つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

(思い出)東日本大震災の日

2023年03月11日 | 日記
 東日本大震災の日、家の中は足の踏み場もないほど散らかっていた。
 
 憲政記念館の講演会に参加していた時に大地震に遭遇しました。地震が発生した後も余震が続いていました。東京メトロの永田町駅まで行ったが、既に全線運行を中止との案内。

 同行者たちもどのように家に帰るかを検討していました。自分は池袋なので、徒歩でも帰れる距離です。路上には多くの人たちが携帯でメールをしています。国会議事堂のそばなので、通常も警察官は多く警備しているが、更に多く配備されていた。

 その場にいた警察官から詳しい情報を聞いた。宮城県で震度7の大地震であったとのこと。東京の電車などは一斉に運行を止めていた。タクシーも空車が少なくほとんどが客を乗せて走っている。

 麹町で同行者と別れて、池袋の家まで歩き出した。午前中青空の良い天気であったのが、冷たい風が吹き出し、雨も降り出してきた。日本テレビ通りを通って、市ヶ谷駅に歩いて進む。バスは運行していたが満員の乗客。停留所は長蛇の列。

 コンビニはどこも満員であった。飲食店も多くの人が入っていて、ケータイでメールを送受信している人が多い。市ヶ谷駅改札口には、総武線が開通するのを待っている人たちが集まって駅の情報に見入っていました。

 市ヶ谷から自衛隊の裏を通り大日本印刷の横から牛込方面に進む。雨もやんでいたが冷たい風により体が寒くなってきた。途中うどんやが開いていたので、温かいうどんを食べることにして店に入った。客は他に居なかったのでうどんを食べながら店主と地震に関する話をしていました。永田町から池袋まで歩いていくことを話すと、親切に道順を教えてくれた。店主は、ガスの火を点けていたので地震の発生と共にスグに元栓を切ったとのこと。今回の地震にはびっくりした。と話していました。

 江戸川橋の上から神田川を覗くと水がいつもとは反対側に逆流している。音羽通りの歩道は多くの人ですれ違うことも困難な様子であった。大塚警察署の前では交通整理の警官が出ていた。護国寺から池袋方面に行くと道路を往来する車が渋滞をし始めていた。

 東池袋の西友は余震が続くため店を閉めていた。サンシャシンアルパの商店街もシャッターが閉まっていた。花屋のシャッターが半分開いていたので、「お花を買えますか?」と問うと店長は「レジを閉めたがレシートがいらなければいいですよ」と快く応じてくれた。カーネーションを注文すると倍の本数を包んでくれた。あまりにも嬉しかったものだから「花が買えて良かった。今日は結婚記念日であるので奥さんに贈る花を探していたところだった」と話すと店主は微笑んでいました。

 家に着いてドアを開けると玄関の傘立が横に倒れていた。更に部屋に入ると、足の踏み場も無いくらいに家具やテレビが転がり、食器類が放り出されていた。かなり割れているものもあった。窓は半分スライドして開いていた。

 清掃する前に、家の状態をデジカメで撮影した。家の中で変化の無かったのはトイレだけであった。個室は狭いので頑丈なことが証明された。それから家の中の整理整頓、清掃をした。多くの廃棄物が出て整理をすると家の中が少しすっきりした。家の中を清掃するのに3時間くらいかかった。終わったところにタイミングよく奥さんが仕事から帰ってきました。やはり歩いて帰ってきたという。
 テーブルの上の花瓶の花を見てにっこり笑顔になりました。

 東日本大震災で亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。合掌



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