中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

胡錦涛主席、カナダG20首脳会議でのスピーチ(全文)

2010年06月30日 | 中国ニュース

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  6月27日のカナダでのG20首脳会議での中国・胡錦涛主席のスピーチ全文の翻訳をお届けする。スピーチの中で使われている成語、興味深い表現は、訳の後ろに括弧をつけて表記した。

    心を一つに協力し、共に未来を創り出そう(“同心協力、共創未来”)
             G20首脳第四回サミットでのスピーチ
              (2010年6月27日 カナダ・トロント)
               中華人民共和国主席 胡錦涛
               2010年6月28日 来源:人民網


 尊敬するハーパー総理、ご出席の皆さん、
 トロントでG20(“二十国集団”)首脳第四回サミット(“峰会”)に参加し、皆さん方とともに、世界経済の全面回復を推進するというこの重大な議題を討議できることをうれしく思います。最初に、私は謹んで、ハーパー総理とカナダ政府が今回のサミットのために行った積極的な努力と周到な手配に対し、心からの感謝を申し上げます。私はまた皆さんが上海万国博覧会に対し行った貴重な支持と支援に感謝を申し上げます。

  G20のメンバーと国際社会の共同の努力の下、世界経済は次第に回復してきている。しかし、回復の基礎は安定しておらず、プロセスの不均衡があり、やや大きな不確定性が存在する。一部の国の主権債務リスクが引き続き上昇し、いくつかのシステムの重要性や金融機構の問題が集中的に明るみにされ、主要通貨の為替レートが大幅に変動し、国際金融市場の動揺が止まらず、大口商品(“大宗商品”)の価格が高位変動し、様々な形式の保護主義が明らかに増加している。このことは、国際金融危機の深層での影響はなお消失しておらず、世界経済のシステム的、構造的リスクは依然として充分に突出していることを表している。私たちは国際金融危機の深層での影響の重要性と複雑性を深刻に認識し、共に助け合い(“同舟共済”)、協力して共に勝利する(WIN-WIN。“共贏”)という精神を引き続き発揚しなければならない。

主権債務:一国が自国の主権を担保に海外(それが国際通貨基金であれ、世界銀行、或いはその他の国であれ)から借り入れた債務のこと。過去、1990年代にアルゼンチン、2009年11月にドバイで主権債務事件が発生している。

  ピッツバーグ・サミットで提出した、「力強く、持続可能で、バランスの取れた成長の枠組み」(“強勁、可持続、平衡増長框架”)は世界経済の長期的な健全な発展に対し、重要な意義を持っている。世界経済が一日も早く力強く、持続可能で、バランスの取れた成長に入るよう、私は以下の提案を行いたい。

  第一、G20を国際金融危機に有効なメカニズム(“机制”)から国際経済協力を促進する主要なプラットフォーム(“平台”)に転換するよう推進する。現在、世界経済の情勢は依然たいへん複雑であり、G20が指導的役割を発揮する必要がある。私たちは長期的視野に立ち(“着眼長遠”)、G20の互いに刺激し合う(“協同刺激”)ことから成長の歩調を合わせる(“協調増長”)ことへの転換、短期的応急措置(“短期応急”)から長期的に効果のある管理(“長効治理”)への転換、受動的対応(“被動応対”)から主体的計画(“主動謀劃”)への転換を推進しなければならない。G20メンバーのマクロ経済政策の協調を強化し、合理的な政策力を維持し、主権債務危機の発生した国家が直面している困難を克服することを支援しなければならない。慎重かつ確実に(“審慎穏妥”)経済刺激政策から撤退するタイミング(“時机”)、テンポ(“節奏”)、強度(“力度”)を把握し、世界経済復興の形勢(“勢頭”)を強固にしなければならない。過去3回のサミットで行った決定と達成した共通認識を全面的に履行(“落実”)し、G20の信用と効力を共同で維持し、順を追って一歩一歩進め(“循序漸進”)、共存共栄する(“互利共贏”)という原則に基づき、G20のメカニズム化建設を推進し、各種の矛盾と不一致を適切に処理し、G20サミットのメカニズムが健全な軌道の上を前に向け発展することを確実なものとしなければならない。G20のメカニズムと他の国際組織や多角的メカニズムとの関係をうまく処理し、G20が国際経済協力とグローバル経済管理で中心的役割を発揮する(“発揮核心作用”)ようにしなければならない。

 第二、公平で、公正で、寛容で(“包容”)、秩序ある国際金融新秩序を早急に打ち立てる。私たちは国際金融危機の深刻な教訓をしっかりと心に刻み(“牢記”)、根本から改革を行い(“正本清源”)、症状に合わせて処方し(“対症下薬”)、簡単で実行し易く、責任の追及が容易である(“簡単易行、便于問責”)という原則に基づき国際金融監督管理改革を推進し、実体経済の発展に有利な国際金融体系を建設しなければならない。厳格な資本とレバレッジ率(“杠杆率”)の要求を定め、シャドーバンク(“影子銀行”)体系を管理監督対象に組み入れ、グローバルな統一の会計基準を制定しなければならない。システムの重要性と金融機構の管理監督を着実に強化し、必要な予防的措置を採り、リスク投機が過度になるのを防止しなければならない。国際的管理監督を中心とするという原則と標準の一致性を強調し、同時に異なる国の金融市場の差異性を十分に考慮し、金融の管理監督の的確性と有効性を向上しなければならない。信用格付機構(“信用評級機構”)への管理監督を強化し、信用格付機構への依存を減少させ、信用格付機構の行動基準と問責制度を完備させ、とりわけ客観的、公正、合理的、統一的な主権信用格付方法と基準を制定し、格付結果が正しく一国の経済状況と信用格付に反映されるようにしなければならない。引続き国際金融機構改革を推進し、国際通貨基金の拠出分担金の調整を加速し、より多くの新興市場国家と発展途上国の人員の国際金融機構の幹部への就任を推進し、発展途上国の代表性と発言力を向上させなければならない。国際通貨基金の能力建設と監督改革を強化し、各方面、とりわけ主要な備蓄通貨の発行経済体のマクロ経済政策の監督を強化しなければならない。

杠杆率:レバレッジ率。レバレッジ(leverage)とは、経済活動において、他人資本を使うことで、自己資本に対する利益率を高めることで、その高まる倍率がレバレッジ率。レバレッジの原義は「てこ」。レバレッジ率は一つの企業の資産負債表上のリスクと資産の比率である。レバレッジ率は企業の負債リスクを評価する指標であり、企業の負債返済能力を側面から反映している。

影子銀行:シャドー・バンク。またはシャドー・バンクシステム(Shadow Banking system)といい、不動産貸付を有価証券に加工し、資本市場で取引し、不動産業の伝統的な銀行システムが担当する融資機能を次第に投資に切り替えたもので、銀行の証券化活動に属する。

  第三、開放的で自由なグローバル貿易体制の建設を促進する。私たちは実際の行動により様々な形式の保護主義に反対し、自由貿易の提唱と支援を堅持し、商品、投資、サービスに新たな制限措置を設けないよう、引続き承諾し、厳格に遂行する。先進国はより開放を進めるという態度で国際貿易の発展を促進させ、共存共栄、共同発展の原則に基づき、対話協調による貿易摩擦の適切な処理を堅持しなければならない。ドーハ・ラウンド(“多哈回合”)の権限授受と確定事項は既に成果が出ており、現有の交渉文書を基本とすることを原則とし、ドーハ・ラウンドの交渉が全面的に、バランスの取れた成果を上げ、できるだけ早くラウンドの目標が実現し発展するよう推進しなければならない。

