中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

于丹《論語心得》2.心霊之道(3)

2011年05月26日 | 中国文学

  (写真は、鈴木大拙)

 私達の心の真の勇気とは何か。それが今回の話の主題です。それは心の持ち方であり、大らかな気持ちを持ち、前向きに人生を捉えることだとしています。

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■[1]
 (クリックしてください。中国語の原文と語句解説が見られます)
      ↓


 □ この話は、私達一人一人に当てはまる。考えてごらんなさい。私達は同じようにこの世の中で生活しているが、何人かの人はうれしそうに心安らかに暮らしているのに、何人かの人は毎日毎日あれこれ非難し不満に思っているのはどうしてだろう。彼らの生活の本当の格差はそんなにも大きいのだろうか。実は、これは私達の眼の前に瓶に半分の酒があるのと同じである。悲観主義者は、「こんなに良い酒があと半分しか残っていない」と言い、楽観主義者は、「こんなに良い酒がまだ半分も残っている」と言う。言い方が異なるのは、心情や態度が異なるからである。今日のように競争の激しい時代には、良好な心持ちと態度を保持することが、これまでのどんな時代よりももっと重要になっているのである。 
 孔子は言った。「君子は泰らかにして驕らず、小人は驕りて泰らかならず」(《論語・子路》)。君子は心持ちや態度が穏やかで、安定していて、勇敢であるので、彼が落ち着いていて心が安らかなのは、内から外へ自然に滲み出てくる。小人が表現するものはわざと作った姿勢であり、傲慢で驕り高ぶり、内心は多くがせっかちで、その人柄はのんびりしたところが少ない。

■[2]


□ 私は嘗て鈴木大拙の本の中で一つの話を読んだことがある。物語の主人公は江戸時代の有名な茶人で、この茶人はある羽振りの良い主人に付き従っていた。皆さんご存じのように、日本で提唱されたのは茶と禅の一体化で、茶道と座禅は「二が一に融合する」プロセスである。
 ある時、主人は都に行かなければならない用事ができたが、茶人と別れるに忍びなく、それでこう言った。「私といっしょに行きましょう。そうすれば毎日私に茶を点ててもらえますから。」しかし当時は社会が不安定な時期であり、浪人や武士が強い力を頼みにのさばり、憚ることがなかった。この茶人は恐れて、主人に言った。「私には武芸の心得もありませんから、万一途中で面倒なことに出会ったらどうしたらよいのでしょうか。」主人は言った。「刀を差して、武士の恰好をすればよろしいでしょう。」茶人は仕方なく武士の服装に着替えると、主人に付き従い都に行った。
 ある日、主人は用事で外出したので、茶人は一人で外出した。この時、向こうから一人の浪人がやって来て、茶人に因縁をつけて言った。「おまえも武士なら、我ら二人、剣の腕を比べようではないか。」茶人は言った。「私は武芸を存じません。唯の茶人に過ぎません。」浪人は言った。「おまえが武士でもないのに武士の装束を身につけているのであれば、武士の尊厳を辱めたことになる。それなら、なおさら拙者の剣の下で死なねばならぬ。」茶人は思った。避けようにも避けきれまい。そしてこう言った。「それでは私に少々時間をいただきたい。私は主人にお渡ししなければならないことをやり終えましたら、今日の午後、池の畔でまたお会いしましょう。」浪人は少し考えて承知すると、それでは必ず来いよ、と言った。

■[3]


□ この茶人はまっすぐ都で最も有名な武術の道場に行くと、道場の外には武術を学びに来た人が集まって列を成していた。茶人は人ごみをかき分け、直接武術の大先生の前に行くと、先生に向かって言った。「どうか私に武士として最も面目が立つ死に方を教えてください。」大先生はたいへん驚き、言った。「ここに来る人たちは皆、生きる糧を求めて来られますが、死に方を教わりに来られたのはあなたが初めてです。いったいどうされたのですか。」茶人は浪人と出会ったいきさつをもう一度話すと、言った。「私は茶を点てることしかできませんが、今日は人と決闘をせざるを得ません。どうか私にやり方を教えてください。私は多少なりとも尊厳を守って死ぬことしか考えていません。」大先生は言った。「分かりました。それでは私に一服、茶を点ててくれませんか。それからあなたにやり方を教えましょう。」茶人はたいへん感傷的になり、言った。「これは私がこの世で点てる最後の茶になるでしょう。」茶人はたいへん注意深く、落ち着いて山の泉の水が竈の上で湧き立つのを見ていたが、その後茶葉を投入すると、茶葉を洗い、濾し、再び少しずつ茶を注ぎ出すと、茶碗を捧げ持って大先生に渡した。大先生はずっと茶を点てる一部始終を見ていたが、茶をひと口味わうと、言った。「これは私が生まれてから飲んだ中でも最高のお茶です。私はあなたに申し上げる。あなたはもう死ぬ必要はありませんよ。」茶人は言った。「あなたが私にお教えになりたいのはどういうことですか。」大先生は言った。「私が教えるまでもありません。あなたは茶を点てる気持ちでその浪人に対すればよいことを憶えておきさえすればよいのです。」

