アルヴァル ヒューゴソンさんと懇談(オークレール)
弘前に行った時に躰道の指導者でありますアルヴァル ヒューゴソンさんとお会いしました。
ヒューゴソンさんは弘前大学で英語の講師をされています。躰道では日本躰道協会の役員として活躍しています。地元の弘前市では躰道の指導をして多くの会員たちを育成している素晴らしい指導者です。
弘前アートホテルのティーラウンジ「オークレール」にて、懇談のひとときを過ごしました。やはり話題は躰道についてのこととなります。躰道創始者・祝嶺正献最高師範の想い出、日本躰道協会の運営、各種大会の運営などについて話題となりました。
大会運営については、競技運営は若い人たちが率先して尽力しています。大会運営となると観客動員やOB師範への呼びかけ、大会終了後の報告と挨拶などを考慮してみると、祝嶺正献最高師範が生前話していたこと「躰道の競技大会を開催するのであれば多くの人に会場へ来てもらう方策を考えること。それが躰道を多く広報に繋がることで会員増強の目標となる」との理念に近づけることを再考する必要があるようです。
全日本躰道選手権大会で昭和51年に千駄ヶ谷駅前の東京体育館で開催された時には、観客が3階席まで埋まり体育館事務局の人は「本日は7400名の入場者で、日本躰道協会は良く多くの人を集めましたね」と話していたことが思い出されました。
その時、本部席とその後方の来賓席には150名の各躰道協会会長役員や師範たちで埋め尽くされていました。選手の入場行進は山田よしはる先生作曲による「躰道行進曲」がオーケストラの生演奏で会場内に響き渡りました。競技場は高台を設置して選手が見やすいように設営をされていました。
そのようなことをヒューゴソンさんと話して、今後もこのような大会運営が出来ることを祈念している。となりました。(2018.7.2)
(追伸)
アルヴァル ヒューゴソンさんは、テレビ東京系列の1時間番組に出演をしました。
「ワタシが日本に住む理由」というテーマで、経歴、躰道との出会い、祝嶺正献最高師範の理念、関場家のホームステイ、家族、料理つくり、行きつけのお店など詳しく紹介されていました。最後に日本人に要望することとして「もっと躰道を知ってほしい」とコメントをしていました。
小関迪筑波記念病院院長(医療法人社団 筑波記念会会長)
(訃報)
尊敬する小関迪先生の訃報が届きました。
令和4年12月29日に永眠されました。
「お別れの会」が3月18日(土)12時半 ホテルグランド東雲(つくば市小野崎488-1)で執り行われます。
以前、小関迪先生について綴ったものがありますので、掲載いたします。
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筑波記念病院院長である小関迪先生は躰道の大先輩であり学生時代から指導をして頂いた先生です。
日本躰道協会会長の要職も経験している人です。
筑波記念病院はつくば市で最初の救急急性期病院として1982年発足し、地域の中核病院として医療を提供することを目標に携わっています。
予防医療にも非常に力を入れ、急性期、慢性期、在宅医療までの完結型医療を行い、骨髄移植、脳外科手術、心臓手術などの高機能医療を提供しています。
2001年病院機能評価認定、2002年臨床研修病院指定を受けています。現在は600床のベッドで対応できる設備があります。
小関迪先生が一代で築いた筑波記念病院であります。
福長寛之さんは躰道7段教士の資格を持っている方です。横浜で指導をしております。日本躰道協会では、インターネットのスキルを活用してホームページの作成や全国大会の模様を映像配信の担当をしている役員です。躰道の情報として、近藤光男範士が脳梗塞を起こして大会の会場に来場することも困難な状態となっているとのこと。話をすることも思うようにならない。と心配をしておりました。
福長寛之さんは10月23日に朝日ホールで開催されたTAMC発表会を観覧した時の感想として、注目したプログラムが「TAMCクロースアップ劇場」です。柏木直也さんと佐々木節夫さんの「カードマジック」の素晴らしさと氣賀康夫さんが演じた「お椀と玉」の演技にはとても感動をしたと述べておりました。
マジック歴も長く、衣装早変わりの話をはじめ、リングやミラージュディックを活用したカード当て、輪ゴムの演技などを披露してくれました。
また、マジック界の重鎮の方と知り合う機会が沢山あったようです。初代引田天功、トランプマン、ダーク大和、渚晴彦、松旭斎すみえ各氏に出会えたことはとても良かった。と語っておりました。