 ご出席の皆さん、

 私たちは力強さ、持続性、バランスの取れた成長の三者の有機的統一をしっかりとつかまなければならない。力強い成長の確保は当面の世界経済発展の主要任務であり、持続可能な成長は長期目標であり、経済発展方式の転換を通じてバランスのとれた成長を実現することは客観的な要求である。私たちは積極的に力強い成長を推進し、実体経済の発展に力を入れ、民衆の就業を促進し、新興産業分野での国際協力を強化し、前進の中で困難を克服し、成長の中で問題を解決しなければならない。私たちは持続可能な成長の維持に力を入れ、環境の持続性を維持するだけでなく、財政、通貨、貿易、産業等の政策でも持続性を維持し、マクロ経済の変動やリスクを減少させなければならない。私たちは、バランスのとれた成長の実現に努め、各国の国内の異なった地域、異なった産業のバランスのとれた成長を実現するだけでなく、異なった国家と地域のバランスのとれた成長を実現しなければならない。世界経済の力強い、持続可能な、バランスのとれた成長を実現することは、長期にわたる複雑なプロセスであり、たやすく成功できる(“一蹴而就”)ものではない。根気よく続け(“持之以恒”)、あくまでもやり通すだけでなく、相手国の国情にも配慮し、各国の発展の道筋、発展モデルの多様性を尊重しなければならない。

 中国は経済発展の過程で絶えず経済の力強い成長の推進に努力し、1978年から2008年までの中国経済の年平均成長は9.8%であった。国際金融危機の発生以来、国際金融危機の衝撃に対応する一括計画(“一攬子計劃”)と政策措置を、中国は全面的に実施し、絶えず豊かで完全なものにしてきた。2009年の中国経済成長は8.7%で、地域と世界の経済復興に自ら貢献した。2010年、中国経済は引き続き安定した成長局面を維持し、第1四半期の経済成長は11.9%であった。中国は終始、成長の持続性を重視し、財政赤字をGDPの3%の範囲内にコントロールした。今年から、私たちはマクロ経済政策の連続性と安定性を維持すると同時に、新たな形勢や状況に基づき政策の的確性(“針対性”)と弾力性(“霊活性”)を高め、経済の安定した成長の維持、経済構造の調整、インフレ予測管理の関係を的確に処理し、経済成長の持続性の強化に力を入れた。中国は一貫してバランスのとれた成長を高度に重視している。国際金融危機の衝撃への対応の過程で、中国の内需拡大政策は明らかに効果をもたらし、2009年に貨物輸出総額が16%減少する情況下、社会消費小売総額は17%近く増加し、全社会固定資産投資は約30%増加、経常収支黒字(“経常項目順差”)のGDPに占める比率は6.1%にまで低下した。年初来、中国の貿易黒字(“貿易順差”)は引き続き大幅に減少し、経常収支は均衡方向に加速し、経済の調和のとれた発展の良好な形勢はより一層強まった。

 私たちは、中国は人口が多く、基盤が脆弱であり(“底子薄”)、都市と農村、地域の発展に不均衡があり、環境と資源の束縛する矛盾が突出しており、とりわけ中国は毎年、都市部で就業の手立てが必要な労働力が2400万人おり、大量の農村の余剰労働力を就業させる必要があり、同時に相当数量の貧困人口が未だ貧困から脱却できていないということを、はっきりと認識している。これらの困難や問題を解決するため、私たちは人を本にし、持続可能な発展に全面的に釣り合う科学発展観を堅持し、経済発展方式転換の加速を、科学発展観を貫徹実行する重要目標、戦略措置とし、国民収入分配構造、都市構造、地域構造、産業構造の調整を重点的に加速し、科学技術のイノベーション(“創新”)の推進を加速し、現代農業、エコロジー(“生態”)文明、文化産業、社会保障体系の建設を加速し、経済社会の協調発展の推進に努めていく。これらの調整と転換は中国経済の全面的に歩調の合った持続可能な発展に有利であるだけでなく、世界経済の発展にも積極的な影響をもたらすだろう。経済発展方式の転換は長期的で複雑なプロセスで、困難に満ちた努力が必要である。中国は各方面が互いに手本にし合い、長所を採って短所を補い、平等に協力し、共に発展し、世界経済がより合理的な産業分業構造、よりバランスのとれた金融貿易構造、より科学的な資源配置構造、より公平な利益享受構造を形成することを推進し、世界経済の持続的で調和のとれた発展を実現することを願っている。

 ご出席の皆さん、

 世界経済の長期的持続的成長を真に実現するためには、幅広い発展途上国が十分に発展することを支援し、南北間の発展の格差を縮小しなければならない。国際金融危機の間、発展途上国が受けた衝撃はたいへん厳しいもので、国際金融危機の影響により直面する困難を克服するのはたいへん深刻である。G20のメンバーは主に先進国、新興市場国家、工業化レベルの比較的高い発展途上国であり、メンバーの国々のGDPは世界の85%を占めるが、私たちは世界の国家総数の85%以上のその他の発展途上国の発展への訴求を無視することはできない。G20は発展の問題の解決のため、より強い政治的原動力、より多くの経済資源、より良い制度保障を提供する責任がある。国際金融危機により、国連の“1千年発展目標”の進展は新たな困難に直面し、2015年までの完成予定目標には、責任が重大で前途は遠い(“任重道遠”)。私たちは発展の問題にもっと多くの実際の行動を採り、発展の資源を保障し、発展のメカニズムを完備し、発展の協力を促進し、予定通り“国連1千年発展目標”が実現するようにしなければならない。先進国は着実に、政府の発展への援助の承諾、市場開放、財務減免の約束を果たし(“兌現”)、発展途上国が自らの発展能力を向上するようにしなければならない。世界銀行、国際通貨基金等の国際金融機構の資源は優先的に発展途上国、とりわけ最後進国の支援に用いられなければならない。

 国際金融危機の発生以来、中国は様々な方式、ルートを通じ、発展途上国に援助を提供してきた。私たちは国際通貨基金に500億米ドルの増資を行い、資金を最後進国に優先的に用いるよう明確に要求した。私たちは関係国、地域と総額6500億人民元の二国間通貨互換協議に署名し、共同で国際金融危機の衝撃に対応した。私たちは100億米ドルの中国-ASEAN投資協力基金を設立し、ASEAN諸国に150億米ドルの信用貸付支援を提供し、“チェンマイ提議”(“清邁倡議”)による多国間化とアジア債権市場発展の提唱を主要な内容とする東アジア財政金融協力の推進し、地域経済の金融情勢の安定維持に積極的に参与した。私たちは“上海協力機組織”の他の構成国に100億米ドルの信用貸付を提供し、支援した。私たちはアフリカ諸国に100億米ドルの優遇借款を提供し、アフリカの重債務困窮国と最後進国の債務を免除し、アフリカの中国と国交のある最後進国に、95%の製品の関税免除待遇を徐々に付与した。私は中国政府を代表し、中国は“南南協力”(発展途上国間の協力)の枠組みの下、引続き発展途上国に分相応の(“力所能及”)援助を提供し、発展途上国が発展を実現できるようできるだけの支援を行うことを、厳かに承諾する。
 ご出席の皆さん、

 G20と世界の未来は皆が共同で作り出さねばならない。私たちは心をひとつにし(“同心同”)、手を携え肩を並べ(“携手并肩”)、世界経済のよりすばらしい明日を企画し建設していきましょう。

 ご清聴ありがとうございました。

(本誌トロント6月27日電)

 マスコミ報道では、事前に中国政府が人民元切上げ容認に動いたということで、今回のスピーチで人民元切上げ問題が取上げられることが期待されたものの、触れられなかったことの失望感から、このスピーチの具体的内容はあまり取上げられていないようだ。しかし、国際金融危機後の世界経済が、ギリシャの信用危機で、再び暗い影がさす中、世界経済を牽引する中国のトップが、前回のピッツバーク・サミットで決議された「持続可能な成長の維持」という視点から、金融システムの枠組みの見直し、自由貿易・市場開放の堅持の主張は、説得力を持っており、もっと注目してよいのではないかと思う。


