つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

躰道と祝嶺正献最高師範について(3)

2019年07月15日 | 躰道

                     山下 巖先生

◎山下 巖先生(医療法人社団法山会 山下診療所理事長)は、山下一郎先生の長男であります。山下一郎先生は東京医科歯科大学在学中に祝嶺正献最高師範から玄制流空手道の指導を直接受けておりました。日本躰道協会設立後、祝嶺正献会長の下、副会長として躰道の発展に尽力してくださった方です。世界躰道連盟の理事長として活躍されていました。山下一郎先生が逝去後は、息子である山下 巖先生が躰道の発展に貢献してくれました。1996年、アメリカのアトランタで開催された世界躰道親善大会の時には、日本選手団とともに医師の立場で同行をされました。その山下 巖先生に「祝嶺正献先生の憶い」を綴って頂きました。3回シリーズで掲載します。
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山下 巌「祝嶺正献先生の憶い」(その3)

 躰道は「創造進化の武道」です。演武の種目や型・技やルールなどを進化させていかれる様は創成期ならではのダイナミズムを感じました。限角など、競技として発展途上であることを前提にした、オリジナリティのあるルールも生み出されました。世の武道が格闘技と混在化したり、競技として単純化・先鋭化していく方向と違う道を歩んできたように見えます。勝ちさえすればよいのではなく、技を競い、心を磨き、人間として成長し、もって世界平和に貢献するという、本来武道に備わるべき魂を大事に育ててこられたのではないかと思います。躰道ファミリーという発想がありますが、祝嶺先生の大きな愛情が、躰道の魂を育み、躰道に縁のある人を求心的に集めてきたように思います。 

 躰道は国際化が進んでいきました。世界に飛び出した躰道関係者の努力や、日本で躰道に触発された各国の指導者たちの熱意によるところが大きいものと思います。山下はその分野での貢献を期待され、世界躰道連盟の初代理事長に指名されました。国際躰道連盟でなく世界躰道連盟という名前になったのは、Internationalという語に内在する、国と国のはざまを繋いでいくという次元に留まるのではなく、世界国家をイメージした躰道一家であるというメッセージが込められています。各国の協会がそれぞれのエゴを持ちながら、妥協して運営していく20世紀型の国際組織ではなく、躰道のもとに世界が協和していく、あるべき21世紀の姿を目指している組織ということもできます。世界躰道連盟が創立された時代はソ連でペレストロイカが始まり、ベルリンの壁が壊される前夜でもありました。 

 冷戦はひと段落しましたが、世界国家への道程は全く道半ばです。世界がまとまることはたやすいことではありません。躰道の世界においても厳密に躰道の教義を守り抜くのか、それぞれの地域の精神にあった形で普及を図るのか、各々が真剣であるだけに白黒はなかなかつかず正解はありません。変わらないことと、変わることを上手く組み合わせていくことが必要なのだと思います。日本でも世界でも沢山の人が躰道の技を学びたいと考えています。祝嶺先生が躰道一筋でうたわれた、「真技の姿」とは何か、若い世代が伝統を引き継ぎつつ、自らの思索で創造進化を加えていくことこそが躰道そのものでもあると思います。(完 令和元年6月記)

(7月15日記)

 

 

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躰道と祝嶺正献最高師範について(2)

2019年07月14日 | 躰道

                    祝嶺正献最高師範

◎山下 巖先生(医療法人社団法山会 山下診療所理事長)は、山下一郎先生の長男であります。山下一郎先生は東京医科歯科大学在学中に祝嶺正献最高師範から玄制流空手道の指導を直接受けておりました。日本躰道協会設立後、祝嶺正献会長の下、副会長として躰道の発展に尽力してくださった方です。世界躰道連盟の理事長として活躍されていました。山下一郎先生が逝去後は、息子である山下 巖先生が躰道の発展に貢献してくれました。1996年、アメリカのアトランタで開催された世界躰道親善大会の時には、日本選手団とともに医師の立場で同行をされました。その山下 巖先生に「祝嶺正献先生の憶い」を綴って頂きました。3回シリーズで掲載します。
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山下 巌「祝嶺正献先生の憶い」(その2)

