓越している)だ。もうひとつ、先生お教えください。この病気は最終的に命にかかわることはないのですか。」先生は笑って言った。「旦那様は最も高明な方ですから、人の病気がここまで進んでしまったからには、一朝一夕で治る症状でないことはお分かりでしょう。この薬を飲み、効果があるかどうか見てください。小生の見立てでは、今年の冬はまだ大丈夫です。ともかく春分を越すことができれば、全快の望みもあるでしょう。」賈蓉も聡明な人なので、それ以上細かいことは聞かなかった。
そして賈蓉は先生を送って行き、それからこの薬の処方と診察結果を賈珍に見せ、張先生の話も賈珍と尤氏に伝えた。尤氏は賈珍に言った。「これまで診ていただいた先生は、張先生のようにはっきり物をおっしゃらなかったわ。そうしてみると、きっとお薬は悪くないんじゃないかしら。」賈珍は笑って言った。「あの方は元々、ああしたなんとかその日暮らしをするのに慣れた開業医ではないんだ。馮紫英とわたしたちは良い関係だから、彼はなんとかして張先生に来ていただいたんだ。この方がおられるからには、嫁の病気はひょっとすると良くなるかもしれない。先生のあの処方の中に人参があったが、おとつい買ったあの一斤の人参を使えばいいだろう。」賈蓉はこの話を聞き終わると、出て来て人を呼んで薬を調合させ、煎じて秦氏に飲ませた。さて秦氏がこの薬を服用してから、病気の症状はどうなったでありましょうか。次回にて解説いたします。
秦可卿の病気が今後どうなるのか、またお爺様の賈敬の誕生日がどのように盛大に行われるのか、次回第十一回をお楽しみに。