沈宏非のグルメ・エッセイ: 皮は薄く餡はたっぷり~包子(バオズ)

2010年06月25日 | 中国グルメ(美食)

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皮は薄く餡はたっぷり(皮薄餡大)

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“包子”(バオズ。肉まん)は、一種の思わせぶりな(“挑逗”)食べ物に他ならない。もし、かの風情を解さない者がやってきて、店に入るや一種類の餡のものだけ頼んでむしゃむしゃ食べだされたら、その不幸な“包子”は強姦されたことに他ならない。

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“包子”(バオズ)の思わせぶりさは、知るべき中身の内容がしばらくはわからないことから来ていて、行為の上では袋の中に何が入っているか探る快楽であり、自然にわき起こる(“油然而生”)探索精神である。したがって、“包子”を食べる過程は、娯楽性に満ちている。多くの人は、とりわけあまりに空腹の時、しばしばこのおもしろい遊戯を楽しむチャンスを失っている。

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“包子”は静かに蒸籠の中に身を寄せて座っている(“団身而座”)。縫い目(収口処)に若干のひだやしわがある他は、外側は温厚篤実(“憨厚敦実”)、甚だしきは多少不器量なおバカさん(“笨頭笨脳”)である。この時、肉眼では“包子”の内部を透視(“看穿”)することはできないが、想像がかきたてられ、唾液の分泌は異常に活発になる。実際には“包子”の内部は餡に他ならない。餡は野菜でなければ肉、それとも野菜と肉を混ぜたものである。この点は、私たちは先刻承知している。しかし、それでも私たちは抑えきれずにこう想像してしまう。“この一個の” 包子は、熱力の作用で果たして私たちの味覚にどのような驚きと喜びを与えてくれるのだろうか。景徳鎮の工匠のように、顔にぼうぼうと燃え盛る(“熊熊的”)火炎を映しながら、一場の驚くべき窯変に思いをはせ(“心馳神往”)、期待する。

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“包子”の餡の材料は、実際は複雑である。野菜、肉の他、生姜、葱、塩、ゴマ油や料理酒は欠かせない。餡に、十分に蒸された後、濃厚且つ分量がちょうどよいくらいの汁を出させようと思えば、大切なのは餡をかき混ぜる時に適当な比率で豚の皮の油の煮こごり(“肉皮凍”)を入れるのを忘れないことである。昨今いささか乱用されている“内包”(“底蘊”)ということばは、豚の皮の煮こごりと包子の内在関係を形容するのに、この上なくふさわしい。この他、私は個人的には単一の材料の餡の包子はあまり好きではない。肉だけ(“全肉”)、或いは野菜だけ(“全菜”)の包子は、味が多少単調であり、肉好き、或いはその対立者をしばしば堪能させるだけである。野菜と肉の混ざったものは、ボリューム(質感)のグレードをアップさせるだけでなく、肉、野菜、小麦粉の三種の基本元素の相乗作用によってこそ、包子の熱々の蒸籠の中に勇壮な天籟を響かせることができると、私は深く信じている。

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“包子”が蒸し上がっても、それは必要な一部分が完成したに過ぎず、包子を食べることはそれと互角に重要な工程で、今度は私たちがどうするかである。私は、一つの包子を食べて喜びで胸一杯になる(“満心歓喜”)には、以下の動作、要領を厳格に守っていかなければならないと考える。一、手のひらを上に向け、人差し指、親指、中指をそれぞれ包子の底部からてっぺんと左右の三点を押えてこれを持ち、口の一辺に向け、余裕をもって噛み切れる場所を確保する。二、一か所、銅銭くらいの大きさを噛み切って(包子の大きさから見て、八分の一くらいの比率が良い)後、慌てて飲み込んでしまってはならない。先ず、水平方向から穴の中の餡を近距離で観察し、その後、舌先を軽く触れて温度を測り、再び口をO形に開き、上と下の唇を包子の噛み切った所をぴったりと包み込む。この時、両眼を閉じて、宇宙船がドッキングする(“対接”)のを想像するのがよろしい。三、丹田(へその下三寸のところで、道家の説で人の精気の集まるところ)の真気を結集させ、包子の餡の肉汁を休まずに口の中に吸い込み、それがゆっくり舌の上を流れるに任せ、更に口腔の四方の壁に沿い味蕾(みらい。舌粘膜の乳頭内にある卵形の小体で、味覚をつかさどる)を細かく潤す。進退を共にする餡の団子と肉汁が同時に吸い込まれるのを防ぐため、上下の唇は後ろにすぼめると同時に、ついでに舌の先で前を止め、もぞもぞと動きたがる餡の団子を元の位置に戻し、餡の肉汁がさらさらと口腔に入って来る際、同時に餡の団子の味わいとボリューム(質感)を楽しむことができる。四、餡の肉汁が完全に吸い取られないうちに、躊躇せず包子を一口で(多くとも二口か三口で)食べてしまう。全体の動作は、顔つきは普段包子を食べる時のようだが、実際はその肉汁をしっかりと吸い取り、太極拳の“推手”(手を前方に突き出す動作)を舌の先で大いに行えば、鈍感な人でも最高の境地に達することができる。

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皮と餡は予め作ったもので、ただ、餡の肉汁だけが自然にできた(“天成”)ものである。しかし、一個の好い包子は、汁が多すぎてもいけない。あの油がたっぷり浮いた(“油汪汪”)“湯包”(小籠包の類)は、実際はおいしくない。“湯包”を作る人たちはスープ(“湯”)と汁の区別を正しく理解していない。私は嘗て南京で一種の“淮揚湯包”(淮河流域から揚州にかけての江南地方風の“湯包”。 大きさは上海の南翔小籠包に比べ、少し大ぶりで、包子一個がちょうど入るミニ蒸籠に入れて出てくる)を食べたことがある。皮は薄くスープはたっぷり、包子(これも“包子”の一種である)の他、ストローを一本くれた。ストローを包子に突き刺し、頭を下げてスープを吸うと、包子はみるみる萎びていき、その情況たるや、本当に漫画を見ているようだ。

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【原文】沈宏非《写食主義》四川文藝出版社20009月より翻訳

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慣用句、成語の構造と使い方(2)

2010年06月23日 | 中国語
  前回は、成語の様々な構造を見てきたが、今回は、成語の使い方について、見ていく。

(三)どのように成語を運用するか

 成語の運用は一種の重要な修辞手段である。なぜなら、成語は極めて強い表現力を備えているからである。多くの成語は元々、比喩、形容、誇張等の修辞手段で構成され、それら自身が正確性、鮮明性、躍動性(“生動性”)を備えている。例えば、“雪中送炭”と“錦上添花”を用いて、文化の“普及”と“向上”の二つの事業の関係を説明する。“閉門造車”と“自作聡明”を用いて“主観主義”の傾向(“作風”)を説明する、などである。

・雪中送炭 xue3zhong1song4tan4 雪中に炭を送る。ちょうどよい時に援助を与える。人が最も困っている時に援助の手を差し伸べること。
・錦上添花 jin3shang4tian1hua1 錦上に花を添える。美しいものの上にさらに美しいものを加えること。
・閉門造車 bi4men2zao4che1 家に閉じこもって車を作る。客観的情況を考慮せず、主観だけに頼って物事を行うこと。
・自作聡明 zi4zuo4cong1ming2 知ったかぶりをする

 成語を運用すれば、言語を簡略にすることができ、簡単な語句(“詞組”)により豊富で複雑な意味を表現することができる。例えば、“装腔作勢,借以吓人”という話の中で、“装腔作勢”は、“内心怕人家来批駁,装様子来吓人,故意夸耀自己来欺騙人家,只要把人家一時騙過去,吓住了,就算成功”(内心では人に反駁されるのが怖いので、わざともったいぶって相手を脅かし、故意に自分のことをひけらかして相手をだまし、人が一時的にだまされて、怖がっていてくれれば、成功といえる)という意味を充分に表現することができる。

