三郷インター南部の調整池から見た夕日 4年前余震の中この道を
ちょうど、4年前の3月11日「3・13重税反対統一行動」(13日は日曜日だたので11日に)で越谷税務署集団申告が終わり、三郷市役所6階共産党議員控で執務中
あっ地震。市役所6階の控室棚が倒れそうだ。そして歩けない14時55分もう10分間も揺れている。しかも今の時間も地面を突くような縦揺れ、そして横揺れ、高いところ(6階)なので船に乗っているように。
窓から見るとスカイツリーの裏のほうで黒い煙か雲が出ている。庁内放送で15時5分災害対策本部設置の放送。
15時10分地震の揺れが強くなる。何たることだ11分過ぎてもまだ揺れている。やっぱり東京の一部が火災になっているようだ。テレビでは津波が16分すごい揺れだ20分また岩盤からの縦揺れ。又横揺れが。しかし外環高速は車が走っている。
松戸市のほうでも黒い煙が。又縦揺れが15時28分だ。余震なのか。
テレビでは津波の模様と10メートル。また縦揺れだ。
15時46分まだ揺れているようだ。
インター南部の二郷半用水路
2015年3月11日、三郷市議会では、2015年議案の分割審議委員会質疑・採決の日、地震の起きた時間黙とうをささげた。・・・4年前。そして、原発事故で三郷市に避難してきた広野町の人々、白い放射能除けを着た三郷市消防職員が、バスから降りる人々を放射線量カウンターで測り一人一人をチェクし「よし」と声をかけていた姿(私はなんでこんなことをしているのかその時はわからなかった)不安そうな子供たち。
大震災数日後、浪江町から、親戚をたどり、三郷市に避難してきた家族から話を聞き家族と一緒に三郷市と対策を話し合った「とにかくパニックで、どこの避難所もいっぱい、なんでここに、車のガソリンはなくなり買い求めた」「親戚をたどりここまできたが、親戚だって部屋が、子どもの学校、・・・」不安んがいっぱいのようであった。三郷市の親切な対応に何度も頭を下げ感謝している姿は今でも目に浮かぶ。・・・しかしなんで原発事故が! 被害者、や私たちは知らないかった。ましてはメルトダウンしているなんてそんな発表は聞いたことがない。
我が家の花 右は水差しに氷が
各常任委員会の質疑内容や賛否、討論の内容を各議員が出し合い、討論する議案を決め担当者を決めた。私は、議案20号「一般会計予算」と議案7号「地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律の施行に伴う関係条例の整備に関する条例。(要するに教育委員会の教育委員長権限を教育長権限にするという安倍政権の政治介入ができる法律の地方具体化)を本会議で討論することになったのである。