※ 于丹教授は日本の茶道の抹茶を点てるのを見たことがなかったか、或いは中国の聴衆に抹茶道を説明しても分かりづらいと思ったか、その何れかだと思います。ここで説明している茶の淹れ方は、“工夫茶”そのものですよね。

■[4]


□ 茶人は大先生の話を聞くと、約束の場所へ行った。浪人は既にそこで待っていた。茶人を見ると、すぐに剣を抜くと言った。「おぬしが来たからには、我らは武術の腕比べを始めよう。」茶人はずっと大先生の話のことを考え、茶を点てる気持ちで浪人に対した。茶人が微笑みながら相手をじっと見つめているのが見え、その後ゆったりした動作で帽子を脱ぎ、きちんと横に置いた。ゆったりした上着を脱ぐと、一か所一か所きっちりと折りたたみ、帽子の下に押しつけて置いた。帯紐を取りだすと、内側の着物の袖口をきつく縛り、それから袴をきつく縛った……茶人は頭から足まで慌てず騒がず自分の身づくろいをし、その間ずっと気を静め、落ち着いていた。相手の浪人はこの様子を見れば見る程緊張し、見れば見るほど呆然となった。なぜなら、相手の武術の技がいったいどれ程深いものであるのか、見当がつかなくなったからである。相手の眼差しと笑顔は浪人を益々恐れさせた。茶人は服装を全て整えると、最後には剣を抜き、剣を空中に向け振ると、そこで動作を止めた。というのも、彼はこの後それをどう使えばよいか知らなかったからである。この時、浪人はパタンと茶人に向け跪き、言った。「どうか助けてください。あなたは私がこれまで見てきた中で最も武術の腕前のある方です。」

■[5]




□ 実のところ、どのような武術の技で茶人は勝利することができたのだろうか。それは心の勇気であり、あのゆったりした、落ち着いた、精神の力である。だから、技巧は最も重要なものではなく、技巧の他のものを私達は心で感じて悟る必要がある。もしあなたの心が広々として明るく、思いやりがあって寛大で、ある種の率直さと勇気があるなら、あなたはたくさんの思いもしなかったものを獲得できるかもしれない。誰でも皆、良いことを言いたがるが、もしあなたがそれと正反対に悪いこともはっきり言うなら、たとえどんな人にも等しく教えを授ける孔子であっても、彼が教えることが馬の耳に念仏になってしまうことがなくなるだろう。
 孔子はこう言ったことがある。ある人があなたの説く道理を聞くことができても、あなたがその人に話をしなかったら、それは“失人”といって、あなたはその人と交わる機会を失したのであり、よくない。それと反対に、もしその人が根本的に理を説いても理解できないのに、あなたがそれでもその人に道理を説き続けるなら、それは“失言”といって、それも良くない。あなたが、他人があなたと是非交流したい、あなたと交流してもよいと思ってもらえる人になりたいなら、最も大事なのはあなたが広々として明るい心を持つことである。これこそが《論語》の中で提唱されている「心が純潔でさっぱりとした」心境なのである。こうした心境や心持ちは、先天的な欠点を補うことができるだけでなく、後天的な過ちも補うことができる。同時に一定の力を与え、真の勇気を与え、生命を豊かにし、充実させ、大きな喜びを与え、人生に最大の効果をもたらす。毎日新鮮な息吹を見ることができ、こうした新鮮な養分が他の人の下にも流れていく。
 《論語》が私達に教えてくれるのは、変わることのない人生の一連の動きであり、私達は勝手に抜粋してその一部だけ理解してはならず、こちこちの頭でそれを理解してはならない。こうした古(いにしえ)の聖人君主の思想の精華は、自然に体の血液の中を流れるようになった時に、喜びの態度を示すことこそ、私達現代人のこの古典に対する最高の敬意となるのである。

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于丹《論語心得》2.心霊之道(2)

2011年05月23日 | 中国文学

(口絵は、「蘇軾と佛印」)

 《論語心得》の第二回・「心の道」では、人間の心の持ち方の大切さを述べています。長い人生の中で、自分の意に沿わぬことも多々ありますが、心の持ち方一つで、それを良い方に持っていくことも、益々悪い方向に陥ることもできるということで、多くの人にとり、共感を得られる内容であると思います。

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■[1]
   ここをクリックしてください。中国語と語句注釈が見られます。
     ↓


