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3・4日前から、お肌の調子が悪く・・・
私の貴重な2日間のお休みは、、、『世界は皮膚科を中心に回っている』という錯覚を起こす有様でございました(*´-Д-)ハァ=3
診断結果としては、『大人あせも』| ̄ω ̄、|グスン

↑お見苦しくて、すみません。現在も治療中なんです!!。・゜・(*ノД`*)・゜・。
最近は、「大人あせも」が職種問わず多いようなので、こまめに汗を拭くなど気を付けてください。εミ(о;_ _)о
こんな状況で、ふと『壱岐』は桃太郎で言う「鬼が島であった」、浦島太郎でいう「竜宮城があった」と中学・高校時代の先生がそんなこと言っていたような・・・(lll-Д-)φ.....。o○と思い出し・・・
不思議な島「壱岐」なら、霊場がありそうと思い調べました。
サササ...φ(´・Ω・`*)。o○ 調べ中
サササ...φ(´・Ω・`*)。o○ 調べ中
サササ...φ(´・Ω・`*)。o○ 調べ中
発見!!ヾ((*≧∀≦*))ノ゛――ゥ☆
やっぱり、ありました。『壱岐島四国八十八ヶ所霊場順拝!!』
【四国八十八ヶ所とは】
四国にある空海(弘法大師)ゆかりの八十八ヶ所の寺院の総称。四国霊場のもっとも代表的な札所であり、単に八十八ヶ所とも言い、あるいはお四国さん、あるいは本四国とも言われています。
【四国以外の八十八ヶ所について】
四国以外の各地にある八十八ヶ所は、『四国は、遠くて行きたくても行けない。』という事情で、代りに住居地域で、本場四国八十八ヶ所順拝を行う!という考えや、また、弘法大師ゆかりの八十八ヶ所の寺院を、祈願のために参詣するという考えで開創された場所が多くあります。(※諸説あり。)
では、壱岐の四国八十八ヶ所順拝の歴史を簡単にご説明いたします。
【霊場遍路のはじまり】
まず、壱岐の『四国八十八ヶ所霊場』は、一人の熱心な信者とその協力者たちによって開かれたそうです。
『一人の熱心な信者』とは、弘法大師信仰の行者『中原慈本(じほん)』という方。
この方は山口県出身。明治24年の春に壱岐を訪れ、次のような夢を見たそうです。
「昔、この島にあった神岳山本宮寺が廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の時に廃寺となっている。この神岳山を復興し、それと同時に島四国八十八カ所霊場を開創してほしい」という夢です。
感激した慈本行者は、昔本宮寺があった勝本町新城西に草庵を結んで住み、島内の熱心な弘法大師信者13名の協力を得て活動を開始。
【活動内容とは】
島内のお寺にお願いをし札所にする。
お寺のないところには新しく*浄地を選んでお堂や庵を建立
*浄地とは・・・[仏]清浄な土地。比丘[(びく)=僧]が居住できる土地。寺院などのある土地。【大辞林 第三版 からの引用】
【結果】
2年余り後には、八十八ヶ所が全部そろいました。
札所としたお寺19寺
新築した堂庵69ヶ所
【その後】
順拝を続けながら、島内の一般の方たちにも熱心に順拝を呼びかけ、霊場順拝が次第に根付き始めた明治26年旧暦の7月1日。
慈本行者は順拝途中で芦辺で急病にかかり、森島家で急死。
【慈本行者が亡くなった後】
慈本行者が亡くなった場所(芦部町箱崎本村触柏崎)に慈本堂を建立して霊をまつる一方、慈本行者の草庵があった本宮寺跡には本宮寺の末寺あった金蔵寺を移転『神岳山金蔵寺』とし、行者が念願していた「神岳山」を復興。
金蔵寺の本堂から大師堂へのぼる参道の途中に、慈本行者の等身大の石像が立っています。
【今の遍路道】
全部を歩いて回るとだいたい1週間ほどかかります。また、島内の道路は舗装された道となっているため、車の場合は、2~4日で全部回れると思われます。
不思議です!!このブログを作成しているときは、痒くないんですよ

では、次回霊場の紹介を致します。
八十八ヶ所なんで、長くなりますがお付き合いよろしくお願いいたします。
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