・装腔作勢 zhuang1qiang1zuo4shi4 もったいをつけて仰々しいことをする

 成語の形式には、比較的強い固定性があるので、慣用句の効果と同様、しばしば同様の意味を一般的な語句を用いて表現したとしても、成語の形式による表現が人に与える印象の強さにはるかに及ばない。例えば、“眼界很狭”は、“一孔之見”と言うことによる鮮明さ、生き生きとした様に及ばない。“極端的辛苦”、“奇怪的形状”と言うのは、“千辛万苦”、“奇形怪状”と言うことによる人の印象の強さに及ばない。

・一孔之見 yi1kong3zhi1jian4 見識が狭く偏っていること。謙譲語として用いることが多い。
・千辛万苦 qian1xin1wan4ku3 ありとあらゆる辛苦
・奇形怪状 qi2xing2guai4zhuang4 奇妙な格好。グロテスクな様相

 成語は人々の智慧が結集して生まれた一首の言語財産であり、言語規範化の原則に基づき、一般の人々が喜んで見聞きする(“喜聞楽見”)形で使用しなければならない。成語の大多数は生き生きとして活気に満ちている(“生動活溌”)ので、大いに吸収するべきである。

  既に使われなくなった典故や粗野な成語、例えば、“二三其徳”(三心両意)、“殺頭便冠”(削足適履)、“望衡対宇”(居処相隣近)、“管窺蠡測”(所見很狭小)等は、古臭くあまり見かけないし、ことばの意味が難しくてわかりにくい。用いても聞く人に理解してもらえない。また、いくつかのたいへん粗野な成語、例えば“狗不吃尿”(無此事実)、“屁滾尿流”(急迫万状)等は、使用を避けるべきである。

・三心両意 san1xin1liang3yi4 決心がつかずにためらうこと。優柔不断
・削足適履 xue1zu2shi4lv3 足を削って靴に合わせる。無理に調子を合せる。客観条件を無視して他のやり方を無理やりに当てはめようとすること。

 成語を使う場合、以下のいくつかの点に注意しなければならない。

 先ず、成語の意味を理解しなければならない。成語の意味を理解するには、その構造を分析し、その来源と意味の変化を究めなければならない。例えば、“満城風雨”man3cheng2feng1yu3と“水落石出”shui3luo4shi2chu1は、元々の古典作品の中では秋と冬の景色を描いたものであったが、その後成語となり、一般には“閙得人人皆知”(うわさがあちこちに伝わって大評判になる)と“終于真相大白”(遂に真相が明らかになる)の意味を表し、意味が拡大、変化した。

 次いで、成語の用法を理解しなければならない。いくつかの成語は、文字の上ではあまり違いがないが、意味や感情の色彩の上で大きな違いがある。例えば、“無微不至”と“無所不至”、“無孔不入”は、意味と感情の色彩では、明らかに相反するものである。“無微不至”wu2wei1bu4zhi4は“愛護照顧的周到”(世話や配慮が行き届いている)を指す。“無所不至”wu2suo3bu4zhi4は“無所不為”に意味が似ており、“什麼都干得出来”(何でもやれる。やらないものはない(よくない事について、いうことが多い))の意味を表す。“無孔不入”wu2kong3bu4ru4は、“什麼空子都要鑚”(あらゆる隙を狙う) の意味を表す。この他、“相顧失色”と“相形見絀”、“紅光満面”と“面紅耳赤”等は、混同して用いてはならない。

・相顧失色 xiang1gu4shi1se4 びっくりして真っ青になり、お互いに顔を見合わせる
・相形見絀 xiang1xing2jian4chu4 比べてみると、ひどく見劣りがする
・紅光満面 hong2guang1man3mian4 顔が赤くつやつやしている
・面紅耳赤 mian4hong2er3chi4 (怒ったり、咳き込んだり、恥ずかしさのため)耳まで赤くなる。顔を真っ赤にする

 その次に、成語の一般的に通用している形式を使わなければならない。成語を運用する際には、その定型性に注意し、規範化された形式を使わなければならない。勝手にばらしたり修正したりしてはならない。例えば、“弄假成真”を、“弄偽成真”ということはできない。“眼明手快”を“眼精手快”ということはできない。“排難解紛”を“排難解非”ということはできない。“佳話頻傳”と“廃話連篇”は、寄せ集めて(“湊合”)“佳話連篇”とすることはできない、等である。

・弄假成真 nong4jia3cheng2zhen1 うそから真(まこと)が出る
・眼明手快 yan3ming2shou3kuai4 目端が利き、すばしこい
・排難解紛 pai2nan4jie3fen1 問題を解決し、紛争を調停する
・佳話頻傳 jia1hua4pin2chuan2 美談がひっきりなしに伝わる
・廃話連篇 fei4hua4 lian2pian1 くだらないことばかり言う

 最後に、成語の書き方に注意しなければならない。正しく成語を使うために、その中の一字一字を正しく書くことにより、誤解を生じたり、笑い話になってしまったりすることを避けなければならない。例えば、“変本加”の“”を“利”と書いてしまったり、“提綱挈領”の“挈”を“結”と書いたり、“煥然一新”の“煥”を“換”と書いたり、“濫竽充数”の“竽”を“芋”と書いたり、“病人膏肓”の“肓”を“盲”と書いてしまうことである。

・変本加 bian4ben3jia1li4 前より一層ひどくなる
・煥然一新 huan4ran2yi1xin1 面目を一新する
・病人膏肓 bing4ren2gao1huang1 病膏肓(こうこう)に入る。病気が重く、もはや治療ができない。事態が深刻で、救いようがない

 これらは皆、誤ってこれらの成語を構成する語素を変えてしまっており、正しくなく、正しい内容をはっきり理解し、正確に使わなければならない。

(四)その他の熟語の応用について

 成語の性質に類似したものに“歇后語”があり、成語の別の一形式ということができる。一つの成語の意味を前後二つの部分に分けて言い、前半の部分が比喩、或いは隠語で、後半の部分が意味の解釈である。通常、話す時は、その前半の比喩、隠語の部分だけ単独で言い、後半の部分の解釈は省略し、聞く人に推察、理解してもらう。だから“歇后語”(“歇”は休む。後ろを休むことば)と言うのである。修辞方法から言うと、歇后語は主に比喩、“双関”(1語で2語の意味を兼ねさせること)の二種類がある。

■ 比喩の例:

・老鼠過街 ―― 人人喊打
 (ねずみが街を行く――皆が退治しようと飛びかかってくる)
・懒婆娘的裹脚 ―― 又長又臭
 (怠け者の嫁さんの纏足――ちゃんと布で巻いて手入れをしていないので、大きくて臭い)
・千里送鵞毛 ―― 礼軽情意重
 (千里の彼方に鵞鳥の毛を送る――粗末だが心がこもっている)
・猫哭老鼠 ―― 假慈悲
 (猫が捕まえて殺したネズミのことを悲しむ――見せかけの慈悲心)
・黄鼠狼給鶏拜年 ―― 没安好心
 (イタチが鶏に新年の挨拶に来る――気が許せない)
・茶壺里煮餃子 ―― 肚里有,嘴上倒不出
 (急須で餃子を煮る――腹の中にあるが、口から(ことばとして)出てこない)
・熱鍋上的螞蟻 ―― 走投無路
 (熱した鍋の上の蟻――行き場を失う。窮地に陥る)