その後、西武百貨店の田中屋そば店に入り、会食をしながら情報交換のひとときを過ごしました。今は本業の仕事と躰道の指導で時間を費やされている状況で、TAMCへの入会は無理であるとのことでした。
躰道の創始者であります祝嶺正献最高師範の21回目の命日(11月26日)に伊東市にあるお墓にお参りに行きました。
伊東駅には、祝嶺正献最高師範の長女であります齋藤育代さんが出迎えてくれました。車で花屋へ行き供花を揃えて、伊東市の高台にあるお墓に行きます。そこからは伊東市街が一望に見える景色の良い場所です。
お墓を清掃して、供花を手向け線香をあげてから、躰道の現況についてと自分の近況の報告をしながらゆっくりとお参りをしました。お墓の横の壁には、躰道五条訓と死生観の内容について明示されています。お参りしていると祝嶺正献最高師範との想い出がいろいろと蘇ってきます。
祝嶺正献最高師範が躰道界で初めて「躰道八段範士」を私に授与されたのが平成11年(1999年)1月に開催された全国師範競技大会の時でした。大学時代から直接指導を受けていた恩師であり、その後、日本躰道協会の指導者となった私にはいろいろと温かく導いて頂いたことが沢山ありました。
躰道も歴史を重ねていくと、創始者・祝嶺正献最高師範から直接指導を受けていない会員が多くなっています。そのような方たちへ躰道の理念や意義のこと、創始者・祝嶺正献最高師範について伝授していくことはとても重要であり必要なことと考えています。
今年も命日にお墓参りが出来てとても気持ちがすっきりしました。私の中では、いまだに祝嶺正献最高師範は生き続けております。
「尾崎豊と躰道のエピソード」(尾崎健一氏・記)
豊が歌手デビュー後結婚して、男の子供ができたとき、子供にも是非躰道を教えようと思ったようです。忙しいツアーの間をぬって、新目白通りの円形のガスタンクの隣にある練馬体育館に時々顔を出してどなたかにご指導を受けたこともあるらしい。
『久しぶりに(躰道を)やったので、今日は体の節々が痛くてしょうがないヨ』などとツアーの合間に、事務所を守っていた私と母の傍らにきて、満更でもない顔をして話していった記憶が残っています。また、どうせ一人の子供に教える位なら道場を持とうという考えに到達した豊は、少しばかり資金もできたせいで、早々とその実現を思い描くようになったようです。ツアーの合間に、事務所へ戻る度に、私にむかって『よい道場みつけといてくれた?』と、本気に聞く有様です。
こちらは当面の彼のツアー完走のみが素人経営者の私にとっては目前の大問題で、それどころではない切迫した気分でしたが、豊の気持も察して『あちこち当っている最中』と答えておりました。豊がもう少し存命したならば、必ずどこかに道場をもったことは間違いなかったと思います。
豊の思い描く道場は、大きな二階建で下が「躰道の道場」、上は「学習塾」でこちらの方は兄の康に任せる、とかなり具体性を帯びていました。当時兄の方はかなり大きな学習塾の理事候補で、塾講師を兼務しておりました。
彼の夢の原型になったモデル校が今も朝霞にあります。下が剣道道場で上は学習塾となっております。ちなみに、彼の死後、豊のこうした意志をきかれた躰道創始者・祝嶺正献最高師範から『躰道五段・教士』の免状と『黒帯』を贈って頂きました。今は大切に私が保管し、やがて豊の遺児裕哉(ひろや)が青年になった時、こうした父・豊の志を告げてこれを渡そうと思っております。
更にデビュー後の豊に躰道が益したのは、躰道の技――身のこなし――の美しさです。ロックアーチストというのは、すべてが自作自演の世界のようです。作詞、作曲、歌唱までの自作自演は誰も知るところですが、舞台でのフリまですべて自前です。『廻し蹴り』は豊の得意技で、時々舞台ではマイクを相手に披露していました。マイクすれすれのケリは中々難しかろうと、私は若干ハラハラし乍ら観ていたものです。
その頃、他のアーチストの中でも次第にそのフリをまねる者が出てきて『あいつ、俺のマネをしている』などとテレビを見ながらつぶやいているのを覚えています。ただ私が見ると、空手の心得のない人の廻しゲリは、実にサマになっていないものが多かったのですが、最近は皆がうまくなったような気がします。当時豊が、深夜、創作の合い間に、自分の部屋に立てかけた大鏡にむかって、ギターを抱えたり、持たなかったりし乍ら、懸命にフリの研究をしていた姿を思い出します。