□ 彼女が店先に立ちつくし、ぽかんとしていると、店員が彼女に言った。「お嬢さん、あなたの亜麻色の髪の毛は本当に綺麗だ。もしそれに薄緑色の髪飾りを付けたら、きっととても綺麗ですよ。」彼女が値札を見ると16ドルと書かれていて、高くて買えない、やっぱり付けてみるのはやめようと思った。けれどもその時店員はもう髪飾りを彼女の髪に付けていた。店員は鏡を持ってきて彼女に自分を見てみさせた。少女は鏡の中の自分を見ると、突然びっくりしてぼおっとなった。彼女は未だ嘗て自分がこんな容貌をしていることを見たことがなかった。彼女は一輪の花が自分を天使のように顔が美しく光り輝くように変えてしまったように感じた。彼女はもうためらわず、お金を出してこの花を買った。彼女の心はこのうえなく陶酔し、このうえなく興奮し、店員から4ドルおつりをもらうと、身を翻し、外に走り出た。その結果、ちょうど入口を入ってきた老紳士の体とぶつかった。彼女はその老人が彼女に何か言ったような気がしたが、もう上の空で、ゆらゆらと前へ向かって走って行った。彼女は知らず知らずのうちに村の真ん中の大通りまで走って来ると、全ての人が彼女に驚きの眼差しを投げかけ、人々がこう議論するのが聞こえた:「この村にあんなに綺麗な娘がいるとは知らなかった。あの娘はどこの家の子だろう?」彼女はまた自分がこっそり慕っているあの男の子に出会った。その男の子は意外にも彼女を呼び止めてこう言った:「あの、今晩あなたがクリスマスパーティーのダンスのパートナーになってくれたらありがたいのですが。」少女はうれしくてたまらなかった。彼女はせっかくだからもう一回ぜいたくをし、残った4ドルで何か買おうと思った。それで彼女はまた浮き浮きしながらさっきの店に戻ってきた。入口を入ると、さっきの老紳士が微笑みながら彼女に言った。「お嬢さん、きっとあなたは戻ってくると思っていました。あなたはさっき私とぶつかった時、この花を落としましたよ。私はずっとあなたが取りに戻ってくるのを待っていました。」

■[2]



□ 物語はこれで終わりである。本当に一輪の花がこの少女の生命の中の欠点を補ったのだろうか。実際には、欠点を補ったのは、彼女の自信の回帰である。ならば、人間の自信はどこから来るのか。それは心の中の冷静な判断と落ち着きから来るものである。孔子は言った。「仁者は憂えず、智者は惑わず、勇者は惧れず」(《論語・憲問》)と。心の内面の強さは、生命の中のたくさんの遺恨を氷解することができる。心の内面を強くしようと思ったら、一つの前提は、自分の外にある物の損得を気にしないことである。あまりに得失にこだわる人を、孔子は“鄙夫”(ひふ。“卑夫”とも書く)と呼んで叱責した。“鄙夫”の意味は“小人”と同じで、公(おおやけ)の場所に出てこない見識の狭い人のことである。孔子は嘗てこう言った:このような小人が国家の大事を謀ることができるだろうか。できない。このような人は利益を得ることができないと、利益を得られなかったと恨むが、利益を得ると、今度はそれを失うのを恐れる。利益を失うのを恐れる以上、今度は手段を選ばず既得の利益を守ろうとする。このように損得にばかりこだわる人は、広い心持ちなど持っておらず、泰然自若とした気持ちは無く、真の勇敢さなどあり得ない。真の勇敢さとは何か。それと匹夫の勇とはどのように区別されるか。《論語》の中では、“勇敢”はどのように解釈されているのか。

■[3]



□ 皆さんがご存じのように、孔子には子路という弟子がいた。彼はたいへん率直で、勇敢な事には特に気にかけていた。孔子は嘗て冗談半分にこう言った。もしいつか私の説く道理が世の中で通用しなくなったら、私は舟を浮かべて川に漕ぎだそう。その時、私に付いて来られるのは、おそらく子路だろう。子路はこの話を聞いて、たいへん得意であった。その結果、先生は後でまたこう言うことになる。私がこう言うのは、子路という人物は、勇敢であることを除いて、他に何も無いからである。(《論語・公冶長》)「勇を好む」というのは子路の特徴であるが、彼の勇敢さには内に秘めたものが欠けていた。それでもなお、ある日、子路は先生に尋ねた。「君子は勇を尚(とうと)ぶか?」君子は勇敢さを尊ばなければなりませんか? 孔子は彼に言った。「君子は義を以て上と為す。君子の勇有りて義無きは乱と為り、小人の勇有りて義無きは盗と為る。」(《論語・陽貨》)その意味はこうである。君子が勇敢さを尊ぶのは間違いないが、この勇敢には制約があり、前提がある。この前提というのは“義”である。義の文字が先に来る勇敢が、真の勇敢である。さもないと、君子は勇によって乱を犯すことになり、小人は勇敢の為に盗賊に成り下がることになるかもしれない。考えてみると、コソ泥や強盗が門や戸を破って侵入し、ものを強奪し、人を殺すに至るのは、勇敢でないと言えるだろうか。しかし、このような道義の制約の無い勇敢さは、世の中で最も大きな災いである。それでは、この“義”、“道義”とは何か。それは、ある種の心の内の制約である。孔子は言った。「約を以て之を失う者は、少なし。」(《論語・里仁》)人々の心の内に制約があれば、行動の上で過失を減らすことができる。もし人々が本当に毎日「三たび吾身を省みる」(《論語・学而》)なら、本当に「賢を見て斉(ひと)しからんと思い、賢ならざるを見て内に自ら省みる」(《論語・里仁》)なら、制約ができている。そして自分の過ちを反省することができ、改める勇気があるなら、これこそ儒者が提唱する真の勇敢さである。