■ “双関”の例

・四両棉花 ―― 弾(談)不上
 (たった四両の綿花――少なすぎて綿打ちができない→“弾”と“談”は同音なので→“談不上”:問題外である。言うまでもない)
・孔夫子搬家 ―― 浄是書(輸)
 (孔子が引っ越しをする――荷物は本ばかり→“書”と“輸”は同音なので→負けてばかり)
・老鼠爬秤鈎 ―― 自己秤(称)自己
 (ネズミが竿秤の鈎に登る――自分で自分を測る→“秤”と“称”は発音が似ている→自分で自分をほめる)
・外甥打灯籠 ―― 照舅(旧)
 (甥が灯籠に火を灯す――舅を照らす→“舅”と“旧”は発音が同じ→相変わらず)

 歇后語は形象的であるので、使い方が的を得ていると、聞く者に生き生きとしておもしろいと感じさせるが、使い過ぎると、わずらわしく感じさせられる。いくつかの歇后語は、封建的な意味あい、迷信の色合い、卑俗で悪趣味なところを持つものがあり、そういうものは取り除き、使わないようにしなければならない。また、地方の色彩があまりに濃厚なものも、言語の規範化の原則に基づき、選択して使用するべきである。

 慣用句、歇后語、成語は、実際の言語の中では、一般に言語の建築材料となり、文の構造成分を充当しなければ、独立した文章にならない。熟語の中で、独立した文として一つの意味を説明するものが、ことわざ(諺語)と格言である。ことわざは、一般の人々が口頭で伝えてきた通俗的な話である。格言は、ことわざと形式上の大きな違いは無く、一般の人々が伝え使用し、行動の規範としたもので、多くは教育的な意味がある。ことわざ、格言の中には、たくさんの労働人民のよく練れてむだのない(“精練”)ことばがある。例えば:

  人心斉,泰山移。
     (人々の心が一つにまとまれば、泰山を動かすことができる)
  人心堅,石山穿。
     (人々の決意が固ければ、石の山でも穿つことができる)
  単絲不成線,独木不成林。
     (1本の生糸では織糸にならないし、1本の木では林にならない)
  穿靠棉,吃靠田。
     (着るものは木綿に頼り、食べ物は畑に頼る)
  滴水湊成河,粒米湊成籮。
     (一滴の水も集まれば川となり、一粒の米も集まれば甑のご飯となる)
  勤耕苦作般般有,好吃懶做様様無。
     (耕作に励み懸命に働く様子はここかしこに見られる。美味しいものを食べ怠けている有様はどこにも見られない)
  只与人家賽種田,莫与人家比過年。
     (人々と競って畑を耕すばかりで、人々と年越しの豪華さを競う者は誰もいない)
  吃不窮,穿不窮,不会打算一世窮。
     (食べるのに困らず、着るものに困らず、一生貧しいままでいようとは誰も思わない)
  生産好似揺銭樹,節約猶如聚宝盆。
     (生産は金のなる木、節約は打ち出の小槌のようなものである)

 まだ一部には封建思想や遅れた意識を反映したことばがある。例えば: “命里窮,総是窮,拾着黄金要変銅”(貧しいのは運命だ。いつまでたっても貧しい。黄金を拾っても銅に変わってしまう)といったことばは、捨て去り、使わないようにしなければならない。

【原文】胡裕樹主編《現代漢語》重訂本 上海教育出版社1995年

 今回、この中国語の熟語についての項目を勉強していて、歴史故事や日常の口語など、様々なことばが、規範化され、人々が普遍的に用いるようになる、「言語規範化の法則」という概念に触れることができた。次回は、この点につき、見ていきたいと思う。

沈宏非のグルメ・エッセイ: たまごの変身~皮蛋(ピータン)

2010年06月20日 | 中国グルメ(美食)
                 たまごの変身(蛋変)

 にわとりが先か、たまごが先か、ということに比べ、たまご(蛋)が先か、皮蛋(ピータン)が先かということは、あまり得点の高くない早押しクイズの問題(“搶答題”)だろう。

 しかし、たまごが皮蛋(ピータン)になると、いろいろな問題が派生してくる。例えば、一個の皮蛋が、なんと何種類もの異なった名前を持つこととなっている。北方の人はこれを“松花蛋”と呼ぶ。それはタンパク質が水溶の過程で生成した塩類と遊離したアミノ酸が拡散を経て、異なった方向に沈殿し形成された結晶の模様である。皮蛋にはまた一つの後世に伝わらず消失した名前がある。それは“変蛋”という。方以智《物理小識》に謂う。「池州(安徽省西南部、黄山の北)に変蛋を産する。五種の樹灰で以てこれを塩漬けし、おおよそ蕎麦の灰で以てすると黄色と白色が入り混じり、かまどの炭と石灰を加えると、緑色で粘り強くなる。」《竹嶼山房雑部》では名を“混沌子”といい、明の《養余月令》では“牛皮鴨子”の呼称があった。

 “牛皮鴨子”は皮蛋の語源のようであり、その数多くの名前の中で、これが最も粗野(“粗俗”)なものに数えられる。しかしその実、私は一点疑念があり、その成長過程からにせよ、中国語の音韻の変遷から見るにせよ、“皮蛋”は“変蛋”から変化(“演変”)してできた可能性がもっと大きいのではないかということである。何れにせよ、皮蛋の名称上での不安定な要素は、その性格上の複雑さを体現している。“鴨蛋”か“鶏蛋”かは、ただそれがニワトリの卵か、アヒルの卵か、ニワトリの子かアヒルの子かということに過ぎず、この名前は、もう一度それがニワトリかアヒルから生まれたことを証明する以外は、指し示すことができるものはゼロに近い。

 しかし、この種の複雑性も、“鴨蛋”に対してのみ言えるのである。皮蛋の外部環境は、鴨蛋(アヒルのたまご)のようになめらかできれい(“光潔”)ではなく、それとはおおきく隔たり(“大相径庭”)きめが粗く(“粗糙”)、博物館に陳列されたたまごの化石のようである。その一層(たまごの殻の外側を覆っているもの)はたまごの殻を複雑化するものであり、それ自身は更に複雑で、糠殻、黄土に“残料”と水を混ぜ入れ混合したもので、“残料”に至っては、生石灰、純炭酸ソーダ(“純碱”)、食塩、紅茶粉末等が含まれている。皮蛋もアヒルのたまごのように簡単に言うことを聞いて(“就範”)くれず、この人造の外の殻の層を取り除かねばならず、皮蛋を食べる人は我慢強くなければならない。皮蛋が遂にアヒルのたまごに似た青い殻を露出させたなら、この青い殻はアヒルのたまごと同じように剥かれ、感覚がちょうど正常に戻ったばかりの時に、また一度、その驚変を目撃することになる。激しい泥んこ相撲の試合の後、熱いシャワーを浴びた美人が、風呂から出ると……

 明らかにタンパク(蛋白)であるが、“蛋白”でない。皮蛋のもう一層の別の皮のようである。真皮。手のひらの中でかすかに揺れ動き、透明か半透明のもので、ひとしきり(“一陣陣”)涼しげな濃い緑(“墨緑”)が浸み出し、曇天の黄昏の九寨溝の湖水のようである。それらは“松花”の結晶模様と呼ばれ、枝葉が湖水の中に映ったグラデーション(“疏影”)を連想させ、美しく、神秘的である。

 アメリカ人が皮蛋を“千年蛋”と呼ぶのは、ひょっとするとこの光景の戦慄のせいかもしれない。しかし、一人の楽観的なヤンキー・おやじ(“老美”)として、程なくiMacのような感覚を取り戻す。流行のデザインとして、透明なフレーム(外殻)はたいへんCool(酷)である。ただ、中に何も複雑な電子装置を隠していない皮蛋の内部であり、そこにどんな見どころ(“看頭”)があるというのだろう。いや、これこそ皮蛋と鴨蛋(アヒルのたまご)のもうひとつの違いであり、たまごの黄身の偏りをあらかじめ観察することができる。卵黄の“胎位不正”は、皮蛋の評価にマイナスの意味を持つ。完璧主義者は潮の満ち引き(“潮汐”)の引力を活用する。清の《調燮類編》は謂う。「“灰塩鴨子”(即ち皮蛋)を作るには、月の半ば(“月半”)の日ならば黄身は真ん中に居る。そうでなければ偏る。」