中野哲爾師範は武道番組「黒帯ワールド」に出演をして躰道の演技を解説するなど躰道の広報に尽力されています。躰道の普及発展に貢献をしている中野哲爾師範の期待は大きいです。(2018.3.9)
今回のセミナーに参加した人達は、体の柔軟性の大切さと護身術の醍醐味を味わって、とても参考になったと感想を述べていました。
森田旭師範は、昭和41年当時、躰道の指導部長を担当していました。毎月第一、第三日曜日は、練馬で指導者研修会を開催していました。新設大学の国際商科大学(現東京国際大学)躰道部には、先輩もいなくて、指導者もいませんでした。そこで上級生たちは、この研修会に出席して新しい実技を習得していきました。大学の部活では、習ってきた躰道の実技を後輩たちに指導していました。毎回、この指導者研修会に参加することがとても楽しかったものです。
2021年の4月から戸田市スポーツセンターの武道場を拠点として子供たちに躰道を指導しております。「陽進会」として活動をしております。その稽古場へ見学に行ってきました。子供会員は6歳から小学6年生まで元気よく練習をしておりました。感心したことには、会員たちが道場に入るときや指導者に対する礼儀作法がきっちりしていることです。指導者の眼を見ながら大きな声で挨拶をしている姿を見てとても微笑ましく感じました。
稽古は、準備運動、指導者への挨拶から始まり、基礎体力運動から躰道の実技へと進んでおります。坂本巧先生のユニークな稽古風景を見ました。それは躰道には相手の攻撃を躱す訓練があるので、帯にタオルを巻き付けものを上下左右に回していくことに対して子供たちは身を躱しながら、指導者の腰につけてあるタグを取りに行く訓練です(タオルハンマー)。躰道の極技を想定したもので子供たちは一生懸命に気合を入れてタグを取りにいくことを楽しんでいるようでした。
坂本巧先生は、子供たちが短時間に稽古に集中できるように適宜休憩を入れ水分補給の時間を採り入れております。日頃から学校の児童と接しているので子供たちの心理もよく把握しています。将来の目標を聴いてみると「全国大会で優勝する選手を育てたい」とのことでした。この日の指導には、奥さんである郁恵さん、城西大学躰道部OBの渡辺さんもサポートをしておりました。自分の修練をしてきた躰道を若者たちに指導する稽古場を見学出来て良かったです。益々のご活躍を祈念申し上げます。(2021.8.23)
(2016年12月20日記)
躰道の創始者であります祝嶺正献最高師範が「躰道」を21世紀への武道として社会へ公表をして旗揚げをしましたのが昭和40年(1965年)1月23日です。もう58年が経過しております。
当初は祝嶺正献最高師範が印可した師範資格者で組織する師範協議会がありました。組織の普及、指導者の育成、全日本大会開催等は師範協議会の協力のもとに運営されておりました。
全日本大会の前日には全国から集まった師範の人たちの師範総会が開催されており、躰道の理念の徹底と師範達の親睦が図られて盛り上がっていました。
祝嶺正献最高師範は大会開催の意義として「一般の人たちに会場に来てもらい、躰道の競技を観覧してもらうことが一番躰道の広報になり最も大切なことです」と常日頃話していました。師範の資格のある人達は観客動員に奔走しておりました。
大会のプログラムは早くから準備をして広報活動の一環として躰道の説明が網羅された資料を持って関係者に配布して観覧を呼び掛けておりました。
現在、若い指導者の中にも積極的に躰道を広報している方もおります。素晴らしいことです。
躰道をもっと社会に認知されるには、観客の集まる大会運営の方策も考慮していく必要があります。そうでないと競技進行だけの大会となってしまいます。
躰道五条訓による理念の基に、出場する選手たちのためにも観覧する人たちのためにも躰道の資料は必要でしょう。
HAPPY NEW YEARと記された手紙には、「池内先生 明けましておめでとうございます。お元気でいらっしゃいますか? コロナ禍が収まって、またお会い出来る日が来ることを楽しみにしております。またいつか躰道について語り合いたいですね。その日を楽しみにしております。少しですが私たちのお気に入りのチョコレートを同封します。 Lars & 菊子」
なんと有難いことかとても嬉しくなりました。躰道を修練した時にはよく懇談をして交流を深めていました。以前、池袋でお二人に遭遇した時の模様を記したブログ「つれづれなるままに」を添付してお礼のメールを送付しました。年月も経過して遠くの国へ行かれたラースラルムさんの便りには本当に感謝しました。