■[4]



□ 後に、蘇軾は《留侯論》の中で勇敢について論述したことがある。彼は本当の勇敢さを“大勇”と呼んだ。彼は言う:「古のいわゆる豪傑の士は、必ず人に過ぐるの節有り。人情に忍ぶ能わざる所有れば、匹夫見て辱め、剣を抜きて起ち、身を挺して闘う。この足らざるを勇と為す。天下に大勇有り、卒然とこれに臨めども驚かず、故無くこれに加えれども怒らず。此において其の挟持する所の者は甚だ大きく、而して其の志は甚だ遠き也。」蘇軾が見るところ、本当の勇者には“過人之節”、人より優れた礼節があり、そういう人は韓信のように股くぐりの辱めを受けても我慢でき、劉邦を補佐して千里の彼方から戦局を指揮し、天下を平らげるという大業を成し得たのである。彼は普通の人のように一時の勇をひけらかしたり、一時の快楽を図ったりはしない。それは、彼の心の中には一種の理性にコントロールされた自信と落ち着きがあるからで、それは、彼が広い気持ちと高遠な志を持っているからである。いわゆる「卒然とこれに臨めども驚かず、故無くこれに加えども怒らず」というのは、実行が難しい。私達は自分が修養を積んだ道徳君子になることを要求し、他人に失礼なことをしないようにすることはできるが、他人が何の理由もなくいつもあなたに失礼なことをしたら、あなたは怒らずにいられるだろうか。

■[5]



□ 私達はよく次のような情況を目にすることがある:ある人が月曜日に何のいわれもなく暴行を受け、その人は火曜日に友人にその事件のことを振り返って話をするが、水曜日になると、気がふさいで外に出て人に会いたくなくなり、木曜日になると、ちょっとしたことが気に入らなくなり、家人と喧嘩を始める…… 実はこのことは何を意味しているのか。人が過去の事件を振り返って話をするというのは、もう一度殴られるのと同じであり、事件はもう終わったのに、毎日繰り返し殴られていることを意味している。不幸な出来事が起こった時、最も良い方法は、そのことを一刻も早く過ぎ去らせることであり、このようにしてはじめて、より多くの時間を空けて、より価値のある事に使うことができる。こうしてこそ生活がより効率的になり、心持ちも良くなる。この話が私達に教えてくれることは、生活の中にはたくさんの思い通りにならないこと、不合理なことさえあり、おそらく個人の力では変えることができないが、自分の心持や態度は変えることができる。ある意味において、一人の人が心でどう思っているかにより、その人にはその通りに見えるのである。

■[6]



□ 宋の人の随筆の中で、蘇軾と佛印の交流の話が載っている。蘇軾は大文人であり、佛印は高僧であったが、二人はいつもいっしょに座禅を組んだ。佛印はおとなしくて、いつも蘇軾にいじめられた。蘇軾は相手をやりこめて愉快であると、家に帰ってうれしそうに彼の才女の妹、蘇小妹に話をした。ある日、二人がいっしょに座禅をしていた。蘇軾は問うた。「あなたは私がどのように見えますか。」佛印は言った。「あなたはご尊仏のように見えます。」蘇軾はそれを聞くと大笑いで、佛印に言った。「あなたは私が、あなたがそこに座っているのがどのように見えるか分かりますか。牛の糞とそっくりですよ。」この時、佛印はいっぱい喰わされたと、口が利けなかった。蘇軾は家に帰ると、蘇小妹の前でこのことをひけらかした。蘇小妹は冷ややかに兄に言った。「あなたはそんな悟りの程度でまだ禅の修行をしようというのですか。あなたは禅の修行をする人が最も重んじているのが何か知っていますか。それは心を見、性(さが)を見ることです。あなたの心の中にあるものが、眼の中に見えるのです。佛印老師はあなたが尊仏のように見えると言われたのであれば、あの方の心の中には尊仏がおられるということです。あなたは佛印老師が牛の糞のように見えるとおっしゃったのだから、あなたの心の中に何があるか考えてごらんなさい。」

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“三股勢力”とは何か?