 ちょっと退屈でつまらないですか。いや、黄身は皮蛋の最も肝心な部分であるので、ちゃんとしていないと食べない(“不正不食”)だけでなく、それは半熟(“半流質”)の糊状(“膠着状態”)でなければならない。香港人はアワビを食べる時の専門用語(“術語”)を使って、これを“糖心”と呼ぶ。一口“糖心”を咬めば、口中がコテコテに(“一塌糊塗”)柔らかく(“柔嫩”)甘くねっとり(“甘腴”)としたもので満たされ、その後、赤ワインを一口飲めば、その効果はチーズを食べた時に匹敵する。

 昔、一羽のアヒルが、偶然にたまごを石灰の池の中に生んだ。ひとりの農夫が、たまたま通りかかり、アヒルのたまごを見つけたので、拾いあげて食べた ―― これから皮蛋が生まれたと言われている。しかし、こうとも言える。先ずアヒルが間違った場所で一個の間違ったたまごを生んだ。それに続き、人間があらかじめ手はずを決め(“預謀”)、組織的に、計画的に、故意に一部の正常で健康なアヒルのたまごを腐ったたまご(“壊”蛋)に変えてしまった(“変”成)。その値打ちのある「腐れ卵」を人に食べてもらう。皮蛋は悲劇的な食べ物であると同時に、悲劇の中の、おもしろい「悪者」(“壊蛋”)である。ちょうど“J”を北方の人が“勾”と呼ぶように、トランプの“Q”を南方人はその形から“皮蛋”と呼ぶ。このことはたやすく理解できる。しかし、どうしてわざわざ(“偏偏”)“皮蛋”と言い、“鴨蛋”、“鶏蛋”と言わないのだろう。おそらく、これは本来見てみると正常な卵型の文字(字母)であったものが、いわれなく(“無端地”)一本のしっぽを生やされた、それで、皮蛋の気性から、ちょっと悪さをした。実におもしろい(“蛮有”)、実に“”(qiu、つまり、“趣”、発音が“qu4”に近いので、しゃれてこう言った)だ。

【原文】沈宏非《写食主義》四川文藝出版社2000年9月より翻訳

慣用句、成語の構造と使い方(1)

2010年06月19日 | 中国語
  成語や慣用句は、うまく使うと、たちまち中国語の表現力を、数段階向上させてくれるし、なにより、くだくだ説明せずとも、一言で言いたいことを表してくれる。逆に、中国語の読解や聞き取りの際のキーワードとなり、その意味が頭に浮かぶかどうかで、文全体の理解度が変わってくる。
 今回は、その構造と使い方について、胡裕樹主編《現代漢語》重訂本 上海教育出版社1995年の説明を見て行きたい。

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(一)熟語の範囲と慣用句の性質

 語彙(“詞滙”)の中で、多くの独立して運用されることば以外に、いくつかの固定された語句は、一般の人々がいつも使用し、言語の建築材料、語彙の構成部分となっている。これらを総称して“熟語”という。熟語の範囲は相当広く、慣用句、成語、歇后語、諺語、格言等を含む。そのうち、慣用句と成語の使い方は最も注意する必要がある。

 慣用句は一般の人がよく知っている既成の固定語句であり、しばしば完全な意味単位として運用される。しかし中にはばらばらにされたり、別の語句を挿入される場合があり、これらの固定性はそれほど強くない。例えば、“碰釘子”、“打游撃”、“咬耳朶”、“磨洋工”、“鑽空子”、“開倒車”、“触黴頭”、“拆墻角”、等である。

 これらの構造はそれほど緊密ではない。例えば、“碰釘子”(peng4ding1zi断られる。ひじ鉄を食らう)は“碰了一個大釘子”(大きな障害にぶち当たった)と言う事ができ、また“碰了個軟釘子”(やんわりと断られた) “碰了個硬釘子”(きっぱりと断られた)と言うことができる。“鑽空子”(zuan4kong1ziすきに乗じてうまいことをする)は“鑽我們的空子”と言うことができる。

 慣用句はよく練れていて、大多数は表現が正確で、生き生きとしている。例えば、“磨洋工 ”mo2yang2gong1は“拖延或浪費時間”(時間を延ばす。時間を浪費する→表面は働いていると見せかけて、実際は仕事をさぼっていること)ということを表し、“開倒車”kai1dao4che1は“向后倒退”(後退するする。逆行する)ということを表す。

 まとめると、慣用句の使用も、言語の規範化の原則に基づかなければならない。方言性が強すぎたり、卑俗(“庸俗”)な意味のものは、あまり用いない、もしくは使わないようにすべきである。

・打游撃 da3you2ji1 かけもちの仕事をやる
・咬耳朶 yao3er3duo 耳打ちをする
・触黴頭 chu4mei2tou2 =倒黴 dao3mei2 ひどい目にあう。ばかをみる
・拆墻角 chai1qiang2jiao3 =拆台 chai1tai2 土台をぐらつかせる。失敗させる。みそをつけさせる

(二)成語の性質と構造

 成語は一種の固定語句(“固定詞組”)であり、慣用句と性質が似ており、しばしば完全な意味単位として運用され、慣用句より更に安定している。一般の成語は、構造が緊密で、任意にその中の成分を交換することはできず、慣用句のようにばらばらにしていくつかの成分を挿入するようなことはできない。成語はまた、“学生会主席”、“復旦大学中文系”、“作家協会”、“青春之歌”などのような、事物の名称の固定語句とも異なる。これらは社会発展の中で生み出された事物であり、任意にばらしたり勝手に字を入れ替えたりすることはできないが、既成の話ではないので、成語とは区別される。成語は大多数が典故のある合成語句である。例えば、“自相矛盾”は成語であり、“矛盾”は単語(“詞”)である。“一字推敲”は成語であり、“推敲”は単語である。成語は、構造は緊密であるけれども、運用上は単語(“詞”)の等価物と見做されるが、まだ凝結されて単語にまではなっておらず、一種の固定語句(“固定詞組”)である。

 成語の来源は多種多様である。主に書面から得られたものと口頭から伝わったものの二種類に区分できる。

 書面から得られたもの。例えば、“完璧帰趙”、“負荊請罪”、“破釜沈舟”、“草木皆兵”等は、古代の歴史事実から得られたものである。

・完璧帰趙 wan2bi4gui1zhao4 少しも損なわず、そっくりそのまま返す(戦国時代、藺相如は秦の15の城と交換するため璧を持って秦に行ったが、秦王に誠意が見られなかったので、その璧を取り返し、無事に持ち帰ったことから)
・負荊請罪 fu4jing1qing3zui4 荊(いばら)の杖を背負って自分の罪を詫びる。心から過ちを認め、謝罪すること
・破釜沈舟 po4fu3chen2zhou1 鍋を壊し船を沈める。戦いに臨んで決意を示す。背水の陣を敷く
・草木皆兵 cao3mu4jie1bing1 草や木まで敵兵に見える。ひどくおびえる

  “刻舟求剣”、“漁翁得利”、“濫竽充数”、“望洋興嘆”等は古代の寓話(“寓言”yu4yan2)の中から得られたものである。

・刻舟求剣 ke4zhou1qiu2jian4 剣を落として舟を刻む。状況の変化を考えず、頑なに古いしきたりにこだわること(昔、楚の人が川を渡る時、剣を水中に落とし、船べりに印をつけ、ここが剣を落としたところだと言ったという故事から)
・漁翁得利 yu2weng1de2li4 漁夫の利。“鷸蚌相争,漁人得利” yu4bang4xiang1zheng1 yu2ren2de2li4(シギとドブガイが争っているうち、どちらも漁師に捕られてしまったという寓話から)ともいう。
・濫竽充数 lan4yu2chong1shu4 員数を揃えるために不良品を混ぜてごまかす。(斉の宣王は竽(う)(笙に似た楽器)の音が好きで、竽のできる人300人を雇ったところ、竽のできない南郭先生が混じって俸給をもらっていたという故事から)
・望洋興嘆 wang4yang2xing1tan4 偉大な事物を目の前にし、自分の小ささを嘆く。何かしようとして、自分の能力不足を嘆くこと。