祝嶺先生は躰道の創造にあたり、単なる技術の集積ではなく、背景となる思想を求めておられました。先生はニーチェをはじめとした西洋哲学にも造詣が深く、様々な古典を紐解いては折に触れて語られていました。山下は禅と武士道をこよなく愛しており、「それ仏法遥かにあらず、心中にして則ち近し」ということで、祝嶺先生の中に流れる東洋・日本・沖縄の魂の中に宝があるということをよく語っておりました。こうした、ディスカッションは二人の間で折に触れて長時間にわたってされていたようです。

祝嶺先生が躰道を編み出した背景には人間魚雷による特攻隊の一撃必殺の探求があったと言われています。また二代目宗家を務められた奥様もひめゆり部隊として国のために一命を捧げる覚悟で奮闘されていたと伺ったことがあります。終戦を迎え、必殺の武力を平和に貢献する武道にしたいという思いはまさに日本の時代精神でもありました。そうした思いの中で先生は、大学や自衛隊・会社の部活動を通して若い世代の指導に精力的に取り組まれたのだろうと思います。

空手と袂を別って躰道が創設された1960年代は戦後の学生運動が盛んな時代です。若者は様々な世界思想の渦の中で必死に理想の未来を議論する時代だったと思われます。未来を担う若者に渾身の思索で体系化を進め、新しい武道を創造することで世界を導き照らすことを目指したことは想像に難くありません。躰道本体の発展にとどまらず、躰道に接した人がそれぞれの分野で活躍し、社会貢献することを望まれていたことでしょう。躰道の創造には形而上学的な思想や時代の背景が大いにかかわっていたと想像されます。(続く)

(7月14日記)

 

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躰道と祝嶺正献最高師範について(1)

2019年07月13日 | 躰道

                     山下 巖先生

◎山下 巖先生(医療法人社団法山会 山下診療所理事長)は、山下一郎先生の長男であります。山下一郎先生は東京医科歯科大学在学中に祝嶺正献最高師範から玄制流空手道の指導を直接受けておりました。日本躰道協会設立後、祝嶺正献会長の下、副会長として躰道の発展に尽力してくださった方です。世界躰道連盟の理事長として活躍されていました。山下一郎先生が逝去後は、息子である山下 巖先生が躰道の発展に貢献してくれました。1996年、アメリカのアトランタで開催された世界躰道親善大会の時には、日本選手団とともに医師の立場で同行をされました。その山下 巖先生に「祝嶺正献先生の憶い」を綴って頂きました。3回シリーズで掲載します。
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山下 巌「祝嶺正献先生の憶い」(その1)

 私が祝嶺先生と初めてお会いしたのは、千駄ヶ谷の東京体育館で全日本躰道選手権大会が開かれていた時に遡ります。中学で空手部に入り、父からチケットをもらい、友人を連れて観戦に伺いました。その折に、沢山の観衆の中で笑顔をたたえた祝嶺先生が現れ、大きな手と握手した感覚は、40年経った今でもはっきりと覚えています。祝嶺先生について語るにあたり、私の直接の体験のみならず、私の父である山下一郎から伝え聞いたことを、私なりの解釈を加えてお伝えしたいと思います。祝嶺先生がご逝去されて18年、山下一郎が急逝してから24年経ちました。「若いみんなの時代が来たら、伝えておくれ真技の姿」という祝嶺先生のメッセージをかみしめたいと思います。 

 山下一郎は祝嶺先生とは長く深い縁で結ばれていたようです。山下が東京医科歯科大学の学生だった1950年代に、空手部の師範と部員という関係から始まりました。その後山下は東京大学に籍を移し、舌がんをはじめとした口腔外科分野で外科手術を道として究めつつ、医学の中での口腔外科学のあり方を思索し、理念の体系化等に取り組んでいました。おりしも祝嶺先生は空手の達人・指導者という域にとどまらず、ご自身が抱かれた武道の極意を理念として体系化され、思想的にも昇華し、ひるがえって現世に躰道として世に問い始めたころでもあります。全く分野は異なりますが、医学の中で口腔外科という一分野が理念を創る道程は、躰道創造の理念と感応道交して創り上げられていったものということもできます。(続く)