2011年05月22日 | 中国語でどう言うか?

 今年は、中国とパキスタンが国交を結んで60周年になるということで、中国政府からの招請を受け、パキスタンのジラーニ首相が5月18日より中国を公式訪問されました。
 パキスタンといえば、先のビンラディンの潜伏、そしてアメリカの特殊部隊による殺害と、まるで映画のような事件が起こり、パキスタンとアメリカの間の外交関係がぎくしゃくしています。また、アルカイダによる報復テロも発生しています。そういう時期のパキスタン首脳の訪中だけに、外交的なパワー・ゲームの色彩も見え隠れしています。

 さて、ジラーニ首相は、5月21日に胡錦涛主席と面会しましたが、以下は、その際の胡錦涛の発言です。

                   胡錦涛会見巴基斯坦総理
                2011年05月21日 来源:人民網

  クリックしてください。中国語原文が見られます。
     ↓


□ 胡錦涛は語った。双方は首脳レベルの交流を保ち、タイムリーにそれぞれの核心の利益に関わる重大な問題について、意見交換をしなければならない。双方は実務協力を強化し、インフラ、エネルギー、農業等の重点領域の協力項目を迅速に実行し、経済貿易、金融、科学技術等の領域の協力を着実に推進し、新たな協力方式と道筋を積極的に探究し、潜在力を絶えず発掘し、協力の質とレベルを向上させなければならない。同時に長期的視野に立ち、人文分野の交流を拡大し、教育、文化、マスコミ、政党、地方の友好交流と相互交流を促進し、「中国・パキスタン友好年」、及び百名の青年の相互訪問等の活動をうまく運営しなければならない。中国側はパキスタン側が反テロ活動で行った重大な努力と重要な貢献を賞賛し、パキスタンと安全対話と協力を強化し、共同で“三股勢力”(*以下に解説)、麻薬密輸、グローバル犯罪を打倒し、両国の経済社会の発展のため、良好で安全な環境を打ち建てたいと願っている。

 この中で、“三股勢力”とはどういう意味でしょうか?
“三股勢力”とは、宗教的過激派、民族分裂主義者、国際テロ組織のことを言います。

 “股”は量詞で、通常は細長いものを数えるのに使われます。“両股線”と言えば、二本の糸のこと。ここから派生し、においや感情、力も“股”で表されます。“一股香味儿”、“一股勁儿”などがそうです。そして、そこから更に派生し、「一味・グループ」を数えるのに使われ、こうした場合は、特に「憎むべき集団」を言う時に用いられます。この場合が正にそうで、三つの憎むべき「勢力」ということです。

 この“三股勢力”という言葉が公式に使われたのは、2001年6月15日、上海協力機構が署名した「テロ、分裂主義、過激派の打倒に関する上海公約」が最初ということになっています。上海協力機構、中国語名「上海合作組織」は中国、ロシア、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタンの5カ国で構成され、中央アジアの戦略的安定を目的に1996年に設立され、定期的に首脳が一堂に会し、課題協議がなされています。ちなみに、テロリズムは中国語で“恐怖主義”kong3bu4 zhu3yi4です。


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于丹《論語心得》 2.心霊之道(1)

2011年05月20日 | 中国文学

 中国師範大学教授・于丹の《論語心得》の第二話は、《心霊之道》というタイトルがついています。現在のような動きの速い、複雑な社会に於いては、一人一人の人が、仕事にせよ、家庭生活にせよ、思い通りにならず、悩むことが多々あります。そんな中、人はどのような心持ちで、世の中と向き合うべきなのでしょうか。現代人の感覚で読み解く孔子の思想、その第二話の始まりです。

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    ここをクリックしてください。中国語原文と、語句解説が見られます。
      ↓


 □ 一人一人の人の一生は、残念なことや思い通りにならないことから免れることはできない。おそらく私達はその事実を改めることはできず、私達が改められるものは、こうした事情に対する態度である。《論語》の精華の一つは、私達に、如何にして穏やかな気持ちで生活中の欠点や苦難と向き合うべきか、教えてくれることである。2500年余り前の《論語》が、本当に現代人の心の中のわだかまりを解いてくれるのだろうか。人生百年、何事も慣れれば悩まずに済むのか。人の一生の中では、いつもこのような思い通りにならない事情に巡り合う。

■[2] 


