いかりや爆氏の毒独日記

最近の世相、政治経済について「あれっ?と思うこと」を庶民の目線から述べていきたい。

原爆投下から65年、あらためて原爆投下の正当性を問う

2010-08-09 18:35:27 | 日記

 今日は長崎に原爆が投下されて65年の記念日である。

 米世論調査によると、広島と長崎への原爆投下について、米国人の約60%が「投下は正しかった」と考えていることがわかっている。広島に原爆を投下した米軍B29爆撃機「エノラ・ゲイ」の機長ポール・ティベッツ氏(故人)の息子は5日、CNNテレビに対し、オバマ政権が平和記念式典にルース駐日大使を派遣したことについて、「そうすべきではなかったと思う」と不快感を示した。

 正当化の根拠になっているのが、原爆投下が戦争終結を早め、多数の人々(百万~数百万)の命を救ったとして、「当然、正しいことをした」としている・・・このロジックは、当時のトルーマン大統領が広島原爆投下の根拠を踏襲するものである。

国際犯罪:集団殺害罪の防止及び処罰にに関する条約(ジェノサイド条約)、

第一条【国際法上の犯罪】締約国は、集団殺害が、平時に行われるか戦時におこなわれるかを問わず、国際法上の犯罪であることを確認し、これを防止し処罰することを約束する。

第二条【定義】この条約において集団殺害とは、国民的、民族的、人種的又は宗教的な集団の全部又は・・・。

 原爆投下は明らかに、この国際条約に言う「集団殺害」(ジェノサイド)に当たることは言うまでもないと思う。トルーマンがこの条約を知らないで原爆を投下を許諾したとは思えない。よしんば知らなかったとしても、「知らなかったから」と言って言い逃れができるものではありません。

補注:ジェノサイド条約は1948年12月9日採択なので、トルーマン大統領はこの「条約を知らなかった」が正しい。ただし、原爆投下がジェノサイド(集団殺害)であることに変わりありません、ハーグ条約からみて無辜の人を集団殺害することは禁止されていることは常識。。

 終戦の数ヶ月前から、日本は必死に終戦(降伏)を模索していた。
 終戦の年の2月、旧ソ連領クリミヤ半島のヤルタで、いわゆるヤルタ会談が行われた。この時点でドイツ、日本の敗戦が確実視されていたからこそ、第二次世界大戦の「戦後処理」についてルーズベルト、チャーチル、スターリンが首脳会談を行い、ヤルタ協定を結んだはずだ。この年の6月には、日本は沖縄戦に敗れソ連に降伏の仲介を求めていた。アメリカがこれを知らぬはずはなかった(当時アメリカは日本の暗号はすべて解読していた)。

  終戦一ヶ月前のポツダム首脳会談において、チャーチル英首相からの進言にも、トルーマンは「日本には守ってやるべき軍事的名誉なんてないですよ、少なくとも真珠湾攻撃のあとはね」と付け加えている(仲 晃 「黙殺」NHKブックス)。

 アメリカは原爆投下に当たり、何らの事前警告もしなかった。例えはわるいが、並の強盗でも「手を上げろ!金を出せ(降伏しろ)!さもなければぶっ放すぞ」と警告するが、当時のアメリカ首脳にはその程度のモラルさえもなかった。アメリカには、原爆投下前に日本が降伏されては困る事情があったからに違いない。
 
 人類最初の「核」(実験)を生身の人間の上に投下したかったのである。そのためには、実験前に日本が降伏されてはこの実験が不可能になるからである。アメリカは人類最初の大量破壊兵器の投下の栄誉(?)を手にすることができた。

 それにしても、二発目の長崎への投下は不必要な集団殺害(ジェノサイド)であった。それでも投下したのは、2種類「ウラニウム型(広島)とプルトニウム(長崎」の原爆実験をしたかったからに違いない。長崎への投下は、広島投下から僅か2日しか間を置かなかったのもその為だったのだと思う。

 しかし、二回目の長崎への投下には、彼らにとって大きな誤算だった。第一候補だった北九州の小倉上空が曇りであったために、長崎投下に変更せざるを得なかった。
誤算はそれだけではなかった。長崎への投下はあろうことか、彼らの信仰する「神」を祀る教会、「浦上天主堂」の真上近くに投下された。礼拝中の神父と信者全員が犠牲になり、浦上地区の信徒12,000人のうち、8,500人が被曝死した。

 倒壊した瓦礫のなかに、奇跡的に聖母マリアの像がみつかった。天主堂の「アンジェラの鐘」も瓦礫の中から、掘り出された。

 広島の原爆ドームは、貴重な遺産として遺された。長崎の浦上天主堂の廃墟は、広島の原爆ドーム以上に、人類にとってこの上ない貴重な遺産になるはずだった。1958年の長崎市議会では遺産として遺すかどうか、当時の長崎市長田川務氏は遺す意向を示していた。しかし長崎との姉妹都市締結のためセントポール市を訪問して帰国するなり、突如破壊撤去に転じたという。

 彼の突如の変心の理由は不明なるも、何らかの米側からの圧力があったことを伺わせる。アメリカにとっては、「神」を祀る天主堂の上に原爆を投下したことは、自らが信ずる「神」を冒涜するものである。廃墟の天主堂は、彼らの愚劣な行為を戒める象徴的遺産になるはずであった。彼らにとって、どうしても消し去りたい過去だったに違いない。アメリカが原爆投下を正当化することは、自らが信ずる「神」をも否定することにほかならない

 自分たちの罪を懺悔して、悔い改める以外には、アメリカが原爆投下の贖罪意識から解放されることは永遠にこないだろう。
 「神の意志」に背いたものは、いずれ「神の意志」による「天罰」が降る日が来るだろう。

 「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(聖書:マタイ伝5章9節)。



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