(7月13日記)

 

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東京国際大学池袋キャンパス説明会

2019年07月12日 | 日記

                  東京国際大学池袋キャンパス

豊島区役所センタースクエアで開催された「旧造幣局跡地まちづくり説明会」に参加しました。
地域住民の人達で満席の盛況でした。
造幣局跡地は豊島区防災公園と東京国際大学池袋キャンパスの設置が予定されていて詳しく説明がありました。説明会には高野之夫豊島区長と東京国際大学の倉田信靖理事長も参加しておりました。
東京国際大学池袋キャンパスは2023年9月に都市型国際キャンパスとしてオープンするとの説明がありました。池袋キャンパスの学生数3,500人のうち2,000人は、100ヵ国を越える留学生で構成する予定で、東京の文化と知性の発信地としての役割を担っていきたい。そして、災害時においては、豊島区と協力して避難民の対応を考慮している。と説明がありました。

(7月12日記)

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赤田航基さんについて

2019年07月11日 | 友人

                      赤田航基さん

赤田航基さんは中央大学の弁論部「辞達学会」に所属する4年生です。卒業後の就職先も決定しております。森陽一郎先生の主宰する「不弁会」で弁論の研修を受けております。
話術に関することに興味があり、浅草の東洋館へ一緒に行きました。芸人たちの話し方はとても参考になったようです。特に漫談のナナオさんの話し方には興味を持ったようです。
終演後、昔の浅草六区の賑やかさのあった頃のエピソード、六区通りに掲げてある芸人たちの看板、大衆演芸の木馬館・木馬亭について現場を見ながら説明しました。
その後、人気のレストラン「ヨシカミ」に入りポークソティーセットを食事をしながら懇談のひとときを過ごしました。
赤田航基さんは弱冠22歳の若者でありますがとてもしっかりとした考えを持っており、頼もしく感じ、話を聞いていて清々しさが伝わってきました。


(7月11日記)


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合宿懇親会

2019年07月10日 | TAMC

 合宿懇親会

 TAMC合宿研修会の夕食は懇親会となっています。
 日頃例会などではなかなか懇親のひとときを過ごすことは少ないですが、合宿となると同じ宿舎に泊まり皆と同じスケジュールでの研修がたっぷりと組み込まれております。

 夕食懇談会では親しくコミュニケーションがとれる時です。仕事の話や趣味の話、またマジックについての披露などがありとても有意義な時間です。新会員の方たちとお話をすることで親しみが増します。

 高橋忠利さんは23歳の時にTAMCに入会してから57年が経過しているベテラン会員です。若い頃、「天覧マジック」に参加した体験があり、マジック好きな昭和天皇の前でマジックを披露した貴重なエピソードを話してくれました。とても参考になりました。合宿での有意義なひとときです。

(7月10日記)

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合宿研修会(2)

2019年07月09日 | TAMC

 森田 晃さんによるカードマジック

 TAMC合宿研修会は夕食懇談会の後は午後9時から11時まで個別に分かれてのものでした。森田 晃さんによる「カード当ての演出と工夫」の講座に参加しました。

 カードマジックを行う時に「フォース」「キーカード」「コントロール」「デックのセット」などを事前の行為としておさらいとして学びました。
その後、簡単な演出を活用して当てる方法、易しい手法を使った演出、道具を使った演出などを詳しく丁寧に教えてもらいました。

 森田 晃さんは演出に使用した道具などの一式をすべて準備してくれて参加者に配布してくれました。とても参考になる研修内容でした。

(7月9日記)

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合宿研修会(1)

2019年07月08日 | TAMC

 サムタイの研修

 TAMC(東京アマチュア・マジシャンズ・クラブ)の合宿研修は、平塚の横浜ゴム湘南セミナーハウスにて開催されました。

 第一日目の全体研修は、八田進二さんによる「サムタイ」について学びました。サムタイとは、両方の手の親指をヒモで、しっかりと縛ってもらい、しばられたまま両手を棒やリングに通す奇術です。

