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先日のプチ旅行(博多港スタンプラリー☆玄界島編)で訪れた
玄界島
島には蒙古討伐後に島に置き去りにされた、百合若大臣(ゆりわかだいじん)の伝説が残っていました。[wikipedia百合若大臣]
百合若大臣が愛鳥「緑丸」の帰りを待っていた場所、
「立場崎」
観音様と競争した時に足と杖をついたといわれている、
「足跡石」
百合若大臣が住んでいたといわれている、
「大臣山」
などなど百合若大臣にまつわるスポットがいくつもありました
そんな「百合若大臣」伝説、壱岐にもあるんです
壱岐のお土産売り場では必ず目にする
「鬼凧(おんだこ)」
鬼の顔の方が気になってしまいますが、鬼の下の顔こそ百合若大臣なんです
百合若大臣とは、元寇の討伐にまつわる話に登場する歴史上の人物で、壱岐や玄界島をはじめとして日本各地に伝説が残っていますが、どうして壱岐の百合若大臣はこんな姿をしているのでしょうか・・・?
実はこんな伝説が残っているんです
壱岐はたくさんの鬼が住む「鬼が島」で、鬼たちは悪さをして住民を困らせていました。それを聞いた百合若大臣は壱岐の島に鬼退治に向かいました
鬼の首領は「悪毒王」というとても強い鬼それに、家来の太郎・次郎・三郎もおりました。
百合若大臣の乗った船が島に近づくと、太郎と次郎は大きな石を船めがけて投げますが、百合若大臣は鉄の扇で石を跳ね返しました
その跳ね返した石は
太郎礫・次郎礫といって今も残っています。
ようやく島に上陸すると悪毒王との戦いです戦いの末、百合若大臣は見事首をはねることができましたが、悪毒王の首は空高く舞い上がり、頭と体をつなげる薬をとりに天の国に行ってしまいました。
その隙に百合若大臣は悪毒王の体を隠しましたが、体を見つけることができなかった悪毒王の首は百合若大臣の兜にかみつきました
しかし、悪毒王の首はついに力尽きて死んでしまいます。
その時の様子を表したのが鬼凧なのです
それから、鬼が降りてこないように壱岐の島では鬼凧上げをするようになりました
今では魔除けとして自宅に飾ったり
自分で絵付け体験をしたりと、たくさんの人に親しまれています
実は、壱岐にはまだまだ鬼にまつわる伝説があるんです
「鬼の足跡」
壱岐に住んでいた「デイ」という大鬼が、魚を捕まえるときに踏ん張った足跡だと言われています。
もう片方の足跡は
辰ノ島の「蛇ヶ谷」にあります。
2ヶ所はこんなに離れているので、
壱岐を跨げるほど大きな鬼だったようです
さらに、古墳にも鬼の字が使われているものがあります。
それがこちら↓
「鬼の窟(いわや)」古墳。
何メートルもある大きな一枚岩を重ねて作った古墳で、「鬼でもなければこんな岩は運べないだろう」ということでこんな名前で呼ばれています。
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今日紹介したスポットは、名前こそ「鬼」とついていますが、どこも見ごたえのあるキレイな風景が広がっています
旅行の際は、ぜひ足を運んでみてくださいね
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