こんにちは。今年度も終わろうとしています。お仕事など忙しいと思いますが、頑張ってください。
「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。」Ⅱコリント1:4
ストレス社会の中で、私たちは慰めを必要としている。友人、恋人、両親などに悩みを打ち明けたり、気分を晴らすために、話を聞いてくれる夜の店に行く。しかし、人に近づけば近づくほど、心の距離を感じ、もっと寂しさを感じてしまうことがある。私を本当に知ってくださるのは神以外にいない。神のもとに慰めがある。そして、神は私たちを、人を慰めることができる者へと変えてくださる。神に近づいてゆこう。
真嗣
おはようございます。今週で三月が終わります。この冬の季節も守られたことを神様に感謝します。
「というのは、働きのための広い門が私のために開かれており、反対者も大ぜいいるからです。」Ⅰコリント16:9
人は時を見定めなければならない。「今が、この土地、この株の買い時だ。」「今はじっと我慢の時だ。」しかし、パウロは、反対者が大ぜいいる「悪い時」を「良い時」として定めている。キリスト教の拡大は迫害の歴史とともにあり、その教理が確立したのは、異端や間違った教えが多かったからである。人の近視眼的な視点ではなく、神の視点で時を見定めてゆこう。
真嗣
おはようございます。今日も一日、神様にある喜びがお一人お一人の心の中にありますように。
「イスラエルは、おのれの造り主にあって喜べ。シオンの子らは、おのれの王にあって楽しめ。」 詩篇149:2
「この人と一緒にいると楽しくて仕方がない!」と感じる友だちがいるでしょうか?詩篇の作者は「おのれの造り主」「おのれの王」がそういう存在でいてくださることを知っています。御言葉は私たちにも、神様と共にいて、「喜べ」「楽しめ」と命じています。信仰をもって主に近づく時、主はきっと私たちの心に主ご自身からくる「喜び」「楽しみ」を与えてくださいます。
友子
みなさん、こんにちは。今日、朝起きたら、銀世界でしたね。今週は、雪の日が多いそうです。事故や怪我など気を付けてください。
「兄弟たち。物の考え方において子どもであってはなりません。悪事においては幼子でありなさい。しかし考え方においてはおとなになりなさい。」Ⅰコリント14:20
幼い子供は、心に責められる事があると、親の目を見ることができず、伏し目がちになってしまう。しかし、だんだん大人になるにつれて、罪に対して鈍感になってゆく。いつでも罪に対しては敏感になり、砕かれた心で悔改める姿勢を保ち続けよう。しかし、考え方においては、わがままな姿勢ではなく、人に対する要求ばかりを突きつけるのではなく、教会全体の徳につながるよう、奉仕をしてゆこう。
真嗣