1928年2月1日に発刊されたしんぶん赤旗 日本共産党60年写真集より 他の写真同じ
日本共産党が創立され92周年を今年の7月に迎えます。同時に「しんぶん赤旗」は今日創刊86周年を迎えました。共産党の歴史!・・・・先の戦争に唯一反対した日本産党としんぶん赤旗を応援してくれた方も多いと思います。 今その「しんぶん赤旗」を多くの方に読んでいただこうと私たち頑張っています。
1959年3月1日発行の「しんぶん赤旗」日曜版 なぜかマリリンモンローの事が
今人気の映画「小さいお家」山田洋二監督や「永遠のゼロ」など、現在の若者がおじいちゃんおばあちゃんの歴史をたどり、その生きざまを新たに発掘していくというシナリオがはやっている。実は、いま三郷市に在住し、一番党歴の長い人は石川福蔵 (写真下左)さんだ。1947年(昭和22年)この年は三郷などカスリン台風に襲われ水浸しに。国では日本国憲法が発令された。労働運動では2・1ゼネストの準備がされ、アメリカ軍はスト禁止命令を出し、伊井議長はラジオ放送一歩退却、二歩前進」と。この時石川さんは東芝の会社で入党したといっている。その後の活動は波乱万丈で、・・・一冊の本では書ききれない様だ。
1960年安保反対闘争 フランスデモが 東京をうめつくした
石川さんは1948年(私が生まれた年)に「共青」の神奈川委員会から関東地方委員会に派遣され、埼玉の北部地区委員会に。この時は(熊谷、本条、秩父、児玉、寄居)が活動範囲で、ときの地区委員長は平田藤吉氏であったという。食べ物は芋、「朝はふかし、昼は輪切りにしフライパンで焼く、夜はつぶして、きんとんに」1週間後は白い便になってしまったとか。埼玉での活動、これもすごい。神社の社務所を借り青年や子どもを集め幻灯会などで、20班を組織したとか。2年半後神奈川に戻り、全日自労の組織化、細胞はスパイなどにより解体、地下に潜入、そのままになり、1963年に再入党したということでした。・・・もっともっと面白い話が・・・!。
2013年7月三郷市議会議員選挙の第一声 手前左石川氏
以前「日本一の読書の街みさと」発会式での柳田先生の言葉を思い出す。人の話を聞き本にすると蔵いっぱいになると。
いま、日本共産党の70年をあらためて読んでいる、率直に言ってアメリカ占領軍により間違った方針も。また、党指導部の解体や、ソビエト、中国な干渉により波乱万丈の歴史が。でも、基本的には間違いなかったと思う。人に歴史あり・・・その人の歴史が政党の歴史でも。
11日の三郷市党レセプションには、思い出の写真集も出品される予定だ。
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