いかりや爆氏の毒独日記

最近の世相、政治経済について「あれっ?と思うこと」を庶民の目線から述べていきたい。

終戦(敗戦)の日に思う、朝鮮半島から不愉快なニュース 

2012-08-15 14:37:25 | 日記

 本日8月15日は敗戦記念日、
 朝鮮半島から不愉快なニュース、本日の東京新聞朝刊によれば、

 韓国の李明博大統領が昨日(8/14)、「(天皇陛下は)韓国訪問を望んでいるが(私は)独立運動で亡くなった人たちに心から謝罪するならば、訪問を(受け入れる)と伝えた」と述べ、過去の植民地支配への謝罪を陛下に求めていたことを明らかにした。・・・
 さらに大統領は「痛惜の念という言葉だけをもって来る必要はない」とも語った・・・

 これほど歯に絹を着せず、ストレートに述べる大統領は初めてである。それほど李明博大統領が置かれている状況が追い詰められているということではないかと推測する。過剰に反応することは好ましくないが、殆どの日本人が「不快感」を覚えたことだろう。

 30年余り前、韓国の複数の企業とビジネス取引をしていた筆者の経験からしても、このように大胆に戦前の日本の悪口を聞かされたことは一度もなかった。年代もイ・ミョンパク氏よりひとまわり以上、上の世代だったので、それなりに気を使っていたのかもしれないが・・・。

 イ・ミョンパク氏は、典型的な恨みの反日教育をうけた世代だろう。日韓併合(1910年)は、当時の西欧列強の食い散らかしの植民地政策と異なる。例えば京城帝国大学は、1924年(大正13年)に日本としては6番目の帝国大学として、日本統治下の朝鮮の京畿道京城府(現:ソウル特別市)に設立された、現ソウル大学である。同様に、日本統治時代の台湾では、1928年(昭和3年)に設立された台北帝国大学は現国立台湾大学となった。いずれも、戦後復興の学問の府として貢献している。

 無論、きれいごとばかりを言うつもりはないが、西欧列強の植民地で、大学を設立して現地教育に力を注いだ国があっただろうか?

 戦後のアメリカの日本統治方針は、そのまま現在も脈々と引き継がれている。

 孫崎氏の「戦後史の正体」、同書p42「大量の戦犯と追放者が出ました」の項に、次のような記載があります。

 ・・・逮捕命令は1945年9月から46年4月まで実施されました。重光は戦犯について次のように書いています。

 「米国の狙いは、日本を再び大国としておくことができないようにするために国家の根本を改造し、民族を再教育しようとするところにある。政治、経済、思想的責任も問題にしている」・・・・

 当時の雰囲気を、内務省で公職追放令を造る作業に当たっていた後藤田正晴(のちに警察庁長官、官房長官などを歴任)は、次のように書いています。

 「みんな自分だけは解除してくれと頼みにくる。見るも無残だな。 えらい人が陳情にくるんだ。 いかにも戦争に協力しとらんようにいってくる。 なんと情けない野朗だなと[思ったものだ]」 

 そして孫崎氏は、

 戦後の日本外交における「自主路線」のシンボルが重光葵です

 「対米追随」路線のシンボルが吉田茂です。と断じています。

 余談ですが、吉田茂は1906年(明治39年)の外交官試験に合格、広田弘毅と同期に外務省に入省している。広田弘毅は国際協調に尽力し、軍部の独走を必死に食い止めようとしたが、果たせなかった。彼はA級戦犯に問われ、一切弁解をせず、唯一人、文官として絞首刑の判決をうけ、1948年(昭和23年)12月23日(今上陛下誕生日)に処刑された。

 10年以上前になるが、城山三郎の広田弘毅を主人公としたドキュメントタッチの小説『落日燃ゆ』を読んだ。広田の妻・静子は夫の死を予見してか(判決前だったが)、巣鴨プリズンに夫を見舞った後、鵠沼の自宅に帰り、自らの命を断った。遺書はなかったが、黄泉の世界で夫を迎えようとしたのではないかと思うと涙を禁じ得なかった.。