□ 孔子には弟子3千人、72人の賢人がいた。こんなに多く弟子がいると、それぞれの家に悩ましい事情もあった。それでは彼らはどのように人生の悩みに対応していたのだろうか。孔子の弟子の司馬牛はある日憂え悲しんで言った。「他の人には皆兄弟がいるのに、一人私だけにはいない!」同じ弟子の子夏が彼をなだめ励まして言った。「商これを聞く。死生に命有り、富貴は天に在る。君子は敬して失わず、人と恭して礼有り、四海の内は皆兄弟也と。君子は何をか兄弟無きを患うや。」子夏は自分の名を“商”と称していた。彼の話はいくつかの段階に分かれている。人の生死や富貴というものは天命に帰する以上、個人では決定できないし、操作することもできない。ならばそれを承認し、且つ順応することを学ばねばならない。しかし誠実で敬虔な心を保ち、自分の言行の過ちを少なくし、他人に対して十分に尊重し、謙虚で礼儀正しくすることは、自分自身の修養を高めることで実現することができる。一人の人間が自分をちゃんと律することができれば、世の中の人々は皆その人を愛し敬うこと自分の手足や兄弟と同じである。だからちゃんと修養を積んだ真の君子は、またどうして兄弟がいないことを憂う必要があろうか。

■[3]


□ この話は孔子の口から出たものではないが、《論語》が提唱する一種の価値観念を代表している。つまり、人は先ず人生の遺恨に正確に向き合うことができなければならず、最短の時間内でそれを受入れなければならない。その中でつきまとって、毎回毎回あれこれ問うてはならない。そんなことをしても、苦痛が重くなるだけである。二番目の態度は、できるだけ自分ができることでこの遺恨を補うことである。現実の生活の中の足りないところを認め、自らの努力を通じてこの不足を補うこと、これこそが《論語》が私達に語る生活の欠点に対する態度である。もしある人がこの遺恨を受入れられないなら、どのような結果をもたらすだろうか。ある種の遺恨は、実際たいへん大きく大きく拡大される。遺恨が拡大した結果はどうなるのか。それはインドの詩人で哲学者のタゴールが言うように、「もしあなたが太陽を見失って泣いているなら、あなたは星をも見失うことになるだろう。」

■[4]


□ 私は以前ある雑誌の転載記事を見たことがある。そこに書かれていたのは、イギリスの有名なテニス・プレーヤー、ジーン・ギルバートの物語である。この少女は小さい時に一度、思いがけない事故を経験した。ある日、彼女は母親と歯科医に行った。このことは本来些細なことで、彼女はすぐに母親と家に帰れると思っていた。しかし、虫歯は心臓病を誘発することがあることを、私達は知っている。おそらく彼女の母親はそれ以前にこのような隠れた病気を持っていることを診断で発見されたことがなかったのだろう。その結果、少女は人々を驚かせる場面を目にすることになる。彼女の母親はなんと歯科医の手術椅子の上で亡くなってしまったのだ。この暗い影は彼女の心にずっと存在し続けた。或いは彼女は精神科の医師に診てもらおうとは思いつかなかったのかもしれない。或いは彼女はこの心の傷を根本から治療しなければならないとは考えたこともなかったのかもしれない。彼女ができたのは、ひたすら避けること、永遠に避け続けることで、歯が痛くてもずっと歯医者に行く勇気がなかった。後に彼女は有名なスター選手になり、満ち足りた生活を送った。ある日、彼女は虫歯が痛くて我慢できなくなった。家人は彼女に、歯科医に家に来てもらうよう勧めた。私達は病院に行く必要はない。ここにはあなたのプライベートの弁護士がいるし、プライベートの医師もいる。それに、家族全員があなたに付き添ってあげる。それなのにまだ何を恐れるの?そして歯科医に来てもらった。すると意外なことが起こった。正に歯科医が傍らで治療器具を整え、治療の準備をしている時に、ちょっと振り返って見ると、ジーン・ギルバートは既に死んでいた。当時、ロンドンの新聞は、この事件を記述する時に次のような論評を用いた。「ジーン・ギルバートは、この40年間のある念頭により殺された。それは心理の暗示力である」と。一つの遺恨がどんなにまで大きく拡大されたことか。それはあなたの生命の中の一つの暗い影となり、あなたの生命の本質にまで影響を及ぼすのである。

■[5]


□ もちろん多くの人が、上のような極端な例に直面するとは限らないが、皆さんは次のような説明を聞いたことがあるに違いない。一人の人が怒ったり悩んだりしている時、ある測定器でその人の吐き出した空気を測定すると、それは灰色で、その中の二酸化炭素量は特別に多いと。したがって、長期間人生に悩んできた人の遺恨は、自分ではそこから抜け出すことができず、一人の人の生命の質に損害を与え得る。生活の中の欠陥から免れることができない以上、どのような態度でこのような欠陥に向き合うかは非常に重要である。心持や態度が異なれば、完全に別の生活の質をもたらすことができる。

■[6]