 “一鼓作気”、“未雨綢繆”、“水落石出”、“山窮水尽”、“隔靴掻痒”、“虎頭蛇尾”、“膠柱鼓瑟”、“畳床架屋”、“粉身砕骨”、“赴湯蹈火”、“前仆后継”、“奴顔婢膝”等は、古典作品や古代から伝わる辞句の中から得られたものである。

・一鼓作気 yi1gu3zuo4qi4 張り切って、一挙に物事を成し遂げる
・未雨綢繆 wei4yu3chou2mou2 雨が降らぬうちに窓や戸を修繕する。転ばぬ先の杖(“綢繆”は囲み塞ぐこと)
・水落石出 shui3luo4shi2chu1 水落ちて石出づ。物事の真相が明らかになる
・山窮水尽 shan1qiong2shui3jin4 窮地に陥る。途方に暮れる
・隔靴掻痒 ge2xue1sao1yang3 靴を隔てて痒い所を掻く。言葉ややり方が不徹底でもどかしいこと。
・虎頭蛇尾 hu3tou2she2wei3 初めは盛んだが、終わりは振るわない。竜頭蛇尾。
・膠柱鼓瑟 jiao1zhu4gu3se4 琴柱(ことじ)に膠(にかわ)す。(琴柱を膠で固定すると調律を変えることができないことから)物事にこだわって、融通のきかないたとえ。
・畳床架屋 die2chuang2jia4wu3 屋上屋を架す。無用なことを重ねてすること。
・粉身砕骨 fen3shen1sui4gu3 粉骨砕身する。ある目的のため、身命を惜しまず努力すること。
・赴湯蹈火 fu4tang1dao3huo3 水火も辞せず。どんな苦しみや危険も恐れないこと
・前仆后継 qian2pu1hou4ji4 前の者が倒れたら後の者が続いて行く。先人の屍を乗り越えて行く
・奴顔婢膝 nu2yan2bi4xi1 卑屈にこびへつらう

 口頭から伝わったもの。例えば、“七手八脚”、“改頭換面”、“南腔北調”、“得過且過”、“一不作二不休”等である。また多くの人々が成語構造の規律に基づき作って来たものがある。例えば、“呆頭呆脳”、“昏頭昏脳”、“東揺西擺”、“東拼西湊”、“歓天喜地”、“咒天罵地”、“有条有理”、“無知無識”等である。

・七手八脚 qi1shou3ba1jiao3 誰もかれもが一度に手を出す。寄ってたかって何かをする。
・改頭換面 gai3tou2huan4mian4 内容はそのままで、うわべだけ変えること
・南腔北調 nan2qiang1bei3diao4 なまりがひどい共通語。南北各地の方言が入り混じっていること。
・得過且過 de2guo4qie3guo4 (1)その場限りのことをしてお茶を濁す。その日暮らしをする。(2)(他人の過失を)深くとがめず、できるだけ大目に見る。
・一不作二不休 yi1bu4zuo4, er4bu4xiu1 やり出したからには手を引けない。乗りかかった船。
・呆頭呆脳 dai1tou2dai1nao3 頭が鈍感である。間の抜けたさま。
・昏頭昏脳 hun1tou2hun1nao3 (1)ぼんやりしている。頭が混乱している(2)間が抜けている
・東揺西擺 dong1yao2xi1bai3 足元がしっかりしていなく、安定していない。思想、考えが固まっておらず、動揺しやすいこと
・東拼西湊 dong1pin1xi1cou4 (1)方々から寄せ集める(2)無理算段する
・歓天喜地 huan1tian1xi3di4 大喜びする。狂喜する形容
・咒天罵地 zhou4tian1ma4di4 口から出るまま、わめき散らす
・有条有理 you3tiao2you3li3 物事の筋道が通っている

 書面から来たものであれ、口頭から伝わったものであれ、成語は総じてたいへん強い固定性を持っており、変更がきかない(“一成不変”)。

 いくつかの成語は、その中にめったに見ない(“生僻”sheng1pi4)、或いは難解(“晦渋”hui4se4)な字を含むので、一般の人は容易に理解できず、一部を変えることがある。例えば、元々“屡戒不悛”lv3jie4bu4quan1(何度注意しても改めない)であったものが“屡戒不改”(“屡教不改”ともいう)に改められた。元々“揠苗助長”ya4miao2zhu4zhang3 (苗を引っ張って伸ばす。功を焦って方法を誤り、失敗すること)であったものが“抜ba2苗助長”に改められた。

 修辞の必要から、元の成語を新しく作り変えたり改造し、それにより新たな意味を表すこともある。例えば、“走馬観花”(“走馬看花”馬を飛ばして花見をする。大ざっぱに物事の表面だけ見ること)は“下馬観花”(“下馬看花”馬から降りて花を見る。じっくり観察し、調査・研究すること)に作り変えられた。“知難而退”(困難だと知って退く)は “知難而進”(困難だと知りながら進んでそれをやる)に作り変えられた。“能者多労”(有能な人ほど多く働く)は“労者多能”に作り変えられた。“挙一反三”(一つの事から類推して多くの事を知る) は“挙一反十”(一を聞いて十を知る)に作り変えられた。同時に、社会の発展や情勢の要求により、多くの語句が新たな成語になる趨勢が現れた。例えば、“又紅又専”、“百花斉放”、“求同存異”、“分秒必争”、“虚実并挙”、“両条腿走路”等である。成語の創造も、語彙が豊富となる一つの源泉である。

 成語の構造も多種多様で、連合式非連合式の二種類に大きく分けることができる。

■ “連合式”(“聯合式”)というのは、二つの語素や語句が並列融合して構成されることをいう。

 連合式の成語も多種多様で、おおよそ、陳述的連合式支配的連合式附加的連合式の三種類に分けることができる。

  “陳述的連合式”は、二つの“陳述式”の語句を結合させて構成されるもので、例えば、“天翻地覆”、“煙消雲散”、“興高采烈”、“風平浪静”、“瓜熟蔕落”、“苦尽甘来”等である。

■ “陳述式”というのは、語素の間に陳述と被陳述の関係があるものをいう。この形では、前の語素が陳述される対象であり、後ろの語素が陳述部分である。例えば、眼花、心虚、胆怯、心細、性急、年軽がそうである。

・天翻地覆 tian1fan1di4fu4 (1)極めて重大な変化(2)上を下への大騒ぎ。てんやわんやの大騒ぎ
・煙消雲散 yan1xiao1yun2san4  雲散霧消する。霧散する
・興高采烈 xing4gao1cai3lie4 上機嫌である。大喜びである。有頂天である
・風平浪静 feng1ping2lang4jing4 風はなぎ、波も静かである。何事もなく平穏である
・瓜熟蔕落 gua1shu2di4luo4ウリは熟れればへたから落ちる。条件が熟せば自然に成功すること
・苦尽甘来 ku3jin4gan1lai2 苦が尽きて楽が来る。苦労をし尽くして楽な背勝が始まる

  “支配的連合式”は、二つの“支配式”の語句を結合させて構成されるもので、例えば、“提綱挈領”、“耀武揚威”、“発号施令”、“指天画地”、“有条有理”、“貪小失大”、“棄暗投明”、“避重就軽”、“畏首畏尾”、“患得患失”、“懲前斃后”等である。