蛇足:
 終戦の年1945年(昭和20)、筆者は小学校(当時は国民学校)四年生だった。「米軍の卑劣な夜間空襲」で、逃げるとき左足に火傷を負った。街は焼け野原になった。知り合いのHKさん宅は空襲で家は消失し、暫く狭い我が家に身を寄せていた。筆者より二つ年上のT兄は彼の姉とともに、背中に大火傷を負った。病院に見舞いに行ったとき、背中にウジがわいているのをみて、子供心にショックをうけた。

 「米軍の卑劣な夜間空襲」という意味は、

 通常、最初に空襲警報のサイレンが鳴って、急いで衣服を着て(共同の)防空壕へ逃げ込む。ところが、この時は空襲警報「解除」のサイレンがなり、自宅に戻り寝床に着いたとたんに、天を劈(つんざ)く雷鳴のような轟音とともに火の手があがりはじめた。慌てて衣服をまとい防空壕の方へ向かおうとしたが、火の手があがって行く手をはばまれ、別方向へ逃げた。

 子供心に、「何故あのとき、空襲警報解除のサイレンが鳴ったのにいきなり、空襲が始まったのか」がひっかかった。 いったん安心させたところで急旋回して、爆弾(焼夷弾)投下を始めることが「米軍の空襲」のやりかたであることがわかったのは大人になってからであった。この卑劣な空襲のやりかたさえなければ、HKさんのT兄のような大火傷を負って苦しむこともなかっただろうにと思った。アメリカのアフガン攻撃やイラク戦争のやり方をみると今も昔も変わりない、大量の無垢の人を殺害している。トモダチ作戦?人権大国なんてウソッパチである。

参考:

長崎の鐘は今日も鳴っている:オバマの核兵器廃絶宣言、その真意は・・・
2009-08-09
http://blog.goo.ne.jp/ikariyax/d/20090809

原爆投下から65年、あらためて原爆投下の正当性を問う
2010-08-09
http://blog.goo.ne.jp/ikariyax/d/20100809



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31 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
湯田アメに見捨てられ? (素麺)
2012-08-15 16:01:30
兄が贈収賄で捕まり、選挙も統一~会=湯田金が応援も危うく金欠になれば誰しも狂う。
日朝(北)会談も疎外された。

アメ湯田が見放しとか
<陽光堂主人の読書日記>に書いてありました。ナルほど!

一方、湯田戦争屋は火種探しに狂奔しています。

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韓国の大統領の運命 (通りがけ)
2012-08-15 23:23:55
韓国大統領は歴代落選後は死刑か極刑に処せられるという伝統がある。現大統領もFTA導入を決めたから次回落選、死刑判決は免れ得ないので、竹島慰安婦パフォーマンスを自国民に印象づけることで落選後の死刑を情状酌量してもらおうと思って必死なんだろうね。
でもあの国のお国柄からして何やっても極刑に処せられるだろうから、無駄なあがきだと思うけどなー(笑)
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韓国大統領は亡命してくる? (通りがけ)
2012-08-15 23:32:43
秀ちゃん日記のこのコメントを見てると、韓国大統領もひょっとして天草出身だったりしたら野豚と同郷になるかもね(笑)

>ここ数日のアキヒロの飛ばしようを見てると 韓国国内での立場がカナリ危ないんじゃないでしょーか。。。

数ヶ月、もしかすると数週間のうちに
「ウリの生まれ故郷は日本ニダ」
とか言って日本に逃げて来るんじゃないか?
という気さえする。

投稿: 無名小町 | 2012年8月15日 (水) 18時54分
http://hidenori1212.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-02c8.html#comment-72558348
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Unknown (トッペイ)
2012-08-16 01:46:27
やはり韓国人は度し難い。この連中は小中華主義と事大主義に毒されて、日本人を下に見ているのだ。
ミョンバクの背後に、軍産複合体がいるのだろうが、この機会を千載一隅ととらえ、竹島を完全に支配化に置くだろう。
中国やアメリカには何もいわず、お人よしの日本人を小ばかにするのが許せない。
まして今上陛下に対する侮辱、我慢にも限度がある。
日韓スワップ協定は破棄すべし!
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フォークランド紛争 (木綿)
2012-08-16 02:35:34
イギリスは今でも世界の各地に植民地を残している。フォークランドもその一つ。遥か遠くの孤島に今更たいした戦略的価値があるとは思えない。アルゼンチンもそう思ったことだろう。軍事占領するという冒険に打って出た。結果はご存知のフォークランド紛争だ。

