シンクロニシティーというのは、普通に、いわゆるテレパシー能力が関与していると考えるようになった。
最近、非常に的確なテレパシー能力がある方と知り合ってからは余計にそうだ。
当てるなんてものじゃない、レベルでこちらのことを当ててくる。ご本人はそんなにこの能力を重視していなかったが、私の方でこれはすごいということで、いろいろと検証してみたところ非常に的中率が高いことが判明した。
今回のこの方の場合、本人がそれをむしろ隠したがっているのが興味深い。それはそうだ。人の脳の中の情報にアクセスできるなんて知れたら、「気持ち悪い人」とレッテルを貼られる危険がある。それに、今の科学のレベルではその仕組みを当面は解明できっこないのだから、「ありえないことを言う嘘つき」という別のレッテルを貼られてしまう危険もある。
私は、テレパシーはこの方に限らず誰にでもあり、それが意識には上がってこない、または上がってきてもそれがテレパシーだとは考えられていないのだと考えている。
例えば、ふとある人のことが思い浮かんだとしよう。これは誰にでもよくあることだ。こういう場合、どの人も、普通にその人の記憶が蘇ってきたと考えるだろう。しかし、これがテレパシー現象だとしたらどうだろう?その人があなたのことを考えているがゆえにその現象が起きていると考えるわけだ。
こういう考え方は、近代科学が登場する以前は、普通に誰しもが思っていた節がある。昔の和歌なんかにもこういうストーリーはあったような記憶がある。それが、近代科学の登場によって否定されたから、「迷信だ。」としてこういう考え方が封印されてしまったのだ。それ以来、そういうことを言う人は変人と扱われるようになった。
しかし、この封印は、単に「わからないものは存在しない。」という非科学的態度に基づくものだったと思っている。統計的にデータを取るなど、否定するだけの十分な根拠が示されていない。もちろん、不存在の証明はほぼ不可能であるのだが、せめてその存在に対して疑義が生じるレベルでの根拠を示す必要があった。が、それはいまだになされていない。
だから、今の科学者が取るべき態度は、テレパシーについては「真偽不明である。」というのが正しい。つまり「あるのかないのかは分からない。」とすべきなのだ。
そして私は目の前でテレパシー能力の発現をはっきりと見た立場から、テレパシーは密接にシンクロニシティーと関連しているという風に考える。人間は互いに通信し、それによって不思議な偶然が沢山起きてくる。更に言えば、人間同士だけでなく、あらゆる森羅万象と人間は通信し、その結果森羅万象との関係でも不思議な偶然の一致が起きると見ている。サッカーの試合でもこの能力は表れていると思っている。テレパシー能力が高い選手は、「その時、その場所に」高い確率で存在することができ、スーパープレイを見せてくれる。人々が熱狂するのは、そこに近代科学以前の、解き放たれた本能の世界を垣間見るからではないだろうか?
とは言え、何でもかんでもテレパシーだと思うのも不健全である。そういうことを言い出して、「私の言うことを信じなさい」とかいう人が出てくるのは問題だ。テレパシーは人間の能力だから、不安定だ。だからいつそれが発動しているのかが認定しにくいという欠点もある。他の能力と同じく、使い方次第で良いことにも悪いことにも結びついていくのだと考えている。
シンクロニシティーについても全く同じことが言える。1つくらいのシンクロニシティーで「これは運命だ。」くらいのレベルで信じ込んでしまうのも問題である。私の場合、シンクロニシティーがどの程度連続してくるかや、どれくらい稀有であるかを見てその価値を判断することにしている。そうでないとキリがないくらい、シンクロニシティーというのは起きるからだ。