■ “支配式”というのは、語素の間に支配と被支配の関係があるものをいう。この形では、前の語素が動作、或いは行為を表し、後ろの語素が動作、行為の支配する対象を表す。例えば、帯頭、動員、簽名、耐労、示威、挙重、傷心、吹牛、知己、監工、司令がそうである。

・提綱挈領 ti1gang1qie4ling3 綱を取る時は大綱を、衣服を取る時は襟を。問題の要点をつかむこと。
・耀武揚威 yao4wu3yang2wei1 武力を誇り威勢を示す。武力を笠に着て威張り散らす
・発号施令 fa1hao4si1ling4 命令を下す。指示を出す。号令をかける
・指天画地 zhi3tian1hua4di4 誰にも気兼ねせず話をする=“目中無人”
・貪小失大 tan1xiao3shi1da4小さな利益をねらって大きな損をする
・棄暗投明 qi4an4tou2ming2 暗きを捨てて明るきに投ずる。反動集団から離れ、革命的組織に参加するたとえ
・避重就軽 bi4zhong4jiu4qing1 重要な点を避けて二次的なものを取り上げる。きつい仕事を避けて楽な仕事をする
・畏首畏尾 wei4shou3wei4wei あれこれ気兼ねする。ああでもない、こうでもない、と思い切りが悪いこと
・患得患失 huan4de2huan4shi1 個人の損得にばかりこだわる
・懲前斃后 cheng2qian2bi4hou4 前の誤りを後ろの戒めとする

 “附加的連合式”は、二つの“附加式”の語句を結合させて構成されるもので、例えば、“深謀遠慮”、“暴風驟雨”、“左顧右盼”、“前思后思”、“一暴十寒”、“千山万水”、“四分五裂”、“四通八達”、“千秋万歳”、“昏天黒地”、“半生半熟”、“昏頭昏脳”、“粗枝大叶”、“七手八脚”等である。

■ “附加式”というのは、語素の間に附加修飾の関係のあるものをいう。この形では、常に前の語素により、後ろの語素を修飾、制限する。したがって、語句の構成上、後ろの語素が主となる。例えば、紅旗、草図、壁画、内部、駝毛、火車、単干、狂歓、粗心、熱愛、筆談、晩会、深入、春耕、秋収、四季がそうである。

・左顧右盼 zuo3gu4you4pan4 (1)左を見たり右を見たりする。きょろきょろ見回す(2)あたりの情勢ばかりうかがって、決断できないこと
・一暴十寒 yi1pu4shi2han2(発音に注意)1日日光に当て10日冷やす。努力が長続きしないこと
・千山万水 qian1shan1wan4shui3 道が険しく遥かに遠いこと
・千秋万歳 qian1qiu1wan4sui4 千年万年。歳月のたいへん長いこと。
・昏天黒地 hun1tian1hei1di4 (1)外が暗い(2)意識がぼうっとする(3)ふしだらな生活(4)社会の秩序が乱れている
・半生半熟 ban4sheng1ban4shu2 (1)半熟。生煮え(2)不慣れだ。未熟である
・粗枝大叶 cu1zhi1da4ye4 大ざっぱである。いいかげんである

 この他、四つの語素が並列した連合式があり、例えば、“青紅白”、“生老病死”、“魑魅魍魎”等がある。

・青紅白 qing1hong2zao4bai2 理非曲直。道理や道徳にかなっていることと反していること。“不分青紅白”:理非曲直を問わず。有無を言わさず。“”は黒色のこと。

 “非連合式”の成語も多種多様である。(連合式が、二字の語句を並立させているのに対し、非連合式では、四字で一つの語句を形成している。)
 例えば、“胸有成竹”、“名副其実”、“狐假虎威”、“人心大快”、“笑容可掬”、“坐立不安”、“啼笑皆非”、“左右為難”、“老少無欺”等は、皆、“陳述式”の構造に属している。

・胸有成竹 xiong1you3cheng2zhu2 胸に成竹(せいちく)あり。前もってちゃんとした考え(方法)がある
・笑容可掬 xiao4rong2ke3ju1 笑顔が晴れやかである・啼笑皆非 ti2xiao4jie1fei 泣くに泣けず、笑うに笑えない。進退極まり、どうしてよいか分からない

  “好為人師”、“視為畏途”、“別開生面”、“飽経風霜”、“莫衷一是”、“莫名其妙”等は“支配式”の構造に属する。

・好為人師 hao4wei2ren2shi1 人の師になりたがる。知識をひけらかしたがる
・別開生面 bie2kai1sheng1mian4 新境地を開く
・飽経風霜 bao3jing1feng1shuang1 つぶさに辛酸をなめる
・莫衷一是 mo4zhong1yi1shi4 一致した結論に達することができない。意見がまとまらない

 “勃然大怒”、“恍然大悟”、“百折不撓”、“層出不窮”、“一孔之見”、“一得之愚”、“不労而獲”、“不約而同”等は“附加式”の構造に属する。

  “嫁禍于人”、“問道于盲”等は、“補充式”の構造に属する。

■ “補充式”というのは、語素の間に補充説明の関係があるものをいう。この種の語では常に後ろの語素により前の語素を補充説明する。全体の語義の構成上、第一の語素が主となる。
 例えば:認清、説明、改正、打倒、提高、抓緊、看透、降低、推翻、煽動、縮小、放大、打動、変成。
 これらの語句は何れも動詞であるが、前の成分が動作を表し、後ろの成分が動作の結果や趨勢、傾向を表す。

 この他、いくつかのその他の構造の成語がある。例えば、“利令智昏”、“請君入瓮”、“引狼入室”、“指鹿為馬”等である。

・利令智昏 li4ling4zhi4hun1 欲得は頭をぼんくらにさせる。欲に目がくらむこと
・請君入瓮 qing3jun1ru4weng4 自分の案出した方法で、却って自分自身が懲らしめられること。(唐代、則天武后の命を受けた来俊臣が周興を取り調べるに当たり、周興をわざと招いて、「罪を認めない犯人をどうすればよいか」と尋ねた。周興が「犯人を炭火で炙った大がめ(“瓮”)に入れれば良い」と答えたところ、来俊臣はそのように瓮を用意し、「どうぞあなたがこの瓮にお入りください」と言い、周興に罪を認めさせた故事から)
・引狼入室 yin3lang2ru4shi4 狼を部屋に案内する。敵や悪者を味方の内部に引き入れて災いを招くたとえ。
・指鹿為馬 zhi3lu4wei2ma3 鹿を指して馬と言う。是非を転倒する。(秦の丞相趙高が謀反をたくらみ、群臣を試すため、二世皇帝に鹿を見せてこれは馬だと言った。二世は側にいる臣下に丞相が鹿を馬だと言ったが間違いではないか、と尋ねたところ、ある者は馬だと言い、ある者は鹿だと答えた。鹿だと答えた者は、後で全員趙高に殺された、という故事から。日本語の「馬鹿」はこの故事から出ているという説もある)

 成語の構造からみて、中国語の成語には二つの特徴があることがわかる。
 第一、中国語の成語には多種多様な類型があるが、大多数は四字で構成されており、すなわち四つの音節の形式を採っており、“四字格”と呼ばれる。四つの単音語素か或いは二つの双音語素(二音節の語素)を用いて、こうした四つの音節の整った形式を構成している。語彙(“詞滙”)の中で、語(“詞”)の双音化と成語の四音化は、正に中国語語彙の一つの特徴である。
 第二、成語の類型の多彩さ(“豊富多彩”)は、正に中国語の語彙が極めて豊富であることを説明しており、中国語の修辞手段も極めて豊富で発達している。

【原文】胡裕樹主編《現代漢語》重訂本 上海教育出版社1995年

 以上述べてきた成語の使い方については、次回、紹介する。