 アルゼンチン・イギリスどっちが正しいとか悪いとかそういうもんじゃない。どんな些少な島でも、自国領は全力で守る。領土争いとはそういうもんだ。韓国大統領はそこんとこがわかっていない。
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トッペイさんへ (明け烏)
2012-08-16 05:08:51
事大主義または事大党の「事大」は、大(だい)ニ事(つか)フ、すなわち清国の属領として生きてゆく、という意味ではないでしょうか。だからこそ対立する党として金玉均・朴泳孝の「独立党」(開化主義をとってゆく)があったのだと記憶します。

区々たる用語のことは、さておき、本日、橋下の維新の会が安倍晋三に合流要請とのニュースがありました。昨日申しました通り、次の政権は安倍晋三政権であることが確実になったようです。小沢一郎が首相になることは容易く排外主義に扇動された国民感情が許さないでしょう。予想が当たりそうで非常に残念です。― 合掌。
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吉田松陰高杉晋作は峠三吉長周新聞である (通りがけ)
2012-08-16 06:28:52
対米従属の鎖断ち戦争阻止へ
戦後67年目の8・15迎えて
               原爆・空襲から続く絶滅作戦    2012年8月10日付 長周新聞

 戦後67年目の8・15敗戦記念日を迎える。第2次世界大戦で日本はかつて経験したことのない深い痛手を受けた。320万人もの国民が殺された。戦地に送られた兵士は食糧も弾薬もなく放置され餓死や病気で死んでいった。都市という都市は焦土と化し、肉親や友人を奪われ家財を焼かれ、焼け野原に放り出された。戦後人人は、二度と戦争を許さぬ思いを胸に、平和で豊かな国土の建設を目指して献身してきた。だが、現在の日本の状況は、見るも無惨な植民地属国の荒廃をさらし、人人はかつて戦争へと進んだ時期と同じような社会的様相を肌身で感じている。戦没者の死をむだにしてはならず、再び戦争を起こしてはならないという人人の熱い思いは、世代を超えて全国で充満している。今年の8・15をどのように記念すべきか、記者座談会を持って論議した。
 司会 8・15を迎えるが、現在戦争の危機が迫っているなかで、あの戦争で人人はどんな目にあったか、新鮮な怒りを呼び起こすことが第一の問題として重要だ。人人の実感のところから出してみたい。
 A 満州事変(1931年)からの戦争をみても、日本人の男子の4分の1、のべ1000万人が兵隊にとられた。そのうち約200万人が戦死している。さらに、原爆、空襲、沖縄戦や旧満州などで、なんの罪もない老幼男女100万人が無残に殺された。こうして、1500万人もが家財を焼かれ失った。国民はほぼ5世帯に1人の割合で親・兄弟、肉親を奪われ、さらに親せきや知人、友人で戦争の犠牲者を持たないものはいないという深刻な体験だった。
 B 原爆展をやってわかることは、全国空襲や原爆の実態などについてもあまり知られていない実際がある。自分の郷土でも空襲を受けていたことを知ってびっくりする若い人が多い。戦地では食べ物もなく餓死、病死で殺され、空襲で焼け出されて孤児になり必死で生きてきたこと、女手一つで苦労して子どもたちを育てた話など、みずからの祖父母の姿を重ねて真剣に受け止めていた。
 C 南方で父親を失った遺族が、日本の支配層が負けるとわかっていて、沈められる場所に兵隊を満載して輸送船を送り出したというパネルを見て「見方が変わった。父親の思いを受け継いでやっていかないといけない」と怒りを深め、行動に参加する状況もあった。戦争体験者は、戦後も広島でアメリカが原爆について一切語らせず、日本人絶滅作戦を一貫して続けて原発押しつけまできた実感を伴って「核兵器で始まって最後に核や原発で滅ぼされることが今になってわかってきた」と語っていた。現代とつなぎ、アメリカの戦争目的はなにか、あの戦争はなんだったかが問題になっている。
 D 戦前の「みんなが貧乏になって戦争になっていった」というパネルから、各地の空襲や原爆投下後をへて、現代の「みんなが貧乏になってまた戦争になる」というパネルを見て「日本はアメリカの植民地だ」と深い思いを語る人が多い。また、関門海峡に何千発も機雷が落とされアメリカの攻撃拠点になったことを知り、下関人工島や岩国基地などと直結する道路整備とも合わせて「また戦争になっていく」と危機感が語られている。
 A みんなの実感で出るのは「また戦争になる」ということだ。「今度はアメリカの戦争の矢面に立たされる」と語られている。8・15をめぐっては、「やっと戦争が終わった日」で「平和で豊かで民主主義の出発点」といってきたが、この日は日本がアメリカの隷属の鎖に縛り付けられガタガタにつぶされていく始まりだった。そういう8・15ではないか。さんざんに戦争で殺され原爆を落とされ、アメリカに占領された。そして日本の支配階級は積極的にアメリカの日本侵略支配の協力者になって日本を売り飛ばすことで支配の地位を確保する道を歩んだ。この行き着く先が現在の日本の姿だ。