□ ひとつの寓話がある。それによると、ある村にたいへん貧しい少女がいた。彼女は父親を失い、母親と助け合い、内職をしてなんとか生活を維持していた。彼女はたいへん自分を卑下していた。というのは、これまできれいな服や首飾りを身につけたことがないからである。このような極めて貧しい生活の中で、彼女は18歳になった。彼女が18歳のクリスマスに、母親は未だ嘗てなかったことだが、彼女に20ドルを渡し、この金で自分自身のためにクリスマスプレゼントを買うようにと言った。彼女は望外の喜び様であったが、大通りを堂々と歩いて行く勇気が無かった。彼女はお金を握りしめ、人ごみを避けるようにして、塀の隅にへばりつくようにして商店の方に歩いて行った。道々、彼女はどの人の生活も自分より良いと思い、心の中で残念に思うことしきりであった。私はこの村でもっともうだつの上がらない、最もみっともない子供であると。自分が事の他あこがれている青年の姿を見ると、彼女はやっかみの気持ちで、今晩の盛大なパーティーで、誰が彼のダンスのパートナーになるのかしら、と思った。彼女はこのようにしてためらいながら、人ごみを避けつつ商店にやって来た。店の入り口を入るや、彼女は目が刺されたような痛みを感じた。彼女は、カウンターの上に飾られた、特別に綺麗な緞子でできた髪飾りを見たのだった。

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 この寓話は、次回に続きます。この寓話が教えることと、孔子の思想はどのように結びつくのでしょうか。次回をお楽しみに。


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5・12ブン川地震復興再建座談会での温家宝首相の講話

2011年05月16日 | 中国ニュース



  先週、5月12日が、四川・ブン川(「ブン」はサンズイに“文”)地震から三周年が経過し、政府主導の復興事業がほぼ完成したということで、盛んにマスコミで報道がされていました。
 それに先立ち、5月9日に四川省の省都・成都の西48キロにある被災地の一つ、都江堰市で、中央政府主催の復興再建座談会が開催され、災害復興事業に対する、政府としての総括がなされました。

クリックすると、中国語の文章が見られます。
      ↓


・惦記 dian4ji4、牽挂 qian1gua4 何れも、「気にかける」、「心配する」という意味。
・残垣断壁 can2yuan2 duan4bi4 崩れた垣やひび割れた壁、という意味で、災害の後の荒れ果てた光景を譬えています。
・満目瘡痍 man3mu4 chuang1yi2 目に見えるところ、破壊の跡ばかり。“満目”は「目に見える限り」。“瘡痍”はまだ瘡蓋ができず、口があいたままの傷のことから派生し、受けた被害の跡のこと。
・拔地而起 ba2di4 er2qi3 地面から聳え立つ。“抜地”は、地面から垂直に、切り立つようにして、の意味。
・頑強 wan2qiang2 粘り強い。
・拼搏 pin1bo2 力いっぱい戦って勝利を勝ち取る。苦闘して目的を達成する。
・翻天覆地 fan1tian1 fu4di4 [成語]天地をくつがえす。極めて大きな変化の形容。
・脱胎換骨 tuo1tai1 huan4gu3 [成語]心を入れ替えて真人間に生まれ変わる。徹底的に立場と観点を変える。“脱胎”も“換骨”も「生まれ変わる」の意味。

□ 5月12日のブン川地震発生から、既に三年が経過した。私は心の中でずっと被災地を気にかけ、被災地区の民衆を気にかけてきた。この三年、私は10回四川の被災地へ行き、陝西、甘粛の被災地へも行った。今も憶えているが、地震当日、私が急いで被災地に入ると、行く所行く所、皆崩れた塀やひび割れた壁で、見る物全てが破壊の爪痕で、たいへん恐ろしく、悲痛な雰囲気であった。地震発生後12日目に、私は二度目の被災地訪問をし、映秀では国連の事務総長といっしょに内外の記者の合同取材を受けた。その時、私はこう言った。「三年後にまた来ていただければ、新しいブン川の町が聳え立っているでしょう。」この三年、党中央、国務院は、強いリーダーシップと全国の人民の力強い支持の下、被災地域の各級の党委員会、政府が人民を指導して刻苦奮闘し、広大な建設者が粘り強く奮闘努力し、復興再建事業は順調に進展し、被災地の姿は天地がひっくり返る程変化し、皆さんの言葉を使うと、新たに生まれ変わったような巨大な変化である。それらを見て、私はほっとした。被災地の復興再建に、民衆はたいへん満足し、社会の各界の評価も高く、国際社会も幅広い賞賛を与えてくれた。

 この後、温家宝の被災地復興に対する意見を、次の三つの内容に分けて述べています。

1.ブン川震災後の復興再建は重大な成果を上げた
2.震災後の復興再建の貴重な経験を真剣に総括しよう
3.再建の任務を全面的に完成させ、被災地区の持続可能な発展能力を早く加速させよう