 はじめは二人一組となり、こより紐2本で両親指を縛っていきますが、なかなか上手くいきませんでしたが、何回かやっていくうちに上手く縛れるようになりました。後半は2人一組となりサムタイの演技を披露していきます。1時間半の研修でほとんどの人が出来るようになりました。

 引き続き、第二の研修は、守岡喜一さんによる「折り紙」について学びました。これはなかなかユニークなもので最初に折り目をつけておき、続いてその折り目を活用していくと見る間に立体的な折り紙が出来てきました。口が飛び出ているものなどもありとても面白かったです。

(7月8日記)

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マジック「峯村健二さんの演技」

2019年07月06日 | TAMC

 峯村健二さんのマジック演技

 マジシャンの峯村健二さんがTAMC(東京アマチュア・マジシャンズ・クラブ)の例会にゲスト出演をして素晴らしい演技を披露してくれました。今回はTAMCメンバーの土屋理義さんの紹介により実現をしました。

 峯村健二さんは2000年に、ポルトガルで開催されたFISM リスボンという世界大会において、アジア人初の優勝を成し遂げられました。FISMは3年に一度、「カードマジック」や「イリュージョン」など部門ごとに世界各国のマジシャンが競い合う大会で、峯村さんが受賞されたのは、ステージマジックの中でも、特に手先の技術を競う「マニピュレーション」という部門です。スプーンを使った今までにない独創的な演技でした。

 例会では、シルクマジックと新聞紙を使用した出現マジックを披露して詳しく解説をしてくれました。その演技はとてもスマートできれいなものでセンスの良さを感じました

(7月6日記)

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伊豆栄のうな重

2019年07月05日 | 日記

                                                                     伊豆栄のうな重

伊豆栄の永田町店の「うな重」を美味しく食べました。

かつて東京が江戸と呼ばれた時代、「江戸前」と言えば鰻の代名詞でした。八代将軍・吉宗公の時代、上野池之端で伊豆栄は産声を挙げました。

良質な鰻が獲れた上野界隈には小屋掛け程度の簡易な造りの蒲焼屋が建ち並び、伊豆栄もそんなささやかな蒲焼屋の一つだったと言い伝えられています。それから300年・・・、

今も変わらず営業できていることへの感謝を胸に、江戸前の鰻という世界に誇れる食文化を後世に伝え、一人でも多くのお客様にその美味しさを伝え続けることを使命に、これからも精進してまいります。(伊豆栄のHPより)

(7月5日記)

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大相撲名古屋場所番付表

2019年07月04日 | スポーツ

                    大相撲名古屋場所番付表

横綱白鵬関から大相撲名古屋場所番付表が送られてきました。
名古屋場所は、7月7日から愛知県立体育館(ドルフィンズアリーナ)において15日間開催されます。
5月の夏場所では幕内の朝乃山が優勝して、名古屋場所では東の幕内筆頭に番付が上がり横綱大関陣と戦う位置まで来ました。注目していきたいと思います。
大関の貴景勝は先場所怪我となり負け越したためカド番相撲となり奮起が期待されます。
関脇の御嶽海、玉鷲、小結の阿炎、竜電の奮闘に期待して上位陣に対して旋風を巻き起こしてもらいたいです。
またまたテレビ観戦が楽しみとなります。

(7月4日記)

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検定ポイント(6月)

2019年07月01日 | 日記

                  6月の検定ポイント

毎朝のテレビは情報番組としてテレビ朝日の「グッド!モーニング」を観ています。
その中で「ことば検定」(林修)、「お天気検定」(依田実)、「ニュース検定」(池上彰)のコーナーがあります。3択問題で正解すると3ポイント、不正解ですと1ポイントが加算されていきます。30ポイント、60ポイント、120ポイントが貯まると景品が当たる応募ができます。毎月ポイントをためていくことを楽しみにしております。6月の応募キーワードは30p「梅雨」、60p「あじさい」、120p「レインコート」でした。6月の合計ポイントは150pでしたのですべてに応募しました。しかし今まで一回も当選をしたことがありません。景品の数もとても少ないです。応募の時のコメントに「景品の数を多くしてほしい」と要望を書き加えております。
また7月となり、リセットされて新たな検定問題が始まります。

(7月1日記)

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