続きを読む>>http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/taibeijuuzokunokusaritatisensousosihe.html
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「昔天皇、いまアメリカ」抜粋引用 (通りがけ)
2012-08-16 06:35:01
またも戦争になると体験者 昔天皇、今アメリカ

 A 戦後の欺瞞は崩壊している。「終戦で平和になった」「アメリカに助けられて豊かになった」「戦後は民主主義になった」といったがインチキだったことが露わになっている。民主主義などないし、「豊か」というが行き着いた先は貧困大国だ。おまけにもう一度、アメリカの仕掛ける対中国戦争の戦場にされようとしている。
 E 戦争体験者は戦争をくぐった実感を込めて「今は戦争に進んでいる」「子どもたちに絶対あんな思いをさせてはいけない」と話す。あのとき戦争に向かった流れが、戦後一循環して今進んでいるという空気を肌で感じている。
 A 戦争体験者は今の生活からうける全実感が、かつての戦争のときと一致している。「あのときもそうだった」と。貧乏になって戦争になる、メディアはウソばかり報道して煽る、学者は御用学者ばかり。政党政治は崩壊し議会制民主主義は通用しない。いくら選挙をやっても公約を守らないから「選挙で国や政治は動かない」とみなが痛感している。
 この翼賛政治・専制政治をどこが動かしているのか。政治家ではなく権力機構全体がアメリカに直結して動いているという実感になっている。軍隊をみると自衛隊は完全にアメリカの下請けだし、警察、検察、司法機関もそうだ。官僚機構も戦前の体制がそのまま生きている。
 C マスコミもそのままだ。ドイツのマスコミはみな解散させられたが、日本は戦争で大本営報道をやりまくっていたのが、今度はGHQへのおべんちゃら報道をやり始めた。『朝日』も『読売』もCIAの手下になった。緒方竹虎にしても正力松太郎にしても積極的に売国奴を買って出た。戦前の「大本営報道」は戦後も頭が変わっただけで今も続いている。戦後は自主的な検閲だ。
 A 学者や文化人も戦時中に権力のチンドン屋をやった精神で、GHQのチンドン屋をやってきた。その流れが大きくなり今に至っている。
 C 戦争体験者は天皇制で徹底的に抑圧され、だまされ、戦争であれだけ同年代の若者が殺された。戦後も天皇がアメリカにくっついてずっと抑圧し、だまし続けてきて、また戦争になってきているのを見ている。「戦後、解放された」という認識が入る余地はない。かつての戦争に動員された感覚で、戦後社会もずっと見てきた。「昔天皇、今アメリカ」でやることは一緒だ。
 司会 やはり、第2次世界大戦がどんな戦争だったのかが問題になってくる。
 C そもそも日本の支配階級が第2次大戦でなにをやったかということだ。「みんなが貧乏になって戦争になっていった」わけだが、明治維新後に成立した日本資本主義は、ブルジョア階級と地主階級に立脚した絶対主義天皇制のもとで、農民や労働者は二重の搾取に苦しみ、市場の狭隘性を特徴として持っていた。それは国内における強烈な搾取と強権的な抑圧とともに強い侵略性を特徴としていた。台湾、朝鮮、満州、そして中国全土・東南アジアと侵略を拡大して、その地に市場権益を持つ米英仏蘭帝国主義との市場争奪の帝国主義戦争に進んでいって、そして敗北した。
 B アメリカとの戦争に突入する前には、すでに中国に侵略してうち負かされていた。中国での戦死者はすでに18万5000人を数え、100万の日本軍の主力が抗日戦争によって釘付けにされていた。そのもとで、ソ連との戦争をさけて「南進政策」といって、米英仏との戦争に進んだ。
 A 最初から海軍では「1年しか持たない」といわれていた。そして半年後にはミッドウェー海戦で敗北し、43年にはガダルカナル撤退となり、44年には「難攻不落」といわれたサイパンが陥落し、東条内閣が倒壊しても戦争をやめなかった。制空権も制海権もアメリカに奪われ、南の島にとり残された兵隊は武器も食料もなく、餓死、病死し戦争などできる状態ではなかった。それなのに、戦争を続行させた。
 E 丸腰の兵隊をどんどん輸送船で運んで、待ちかまえていたアメリカの潜水艦にまとめて撃沈させることまでやった。戦争の勝敗はわかり切っているのに、アメリカに全土を空襲で焼き払わせ、沖縄戦や広島、長崎の原爆投下でさんざん殺させた末、無条件降伏した。
