いなば春男 活動日記

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世界遺産富岡製糸場を思う

2014年08月08日 | 日々の活動

群馬県富岡製糸場東繭宿舎

富岡製糸場建造物が注目され、たくさんの観光客がなだれ込んでいる。そんなんか私は、そこで働く工女たちがどうであったのか興味を持って視察した。

蚕の繭玉 

まゆ、私(栃木県生まれ)が子供のころ、養蚕農家もあり蚕が葉を食べる音に不思議がっていたことを思い出す。妻の実家(群馬県伊勢崎市)も今は建て替えたが、建て替え前の蚕とともに生きた家のつくりを思い出す。

 繭を煮て糸に

富岡製糸場は、開業が明治5年、1872年。全国から15歳から30歳までの462人を募集した。墓や過去帳から9歳、13歳の工女が出てくる。

フランス式操糸器 

当時は鉄道がなかった。開業時製糸場で働いた士族出身の和田英という人の『富岡日記』という回想記があるが、それによると、英を含め一行16人が長野県松代から富岡まで4日かかっている。一度出てきたらそう簡単位帰れない。「日記」には英と一緒に来た13歳の工女が脚気なって英が看病する様子が出てくるし、病気で亡くなった工女もいたようだ。

 診療所も

それでも、開業から21年間の官営時代は大体8時間労働だったという。

 寄宿舎

1893年に民間に払い下げられると、11時間、12時間の長時間労働になり、賃金も出来高払い制になる。

製糸場の前を流れる 

98年には初めての大規模なストライキが発生している。その後、「女工哀史」の時代に入っていく。

 日本の近代化の礎を担った若き工女たちがいたことを!。

まだまだ古い街並みが残っている。

町並も残したいものだ。強く感じたのは、市民の方のやさしさにも触れられる。

今日は、市役所での生活相談日です。ぜひお越しください。

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