 1番目の、震災の復興再建事業の成果について。2008年5月に地震が発生、その後、震災復興にかかろうとしていた矢先の同年9月、リーマンショックに端を発した世界金融危機が発生します。そういう困難な状況下でしたが、国務院は震災復興を内需振興と並ぶ重点事業と位置付けて取組み、3年間に投入された復興再建資金は合計1兆205億元(約12.6兆円)。内、中央政府の国家予算から復興再建基金として3026億元が捻出されました。四川、陝西、甘粛の三省で国の再建事業項目に指定されたプロジェクトは100%着工され、内、95%が完成しました。この復興事業の基本となったのが、《ブン川地震災后恢復重建総体規劃》 で、この計画書が目標に掲げたのは、“家家有房住、戸戸有就業、人人有保障、設施有提高、経済有発展、生態有改善”(全ての家庭に住む家があり、全ての家庭に職があり、全ての人が保障され、インフラは向上し、経済は発展し、生態系が改善されること)というものでした。地震発生後の困難な状況下で、将来まで見据えた目標がきっちり立てられたことが分かります。

 まず住宅再建では、震災後1年で被災住宅の修理・補強を完了。同1年半で、農村部住宅の再建完了。同2年で都市部住宅の再建を基本的に完成。3つの省合計で、住宅の修理・補強が農村部で292万戸、都市部で146万戸。住宅再建は農村191万戸、都市部29万戸弱にのぼるとのこと。

 また、地震で倒壊した学校や病院が多かったことを受け、学校や病院は再建に当たり、耐震基準が、震度7対応から震度8対応に引き上げられた。 産業の復興に当たっては、単に旧に復するのではなく、旧式の生産施設は廃棄し、地域の特色を生かした産業構造に変革することで、将来の更なる継続発展に対応できるようにした。工業だけでなく、農業についても同じ考え方が取られました。

 ここで、温家宝得意の、先哲の言葉の引用がなされます。

超越自然的奇跡,総是在对厄運的征服中出現的。

・厄運 e4yun4 悪運。不運。

□ 自然を超越した奇跡というものは、いつも悪運に征服されている中で現れる。

 この言葉は、古代ローマの哲学者、セネカ(Lucius Annaeus Seneca、BC1~AD68)のものだそうです。

 2番目の、震災後の復興、再建の経験の総括について。先ず、住民優先の原則を堅持し、住民の住宅、学校、病院の再建が最優先されました。そのため、被災し住居を失った住民に対し、中央政府の予算から、都市部で1戸当たり2.5万元、農村部で同1万元の補助金を出し、地方政府の予算からも補助金を出し、住宅再建を促進。また、上でも記したが、学校と病院の再建では、住民が安心できるよう、安全性、堅牢性を第一に考え、学校、病院の建築基準を改正、また被災地のみならず、他の地域でも新しい基準を適用することになりました。

 次に、先ず復興再建計画を立て、計画に基づき再建を行い、また再建計画は科学的で合理的なものとしたこと。震災後11日目には、復興再建計画の策定を始め、3ヶ月余り後には、復興再建の全体計画、都市部、農村部の住宅建設計画、インフラ建設等の計画策定を終え、しかもその内容には、生態環境への配慮や、復興後の中長期的な発展への配慮も盛り込まれました。

 もう一つ、大切なことは、あくまで全国の力を活用し、復興再建を推進したことで、税制優遇、融資限度枠の拡大といった施策の他、他の省市による被災地支援を推奨し、19の省、市から3年間に825億元が投入され、また社会からの義援金、義援物資は累計797億元、香港、マカオ政府からの支援金はそれぞれ100億香港ドル、55億マカオ・パカタに達しました。

 3番目の、被災地の復興完了後の成長発展の維持、加速について。これまで、被災地は産業基盤が弱く、これまでは復興建設の需要に頼ってきたが、今後は第12次五カ年計画の西部大開発をチャンスととらえ、長期的な視野に立ち、地域の特徴に合わせ、電子情報、バイオ医薬、農業・牧畜業、観光事業などをこの地域の産業振興の基礎に置いています。特に、豊かな自然、チベット族などの少数民族の文化は、大きな観光資源となりそうです。

 もう一つ、重要なのは、被災地区での就業の機会を確保すること。被災地区では、20万人が耕地と家を失い、貧困状態に陥る人が増えた。また、孤児、老人、体に障害を負った人の比率も高かった。そんな中、被災住民が自力で収入を得るための職業訓練体制やリハビリ施設を建設、また被災地区の教育、医療、文化施設を整備、充実させ、住民の素養を向上させ、長期的に、優秀な人材が育つよう、基盤作りが進められました。

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 以上の内容は、国情も違えば、山間部の地震と海岸部の津波被害と、地理的環境等も異なり、同様に論じることはできませんが、復興への共通の道筋として、参考にできることも多々あると思います。

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