 B 天皇を先頭にした日本の支配階級は中国に負けるのが必至となって、日本で革命が起こることを恐れていた。アメリカは日露戦争のあとには対日占領計画「オレンジプラン」をつくっていた。ペリー来航以来の野望だ。負けることが濃厚な米英仏蘭との戦争ヘ進み、負けることがわかった後にも戦争を続けたのは、日本人民による天皇制打倒による革命を抑えつけて、欧米列強側に身を寄せることで地位を守ろうという意図を明確に貫いていた。日本民族がどれほどの被害をうけようとも自分さえ助かればいいというものだ。国民の命の抹殺と引き換えに、自分らの地位さえ守ればいいという対応があれだけの大被害になった。
 一方のアメリカは、開戦直後からライシャワーらが日本の軍部に戦争責任をかぶせ「天皇を平和の象徴」とする間接支配のやり方をとる計画をもっていた。実際、戦争中もその方向で日本の支配層に働きかけを強めていた。
 E 天皇やその周辺の者は、原爆や空襲を「天佑」といって歓迎した。近衛文麿の上奏文にみるように「革命」を恐れていたから、国民がアメリカの無差別虐殺にさらされることで、アメリカの占領や天皇の責任追及に立ち上がれないほど疲れはてさせるという点で、アメリカとの利害は一致していた。だから、アメリカは人民を虫けら扱いして殺す一方で、皇居、軍中枢、三菱の工場などは攻撃しなかった。
 D 戦前に駐日米大使をしていたグルーなどが「日本の軍需工場を攻撃するな」と主張していた。グルーはJPモルガンの利益代表で、三菱や住友と深い関係を持っていた。アメリカは日本の大企業に相当投資してインフラを整備しており、今から日本の資本主義を段階を画して発達させ、収奪していくんだという狙いを持って戦争に臨んでいた。
 三菱の岩崎小弥太は日米開戦のときに、「米英はこれまで通り友人だ。だから資産をきちっと守って、戦後も同じようにやっていけるよう、みんなもそのつもりでおれ」と檄を飛ばしていた。ウォール街の意向と一致していた。
 C この戦争で300万人も殺したアメリカの残虐性は、現在の日本に対する残虐性、横暴さにつながっている。「新大陸発見」などといって北米や南米でインディアンを皆殺しにして、その後ハワイを奪い、フィリピンを奪い、そして日本、その先は中国となっている。
 A 歴史をみてもアメリカは日本占領の意図を幕末から持っている。ペリーが黒船で来たのを明治維新でうち破った。だが、そこで権力をかすめとった連中が人民を裏切り、戦争に負けたらアメリカの飼い犬になっていった。アメリカはペリーの志を継いで第2次大戦をやったのだ。日本が敗戦した当日の『ニューヨークタイムズ』は、「われわれははじめてペリー以来の願望を果たした。もはや太平洋に邪魔者はいない。これで中国大陸の市場はわれわれのものになるのだ」と書いている。
 E マッカーサーは、ミズーリ号での降伏文書調印式を浦賀沖で、ペリーが停泊した黒船の位置で、ペリーの当時の星条旗を飾り、ペリーが上陸したときと同じ礼砲を撃ち放した。占領の意図を露骨に示している。
 A 他国を侵略支配するのは大変なことで、満州支配のために陸軍60万人を派遣していたほどだ。最近のイラクでもアフガンでも、権力機構がすすんで手伝うとはならないから行き詰まっている。数万の米軍で植民地のように隷属させているのはなぜかが重要なところだ。日本の独占資本集団、官僚や政治家、メディアや御用学者など日本の支配階級がアメリカの植民地支配の手伝いを買って出ているからだ。民族的な利益を根こそぎ売り飛ばすことで自分の地位を得る。日本の支配階級の無様さの根拠だ。野田や谷垣の顔にそう書いてあると国民は見ている。
 C このアメリカ占領軍の支配を「解放」ととらえたのが共産党の中枢だった。口でマルクス主義を言うが実行することは反対という現代修正主義潮流だった。アメリカの支配はこのもう一つの協力者のおかげでスムーズにできた。つまり日本の権力機構、独占ブルジョアジー、これがすすんで売国奴になりみずから協力し欺瞞してきたが、そこに人民運動の内部からそれをねじ曲げてアメリカの日本支配を支えてきたのが左翼勢力にはびこった修正主義潮流だった。人民運動の内部からアメリカ美化をやってきた。そのイカサマぶりが広く暴露され、今見る影もなく衰弱しきっている。志位など「アメリカ民主主義はすばらしい」といい「オバマ万歳」といったのが最後の叫びという感じだ。

全文を読む>>http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/taibeijuuzokunokusaritatisensousosihe.html
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国民詩人峠三吉 (通りがけ)
2012-08-16 09:41:10
峠三吉が「すべての声はうったえる」という遺稿詩のなかでアメリカとヒロヒトの正体をあますところなく見破っています。

>「すべての声は訴える : 序文にかえて 」
広島大学学術情報リポジトリ:詩, 広島大学図書館峠三吉自筆草稿コレクション
>>http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/toge/T0037.pdf

pdfなので読みにくいですが。
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危機 国民皆保険制度 (猛暑)
2012-08-16 09:55:49
消費税増税法案の成立の裏側で、そのドサクサに紛れて「誰もが一部負担で医療を受けられる」という「国民皆保険」が大幅に改悪されようとしている。
http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/40537d1e189aa494a6ed5043b19e0ef1
何年も前から周到に準備された計画です。医療関係者の研修などでは、5年前から講師がほのめかせています。

湯田金台本通りな尖閣、竹島問題など小さな問題かも知れません?
国同士や民族同士、人種同士がイルミナティの
罠に気づくことが大切です。イルミナティの罠にはまらないコトです。彼らは戦争を通して平和の名の下にNWOをなしたいのです。UN 国連 ユニセフ等々地球上独占状態 
イルミナティの奴隷>教科書会社もイルミナティの奴隷。マスゴミ・国会議員どもも………
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